たまろぐ 瀬織津姫と裏アマテラス2 忍者ブログ

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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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うーんと(;=`=)b

ホツマツタヱでの神話の特徴だけでも書き出しておこうかな。

大筋は記紀神話と同じというか、オリジナルの部分もあるけど、
記紀神話のインデックス的な、有名なエピソードはちゃんと詰まってます。

ただ、アマテラスの神格が昼子姫(和歌姫)とアマテル大神に分かれてるかな~。

イザナミとイザナキが最初に生んだ子が昼子姫なんですけど、
なんでも姫が三歳になるときに両親がダブル厄年になって、子供に汚穢が
いっちゃうのをおそれて、泣く泣く川に流すんですね。

それを拾ったのが墨江の金析神(かなざき)で、両親の子作りが落ち着くまで
姫を守り育てるんですが、この養父が住吉神(すみのえ)にあたる。

今、住吉神社でまつられているのは、記紀神話でイザナキが黄泉の国から
戻って、体についた汚れを川で落としたときに生まれたツヅノオ三神ですが
ホツマでは金析神が三兄弟を引き取っていて、あくまで住吉神は本来
金析神としています。

そしてこの昼子姫がまた終始、スサノオを許す許さない、の姉役をやっています。
川辺での誓約(うけい)こそしませんが、「もし今後生まれる俺の子が男の子だったら
俺は潔白だ」という事を訴えてから、スサノオは昼子姫の元を去ります。
あ、スサノオの暴虐にたえかねて天岩屋戸に閉じこもるのは兄のアマテルの方です。

また、天児屋根(あめのこやね)の父神が兵主神(つわものぬし)ということになっていて
こちらは春日神の称号を世襲しています。

兵主神は渡来神で武器を司るので有名ですが、藤原氏の傍流が創祀という縁起があるらしい。
奈良県桜井市大字穴師に穴師坐兵主という神社があり、もともとは纒向山の弓月ケ獄にあったというので、秦氏の始祖渡来人、弓月君との関連もありそうですが、ここでは藤原氏と直結してるっぽい解釈。
(天児屋根命は藤原氏の遠祖なので)

また高見国(東北)にはアマテル神を補佐し導く役割の高皇産霊(たかみむすひ)がいて
多賀城を本拠地として、ここでもけっこう神様が寄り集まって会議してます。
高皇産霊も世襲制で、豊受神が五代目、八十杵尊が六代目、高杵尊が七代目という。
大物主(=大国主と同義)も事代主も同じで官職名で、世襲できるらしい。
なるほどナァ(*´▽`*)ノ

ちなみにこのホツマツタヱでは神様がふつーに寿命で死ぬ。
だから世代交代が起こったり、年で神様の気力が弱くなったり知力が衰えたりする。


で、本題の瀬織津姫ですが、
イザナキ・イザナミが神皇産霊の八十杵命(やそきね)に命じて十二人のお后を選定させる。

北の典侍(ねのすけ)にはイザナキの兄弟の椋杵命(くらきね)の娘、益姫持子(もちこ)
北の内侍(ねのうちめ)にはその妹、益姫早子(はやこ)

東の典侍(きのすけ)にはイザナミの兄弟の八十杵命の娘、大宮姫道子(みちこ)
東の内侍(きのうちめ)には棚機姫小妙(たちばなひめこたゑ)

南の典侍(さのすけ)には桜内命(さくらうち)の娘、瀬織津姫穂の子(ほのこ)
南の内侍(さのうちめ)には若姫花子(はなこ)

西の典侍(つのすけ)には金析命の娘、速開津姫秋子・別名潮の八百会子(やもあいこ)
西の内侍(つのうちめ)には宗像命の娘・機織姫筬子(さおこ)

北の御下(ねのおしも)に荷田命(かだのみこと=豊受神の子)の娘、味子(あじこ)
東の御下(きのおしも)に筑波葉山命(つくばはやま)の娘、蘇我姫(そがひめ)
南の御下(さのおしも)に粕谷命(かすや)の娘、色上姫浅子(いろのうゑあさこ)
西の御下(つのおしも)に豊姫紋子(とよひめあやこ)

