たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
×
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いつもはTOHO関連でドラえもんとその年度の戦隊物の人が来るんですが、
今年は京王電鉄からもけい太くんが参加するときいて!
じつはまだ実物みたことないので、ちょっといってきました。
中で雅楽のような音がしばらくしてたので、たぶんお祓い中だったのかな?
太鼓のドン、ドン、、、という音と一緒に、中央の扉からドラえもんがでてきました。
つづいてけい太くん。足下気をつけて、と。
ツーショットで、まわりから歓声があがる。
けい太くんは、あれ、手が手羽先みたいですね。(意外)
時間がないので、(いつもそう)豆まきの時間まではいられなかったのです。
だから、キャラがどうやって豆を投げるのかが毎年謎。
けい太くんは、じかで見るとけっこう可愛かったです。ぐぬぬ、さわりたい。
=======================================
あとあと、拍手ぽちぽち、ありがとうございます!
いつも気づくのが遅くなって、申し訳ありません・・・。
二日以上前のものはいついただいたのかわからない仕様で、
1ヶ月たつといただいたことすらわからなくなるので、ちょっと困りものです。
(基本、拍手数上位10個の記事までしか画面に反映されなくて。
過去にいただいて確認済みのログが消せれば、
新しくいただいたものでもわかるんですけど;ー ー)
あんまり鉄道関連でなくなってきてますが、いつか、どこかでつなげたい。
ちょっと、今、仕事でいっぱいいっぱいですが
時間見つけて節分の妄想らくがきもしたいと思います。うぬぬっっっ
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東松山の帰り、どうせ武蔵野線で終点までいくんで府中本町でおりて、
京王線に乗り換える道すがら大国魂神社にも初詣してきました。
(氏子?の方が終始、高速で参道の砂利を掃いてました。)
そういえば、私のお宮参りはなにげに大国魂さまだったんだよな。
(下の兄弟は多摩センターの諏訪神社)
ということは産土(うぶすな)さまは、このなんだかよくわからない、馬好きで松嫌いの大国魂さまなんだ。
あたらめて、今年もよろしくお願いします~。と
もともと、神社で神様になにかお願い事をするっていうのは、あんまり真剣にやらないんだけど、
(気持ち的にすわりが悪いというかむずむずするというか、病気平癒は別だけど)
本来の神道ではそういう個人の願いを聞き叶えるのは淫祠といって、神社と区別され
国から奉幣されるような護国鎮護が役目の神社のやることではなかったらしいので、
願い事がないなら世界平和でも願っとけ!というのも、案外正解なのかもしれない・・・。
大国魂神社というお名前になったのは、明治になってからで
京都で新撰組に追い回されて嫌な目にあった長州出身の役人に
「六所宮と名乗るの禁止!」というふうに意趣返しされた、という話もあるとか。
それ以前は六所様とか六所明神とか呼ばれることが多かったみたい。
ただ、同じ敷地内にあるというだけで、大国魂=六所宮なのではなく、
それぞれは別個の神社で、今では相殿造りになって同じお社の中に横並びに祀られていますけど
建物を建て替える前は、大国魂の他に6つの神社のお宮がそれぞれ並んでいたらしい。↓
図は「日本鹿子」という元禄4年(1691年)に発行された本に載っている覚え書き。
手前にある大きいのが総社で、後ろにある小さい六殿が六所宮らしい。なるほどわかりやすい。
本殿は府中で起こった正保の火災(正保3年(1646)10月12日)ですでに消失しているので
これも記憶を頼りに描かれて収録されたものだろう、という。「国の一宮と国府総社の一宮」より
六所宮の祭神はこのさい、おいといて。
総社の祭神は本来なにか、というのは江戸時代にはもうわからなくなっていたらしい。
とりあえず、大国主(オホナムチ)とスサノオとイザナキの三代男神を祀ってはいたものの、
