たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
×
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さきたま古墳群の資料館で「古代の豪族」展が15日までだと
大宮の氷川神社の図書館でみかけたのでいってみました。
ほんとは2日か3日に行きたかったんですけど、
ベランダの避難ばしごの確認だとか、風呂のリフォームで風呂場の寸法を測るだとかで
お客さんがどんどこ来るので4日になってしまいました。TへT)<マケルモンカ!)
まあ、さきたま古墳群や途中よった神社もろもろは
そのうち別に記事にするとして、とりあえず今日乗った電車関連のをピックアップ。
行きたい場所をみつけて、電車で遠出する・・・いいね!+(最高に現実逃避行動)
初っぱな乗った京王線がまたラッピングのやつでした。
実は今日の帰りの電車も向かいがまた同じラッピング車だったんで
遭遇率たかいな!!
のったら案の定、床も壁も芝生シールでした。
あと、広告がなんだかバサラ(戦国)っぽいvvv
前見たときはヘッドマークついてなかったんですけど、
今朝は陣馬のつけてるな・・・
========================================
おおみや~
最近来ることが多い・・・。一回で用事がおわらないんだもん。 orz
マックストキがいました。
今日はここから高崎線に乗って、桶川と吹上へ行きます。
高崎線はじつはほとんど乗ったことがない。
なんとなく、北埼玉以北は苦手で・・・縁が無いというか。苦手で。(鬼門だから?)
でも高崎線の駅メロはほとんど聞いたことがない、しかもエラくかわいいメロディで、
もしかして女の子っぽい・・・のかな???
桶川でおりたら駅名標が昔のでビックリする。
むかいのは、もう融合しちゃってるし。
桶川には多気比売神社(たけひめじんじゃ)があるので、それをみて行こうかと思ったんです。
武蔵国足立郡の延喜式内小社で、創立は小野神社とおなじ3代安寧天皇の頃だというので。
しかも小野宮の碑ではえたもひのことを、「え・たけひ」と表記していたので
この「たけひ・め」はその女版か??という疑惑が浮かんだ物でして。
しかしここで痛恨のミス。
歩いていけるかな?とおもったら、道が途中で工事してるは雨は降ってくるは日が照るは
遠いはで体力と時間の殆どをこの神社参りに費やしてしまい、足がぼっこわれました。
さきたま古墳まわっている内に日もとっぷりと暮れ、後半の予定を諦めることに・・・。
おなじく武蔵国内で最古を自称する鷲宮神社が、ちょうど帰り途の
伊勢崎線鷲宮駅のそばにあるらしいので、そこも寄ろうと思っていたのに・・・。orz
吹上駅。さきたま古墳群への最寄り駅です。
こちらもまたメルヒェン~。いい風吹いてるらしいです。
改札前の工作もまた凝ってる。さすが群馬はSLが大好き。
神社の教訓を得、こんどはちゃんとバスを使うことにしました。
しかし、その最寄りのバス停からさらに1km離れた場所に古墳群(公園)があるらしく
その往復でまた足が死にました・・・。
世界遺産めざすなら交通手段をもうちょっと、どうにかして欲しい。
行田折り返し行きがまた秩父鉄道の行田市駅前までいかないので、
途中で降りてまた1km程歩きましたよ。
しかも、案内看板ないから、近くの和菓子屋さんに道を聞いたりしました。
しぬかとおもった。
そして天国にみえた行田市駅。
ちかくに忍城という史跡があるらしい。
ポスターの武将祭がとても気になります。
あいかわらず懐かしい感じのするホーム。
自販機のラインナップもなんだか、ほっとするメニューで。
バナナココアが気になったけど、えらんだら後悔するような気がして
無難にきなこラテにしました。
15分ほど待合室でぼーっとして、電車を迎える。
なんか、やっぱりすごく叙情的だな秩鉄は。
先に来たのは三峰口行き。うっかり乗りそうになりました。
私が乗った羽生行きはこっち。
どこかで見たようなドアステッカーだったんで、東急の子かもしれない。
羽生駅ホームの反対側に急行が止まっていました。
クロスシートだ。いたんだこんな子。
羽生駅からは東武伊勢崎線に乗り換え、久喜駅まで。
そこから先は半蔵門線の車両に乗って新越谷駅で武蔵野線に乗り換えました。
東武の写真がないのは、あれです。東上線で見なれてるので目新しさがないからです←
ただ、駅ホームの赤と黒のラインカラーはすごくカッコイイと思いました。
とちゅうとちゅうで東急の車両をいっぱい見かけ、ホームには日比谷線5ドアの
ずれが気になる乗降口ステッカーを眺めながら「あーこっちは賑やかそうでいいなー」と。
半蔵門線と日比谷線は本当におなじ所で仕事してるんだねぇ・・・。
しかも東武よりはるかに東急の車両が多いってのも面白いというか。
それにしても東武本線って東武動物公園で分岐するんだ。
てっきり久喜で分岐するのかと思ってた!(なんで)
新越谷駅でみかけたポスター。
東武は紅葉で本気だしてるみたい。それ難問すぎるよ!
