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たまろぐ

テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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バクモンの時間帯だけ録れていたんですが、正月から暗い話をするなぁ。
さすがNHKだ。

しかし、いまから100年前の大正時代の映像がたくさん見られて、
浅草十二階や帝国劇場や、電化して十年しないであろう市電の
カラーCGが見られるのもさすがNHKだ。

松井須磨子や唖然坊など、当時の流行歌も現代風に聴けて
とても有意義な番組だと思いました。

途中からしか録れてないので、再放送しないかなぁ。
欧州戦争は天佑だった、といった井上馨ちんの言葉が
世外井上公伝からひかれていてニマニマしたvvv

登り来る農村部出身の労働者とふくれあがる港湾部の工場の貧民窟と、それを支える残飯屋と
船成金と、急激なインフレについていけない庶民の暮らしからおこるフラストレーション。

政治に対する不満と、青島占領でわきあがるナショナリズムのエネルギーが同根であることと。
当時日本を旅したアメリカ哲学者ジョン・デューイの「日本人の心は移ろいやすくさめやすい」という言葉と。

相棒のSPも今日だらだらしながら見たんですけどね、
為政者と要支援者との意識の乖離と、政治批判から簡単に転化するナショナリズムは
100年たった今でもあんまりかわんないんだな~(国際感覚に疎いところも)

やっぱり未だに大事なのは「理屈ではなく空気を読むこと」なのもな。
生きていくことって、基本ノリですもんねぇ。
それがいいとか、悪いとか、簡単に判断する事でもないし、
大事なのは「自覚すること」だとおもう岸田秀・教の私なので、資料としてだけ
理解しておきたいとおもいます。

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うーんと(;=`=)b

ホツマツタヱでの神話の特徴だけでも書き出しておこうかな。

大筋は記紀神話と同じというか、オリジナルの部分もあるけど、
記紀神話のインデックス的な、有名なエピソードはちゃんと詰まってます。

ただ、アマテラスの神格が昼子姫(和歌姫)とアマテル大神に分かれてるかな~。

イザナミとイザナキが最初に生んだ子が昼子姫なんですけど、
なんでも姫が三歳になるときに両親がダブル厄年になって、子供に汚穢が
いっちゃうのをおそれて、泣く泣く川に流すんですね。

それを拾ったのが墨江の金析神(かなざき)で、両親の子作りが落ち着くまで
姫を守り育てるんですが、この養父が住吉神(すみのえ)にあたる。

今、住吉神社でまつられているのは、記紀神話でイザナキが黄泉の国から
戻って、体についた汚れを川で落としたときに生まれたツヅノオ三神ですが
ホツマでは金析神が三兄弟を引き取っていて、あくまで住吉神は本来
金析神としています。

そしてこの昼子姫がまた終始、スサノオを許す許さない、の姉役をやっています。
川辺での誓約(うけい)こそしませんが、「もし今後生まれる俺の子が男の子だったら
俺は潔白だ」という事を訴えてから、スサノオは昼子姫の元を去ります。
あ、スサノオの暴虐にたえかねて天岩屋戸に閉じこもるのは兄のアマテルの方です。

また、天児屋根(あめのこやね)の父神が兵主神(つわものぬし)ということになっていて
こちらは春日神の称号を世襲しています。

兵主神は渡来神で武器を司るので有名ですが、藤原氏の傍流が創祀という縁起があるらしい。
奈良県桜井市大字穴師に穴師坐兵主という神社があり、もともとは纒向山の弓月ケ獄にあったというので、秦氏の始祖渡来人、弓月君との関連もありそうですが、ここでは藤原氏と直結してるっぽい解釈。
(天児屋根命は藤原氏の遠祖なので)

また高見国(東北)にはアマテル神を補佐し導く役割の高皇産霊(たかみむすひ)がいて
多賀城を本拠地として、ここでもけっこう神様が寄り集まって会議してます。
高皇産霊も世襲制で、豊受神が五代目、八十杵尊が六代目、高杵尊が七代目という。
大物主(=大国主と同義)も事代主も同じで官職名で、世襲できるらしい。
なるほどナァ(*´▽`*)ノ