そして、そのなかで姿美しく性格の素直な瀬織津姫穂の子を特別に選び、
中宮(うちつのみや)にして、天孫の父神である忍穂耳(おしほみみ・忍仁)
を生んでいる。記紀のようなアマテラスとスサノオの川辺での誓約がないので
普通の方法で世継ぎが生まれてるんですね。
瀬織津姫は日の前に仕える向津姫(むかつひめ)
と称えられるようになる。(日の前に向かい合っているという意味らしい)

空席となった南の典侍には金山彦命の娘、瓜生姫中子(うりふひめなかこ)があてられる。

北の典侍・持子と、内侍の早子姉妹は、瀬織津姫を追い落とそうと画策し、
それを察知した瀬織津姫の妹の花子が中宮にこれを伝え、放逐になった。
また、イザナミが月経のときに授かったため、生まれながらに穢れがある
スサノオと、早子は密通して子供を産んでいる。

そして恨みを持った持子と早子はそれぞれ九頭竜と、八岐大蛇に姿を変え、
ハタレ魔軍の黒幕として世間を混乱に陥れる。
早子は最後は同じく放逐されていたスサノオに、それと知らずに討たれてしまいます。

記紀では三貴子である、アマテラス・ツクヨミ・スサノオは、黄泉の国から帰った
イザナキが禊ぎをしている最中に独りでに生まれてきますが、ホツマでは
きちんとイザナミが腹を痛めて生んでいます。
とくにアマテル神を生むときには、両親は体を清めて朝日を拝んで準備万端で
事に当たっています。

アマテル神は原見山の安宮(富士山の浅間神社)におわし、
ツクヨミは筑紫の宮を与えられています。

この構図は、天孫・兄のホアカリ・ニギハヤヒが先に大和に都をつくり、
天孫・弟のニニギノミコトが後から筑紫の高千穂に降り立つのに似ています。

そもそも、このホツマツタヱは崇神天皇の時代に、大物主を祀るために
探し出された大物主の子孫・太田田根子が書いたとされ、三輪家に
代々つたえられてきたとされる書物(反物?)です。

内容がうり二つとされる三笠紀は天児屋根の直系である大鹿島(中臣氏)が著し、
現存しないものの、名前だけは伝わっている香久御機(かぐみはた)は
景行天皇みずから編んだといわれ、ホツマツタヱとミカサフミは
それぞれお互いの書評というか賛辞を載せています。
これは三種の神器になぞらえた「三種の道」「三種法」といわれているらしい。

ホツマツタヱはその後、弓削の道鏡のクーデターに反抗して自刃した
大三輪の赤坂彦の意志を継ぎ、和仁估(わにこ)と名前を変えた伊保家が
滋賀の近江に移り住んで、密かに伝えてきたとされ、伊保勇之進こと
大物主の七十八代末裔・和仁估容聡(やすとし)が宮中に献上しようとして
はたせず、明治の時代になって再発見され、戦後発行される事になる。

江戸時代に小笠原三代によって研究もされていて、小笠原の写本も別系統であるらしい。
ホツマツタヱが江戸時代以上さかのぼれないのは、この和仁估容聡より以前に
この書物が存在したと証明できないかららしい。

ここで重要なのは、瀬織津姫だけでなく、速開津姫も十二后にえらばれていることであり、
ハタレ魔軍討伐の時にもアマテル神とともに鏡を携えて両姫が脇に立ち、
ハタレの心の内を鏡に映す役目を負っていたり、
伊吹戸主(いぶきどぬし)もハタレ魔軍討伐に加わってハタレ4道の一つ、アエ道を
捕まえるために活躍しており、ハタレが叢雲をはなって幻惑すると、級長戸辺神を
使役して風で雲を散らし、ハタレが炎をはくと、竜田姫を勧請して水で消したりと
大祓詞にでてくる祓戸四柱がかなり高い位を得ている点です。

佐須良姫だけは名前がみえませんが、一説に佐須良姫はスサノオの娘のスセリ姫の
母神と同一とされる根の国・底つ国の神でおそらく出雲系であり、ホツマの中では
かなり、出雲系の神を蔑視しているので、その影響でかもしれません。