本来の祭祀の対象がわからないんじゃまずかろう、と
国学者でもあった猿渡盛章宮司(1790-1863)が自分で調査して
六所の神様と神社の所在地、総社の祭神の整理をして今の祭祀様式になったらしい。
(大國魂大神・御霊大神・国内諸神)
尾張の総社であり同じ読み方をする尾張大国霊神社は
『文徳実録』仁寿三年(853年)の項に「尾張大国霊大神・大御霊神・憶感神等」と
あるらしいので、そこも参考にしたんじゃないかな~とか予想。
盛章以前の祭神については、別観点から面白い資料があって、「多摩のあゆみNo128」に
伊能忠敬が甲州街道筋を測量したときの日記が載っていたのですが、
* * *
(第七次九州測量の帰路、小仏~江戸 文化8年(1811年)5月7日)
惣社六所宮、御朱印五〇〇石。
鎮座 大巳貴命・素戔嗚尊・布留乃神・伊弉冊尊・瓊々杵尊・大宮比売命
延喜式内 大麻乃豆大神・小野神社両宮一社
建長十一年御建立、御普請奉行・大久保石見守。
正保三年悉焼失、寛文五年厳有院殿御再建。今猶存す。
東照神君、沢(猿)渡左衛門佐、於帝鑑間、御目見御時服二拝領、巳来正月六日独礼。
* * *
となっています。イザナキではなくイザナミとなっていますが、そこはおいといて。
面白いのは他に布留大神(フルノカミ)と大宮姫(オオミヤメ)も祀られていることです。
布留大神は奈良の石上神宮に祀られているのが有名で、
石上神宮と言えば「ひとふたみよいつむゆななやここのたり ふるべ ゆらゆらと ふるべ」
といって箱に入れた魂をゆさゆさ揺すって活性化させる儀式がありますが
これを布留の言(ふるのこと)ともいい、十種神宝(とくさのかんだから)と関係があるとされています。
十種神宝は天孫降臨のときに天祖神(タカムスヒやアマテラス)から渡される神宝で
(剣3つ、玉4つ、ひれ3つ)これを振れば死者もよみがえると言われ、
布留(ふる=振る)の大神はそれゆえ国霊(魂)の活性化と関連していると思われます。
また、大宮売神(おおみやのめのかみ)は太玉命(ふとたま、忌部氏の遠祖)の娘であり、
こちらは天鈿女命(あめのうずめ)と同一視される神様で、
大国魂神社の境内に宮乃咩(みやのめ)神社というのあり、
これは大国魂神の母神または后神ではないかといわれ、(御鎮座も同時とされる)
今は天鈿女命が祀られていますが、本来は大宮姫が祭神だった可能性もありますね。
太玉命は天の岩戸でアマテラスを誘い出す祭りの時に、斎場をセッティングした玉担当の神様です。
その娘の大宮売神も魂を和やかにする役目があるとされ、宮中の神祇官内で祀られていた
八神殿の一人でもあります。(「御巫祭神八座」)
神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神
八神殿は律令制時代、神祇官西院にあり、天皇を守護する八神として祀られた神殿で、
天皇家の私的な神様ともいえますが、かなり官向けの性格の気がします。
(国府総社にふさわしい?かも)
八神殿の祭祀は(神道を統括する役所だった)神祇官が衰退して、応仁の乱以降、
神祇官「代」を名乗り、神道界を牛耳り始める吉田神社にとられたりしたらしいですが、
それがいつの段階だったかまでは、ちょっとチェックしなかったな・・・。「吉田神道の四百年」より
町田の郷土史家で六所宮の六の宮である杉山神社を調べている飯田俊郎さんの論文に
杉山神社の論社の一つである大棚社は、「天保五年(1833年)に別当寺の僧が神璽を発見し、
白川神祇官に願って式内の認定を受けた」とあり、吉田VS白川伯の神社正当性保証の
一端をここでも見た気がします。(笑)
猿渡盛章宮司は杉山神社巡りで西八朔社を「印象が残った」と書き記し、
同門で国学の大家・小山田与清がこれを六の宮に認定したため、
大国魂神社では今でもそこを杉山神社としています。
しかし飯田さんの研究では茅ヶ崎の杉山神社が一番正当性が高く、西八朔社は、
その歴史の古さは怪しいものの、猿渡家としては縁が切りにくかったのだろうとしてます。
杉山神社はかつての都筑群を中心にこの地域に限定して密集する神社で、
起源は古いものの、なかなか知られていない神社だそうです。