ちなみにこのホツマツタヱでは神様がふつーに寿命で死ぬ。
だから世代交代が起こったり、年で神様の気力が弱くなったり知力が衰えたりする。


で、本題の瀬織津姫ですが、
イザナキ・イザナミが神皇産霊の八十杵命(やそきね)に命じて十二人のお后を選定させる。

北の典侍(ねのすけ)にはイザナキの兄弟の椋杵命(くらきね)の娘、益姫持子(もちこ)
北の内侍(ねのうちめ)にはその妹、益姫早子(はやこ)

東の典侍(きのすけ)にはイザナミの兄弟の八十杵命の娘、大宮姫道子(みちこ)
東の内侍(きのうちめ)には棚機姫小妙(たちばなひめこたゑ)

南の典侍(さのすけ)には桜内命(さくらうち)の娘、瀬織津姫穂の子(ほのこ)
南の内侍(さのうちめ)には若姫花子(はなこ)

西の典侍(つのすけ)には金析命の娘、速開津姫秋子・別名潮の八百会子(やもあいこ)
西の内侍(つのうちめ)には宗像命の娘・機織姫筬子(さおこ)

北の御下(ねのおしも)に荷田命(かだのみこと=豊受神の子)の娘、味子(あじこ)
東の御下(きのおしも)に筑波葉山命(つくばはやま)の娘、蘇我姫(そがひめ)
南の御下(さのおしも)に粕谷命(かすや)の娘、色上姫浅子(いろのうゑあさこ)
西の御下(つのおしも)に豊姫紋子(とよひめあやこ)

そして、そのなかで姿美しく性格の素直な瀬織津姫穂の子を特別に選び、
中宮(うちつのみや)にして、天孫の父神である忍穂耳(おしほみみ・忍仁)
を生んでいる。記紀のようなアマテラスとスサノオの川辺での誓約がないので
普通の方法で世継ぎが生まれてるんですね。
瀬織津姫は日の前に仕える向津姫(むかつひめ)
と称えられるようになる。(日の前に向かい合っているという意味らしい)

空席となった南の典侍には金山彦命の娘、瓜生姫中子(うりふひめなかこ)があてられる。

北の典侍・持子と、内侍の早子姉妹は、瀬織津姫を追い落とそうと画策し、
それを察知した瀬織津姫の妹の花子が中宮にこれを伝え、放逐になった。
また、イザナミが月経のときに授かったため、生まれながらに穢れがある
スサノオと、早子は密通して子供を産んでいる。

そして恨みを持った持子と早子はそれぞれ九頭竜と、八岐大蛇に姿を変え、
ハタレ魔軍の黒幕として世間を混乱に陥れる。
早子は最後は同じく放逐されていたスサノオに、それと知らずに討たれてしまいます。

記紀では三貴子である、アマテラス・ツクヨミ・スサノオは、黄泉の国から帰った
イザナキが禊ぎをしている最中に独りでに生まれてきますが、ホツマでは
きちんとイザナミが腹を痛めて生んでいます。
とくにアマテル神を生むときには、両親は体を清めて朝日を拝んで準備万端で
事に当たっています。

アマテル神は原見山の安宮(富士山の浅間神社)におわし、
ツクヨミは筑紫の宮を与えられています。

この構図は、天孫・兄のホアカリ・ニギハヤヒが先に大和に都をつくり、
天孫・弟のニニギノミコトが後から筑紫の高千穂に降り立つのに似ています。

そもそも、このホツマツタヱは崇神天皇の時代に、大物主を祀るために
探し出された大物主の子孫・太田田根子が書いたとされ、三輪家に
代々つたえられてきたとされる書物(反物?)です。

内容がうり二つとされる三笠紀は天児屋根の直系である大鹿島(中臣氏)が著し、
現存しないものの、名前だけは伝わっている香久御機(かぐみはた)は
景行天皇みずから編んだといわれ、ホツマツタヱとミカサフミは
それぞれお互いの書評というか賛辞を載せています。
これは三種の神器になぞらえた「三種の道」「三種法」といわれているらしい。