スサノオは生まれが汚い、問題行動ばかり起こす困った奴あつかいですし、
国を作り固めたオオナムチですら、国譲りの後は、大きな宮を建てた事を咎められ、
宝を蓄財していたことも恥ずべき事とされて、津軽(青森)の小宮に蟄居させられているのです。

記紀神話で大きく扱われている恨みもあるのかなぁ・・・。
こちらのページではさらに、違う異説・富家の伝承を紹介されていますが
(http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20070513/izumo)
そこでは物部氏と出雲族は同族であるが物部氏が天孫側についたため、
相争ったような歴史があるようですし、ホツマでは天皇家と中臣家と歩調を合わせようと
しているので、そういう事が影響しているのかもしれません。

記紀は藤原不比等により藤原氏のための史書の面がつきまといますが、
「物部・蘇我氏と古代王権」(黛弘道/吉川弘文館/2009年)によると
日本書紀編纂には各氏族の利害関係が絡み合い、藤原氏といえど
好き勝手には出来なかったようで、利害の調整に骨を折ったようです。

先代旧事本紀もホツマツタヱも、天孫ニニギ系より早くから大和を支配していた
ヒギハヤヒ系の物部氏系ですし、記紀神話には納めきれなかった
三輪山の大物主や天照国照彦ホアカリのヒギハヤヒの正当性を伝えたかったのでしょう。

内海邦彦氏の「わが悠遠の瀬織津姫咩」では、アマテラスは男神アマテルに仕える巫女が
神格化され・集合して女神となり、それがために后でいられなくなった瀬織津姫は抹殺された、
とお怒りでした。

ときには不在のアマテルにかわり、持子や早子の謀反を寛大に処罰し、
スサノオの計り知れない天の罪を半分に減刑して、つねに慈愛でもって日の神の隣にいた
瀬織津姫は、それがためにアマテラスの荒魂とされたのかもしれません。

日本書紀の神功皇后の記事に、神功皇后が海路で九州へ渡ろうと言うとき、
住吉神と伊雑宮にいる撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)
という神が、自分たちを祀ってくれと託宣するのですが、「向津姫」という部分で
それが瀬織津姫だとされているのでしょう。

また瀬織津姫の父や妹は桜内命や花子で桜を連想させます。
またアマテルの宮の庭にも、桜内命にちなんで桜(と橘)が植えられています。
(もちろん、十二后の位も、庭の花橘も内裏の習慣をトレースしたものでしょうが)
これは桜の神であり、ニニギの妻であるコノハナサクヤヒメとも
つながりがありそうです。(ただし火の神と水の神の差はある)

そして滋賀県大津市大石には祓戸四柱を祀る神社のなかで有名な
佐久奈度(さくなど)神社があります。
ホツマツタヱをもって逃げた、赤坂彦の子、世々彦も近江国の和爾邑に住んだといい、
安永4年に宮中に献上しようとした和仁估容聡も滋賀県高島郡安曇川に住んだという。
大津市と高島市は琵琶湖の南と西で結構離れているけど、ホツマツタヱで祓戸四柱が
やたら格が高い地位にいるのは、滋賀県の手前味噌のような気がする。

ついでに小野氏の中でもっとも古い有名人の小野妹子は
近江国滋賀郡小野村(大津市)出身の豪族です。

小野氏は春日氏の分流らしいですが、春日臣は和珥(わに)氏族であり春日大社で神を
まつっていましたが、藤原氏(のタケミカヅチ)に乗っ取られました。(´▽`;)

「多摩のあゆみ」の中で、小野神社の祭神の瀬織津姫は祓戸四柱と小野という名前から
むしろ大津の佐久奈度神社を想起する、と書かれている方がいたので、
手がかりはここにもありそうです。

あとこのホツマツタヱの本によると、大物主の別名は鰐彦櫛甕玉命(わにひこくしみかたま)
というらしい。

ああ~だから、「ガンジス川のワニさん」こと、金比羅様と習合してんだね~。
小野氏と大三輪氏もワニワニだし、つながりがあるのかないのか・・・。

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