もとはアメノヒワシを祀って忌部系の神社だったと見られるのですが、
後世、五十猛(イソタケル)が合祀され、さらにヤマトタケルや不動尊も習合?して
場合によっては主神格を乗っ取られたりしながら続いているようです。
茅ヶ崎社の由来は、神武天皇の頃、太玉を祖神とする粟の忌部が東上して安房に住み、
さらにそこから鶴見川を遡上して流域に移り住み、麻や穀物(粟)を栽培したので、
その性格から開拓神として祀られたんだろう、ということでした。
そして幕末から明治にかけて宮司を務めたのが盛章氏の長男の、猿渡容盛宮司(1811-1884)で
父の事績を次いで国学者として水戸烈公に二度の建白書を提出し、
安政5年には神祇官再興・祭政一致の建言、
上知令では五百石の返上と神社の改称を求められるも、
明治時代では大学中教授をつとめ、皇室允少宣教小博士、後教部省、内務省、宮内省を歴任。
特に宮内省の陵墓事業では、諸陵墓の調査資料で容盛氏の書類が最も多かったという。
「府中史談34号」より
近代天皇の陵墓が天智天皇を参考にした上円下方墳(のちに八角墳と判明する)になったのも
かつて上京して天皇陵を探索しまくった猿渡宮司父と、子の努力の結果なのかもな~。
そして近年になって、近くの熊野神社から全国最大の上円下方墳が発見されるなんてどんな偶然。
ちなみに、先に紹介した「国の一宮と国府総社の一宮」は、この猿渡容盛さんの子か孫の
猿渡盛厚さんの御著書で、諸国一の宮と、総社内の一の宮についての私論を書かれています。
それによると、諸国一の宮は、総社ができるより昔からあった制度で、だいたい二の宮までしかなく、
中央からの伝令を伝える関係を見てもそれが適当であろうと。
なるほど、かつての官道は、東山道だったことをみても、北武蔵が「サキタマ」「コタマ」と
いわれている由来からみても、一の宮が氷川神社で、二の宮が金鑚神社というのも納得です。
総社の六所はそれとは別個のものであり、一の宮は総社に奉仕する関係から、
総社に一番近い有力神社が選ばれるので、そこを混同するから論争になる。
そして、国府総社の祭祀は、国司がそれぞれ都から持ってきた自家崇拝の「場」としての
斎庭(ゆにわ)に始まり、祭神は国司の信仰によって一定しなかっただろう、とも予想されています。
ついでに、小野神社が2つあるのは、遥宮制だからで、どちらかが分社という訳ではないとも。
なかなか有意義なお話がいっぱいでした。
ところで府中風土誌にあった、府中側の小野神社が洪水で流され、多摩市側に移ったのち、
元の場所にも再分祀された、という説を唱えたのは府中出身の歴史家・菊池山哉氏らしいですね。
あ~、だから府中市は、この説採ったのか、とも納得。
大国魂神社の随神門の前を、古甲州道が通っており、普通、国府は(四神相関から)
道に南面して作られるので、本来の総社は宮乃咩神社であり、こちらの方が大国魂より古い
本来の神だ、という説を出されたのも、菊池氏らしい。「多摩のあゆみNo7」より
宮乃咩神社では7月に祭礼があり、近隣の神社から神官が集まって奉仕するので、
それを重視したためだという。
菊池山哉さんの名前は実は「わが悠遠の瀬織津比咩」にもでてきて、そこで日本人の起源は
「オーストラリアのアボリジニだ」という主張を唱えられるような方なので、どちらかといえば、
トンデモ系なのかもしれない・・・。(´▽`;
いや、ミクロネシア系の人が海流に乗って、一万キロメートルくらいは平気で旅をする、
という説もテレビで見た頃があるので、頭ごなしに否定するものでもないですけど。(汗)
「多摩のあゆみ」でも、この説に関しては「確証がないので紹介にとどめる」扱いでしたし。
う~ん。
ちなみに、パルテノン多摩から出ている「武蔵国一之宮」という小野神社に関する本では、
多摩市内の小野神社の境内から、馬具が出土していて、近くの小野牧と関連した古社であり、
江戸期に府中から遷宮した説には否定的な印象でしたね。
うん、まあ、こっちのほうが、研究成果としては新しいしな。
結局、結論はでないんだな。まあ、背景はわかったから、これでよしとします。
の小冊子がでたよ!