ホツマツタヱはその後、弓削の道鏡のクーデターに反抗して自刃した
大三輪の赤坂彦の意志を継ぎ、和仁估(わにこ)と名前を変えた伊保家が
滋賀の近江に移り住んで、密かに伝えてきたとされ、伊保勇之進こと
大物主の七十八代末裔・和仁估容聡(やすとし)が宮中に献上しようとして
はたせず、明治の時代になって再発見され、戦後発行される事になる。

江戸時代に小笠原三代によって研究もされていて、小笠原の写本も別系統であるらしい。
ホツマツタヱが江戸時代以上さかのぼれないのは、この和仁估容聡より以前に
この書物が存在したと証明できないかららしい。

ここで重要なのは、瀬織津姫だけでなく、速開津姫も十二后にえらばれていることであり、
ハタレ魔軍討伐の時にもアマテル神とともに鏡を携えて両姫が脇に立ち、
ハタレの心の内を鏡に映す役目を負っていたり、
伊吹戸主(いぶきどぬし)もハタレ魔軍討伐に加わってハタレ4道の一つ、アエ道を
捕まえるために活躍しており、ハタレが叢雲をはなって幻惑すると、級長戸辺神を
使役して風で雲を散らし、ハタレが炎をはくと、竜田姫を勧請して水で消したりと
大祓詞にでてくる祓戸四柱がかなり高い位を得ている点です。

佐須良姫だけは名前がみえませんが、一説に佐須良姫はスサノオの娘のスセリ姫の
母神と同一とされる根の国・底つ国の神でおそらく出雲系であり、ホツマの中では
かなり、出雲系の神を蔑視しているので、その影響でかもしれません。

スサノオは生まれが汚い、問題行動ばかり起こす困った奴あつかいですし、
国を作り固めたオオナムチですら、国譲りの後は、大きな宮を建てた事を咎められ、
宝を蓄財していたことも恥ずべき事とされて、津軽(青森)の小宮に蟄居させられているのです。

記紀神話で大きく扱われている恨みもあるのかなぁ・・・。
こちらのページではさらに、違う異説・富家の伝承を紹介されていますが
(http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20070513/izumo)
そこでは物部氏と出雲族は同族であるが物部氏が天孫側についたため、
相争ったような歴史があるようですし、ホツマでは天皇家と中臣家と歩調を合わせようと
しているので、そういう事が影響しているのかもしれません。

記紀は藤原不比等により藤原氏のための史書の面がつきまといますが、
「物部・蘇我氏と古代王権」(黛弘道/吉川弘文館/2009年)によると
日本書紀編纂には各氏族の利害関係が絡み合い、藤原氏といえど
好き勝手には出来なかったようで、利害の調整に骨を折ったようです。

先代旧事本紀もホツマツタヱも、天孫ニニギ系より早くから大和を支配していた
ヒギハヤヒ系の物部氏系ですし、記紀神話には納めきれなかった
三輪山の大物主や天照国照彦ホアカリのヒギハヤヒの正当性を伝えたかったのでしょう。

内海邦彦氏の「わが悠遠の瀬織津姫咩」では、アマテラスは男神アマテルに仕える巫女が
神格化され・集合して女神となり、それがために后でいられなくなった瀬織津姫は抹殺された、
とお怒りでした。

ときには不在のアマテルにかわり、持子や早子の謀反を寛大に処罰し、
スサノオの計り知れない天の罪を半分に減刑して、つねに慈愛でもって日の神の隣にいた
瀬織津姫は、それがためにアマテラスの荒魂とされたのかもしれません。

日本書紀の神功皇后の記事に、神功皇后が海路で九州へ渡ろうと言うとき、
住吉神と伊雑宮にいる撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)
という神が、自分たちを祀ってくれと託宣するのですが、「向津姫」という部分で
それが瀬織津姫だとされているのでしょう。

また瀬織津姫の父や妹は桜内命や花子で桜を連想させます。
またアマテルの宮の庭にも、桜内命にちなんで桜(と橘)が植えられています。
(もちろん、十二后の位も、庭の花橘も内裏の習慣をトレースしたものでしょうが)
これは桜の神であり、ニニギの妻であるコノハナサクヤヒメとも
つながりがありそうです。(ただし火の神と水の神の差はある)