もひとつ気になったポスター。東武フェスタ。
これか!次、鷲宮いく機会があるとしたら!!
でも、東松山の野本将軍塚古墳も見に行きたい。
れきしスタンプも東松山駅だし。
大宮の氷川神社の図書館でみかけたのでいってみました。
ほんとは2日か3日に行きたかったんですけど、
ベランダの避難ばしごの確認だとか、風呂のリフォームで風呂場の寸法を測るだとかで
お客さんがどんどこ来るので4日になってしまいました。TへT)<マケルモンカ!)
まあ、さきたま古墳群や途中よった神社もろもろは
そのうち別に記事にするとして、とりあえず今日乗った電車関連のをピックアップ。
行きたい場所をみつけて、電車で遠出する・・・いいね!+(最高に現実逃避行動)
初っぱな乗った京王線がまたラッピングのやつでした。
実は今日の帰りの電車も向かいがまた同じラッピング車だったんで
遭遇率たかいな!!
のったら案の定、床も壁も芝生シールでした。
あと、広告がなんだかバサラ(戦国)っぽいvvv
前見たときはヘッドマークついてなかったんですけど、
今朝は陣馬のつけてるな・・・
========================================
おおみや~
最近来ることが多い・・・。一回で用事がおわらないんだもん。 orz
マックストキがいました。
今日はここから高崎線に乗って、桶川と吹上へ行きます。
高崎線はじつはほとんど乗ったことがない。
なんとなく、北埼玉以北は苦手で・・・縁が無いというか。苦手で。(鬼門だから?)
でも高崎線の駅メロはほとんど聞いたことがない、しかもエラくかわいいメロディで、
もしかして女の子っぽい・・・のかな???
桶川でおりたら駅名標が昔のでビックリする。
むかいのは、もう融合しちゃってるし。
桶川には多気比売神社(たけひめじんじゃ)があるので、それをみて行こうかと思ったんです。
武蔵国足立郡の延喜式内小社で、創立は小野神社とおなじ3代安寧天皇の頃だというので。
しかも小野宮の碑ではえたもひのことを、「え・たけひ」と表記していたので
この「たけひ・め」はその女版か??という疑惑が浮かんだ物でして。
しかしここで痛恨のミス。
歩いていけるかな?とおもったら、道が途中で工事してるは雨は降ってくるは日が照るは
遠いはで体力と時間の殆どをこの神社参りに費やしてしまい、足がぼっこわれました。
さきたま古墳まわっている内に日もとっぷりと暮れ、後半の予定を諦めることに・・・。
おなじく武蔵国内で最古を自称する鷲宮神社が、ちょうど帰り途の
伊勢崎線鷲宮駅のそばにあるらしいので、そこも寄ろうと思っていたのに・・・。orz
吹上駅。さきたま古墳群への最寄り駅です。
こちらもまたメルヒェン~。いい風吹いてるらしいです。
改札前の工作もまた凝ってる。さすが群馬はSLが大好き。
神社の教訓を得、こんどはちゃんとバスを使うことにしました。
しかし、その最寄りのバス停からさらに1km離れた場所に古墳群(公園)があるらしく