駅で無料で配ってるのでもらってみました。
個人的には京王マジッククラブのお3方がかなりつぼった。
車内広告で1回しかみかけなかったけど。
あとあと、5日に東松山の箭弓神社で初詣してきました。
なんとご鎮座1300年なんだそうで、なかなかどうして負けてないね!
昔はいつもここで初詣してたんだよね~。なつかしかった。
埼玉いけない時は、多摩センターの近くの諏訪神社だったけど。
で、神社の社報で、東上線100周年のコラムを東武の人が寄稿していたので
これももらってきました。でもまだ読んでない。
東上線内ではじめてヒカリエ号もみかけて、東松山の駅で自由が丘のパンフと、
駅の本屋のラックにニコタマ駅の雑誌があって、東上が東急だいすきすぎて、
私がどうしたらいいか、動揺をおさえきれません、およよよよよよ!!
あとは歴史スタンプついて、野本将軍塚古墳にも登ってきました。
あのあたり、まっっったくの平地なのに、そこだけ小山になってんの。
かなり形の残った前方後円墳だったけど、どこの豪族が眠ってるんだろう。
そういえば、サキタマ古墳群の写真もまだ編集してないや。
今週がこれからちょっと、かなり忙しいので、何も出来ない。
日曜は町会の会議だし、月曜はその議事録つくらなきゃだし、
へたすると会社に出勤だしで、あ~~~~~イライラするう~!
用事はせめて1コにしてほしい!早く5月になって、引き継ぎしたい!
自由を!自由を~~~!!!そして、私を創作に集中させて!!
駅で無料で配ってるのでもらってみました。
個人的には京王マジッククラブのお3方がかなりつぼった。
車内広告で1回しかみかけなかったけど。
あとあと、5日に東松山の箭弓神社で初詣してきました。
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昔はいつもここで初詣してたんだよね~。なつかしかった。
埼玉いけない時は、多摩センターの近くの諏訪神社だったけど。
で、神社の社報で、東上線100周年のコラムを東武の人が寄稿していたので
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東上線内ではじめてヒカリエ号もみかけて、東松山の駅で自由が丘のパンフと、
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私がどうしたらいいか、動揺をおさえきれません、およよよよよよ!!
あとは歴史スタンプついて、野本将軍塚古墳にも登ってきました。
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かなり形の残った前方後円墳だったけど、どこの豪族が眠ってるんだろう。
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今週がこれからちょっと、かなり忙しいので、何も出来ない。
日曜は町会の会議だし、月曜はその議事録つくらなきゃだし、
へたすると会社に出勤だしで、あ~~~~~イライラするう~!
用事はせめて1コにしてほしい!早く5月になって、引き継ぎしたい!
自由を!自由を~~~!!!そして、私を創作に集中させて!!
今日は母と二人で田舎へ行って、親戚の挨拶回りをしてきたんですが、
そのまま伊豆へとんぼ返りする母親と別れて、帰りに映画を観てきました。
前売り券を買っていたので、今のうちに観ておかないと無駄になっちゃう、
というのが理由でしたが、よりによってひとりで、
正月休みの最後の日に観るんじゃなかった・・・。orz
いや、、母親と一緒にみたら、それはそれでもっとひどいことになったでしょうが。
とりあえず。
うぎゃああああああああ!!!!つれええええええええええええええ!!!!!!
帰りの電車の中でも終始涙目でした。
感動とかじゃないです、身につまされすぎて憤死しそうなガチ泣きです。
高畑さんは、ほんと「後世に残すべき作品」をつくるよなあ・・・
おもしろい・おもしろくない、じゃないんです。
もっと普遍的で、それでいてここで残さなきゃ、歴史に埋もれて忘れ去られる、
そんな希少性の高い作品ばかりなんです。
(「ほたるの墓」とか「平成狸合戦ぽんぽこ」とか)
そう云う意味では、自分は最高のタイミングで観られたと・・・もう天の采配かなにかか!?