そして滋賀県大津市大石には祓戸四柱を祀る神社のなかで有名な
佐久奈度(さくなど)神社があります。
ホツマツタヱをもって逃げた、赤坂彦の子、世々彦も近江国の和爾邑に住んだといい、
安永4年に宮中に献上しようとした和仁估容聡も滋賀県高島郡安曇川に住んだという。
大津市と高島市は琵琶湖の南と西で結構離れているけど、ホツマツタヱで祓戸四柱が
やたら格が高い地位にいるのは、滋賀県の手前味噌のような気がする。

ついでに小野氏の中でもっとも古い有名人の小野妹子は
近江国滋賀郡小野村(大津市)出身の豪族です。

小野氏は春日氏の分流らしいですが、春日臣は和珥(わに)氏族であり春日大社で神を
まつっていましたが、藤原氏(のタケミカヅチ)に乗っ取られました。(´▽`;)

「多摩のあゆみ」の中で、小野神社の祭神の瀬織津姫は祓戸四柱と小野という名前から
むしろ大津の佐久奈度神社を想起する、と書かれている方がいたので、
手がかりはここにもありそうです。

あとこのホツマツタヱの本によると、大物主の別名は鰐彦櫛甕玉命(わにひこくしみかたま)
というらしい。

ああ~だから、「ガンジス川のワニさん」こと、金比羅様と習合してんだね~。
小野氏と大三輪氏もワニワニだし、つながりがあるのかないのか・・・。

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このところ小野神社にまつられている神様の瀬織津姫について調べているのですが、
このいあだ瀬織津姫で検索して唯一ヒットした本
「わが悠遠の瀬織津比咩」(内海邦彦著/河出書房新社/1986年)を読み終わりました。

てっきり瀬織津姫について掘り下げていくのかとおもったら、触れられているのは冒頭と巻末だけで
本編はどちらかというと天孫ニニギノミコトの兄神で天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(ホアカリまたはニギハヤヒ)を主題にして話を進めているかんじでした。

しかも読んでいると、途中から横道寄り道だらけで、本筋といえるものがあるのかないのか、
話題の振り方が下手でだいぶ振り回されます。
紀行文だとしたら見てきた順に語るのはしょうがないのかな、とも思ったんですけど、
とある神社を訪ねる途中で、このあいだ行った別の神社の話をし始めて、
もとの神社の話題にもどるのが次の章とかにも閉口。

時系列がぐちゃぐちゃだから、筋道が押さえられなくて目が(+ +)
正直もと編集者だというのなら、本全体の構成を考えて章立てしてほしかった・・・。
読んでいる間ず----っと「本題の姫はいつ!?」と思ってました。

読み切った後では、総体として被差別民族(蝦夷・エタ、渡来氏族と日ユ道祖論)の
排斥され続けてきた民衆の怨嗟を語りたかったのかなーというかんじ。

「新宿駅が二つあった頃」で著者が折口信夫の講義をきいてて、話が枝分かれして
それはそれでおもしろいんだけど、ついに本筋に戻ってくることはなかった的なこと
を書いていたので、折口信夫もこんなかんじなのかなー。
ただ折口先生の文章とはちがって、このひとの説明はわかりやすい。
(いま、タイトルに惹かれて「魂の古代学」という新潮選書も読んでるんですけど
折口解説本でして、そこでかいつまんで説明されている折口論には共感します)

著者の内海さんは戦後まもなくの昭和30年代から自分の家の系統の神様について
いろいろと集め始めたので、時代的に戦中の軍国主義反発とあいまって、
感情と論理が分離できてないけど、それも学者じゃないからしょうがないのかな・・・。

とにかく、取り扱っている話題はおもしろいのです。
それだけに、きちんとジャンル分けして解説してほしかった。


鹿島昇の鹿島史学にかぶれているので、秦の始皇帝の父親はじつはユダヤ人の商人だった、
だから秦はユダヤ系国家であり、夏殷周はオリエント文化をそのまま漢訳したものであり、
日本の秦氏も「名を取らず実を取る」ユダヤ的な性格を帯びている、という論を紹介されてて。