その往復でまた足が死にました・・・。
世界遺産めざすなら交通手段をもうちょっと、どうにかして欲しい。
行田折り返し行きがまた秩父鉄道の行田市駅前までいかないので、
途中で降りてまた1km程歩きましたよ。
しかも、案内看板ないから、近くの和菓子屋さんに道を聞いたりしました。
しぬかとおもった。
そして天国にみえた行田市駅。
ちかくに忍城という史跡があるらしい。
ポスターの武将祭がとても気になります。
あいかわらず懐かしい感じのするホーム。
自販機のラインナップもなんだか、ほっとするメニューで。
バナナココアが気になったけど、えらんだら後悔するような気がして
無難にきなこラテにしました。
15分ほど待合室でぼーっとして、電車を迎える。
なんか、やっぱりすごく叙情的だな秩鉄は。
先に来たのは三峰口行き。うっかり乗りそうになりました。
私が乗った羽生行きはこっち。
どこかで見たようなドアステッカーだったんで、東急の子かもしれない。
羽生駅ホームの反対側に急行が止まっていました。
クロスシートだ。いたんだこんな子。
羽生駅からは東武伊勢崎線に乗り換え、久喜駅まで。
そこから先は半蔵門線の車両に乗って新越谷駅で武蔵野線に乗り換えました。
東武の写真がないのは、あれです。東上線で見なれてるので目新しさがないからです←
ただ、駅ホームの赤と黒のラインカラーはすごくカッコイイと思いました。
とちゅうとちゅうで東急の車両をいっぱい見かけ、ホームには日比谷線5ドアの
ずれが気になる乗降口ステッカーを眺めながら「あーこっちは賑やかそうでいいなー」と。
半蔵門線と日比谷線は本当におなじ所で仕事してるんだねぇ・・・。
しかも東武よりはるかに東急の車両が多いってのも面白いというか。
それにしても東武本線って東武動物公園で分岐するんだ。
てっきり久喜で分岐するのかと思ってた!(なんで)
新越谷駅でみかけたポスター。
東武は紅葉で本気だしてるみたい。それ難問すぎるよ!
もひとつ気になったポスター。東武フェスタ。
これか!次、鷲宮いく機会があるとしたら!!
でも、東松山の野本将軍塚古墳も見に行きたい。
れきしスタンプも東松山駅だし。
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大宮八幡宮を見て、井の頭公園駅の京王ラリースタンプもついてきました。
井の頭公園も見たかったけど、さすがにお腹空いたし時間もないしで
このまま吉祥寺へ向かいます。
あれが、噂の公園内にあるという井の頭線の橋だろうか。
外側から見てみたいよなぁ。
あと、京王線内がけい太くんなのに対して、井の頭線のステッカーは井の頭7きょうだいだった。
そうか、そうだよな!
=============================================
そしてコミケの帰りは京王百貨店新宿店でやっていた電車まつりをのぞく。
なんといっても、お目当てはポスターにいた、かわいいあの子!