と思わずにはいられないターゲットとして観られたと思います・・・。
それだけに、2度はむり・・・あと10年くらい間を置かないと、たぶん無理・・・。
男と女で、それも連れ合いがいるか独り身かで、かなり受け取り方が違う作品だと思うんですけど
実際の所、どうなんだろう・・・。同級生の男子に観ている人がいたら、感想訊いてみたいな。
=========以下 ネタバレ いきます ===============
この作品は、技術論とか、そういうメタ的な視点で語れば語るほど、
語るに落ちる作品だとおもいます。
肝心な部分が見えなくなると言うか・・・。
かぐや姫というか、「竹取物語」(古典の)が原作なんですが、
国民的に知れてるストーリーだし、オチもわかるし、「竹取物語」の原文を
読んでなくても問題は全然ない、むしろ知っている人の方が、その差分が
気になっちゃうかもな、くらいには忠実に再現というわりに
オリジナル要素がけっこうあります。
非常によく似てるけど、別物と考えて切り離した方が、絶対いいと思う。
で大事なテーマとして「若い女性には悩みなんてないだろうと思われてるけど、
それなりに重大な苦悩があるんだ、ということを描きたかった」という
作り手の狙いを知っていると、起伏の(感じられ)ない既知のストーリーの中から
大事な要素をすくい取れると思うんです。
キャラクターはみな、役割の明確なステレオタイプです。
主要人物がステレオタイプなために、かえって個性(作家性)は
感じられないかもしれません。
この作品にはそういう、面白味が見いだしにくいハンディキャップがあります。
(ただ、かぐや姫についていた、おつきの女の子は別かな)
ただし、ステレオタイプなだけに、その物語が及ぼす効果を
これでもかと拡幅してくるのです。それで、もう、泣いちゃうわけです。
だから宮崎監督が「これで泣くのは素人だ」という言葉の意味もわからなくはない。
(だからといって、宮崎さんがこの作品から何もくみ取れなかったとも思わないけど。
ある種の嫉妬であり、賛辞かも知れないし。)
岸田秀さんの「性的唯幻論序説」なんかにかぶれている身としては
「女の子は、成長とともに女という役割をいやいや引き受ける」
「そういう教育を多かれ少なかれ受けて女らしくなる」
という言葉が身にしみるのです。
そしてそれは、あくまで「文化的所産」であって、けっして本能にもとづいたものではない、
つまりは「絶対視するに当たらない」流動的、一時的な価値観に無自覚にさらされているのだ
というのを、かぐや姫では、姫のしつけや元服でまざまざと見せつけられるのです。
女の子が女らしくなるよう、自由奔放な気性を圧殺されてまでたたき込まれるのに、
それが「幸せだ」「運がいい」といわれる不条理感たら。
そしてそれを知らん人は、それに反抗したら
「わがままだ」とレッテルを貼って蔑むのですよ。
作中では、あきらかに口にはしませんが、姫が初潮をむかえて
それをお披露目の宴にする、翁の無神経さ、そこに転がり込んで群がる男達の
いやらしさ、そしてさらなる無神経な侮蔑の言葉。
自分を圧殺してたえている姫が、その言葉で爆発するのは、まあ当然の成り行きなのです。
ですが、それは一つの通過儀礼だったともいえます。要は反抗期です。
そして「冬に耐えればかならず春がくる」という教えをもらって、姫は
再びその一方的な役割に耐えつつ、その中で自分を保つ(のらくらとかわす)ための
許容量を得るのです。
まあ、それも、たびたびの男性本位の欲求と自滅によって破裂しかけるのですが。
貴族達は、たしかに誠心誠意、姫の難題に答えようとしているようにもみえます。
でもそこには、どうしたって「下心」があり、それが女性の側からすれば、キモチワルイ。
これは、あれだな。「僕の地球を守って」のギョクランに似ているな。
ものすごく誠心誠意、やさしくしてくれてるのはわかるんだけど、わかるんだけど、
うん、キモチワルイ。ちょっと無理。
