たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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このところ小野神社にまつられている神様の瀬織津姫について調べているのですが、
このいあだ瀬織津姫で検索して唯一ヒットした本
「わが悠遠の瀬織津比咩」(内海邦彦著/河出書房新社/1986年)を読み終わりました。
てっきり瀬織津姫について掘り下げていくのかとおもったら、触れられているのは冒頭と巻末だけで
本編はどちらかというと天孫ニニギノミコトの兄神で天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(ホアカリまたはニギハヤヒ)を主題にして話を進めているかんじでした。
しかも読んでいると、途中から横道寄り道だらけで、本筋といえるものがあるのかないのか、
話題の振り方が下手でだいぶ振り回されます。
紀行文だとしたら見てきた順に語るのはしょうがないのかな、とも思ったんですけど、
とある神社を訪ねる途中で、このあいだ行った別の神社の話をし始めて、
もとの神社の話題にもどるのが次の章とかにも閉口。
時系列がぐちゃぐちゃだから、筋道が押さえられなくて目が(+ +)
正直もと編集者だというのなら、本全体の構成を考えて章立てしてほしかった・・・。
読んでいる間ず----っと「本題の姫はいつ!?」と思ってました。
読み切った後では、総体として被差別民族(蝦夷・エタ、渡来氏族と日ユ道祖論)の
排斥され続けてきた民衆の怨嗟を語りたかったのかなーというかんじ。
「新宿駅が二つあった頃」で著者が折口信夫の講義をきいてて、話が枝分かれして
それはそれでおもしろいんだけど、ついに本筋に戻ってくることはなかった的なこと
を書いていたので、折口信夫もこんなかんじなのかなー。
ただ折口先生の文章とはちがって、このひとの説明はわかりやすい。
(いま、タイトルに惹かれて「魂の古代学」という新潮選書も読んでるんですけど
折口解説本でして、そこでかいつまんで説明されている折口論には共感します)
著者の内海さんは戦後まもなくの昭和30年代から自分の家の系統の神様について
いろいろと集め始めたので、時代的に戦中の軍国主義反発とあいまって、
感情と論理が分離できてないけど、それも学者じゃないからしょうがないのかな・・・。
とにかく、取り扱っている話題はおもしろいのです。
それだけに、きちんとジャンル分けして解説してほしかった。
鹿島昇の鹿島史学にかぶれているので、秦の始皇帝の父親はじつはユダヤ人の商人だった、
だから秦はユダヤ系国家であり、夏殷周はオリエント文化をそのまま漢訳したものであり、
日本の秦氏も「名を取らず実を取る」ユダヤ的な性格を帯びている、という論を紹介されてて。
トンデモ系ではあるのですが、今読んでいる「秦氏と新羅王伝説」(皆神山すさ/彩流社/2010年)と
いっている事は重複しているし、あわせて考えるととてもおもしろいです。
(ちなみに↑こちらの本の中に深大寺の項目があります。渡来系の寺として有名なんですね・・・)
この本の中で紹介されていた「朝鮮文化と日本」(金達寿 キムタルス/講談社学術文庫)も
読んでみました。なるほど、日本の中に残る古代朝鮮語は朝鮮出身の人なら見つけやすい
かもな~と思って。全国を廻られているんですが、私が読んだのは相模・武蔵・上野・房総編で、
しかも金さん、電車で移動なさるので昭和30~40年代の小田急や京王や八高や東上線の
沿線の描写も一緒に出てくるんですよね。
とくに、京王のなんか、聖蹟桜ヶ丘駅から周りがブルドーザーだらけで赤土に覆われた工事の中を
町役場(近々市政になる予定の)の教育委員会を訪ねられていて、「ほうわ~~~」と興奮しました。
八高線だと飯能だとか高麗地方とか、小田急だと秦野、京王だと狛江や深大寺や布多天神社、
東上線だと志木のあたりを訪ねていましたね。
相模国の大磯あたりははじめ、高麗人によって開拓されたらしいです。
まえに紹介した相模六所神社のひとつ、 比々多神社の周囲にも100基ちかい古墳があり
これが高麗族の墓ではないかと、予想されている。
被葬者の特定ってのは、考古学でもかなり慎重を期する作業なので安易にきめつけては
いけないのですが、可能性としてはおもしろいなーと。
で、「~瀬織津比咩」の内海さんが、この金さんが瀬織津姫とは「セオールの姫」つまり
ソウルの姫巫女と言う意味だというのをいっている、というのを紹介されてて、
「朝鮮文化と日本」に載ってるかな~?と見たんですが、残念ながら大国魂神社を
参拝しただけで、金さんは小野神社には気づかなかったみたいですね。
武蔵国編には載っていませんでした。(となると、本家の滋賀県・近江国編に載っているのか?)