もう、かわゆーて。かわゆーて。
その子ばっかり追いかけてました。
一度でいいから、絵に描いてみたい。
本にあったとおり、クリーム色とチョコレート色してますね。
(この、色の名前からして美味しそうなの)
とてもいい、参考資料になりました。
ただな~。はじめ京王がコレにのって玉南に会いに行くのを想像してたんですけど、
玉南が出来るころにはこの形式はみんな使われなくなっているんですよねぇ。
(臨時増援で出す事はあった)
笹塚の車庫のすみにおいやられてて邪魔になってたのを、
震災を機に横浜市電に引き取ってもらったとか。
しかも新宿追分で市電に乗り込ませる為に、わざと脱線させるという伝説付き。
「何回もやっているうちに、脱線するのなれてきました」とか当時のコメントがおかしい。
これ以前にも、同じ方法で車両の譲渡は行われていたらしいから、
いや、もうそれならポイントつけなよと(笑)
大正13年に市電側から砂利輸送の為に片乗り入れするようになって
ようやく線路が接続されたようです。
笹塚を出発してからは、運転時間調整中の間に京王のKマークを消して、クリームと茶色の京王色を、上がクリームで下がコバルトブルーの横浜市電色に塗り替えたらしい。
品川駅までは東京市電でいき、その先は京浜電気鉄道の路線で横浜へ向かう。
1435mmの標準軌で開業した京急も、この当時は市電に乗り入れる為に馬車軌間だったから、それも可能だったんだな。
湘南線は昭和まで開業してないから、そのための再改軌はもっとあとだし。
京浜が実際に市電に乗り入れされるのは、その数ヶ月後の大正13年4月。
(だから京浜と市電の線路は既に繋がっていた。)
大正14年3月には高輪駅が開業して北品川~高輪で相互乗り入れを開始する。
横浜市電への引き渡しは神奈川駅であったろうという。
ただしここの路線は繋がっていないので、牛で牽引したか、また脱線させたんじゃないかという。
(「鉄道ピクトリアル No.734」)
18両あるうち、引き取られたのは16両で、貨車のような板バネを履いていた13形と14形はそのまま残されたようで。京王の本の中で、昭和5年に撮られた13形の写真を見かけた事があります。
あと、さりげなくわかばちゃんいるよね。
帰りの電車は京王ががっつり雷にやられていたので、小田急で帰りました。
オチまでいただいたようで、ありがとうございます。たすけあいですね。
==========================================
それから、吉祥寺で見かけたポスターが気になりすぎる。
期間がないからいそがねば。
高尾駅から中央線で1時間40分でいける駅らしい。
それなら、日帰り可能だな。
「地図と楽しむ東京歴史散歩」(中央公論新書)の続編「地形篇」が出ていたので
速攻で買ってしまいました。前作もなかなか良かったけど、今作は最高。
人気があるのか、7月に発行したのに8月でもう再版になってる。
過去の地図に地形の陰影を透過した地形と近代実測図の一体化したもので、
さらに史跡や政治家・実業家・華族などの邸が紹介されています垂涎です。
面白かったのが、たまたま今、東京の古墳の本を読んでいて、
多摩川台の古墳群と二子玉川のお屋敷の並びがそっくりだったこと。
田園都市線と東横線の違いはありますが、
いつの時代も、権力者が住みたがる場所っておなじなのね~!?と(爆笑)
えと・・・この笑いのツボ、伝わりますかね?
(右は「古代の南武蔵」より)
久原房之助と鮎川義介の別荘が近い。どちらも日立と日産グループの創始者ですね。
(久原氏はもともと藤田組の人だったのが独立した)
なにげに東京川崎財閥の川崎八右衛門さんのお宅も玉川線沿いなのね。
さらにビビルのが鬼怒川水力電気の計画を途中でおっぽりだした田健治郎さんのお宅が
大井町線沿いにあって、万象閣といっていたのをのちに五島さんが買い取ったのだということ。
これがいまの五島美術館で、いつだったかタモリ倶楽部のオープニングトークで
五島美術館からはじめたことがあったけど、あれも東京湧水がテーマだったかな(ウロ)
たしかに武蔵野台地の際に当たる高台に立ってるんですね。
多摩川台の古墳群もわりかし有名で
武蔵の古墳の本を読んでいると、まずここの古墳の説明からはいります。
あとは、増上寺の芝丸山古墳とか。ここも、あの辺りではけっこう高い位置にあるからかな。
あ、だから東京タワーみたいな電波塔が立ってるのか。
ブラタモリで芝増上寺やってたとき触れたかな?あんま覚えてない。
で、多摩川台の先っちょの浅間神社の裏手にも古墳があって、
これを東横線が踏んづけているんだそうな。
そもそも、田園調布にこんなに大量の古墳群があるのがまずウケたんですが。
だって、イメージぜんぜん違う!!(笑)いいな、多摩川台がぜん行きたくなった。
このイメージのギャップを同時に味わいたいよ。
浅間神社裏の古墳は、神社の社殿が建てられたときにすでに墳丘がこわされて、
どっちが前か後ろかすら分からなくなっていたんだけど、東横線が複々線化するにあたって
調査がはいる事で前後が判明したんだそうな。怪我の功名?