なぜなら、その好意の根源(美しいとか清楚とか)と、モクレンの本質がずれているから。
貴族達の場合は、そこがさらに倍加してるから、脈があるわけもない。
ましてや、姿を実際に見たわけでもない、勝手に想像をふくらませて暴走している。
かぐや姫に、その妄想を補うだけの魅力はないこともないけど、
実際には一人のありがちな女の子だもの。きっと、すぐに失望されちゃう。
この作品は、そういう「女の価値のつり上げ方」もよく心得て見せているな。
しかも、それは姫本人でなく、保護者である翁がやっちゃうあたり、
姫の自己責任と言ってしまうのはあまりに酷な構造になってる。
ところで翁は、終始、娘の気持ちのわからない「外しまくりの父親」として動きますよね。
(逆に媼は、娘の気持ちを汲みすぎるくらい「よい味方」で、ここは本当にステレオタイプだなあ。
媼は女だから、わかるんでしょうけど、それにしても、実際の母親でここまでツーカーな人は
さすがにいないと思うんだけど、お話だから、まあそれはいいや。)
また捨丸兄さんも、妻子がありながら、それを「忘れて」駆け落ちしようとしますよね。
そういう男性原理の表現がとてもうまい。
いい意味でも悪い意味でも、男と女は別の生き物なんだなあ。
しかし、その別の原理で動いているのがぶつかり合い、絡まり合うから面白い事が起こる訳でもあり。
翁は終始、空回ってますが、それが月の使者が来るときには、その空回りっぷりが逆に頼もしくも
思えたりして、そこが、男性原理が女性にもたらす利益の部分だとも思います。
まあ、おおよそ、そんな所なんですが、映画のキャプチャー?であった
「姫の犯した罪と罰」という、かぐや姫にはあまりそぐわないかんじの
文言が、話が進むにつれて、ぐいぐい来るわけですよね・・・。
なんでかはわからないけど。
なにが罪で、何が罰だったのかは明確にはいえませんが、
ここまで、姫の立場を弁解するようなことを書き連ねてきましたが、
それでも、姫のしてきたことで被害者は続出なのであり、
それを切り捨てるのも後味が悪いですよね。
そんなじわじわつのる罪悪感を指しているのかもしれません。
(もちろん、月の世界で、地球に焦がれて流刑みたくなった、という部分も含まれるのでしょうが
それは二義的だと思うんだよな。)
ということで、女性が自由奔放に生きようとすると、それなりに代償を支払わせられる。
つー結論でいいのかな、と。
うん・・・すごく辛辣に受け取れる。
これを暖かい物語で、感動した、といえる人はすごいと思う・・・。T T)
もう、私にとっては観た時期が最高にクリティカルヒットの大ダメージだった・・・。
あと数年前か、後だったら、ここまで泣かなかったと・・・思う・・・。
正直、ここまで自己投影してしまって、おこがましいにも程がある自覚はあるんですよ。
あるんですが!!!!!
あ、でもちょっと面白かった部分もあったんです。
そうだよね、この頃の日本の天国のイメージって天竺とかぶってるよね(笑)、とか。
もう、とくにブッッダアアアアアア!!!!が突っ込み待ちすぎて。
音楽も南国調で、アホほど世界観から外れているのが、逆にすげえ。
それ大正解っっすわ!!
それと、ミカドがもう、地獄のミサワすぎて。
ミカドにあれされたときの、姫の表情というか、反応が超わかるvvv
原作じゃ、ぜったい、これできないよ。
逆に大丈夫か、ここまで皇室をアレにしちゃって、と心配になりましたが、
まあ、そこも表現者としての度胸なんでしょう。
すごいっす。
そのまま伊豆へとんぼ返りする母親と別れて、帰りに映画を観てきました。
前売り券を買っていたので、今のうちに観ておかないと無駄になっちゃう、
というのが理由でしたが、よりによってひとりで、
正月休みの最後の日に観るんじゃなかった・・・。orz
いや、、母親と一緒にみたら、それはそれでもっとひどいことになったでしょうが。
とりあえず。
うぎゃああああああああ!!!!つれええええええええええええええ!!!!!!