トンデモ系ではあるのですが、今読んでいる「秦氏と新羅王伝説」(皆神山すさ/彩流社/2010年)と
いっている事は重複しているし、あわせて考えるととてもおもしろいです。
(ちなみに↑こちらの本の中に深大寺の項目があります。渡来系の寺として有名なんですね・・・)

この本の中で紹介されていた「朝鮮文化と日本」(金達寿 キムタルス/講談社学術文庫)も
読んでみました。なるほど、日本の中に残る古代朝鮮語は朝鮮出身の人なら見つけやすい
かもな~と思って。全国を廻られているんですが、私が読んだのは相模・武蔵・上野・房総編で、
しかも金さん、電車で移動なさるので昭和30~40年代の小田急や京王や八高や東上線の
沿線の描写も一緒に出てくるんですよね。
とくに、京王のなんか、聖蹟桜ヶ丘駅から周りがブルドーザーだらけで赤土に覆われた工事の中を
町役場(近々市政になる予定の)の教育委員会を訪ねられていて、「ほうわ~~~」と興奮しました。
八高線だと飯能だとか高麗地方とか、小田急だと秦野、京王だと狛江や深大寺や布多天神社、
東上線だと志木のあたりを訪ねていましたね。

相模国の大磯あたりははじめ、高麗人によって開拓されたらしいです。
まえに紹介した相模六所神社のひとつ、 比々多神社の周囲にも100基ちかい古墳があり
これが高麗族の墓ではないかと、予想されている。
被葬者の特定ってのは、考古学でもかなり慎重を期する作業なので安易にきめつけては
いけないのですが、可能性としてはおもしろいなーと。


で、「~瀬織津比咩」の内海さんが、この金さんが瀬織津姫とは「セオールの姫」つまり
ソウルの姫巫女と言う意味だというのをいっている、というのを紹介されてて、
「朝鮮文化と日本」に載ってるかな~?と見たんですが、残念ながら大国魂神社を
参拝しただけで、金さんは小野神社には気づかなかったみたいですね。
武蔵国編には載っていませんでした。(となると、本家の滋賀県・近江国編に載っているのか?)

ソウルは京城と書くのですが、もともとは固有名詞ではなく「都」と言う意味の一般名詞のようで、
そうすると瀬織津姫は「都(宮)の姫」ということになるのかな?

「~瀬織津比咩」を読んでの最大の収穫は、記紀以外に載っている日本神話の本を紹介されて
いたことでしょうか。

宮下文書(富士文書)、秀真政伝紀(ホツマツタヱ)、三笠山紀(ミカサフミ)、先代旧事本紀大成経

など、本書では「古事記」「日本書紀」より古いと断言されてましたが、学会では偽書とされている
文書たちです。

このなかの、先代旧事本紀大成経については、前に紹介した「奇書『先代旧事本紀』の謎をさぐる」
にも騒動の事が載っていましたが、他の本については知らなかった、とくに
秀真政伝紀(ホツマツタヱ)には、瀬織津姫のことがかなり重要な神として載っているので、
今「完訳 秀真伝 上・下」(鳥居礼 校訂・訳/八幡書店/1988年)を借りて読んでいます。

ハタレ魔軍と天照大神の神軍団が戦ってて、ファンタジー小説みたいで、なかなかおもしろいです。
ただ、「日本書紀」を超えることはできないかな~。

秀真国(ホツマの国)というのは、どうも富士山麓の山梨県のあたりの事らしいですね。
宮下文書(富士文書)も山梨県吉田市に伝えられていた文書だというし、山梨県には
最後の秘境があるの・・・かも?