「浅間神社古墳 : 東急東横線複々線化工事に伴う埋蔵文化財発掘調查報告書」という本が
あるらしいので、ちょっと読みたいんだけど、あんま蔵書がヒットしなくてしょんもりです。
でまわっていないのかな~
もう、古墳踏んづけちゃった東横線てのがまず面白いvvv(箸が転がっても面白い)
今週来週が仕事のピークです。ついでに、日曜は夜から町内会の会議です。
逃げ場がありません。わおお。
7月は新刊がですぎてやばかった。
銀の匙に、エイスに、軍靴のヴァルツァーに、ヴィンランド・サガに、十二国記。
チャンネルはそのまま!がついに完結してしまたあああ~~!!これすっごい好きだったのに!!!
それに、じつは春からなんですがアニメ見まくってます。
去年まではせいぜい2~3本だったのに、春に大きな仕事が終わってヒマになったので
反動がきたというか。完全現実逃避ですね。わかってるんです。
以下ややネタバレ吐き出しです。
マジェスティック・プリンスがきてます。
ヨルムンガンドの監督さんでしかもオレンジ×動画工房という、個人的にまじか!!のコラボで。
はたらく魔王さまからの、マジプリ、リトルバスターズという木曜のラインナップが癒しすぎました。
今は薄桜鬼の2期になっちゃったんで、そのバランス崩れましたが。
(OPだけど土方さんが白髪になっちゃうのはイヤだなぁ・・・。)
今では毎週木曜がくるのが楽しみで日々頑張れます。
ヤマト2199も途中から見だしたら目がはなせなくなっちゃったし、
八犬伝も1期知らなくて内容分からないなりになんだかセンサーが反応してて、
原作買っちゃいそうだなぁ・・・。だって設定気になる。
サーバント×サービスはアニメにしたら面白そうだなぁと思ってたけど、本当にやったな!?
原作1巻で長谷部が最低な感じのところで終わってたんで、珍しく嫌いなキャラになりかけました。
2巻が出るまでがまた長くて、まじで拷問かと。今では3巻も無事でて、立派な萌キャラです。
赤面男子はかわいい。
あと神様のいない日曜日が、主人公の養父さんが美形!?とおもったら1話で退場させられて、
いっしょに旅する事になった少年がまた美人!???とおもったら3話で退場させられてorz
このあと何を楽しみにすれば、と思いつつやっぱりみちゃう。
さすがカードキャプターつくってた会社だなぁ(スタッフ違うだろうけど)絵がすごいかわいい。
だけど、世界観に関する理屈は未だに納得がいかない。
あとクロスゲームが再放送しててうれしい。あれも大好きです。まったりしつつスマートというか。
あと、あんまりみていて気持ちよくないけど気にはなるから見てるのが4つくらい。
血がブシャー!!とか。いたたまれなさとか。
多摩モノレールと中央大学がでてくるんで、あの汚いコンクリートの壁が懐かしいな!?と。
ドイツ語検定とか高校模試とかで、何回かいったよ中大。
えー。そろそろどうにかしないと、休みがいくらあっても足りないよ!?