帰りの電車の中でも終始涙目でした。
感動とかじゃないです、身につまされすぎて憤死しそうなガチ泣きです。
高畑さんは、ほんと「後世に残すべき作品」をつくるよなあ・・・
おもしろい・おもしろくない、じゃないんです。
もっと普遍的で、それでいてここで残さなきゃ、歴史に埋もれて忘れ去られる、
そんな希少性の高い作品ばかりなんです。
(「ほたるの墓」とか「平成狸合戦ぽんぽこ」とか)
そう云う意味では、自分は最高のタイミングで観られたと・・・もう天の采配かなにかか!?
と思わずにはいられないターゲットとして観られたと思います・・・。
それだけに、2度はむり・・・あと10年くらい間を置かないと、たぶん無理・・・。
男と女で、それも連れ合いがいるか独り身かで、かなり受け取り方が違う作品だと思うんですけど
実際の所、どうなんだろう・・・。同級生の男子に観ている人がいたら、感想訊いてみたいな。
=========以下 ネタバレ いきます ===============
この作品は、技術論とか、そういうメタ的な視点で語れば語るほど、
語るに落ちる作品だとおもいます。
肝心な部分が見えなくなると言うか・・・。
かぐや姫というか、「竹取物語」(古典の)が原作なんですが、
国民的に知れてるストーリーだし、オチもわかるし、「竹取物語」の原文を
読んでなくても問題は全然ない、むしろ知っている人の方が、その差分が
気になっちゃうかもな、くらいには忠実に再現というわりに
オリジナル要素がけっこうあります。
非常によく似てるけど、別物と考えて切り離した方が、絶対いいと思う。
で大事なテーマとして「若い女性には悩みなんてないだろうと思われてるけど、
それなりに重大な苦悩があるんだ、ということを描きたかった」という
作り手の狙いを知っていると、起伏の(感じられ)ない既知のストーリーの中から
大事な要素をすくい取れると思うんです。
キャラクターはみな、役割の明確なステレオタイプです。
主要人物がステレオタイプなために、かえって個性(作家性)は
感じられないかもしれません。
この作品にはそういう、面白味が見いだしにくいハンディキャップがあります。
(ただ、かぐや姫についていた、おつきの女の子は別かな)
ただし、ステレオタイプなだけに、その物語が及ぼす効果を
これでもかと拡幅してくるのです。それで、もう、泣いちゃうわけです。
だから宮崎監督が「これで泣くのは素人だ」という言葉の意味もわからなくはない。
(だからといって、宮崎さんがこの作品から何もくみ取れなかったとも思わないけど。
ある種の嫉妬であり、賛辞かも知れないし。)
岸田秀さんの「性的唯幻論序説」なんかにかぶれている身としては
「女の子は、成長とともに女という役割をいやいや引き受ける」
「そういう教育を多かれ少なかれ受けて女らしくなる」
という言葉が身にしみるのです。
そしてそれは、あくまで「文化的所産」であって、けっして本能にもとづいたものではない、
つまりは「絶対視するに当たらない」流動的、一時的な価値観に無自覚にさらされているのだ
というのを、かぐや姫では、姫のしつけや元服でまざまざと見せつけられるのです。
女の子が女らしくなるよう、自由奔放な気性を圧殺されてまでたたき込まれるのに、
それが「幸せだ」「運がいい」といわれる不条理感たら。
そしてそれを知らん人は、それに反抗したら
「わがままだ」とレッテルを貼って蔑むのですよ。
作中では、あきらかに口にはしませんが、姫が初潮をむかえて
それをお披露目の宴にする、翁の無神経さ、そこに転がり込んで群がる男達の
いやらしさ、そしてさらなる無神経な侮蔑の言葉。
自分を圧殺してたえている姫が、その言葉で爆発するのは、まあ当然の成り行きなのです。
ですが、それは一つの通過儀礼だったともいえます。要は反抗期です。
そして「冬に耐えればかならず春がくる」という教えをもらって、姫は
再びその一方的な役割に耐えつつ、その中で自分を保つ(のらくらとかわす)ための
許容量を得るのです。
