たまろぐ 青梅鉄道120周年企画展 忍者ブログ

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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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6自治体が参加してお祝いしているようですよ!
青梅鉄道・青梅電気鉄道開業120周年&国有化70周年
と、五日市鉄道もついでに廃線70周年だとか・・・oh・・・

詳細はこちらに
http://www.museum.fussa.tokyo.jp/omerailway120/tenji.html

正直ばらつきすぎてて、全部まわれる気がしないのですが
とりあえず、立川の資料館が今日(10/21)から
展示会開始なので代休とっていってきました!

じつは、青梅鉄道は関係ないのですが、八王子歴史資料館でも
「八王子と西洋化」展にプラスして今日限定の
八王子千人同心と日光という紙芝居が行われるというので
はしごしてみようかと!!



まずは立川歴史民俗資料館へ。
青梅線、西立川駅から南下して奥多摩街道(看板は江戸街道となってた)へ
出るまでは楽勝だったんですが

 

ここから車が一台やっと通れるような住宅街の細道をさまよう。
しかも案内看板一切なし。立川ほどの資料館ならもうちょっとこう・・・
利便性とか、アピールとかあると思ってたのに、
完全に油断した・・・

駅から徒歩20分とあって、歩いた距離のかんじだとそこまで遠い
かんじでもないのですが、もしかして迷うのも込みの所要時間だったのか。
おそるべし。

常楽院?さんというお寺さんの墓地を左手にみながら
おそらく立川崖線とおもわれる段丘の坂をくだり、
お寺をまわるように左へ曲がるとなんとか見つけました!

 

ここの企画展では五鉄(五日市鉄道)の展示も同時に行われていました。

なんと、当時は五日市鉄道が五鉄(ごてつ)青梅鉄道が青鉄(あおてつ)と
よばれていたらしいです。あおてつ・・・いまだと別の意味になりそう。

青梅電気鉄道は青電(あおでん)らしいです。

西立川駅の北側には昭和記念公園があり(南側にはそれより小さい昭和公園がある)
そこは戦前から立川飛行場で、民間機や新聞社の空撮部も入っていたらしいんですが
羽田空港ができてからは旅客機の運航はそちらへうつり、
昭和6年の満州事変で軍専用となり、敗戦後は米軍に接収され
昭和30年頃、砂川事件闘争が起こってから日米共同使用基地となり
昭和57年に返還されて再開発がいまもつづいている土地だそうです。

そして、養豚場と養鶏場と養兎場と引き込み線もあったらしい。
なにそれかわいい。

青梅鉄道は甲武鉄道に裏切られてからリトライで計画された会社で、
明治23年以降法律がかわって、用地買収を国ではなく自力で行わなければならなくなり
(甲武鉄道は明治22年開業)相当苦労したようで、資金が足りなくて
当初はナローゲージで建設したので、立川駅で貨物の積み替えもしなくちゃならないし、
改軌してからも甲武鉄道との連絡がいまいちうまくいかなかったらしく
新線を計画して東村山方面や石神井方面に延伸しようとしたらしいのですが
鉄道省が許可しなかったみたいです。
(う~ん、ここでも兄弟仲がうまくいってないかんじしますね~)

また五日市鉄道が計画され、それが浅野傘下にはいって南武線と合同になり
国有化で青梅線と重複している区間が廃止(不要不急で休止)されて、と
この辺もまたギスギスしてますねぇ・・・
今では青梅と五日市は一緒に語られる事のが多いですが。
正直、五日市鉄道がどこ走ってるのか理解していないと、
難しい展示内容でした・・・たはは。

ちょっと、お、と思ったのが、戦後国有化された鉄道を払下げてもらおうという
運動が旧南武や青梅や五日市の会社でおこされるのですが、それのカウンターが
「払下反対委員会」という名前で行われていたことです。

民間化反対なんてあったんですねぇ。主体が国鉄なのか市民なのか、ビラだけでは
いまいちわかんなかったんですけど・・・

南武鉄道のビラの方が、なんか大義名分ぽいキャッチで怪しかったです・・・
ただ、ここの企画展はパンフないっぽんですよお~~
(八王子の資料館は全部網羅したフルカラーのパンフくれるのに)

いや、もしかしたら、後日なんか出版してくれんのかもですが。
立川、こっちにも予算お願いします。八王子に負けてていいんですか!

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ちなみに、来年四月から中核市っぽいです、八王子。

こっちはこっちで、あいかわらず駅からとおおいいいい!
途中で歩いてきたの後悔する距離です。

到着したの紙芝居開始5分前でしたよ。あぶな

この紙芝居は八王子資料館の案内ボランティアの方がつくられた
サークル活動の一環らしくて、ほかにもいくつかサークルがあるみたいでした。

親切でアットホームでなごやかないい雰囲気でした。
説明は主に八王子千人同心についてでしたね。

やっぱり日光東照宮の火の番を半年交代制で行っていたみたいです。
静岡から武蔵に移転した徳川家康が甲斐国の国境警備のため小人組を使って設置。
それで千人同心が半農半士だったのは、秀吉の警戒をかわすため、
という説があるそうです・・・

維新戦争で甲武鎮撫隊が敗走して、千人同心が降伏した後、日光の火番をしていた
荻原頼母?がなくなって、かわりに石坂弥次右衛門という人がみずから
すすんで東照宮に行くと、旧幕府軍は宇都宮城で戦って撤退し、東照宮に
大鳥圭介らがたてこもっており、朝廷軍から「追い払わないと焼くぞ」と
脅されて、説得して撤退してもらう。それが4月30日が期限だった。
板垣退助に役目を解かれて八王子に帰郷すると、ちょうど彰義隊が人員を
募集しており、八王子千人同心はそれに感化されて一度は降伏したものの、
ふたたび交戦モードになってて、戦わずして東照宮を明け渡した石坂を責めたそうで。
石坂は父に彰義隊には参加しないよう遺言を残して割腹する。

彰義隊はその月(5月)のうちに上野山で粉砕される。
石坂さんは帰郷した時期が悪かった・・・という悲しいお話でした。

千人同心は東照宮の守護をまかされて来たのに誇りをもってたんだね・・・

ついでにロシア南下に危機感を抱いた幕府によって北海道開拓を命じられたものの
余りの環境の厳しさに数年で断念したらしい。
今では八王子市と日光市と苫小牧市は姉妹都市提携しているそうです。

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南武線ではE233にいまだに出くわしませんが、八王子駅で八王子線・・・
じゃない、横浜線の新車には会えました!

   

側面のステッカーは片倉駅のカタクリの花でしたね!可憐vvv

 

帰りにもみかけたんで、もう結構、数はいってるんでしょうか。




あと、K-8(京王八王子駅の駅ビル)がなんか布かぶってました。
改装準備かな?

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