* * * * * * * *
さて世間ではそろそろコミケでしょうが、府中でもお祭りあります。
商工祭です。3日間やります。あついです。
普段は神社の境内の中にはいると外気より3度くらいは低く感じるまさしく神域ですが
このときばかりは鉄板屋台が軒を列ねるので2度から5度くらい温度が上がります。
なまなましい空気に囲まれますが、それでも楽しいです。
商工祭はほかの酉の市やすもも祭とはひと味違って、へんなお店がおおいです。
ゲームやDVDの安売りや雑貨やバッグや天然石などが屋台の隣で売られています。
さらに浄水器やコンロやバイクやお墓など、どこまでOKなのかときどき分からない。
イト-ヨーカドーがまだあったころは、ヨーカドーもブース出してましたし、
ときどき京王アートマンも居ました。あとサンリオ。
参道前では伊勢丹フォーリスも一緒になって路上セールやるようですよ。
テントが準備されてました。産地直送野菜もときどき売ってるんだよなぁ。
桃とか干し柿とかトマトとか。
そんな年中行事のなか、ちょっとずつ、再開発の波で古くからあるお店がなくなりはじめています。
けやき通りに面したところにある中華屋さん、結局一度も入らなかったけども。
伊勢丹十字路の角にあるおかき屋さん。本店がよそにあって出張店だったみたい。
理由が再開発と高齢の為、っていうのがじつにもの悲しい・・・。
私の心配はバスロータリーの京王ストアの斜め前にある大野履物店がどうなるのか。
木造家屋で、建物がほんといい雰囲気なんですよ。よくこの立地で残ったな、という位。
柊の枝に焼いた鰯の頭を刺す節分のアレを本当にやってる家は初めて見た(勝手口に刺さってる)
できれば郷土の森あたりに移築保存してほしいな・・・。
けやき並木の石垣も、神社側のは半分にカットされてこざっぱりとしてしまいました。
写真は甲州街道側のまだ手をつけられていない区間。
この、森厳とした雰囲気好きだったのに・・・。ずいぶん普通になってゆくのなぁ。
左が今回再開発にあがっている一帯。
伊勢丹ができ、くるるができ、残るはここだったのね。
おそらく伊勢丹の前から、右の写真の駅の手前まで、統一した大型建物ができる。
昭和の空気を残した、ごちゃついた路地が2本あるんですが、
この怪しい雰囲気がなくなっちゃうのは、ちとさみしい。
見るなら、今のうちです。
逃げ場がありません。わおお。
7月は新刊がですぎてやばかった。
銀の匙に、エイスに、軍靴のヴァルツァーに、ヴィンランド・サガに、十二国記。
チャンネルはそのまま!がついに完結してしまたあああ~~!!これすっごい好きだったのに!!!
それに、じつは春からなんですがアニメ見まくってます。
去年まではせいぜい2~3本だったのに、春に大きな仕事が終わってヒマになったので
反動がきたというか。完全現実逃避ですね。わかってるんです。
以下ややネタバレ吐き出しです。
マジェスティック・プリンスがきてます。
ヨルムンガンドの監督さんでしかもオレンジ×動画工房という、個人的にまじか!!のコラボで。
はたらく魔王さまからの、マジプリ、リトルバスターズという木曜のラインナップが癒しすぎました。
今は薄桜鬼の2期になっちゃったんで、そのバランス崩れましたが。
(OPだけど土方さんが白髪になっちゃうのはイヤだなぁ・・・。)
今では毎週木曜がくるのが楽しみで日々頑張れます。
ヤマト2199も途中から見だしたら目がはなせなくなっちゃったし、
八犬伝も1期知らなくて内容分からないなりになんだかセンサーが反応してて、
原作買っちゃいそうだなぁ・・・。だって設定気になる。
サーバント×サービスはアニメにしたら面白そうだなぁと思ってたけど、本当にやったな!?
原作1巻で長谷部が最低な感じのところで終わってたんで、珍しく嫌いなキャラになりかけました。
2巻が出るまでがまた長くて、まじで拷問かと。今では3巻も無事でて、立派な萌キャラです。
赤面男子はかわいい。
あと神様のいない日曜日が、主人公の養父さんが美形!?とおもったら1話で退場させられて、
いっしょに旅する事になった少年がまた美人!???とおもったら3話で退場させられてorz
このあと何を楽しみにすれば、と思いつつやっぱりみちゃう。
さすがカードキャプターつくってた会社だなぁ(スタッフ違うだろうけど)絵がすごいかわいい。
だけど、世界観に関する理屈は未だに納得がいかない。
あとクロスゲームが再放送しててうれしい。あれも大好きです。まったりしつつスマートというか。
あと、あんまりみていて気持ちよくないけど気にはなるから見てるのが4つくらい。
血がブシャー!!とか。いたたまれなさとか。
多摩モノレールと中央大学がでてくるんで、あの汚いコンクリートの壁が懐かしいな!?と。
ドイツ語検定とか高校模試とかで、何回かいったよ中大。
えー。そろそろどうにかしないと、休みがいくらあっても足りないよ!?