まあ、それも、たびたびの男性本位の欲求と自滅によって破裂しかけるのですが。
貴族達は、たしかに誠心誠意、姫の難題に答えようとしているようにもみえます。
でもそこには、どうしたって「下心」があり、それが女性の側からすれば、キモチワルイ。
これは、あれだな。「僕の地球を守って」のギョクランに似ているな。
ものすごく誠心誠意、やさしくしてくれてるのはわかるんだけど、わかるんだけど、
うん、キモチワルイ。ちょっと無理。
なぜなら、その好意の根源(美しいとか清楚とか)と、モクレンの本質がずれているから。
貴族達の場合は、そこがさらに倍加してるから、脈があるわけもない。
ましてや、姿を実際に見たわけでもない、勝手に想像をふくらませて暴走している。
かぐや姫に、その妄想を補うだけの魅力はないこともないけど、
実際には一人のありがちな女の子だもの。きっと、すぐに失望されちゃう。
この作品は、そういう「女の価値のつり上げ方」もよく心得て見せているな。
しかも、それは姫本人でなく、保護者である翁がやっちゃうあたり、
姫の自己責任と言ってしまうのはあまりに酷な構造になってる。
ところで翁は、終始、娘の気持ちのわからない「外しまくりの父親」として動きますよね。
(逆に媼は、娘の気持ちを汲みすぎるくらい「よい味方」で、ここは本当にステレオタイプだなあ。
媼は女だから、わかるんでしょうけど、それにしても、実際の母親でここまでツーカーな人は
さすがにいないと思うんだけど、お話だから、まあそれはいいや。)
また捨丸兄さんも、妻子がありながら、それを「忘れて」駆け落ちしようとしますよね。
そういう男性原理の表現がとてもうまい。
いい意味でも悪い意味でも、男と女は別の生き物なんだなあ。
しかし、その別の原理で動いているのがぶつかり合い、絡まり合うから面白い事が起こる訳でもあり。
翁は終始、空回ってますが、それが月の使者が来るときには、その空回りっぷりが逆に頼もしくも
思えたりして、そこが、男性原理が女性にもたらす利益の部分だとも思います。
まあ、おおよそ、そんな所なんですが、映画のキャプチャー?であった
「姫の犯した罪と罰」という、かぐや姫にはあまりそぐわないかんじの
文言が、話が進むにつれて、ぐいぐい来るわけですよね・・・。
なんでかはわからないけど。
なにが罪で、何が罰だったのかは明確にはいえませんが、
ここまで、姫の立場を弁解するようなことを書き連ねてきましたが、
それでも、姫のしてきたことで被害者は続出なのであり、
それを切り捨てるのも後味が悪いですよね。
そんなじわじわつのる罪悪感を指しているのかもしれません。
(もちろん、月の世界で、地球に焦がれて流刑みたくなった、という部分も含まれるのでしょうが
それは二義的だと思うんだよな。)
ということで、女性が自由奔放に生きようとすると、それなりに代償を支払わせられる。
つー結論でいいのかな、と。
うん・・・すごく辛辣に受け取れる。
これを暖かい物語で、感動した、といえる人はすごいと思う・・・。T T)
もう、私にとっては観た時期が最高にクリティカルヒットの大ダメージだった・・・。
あと数年前か、後だったら、ここまで泣かなかったと・・・思う・・・。
正直、ここまで自己投影してしまって、おこがましいにも程がある自覚はあるんですよ。
あるんですが!!!!!
あ、でもちょっと面白かった部分もあったんです。
そうだよね、この頃の日本の天国のイメージって天竺とかぶってるよね(笑)、とか。
もう、とくにブッッダアアアアアア!!!!が突っ込み待ちすぎて。
音楽も南国調で、アホほど世界観から外れているのが、逆にすげえ。
それ大正解っっすわ!!
それと、ミカドがもう、地獄のミサワすぎて。
ミカドにあれされたときの、姫の表情というか、反応が超わかるvvv
原作じゃ、ぜったい、これできないよ。
逆に大丈夫か、ここまで皇室をアレにしちゃって、と心配になりましたが、
まあ、そこも表現者としての度胸なんでしょう。
すごいっす。