ただ、ホツマツタヱにおける天照大神の所在地は伊雑宮(イザワノミヤ)で瀬織津姫もそこに
いるかんじ。神の教えとして「伊勢の道(夫婦和合の教え)」というのを説いているし、
そこは先代旧事本紀大成経騒動と通じる物があるのかもしれない。

ちなみに、ホツマツタヱにおける天照大神はアマテル大神で男神です。
瀬織津姫は十二后の中から特に選ばれて中宮になっています。
十二后は横道十二宮と対応しているとおもわれ。
一年をかけてアマテルがそれぞれの宮の姫を訪れるようです。

そういえば、三島大社の見目神社にまつられていた事代主の奥さんも12人だったな。
なにか意味があるのかもしれない。

ホツマツタヱはまだ途中までしか読んでませんが、とりあえず瀬織津姫のポジションは絶大です。
今流通している神道でも、瀬織津姫はアマテラスオオミカミ(女神)の荒御霊であるとの解釈ですし、
思ったよりパーフェクトな姫神かもしれません・・・。

ホツマツタヱの神話も紹介したかったんですが、長くなったのでまた今度。

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この日は仕事の日だったんですけど、定時でそっこー切り上げて多摩モノレールに乗って
やってきました、多摩センター。

すっかりイルミの季節です。

   

こちらは駅前にしつらえられた青いLEDトンネル。
海底をイメージしてるんでしょうけど、寒い!寒すぎる景色です。

そういえば、京王百貨店も、今年のクリスマスは海がイメージテーマみたいですけど
こういうのって、歩調を合わせるものなのかい???


 

メインストリートの景色とツリー。

   

終点のパルテノン前には、お役目を終えたゆりーとと、キティさまがいました。
しかし、ここまでくる人はほとんどいなくて、さびしいです。

====================================



で、今日のお目当ては、これ。

ツイッターで情報が流れてきたんですけど、事前予約不要、途中入場OKだったんで
15分くらいどうしても遅刻しちゃうんですけど、これならいけるな、と。

内容は多摩ニュータウン造成時代の資料映像でした。
「多摩ニュータウン」(1969年)
「多摩ニュータウン'72」(1972年)
「多摩ニュータウン 21世紀の豊かなまちづくりをめざして」(1985年)の三部構成です。

最初の映像では目標40万都市とかいってたけど、つぎの時代がさがった映像では
30万人に下方修正されていた(笑)

いや~当時の理念とか理想とかがナレーションで語られてて、
40年後の今みると、おもはゆいというかなんというか・・・・・・。

下水は多摩川系統で稲城市に汚水処理場があるんですけど、
飲み水は利根川系統なんですね、なんでだ。
そういえば、震災の時にも多摩市がそれでニュースになってたなぁ。

ところで、その浄水場施設や水道の導管を映すときに
ディディーーーンみたいな恐ろしげなBGMを用いるのはなんでなの。
おもわず「未来少年コナン」のインダストリアの△塔を連想しましたわ。

あとは、やっぱり和田・愛宕山のあたりが順番としては3番目なんですね。
諏訪・永山にややおくれてそこが開発されて。
あと愛宕山にはやっぱり愛宕神社があったんですね。
開発に伴い移転させられたらしくて、その遷宮式の様子が映っていました。

あと、乞田川を全面的に改修したときに、八幡神社をどかさなくちゃいけなくて、
これも移転させたのだとか。こちらは、かなり古いお宮らしい。
今どのへんだろう、みたことないな。今度、さがしてみよう。

相模原線と、多摩線の開通式の映像もありました。
多摩線のときは、空撮もしてたんですね(笑)
4両編成の「永山」行きの電車を上から追いかけてました。

相模原線は6000形で行き先は「多摩センター」だったなぁ。
正面の花輪がすっごいかわいかった。すっごいかわいくてびっくりした。
多摩線のは、まあ、そこそこでした。

開通の式典は高架下で行ったみたいですね。
コンクリートの柱の間に、ドレスコードのおじさんがみっっちりつまってて、
おもしろい景色でした。

DVDがあればほしかったんですけども、版権持っているところが倒産してしまっているらしくて、
パルテノンでは販売はしていませんでした。残念。

ただ、今回のが好評であれば、次回も企画したいとのことです。
是非おねがいしたい。


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京王線が100周年なのでその影響ですかね~

大国魂神社の境内にある郷土資料館の2階で今、
府中市内を通る鉄道に関する歴史的文書を無料で公開中なのです。
南武線、下河原線、京王線、玉南線、西武多摩川線、あと未成線などの
資料がガラス越しですが見られます。

個人的見所は、下河原線の路線図です。
府中刑務所内にかつて引き込み線があって、囚人輸送とか、戦災車両を運び込んで修理?とか
させてたみたいで。今はもう残っていない、線路なんですけど、それが地図上で赤線ひかれてたり。