* * * * * * * *
さて世間ではそろそろコミケでしょうが、府中でもお祭りあります。
商工祭です。3日間やります。あついです。
普段は神社の境内の中にはいると外気より3度くらいは低く感じるまさしく神域ですが
このときばかりは鉄板屋台が軒を列ねるので2度から5度くらい温度が上がります。
なまなましい空気に囲まれますが、それでも楽しいです。
商工祭はほかの酉の市やすもも祭とはひと味違って、へんなお店がおおいです。
ゲームやDVDの安売りや雑貨やバッグや天然石などが屋台の隣で売られています。
さらに浄水器やコンロやバイクやお墓など、どこまでOKなのかときどき分からない。
イト-ヨーカドーがまだあったころは、ヨーカドーもブース出してましたし、
ときどき京王アートマンも居ました。あとサンリオ。
参道前では伊勢丹フォーリスも一緒になって路上セールやるようですよ。
テントが準備されてました。産地直送野菜もときどき売ってるんだよなぁ。
桃とか干し柿とかトマトとか。
そんな年中行事のなか、ちょっとずつ、再開発の波で古くからあるお店がなくなりはじめています。
けやき通りに面したところにある中華屋さん、結局一度も入らなかったけども。
伊勢丹十字路の角にあるおかき屋さん。本店がよそにあって出張店だったみたい。
理由が再開発と高齢の為、っていうのがじつにもの悲しい・・・。
私の心配はバスロータリーの京王ストアの斜め前にある大野履物店がどうなるのか。
木造家屋で、建物がほんといい雰囲気なんですよ。よくこの立地で残ったな、という位。
柊の枝に焼いた鰯の頭を刺す節分のアレを本当にやってる家は初めて見た(勝手口に刺さってる)
できれば郷土の森あたりに移築保存してほしいな・・・。
けやき並木の石垣も、神社側のは半分にカットされてこざっぱりとしてしまいました。
写真は甲州街道側のまだ手をつけられていない区間。
この、森厳とした雰囲気好きだったのに・・・。ずいぶん普通になってゆくのなぁ。
左が今回再開発にあがっている一帯。
伊勢丹ができ、くるるができ、残るはここだったのね。
おそらく伊勢丹の前から、右の写真の駅の手前まで、統一した大型建物ができる。
昭和の空気を残した、ごちゃついた路地が2本あるんですが、
この怪しい雰囲気がなくなっちゃうのは、ちとさみしい。
見るなら、今のうちです。
8月1日は徳川家康が江戸入府した日ということで、大國魂神社でも相撲祭が催されます。
で、実は境内に東照宮(祭神は家康)もあるという事を知ったので「え?どこに??」と
ちょっと探してみました。
したら、授与所の裏の奥まった所にあって、すっごい、せまそう。
というか邪魔だったので整理しました、という配置に感じなくもなく?
ちなみに東を向いておりました。(ようするに本殿の横っ腹を拝む形で)
八朔なのに詣でる人もいない・・・そりゃ、こんな裏におかれてたらね。
朱色が綺麗なんで、ぜひ機会があればこちらにも参ってみてください。
そしてこちらはJR府中本町駅横の駐車場だった所。
発掘調査もおわり、すっかり埋めたてられておる。
シートがかぶせてあるみたいです。そのなかに看板が。
ついでに、グリーンプロジェクトでまくわうりも育てているみたい(笑)
一時期お城に献上していたんだっけか。
伝承ではここが徳川の御殿地でした。
実際、発掘でも江戸初期の建物跡がみつかったんだそう。
ついでに古墳時代の「国造の館」があったという伝承があり、
かつては国庁の候補地でもあったんですが、調査の結果、
国造よりは新しい、国司の館であるという結論に至ったようです。
(府中郷土の森博物館広報「あるむぜお No94」2010.12.20発行)
府中と徳川の関係は、豊臣秀吉が小田原北条氏を倒し、北条氏の領地だった関東を
徳川家康が担う事になったあたりからはじまります。
秀吉はさらに奥州へ至って天下統一をはたし、その帰路の府中で
これを接待するために天正18年(1590年)8月家康が御殿を造営しました。
また天正19年(1591年)11月には六所宮に社領500石を寄進します。
その後、徳川3代にわたって鷹狩りなどの休憩地や宿泊地としてここを利用したため、
ここは御殿御茶屋としても有名でした。
多摩川の水が美味しいという事でお茶用に水を運ばせたので、御殿から多摩川に続く道を
「お茶屋街道」とも呼んだらしい。
家康が亡くなって久能山でいっとき安置されていた体を日光へ運ぶ際にも、この御殿に一日逗留。
結局、正保3年(1646年)の府中大火でもろとも焼失し、再建される事もなく耕地となったようです。
徳川は秀吉に滅ぼされて反感を持つ甲斐武田の遺臣や小田原北条の遺臣を
手厚く迎える事で反乱を抑えました。
武田の遺臣からなる槍隊500人を関東防衛のため八王子の西部におき、
甲州武田の蔵前衆(地方巧者)だった大久保長安に率いさせました。
さらに関ヶ原の直前(1600年)には北条の遺臣なども加えて1000人に拡充し、
これを八王子千人同心といいました。(幕末には千人隊と呼ばれた)
彼等は幕府公認で農地も耕したため半農半士でしたが、多摩唯一の武士でもありました。
また、北条の重臣・江川太郎左衛門には伊豆韮山を拠点に、
相模、多摩などの幕府直轄地(天領)の代官を命じました。
大久保長安は一代で絶えますが、江川家は幕末まで幕府の広大な領地を守る代官として
重用され続けます。なかでも江川太郎左衛門英龍こと坦庵は有名です。
黒船ショックにより伊豆半島の海防が叫ばれると、農民を兵士にするという改革案を進めて
伊豆から多摩にかけての地域の農兵隊組織を促し、実際の外国との交渉の場にも代官クラスでありながら立たされました。お台場の普請を負ったのも坦庵で、お台場の地盤を支える杭には多摩の鑓水の松が使われたそうです。
高島式砲術も身につけ、反射炉を研究したりして、高島平の鉄砲場で試射したりしたため、
砲弾が三田線建築のときに発掘されたりしてましたね。
あ高島平の地名の由来って、高島秋帆からきてんのか、もしかして。
ついでに効率的な兵糧を研究して乾パンも作ったりしたそうです。
江川代官の管轄地は明治にいたって韮山県として引き継がれましたが、
府中はギリギリ江川領ではなく旗本の知行地だったようで、代官も時代によって違いますし。
明治元年6月、四ッ谷村と中河原村は韮山県に、府中宿や八幡宿、下染谷・常久・是政・小田分・人見・車返・押立は武蔵知県事所管になり、明治2年2月に品川県になりました。
府中全域が神奈川県になるのは明治5年1月です。
で、なんだっけ。そうそう、この武田と北条の遺臣から組織された八王子千人同心の任務でも
重要なものに、日光東照宮の火の番人というのがあって、交代制で出張していたらしいのだけど
日光東照宮は有事の際の山城として設計されているらしい。
江戸の初めでは江戸が攻められた際はまず、甲州街道を使って甲州の城へ逃げるという算段があって
そのために服部半蔵に半蔵門を守らせ、そこから地下道を通って大久保へのがれ、出口は鉄砲隊100人に守らせて、忠臣である内藤家には甲州街道の入り口である新宿を与えて周辺域を見張らせ、
甲州への道は甲州に詳しい大久保氏率いる八王子千人同心を置くというセオリーがあった。
その防備の延長?でけっこう遠いはずの東照宮にも千人同心が派遣されるようになったらしい。
府中はその中間点だから、この御殿にもそれなりの意味があったんだろうとは思う。
ついでに神社の裏手にまわって崖が確認出来ないか探してみましたが、
相模ほどにはわかりやすい場所はなく。ただ緩やかには坂だな~というかんじ。
がけの下には、お寺さんと墓地がかなりの範囲で広がっていました。
その先は府中競馬場という異色さ。どーん