あとは多磨村が砂利採取権を申請してて、その範囲が南武鉄道と西武鉄道との採取地の間の
ほっそいすきま狙いだったりしたのが、地味につぼりました。

そこの図書館でチラシを見つけたんですけど、「京王線と府中」という図書館主催の講座が
あるらしく、こちらもその場で速攻予約しました。
それが今日だったんですが、仕事が忙しくて、ゆっくりお話聞く暇がなかったのが残念です。

京王鉄道友の会の会員で、ネコパブリッシングで「京王線14mの時代」とかを執筆されてる
鈴木洋さんという方が講師にきてて、府中市内の駅についてや、京王線と西武多摩川線の
あれこれを話されてゆきました。

個人的に知りたかったことがいろいろとわかって、とても有意義な時間でしたよ。

下河原線のSLバック運転は、国分寺と下河原、どっちに頭を向けていたのかとか、
そのさい貨車は前と後ろどっちにくっつけるのか、とか。

玉南と京王の駅がケヤキ通りを挟んで向かい合っていたんだけど、べつの資料みると
ホーム同士がくっついている図面だったんで「あれ?」と個人的に思ってたんですけども、
どうも、玉南が京王の駅ホーム南側まで路線を延ばしてたらしいんです。
その辺、質問時間に聞いてみたんですけど、公文書館で探してください、いわれた。
うおお・・・やっぱり、あそこなのか。

あと、神社の境内に線路を通すときにもめたらしい、という話も、
私、本で1回しかみかけたことなくて、しかもその本はこぼれ話みたいなあつかいで、
情報源書いてなかったんで、いまいち確証なかったんですけど、最近資料がみつかったらしい
ことをおっしゃっていた。ほんとは、これ質問でききたかったな~。

神職総代に訴えられて、すごい弱ったとか。
関戸~百草の建設中に土砂崩れが起こって、国立の建設業者が亡くなったりもしたらしく
神様の祟りじゃないかじゃないかいわれて「神社とお寺さん、こわい ;△;)」と京王が思ったか
どうか、その後は神社お寺をわりあい避けるようになったみたいだとか。

あと、TJライナーを参考に300~400円くらい上乗せして有料特急やるか、とか
クロスシートの車両を作ろうかな~という話もあったけど、一応あっただけ、みたいな。
メーカーにも聞いてみたけど「そういう話はくるには、きていますが・・・」みたいな歯切れで
結局、向こう10年は新車つくらない、と重役にいわれた、とも話されていた。

あとは、南武線開通前の屋敷分駅(分倍河原駅)の最初の場所は、どうも旧甲州街道の
前だったらしい、とか、車返駅(武蔵台駅)と新染谷駅の話とか。
西武多摩川線との共同駅や、交差地点に乗換駅をつくる構想も京王側にはあったんだけど
法律の問題や、お客をとられるとおもった西武側に断られたらしい話とか。

昭和39年ごろ新宿駅手前の甲州街道の併用軌道が工事でつかえなくなって、
新車搬入をわりあい踏切が広い東府中駅で行ってたとか。
車両は金沢八景と名古屋の豊川でつくるんだけど、川崎駅まではJRの台車を
はかせて運んでそこから陸送するんだけど、1晩に2両までしか許可がでないんだとか。

わたらせ渓谷のトロッコ列車にも京王の車両がいるらしい。
あとは、運行の話で、新宿線との走行強距離調整で、そのままだと京王が損なんで
競馬場に新宿車両を入れてただで働かせてる、みたいな話もされていたけど、
それ以外は難しくってついて行けませんでした。

ほんと、運用の話になると、私からきしだめです。
相模原線で普通電車を待つ特急電車がいるんです、ともいってたけど、
あれは若葉台での話なのかな・・・。あと、やっぱり桜上水で新宿線、泊まる子いるらしいね。

話題がとっちらかりすぎてて、聞き取るの大変でしたけどもおもしろかったです。

津軽鉄道応援団の会員でもいらっしゃって、明日からストーブ列車が走りますよ!
とうれしそうに語られていた。

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