ソウルは京城と書くのですが、もともとは固有名詞ではなく「都」と言う意味の一般名詞のようで、
そうすると瀬織津姫は「都(宮)の姫」ということになるのかな?
「~瀬織津比咩」を読んでの最大の収穫は、記紀以外に載っている日本神話の本を紹介されて
いたことでしょうか。
宮下文書(富士文書)、秀真政伝紀(ホツマツタヱ)、三笠山紀(ミカサフミ)、先代旧事本紀大成経
など、本書では「古事記」「日本書紀」より古いと断言されてましたが、学会では偽書とされている
文書たちです。
このなかの、先代旧事本紀大成経については、前に紹介した「奇書『先代旧事本紀』の謎をさぐる」
にも騒動の事が載っていましたが、他の本については知らなかった、とくに
秀真政伝紀(ホツマツタヱ)には、瀬織津姫のことがかなり重要な神として載っているので、
今「完訳 秀真伝 上・下」(鳥居礼 校訂・訳/八幡書店/1988年)を借りて読んでいます。
ハタレ魔軍と天照大神の神軍団が戦ってて、ファンタジー小説みたいで、なかなかおもしろいです。
ただ、「日本書紀」を超えることはできないかな~。
秀真国(ホツマの国)というのは、どうも富士山麓の山梨県のあたりの事らしいですね。
宮下文書(富士文書)も山梨県吉田市に伝えられていた文書だというし、山梨県には
最後の秘境があるの・・・かも?
ただ、ホツマツタヱにおける天照大神の所在地は伊雑宮(イザワノミヤ)で瀬織津姫もそこに
いるかんじ。神の教えとして「伊勢の道(夫婦和合の教え)」というのを説いているし、
そこは先代旧事本紀大成経騒動と通じる物があるのかもしれない。
ちなみに、ホツマツタヱにおける天照大神はアマテル大神で男神です。
瀬織津姫は十二后の中から特に選ばれて中宮になっています。
十二后は横道十二宮と対応しているとおもわれ。
一年をかけてアマテルがそれぞれの宮の姫を訪れるようです。
そういえば、三島大社の見目神社にまつられていた事代主の奥さんも12人だったな。
なにか意味があるのかもしれない。
ホツマツタヱはまだ途中までしか読んでませんが、とりあえず瀬織津姫のポジションは絶大です。
今流通している神道でも、瀬織津姫はアマテラスオオミカミ(女神)の荒御霊であるとの解釈ですし、
思ったよりパーフェクトな姫神かもしれません・・・。
ホツマツタヱの神話も紹介したかったんですが、長くなったのでまた今度。
このいあだ瀬織津姫で検索して唯一ヒットした本
「わが悠遠の瀬織津比咩」(内海邦彦著/河出書房新社/1986年)を読み終わりました。
てっきり瀬織津姫について掘り下げていくのかとおもったら、触れられているのは冒頭と巻末だけで
本編はどちらかというと天孫ニニギノミコトの兄神で天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(ホアカリまたはニギハヤヒ)を主題にして話を進めているかんじでした。
しかも読んでいると、途中から横道寄り道だらけで、本筋といえるものがあるのかないのか、
話題の振り方が下手でだいぶ振り回されます。
紀行文だとしたら見てきた順に語るのはしょうがないのかな、とも思ったんですけど、
とある神社を訪ねる途中で、このあいだ行った別の神社の話をし始めて、
もとの神社の話題にもどるのが次の章とかにも閉口。
時系列がぐちゃぐちゃだから、筋道が押さえられなくて目が(+ +)
正直もと編集者だというのなら、本全体の構成を考えて章立てしてほしかった・・・。
読んでいる間ず----っと「本題の姫はいつ!?」と思ってました。
読み切った後では、総体として被差別民族(蝦夷・エタ、渡来氏族と日ユ道祖論)の
排斥され続けてきた民衆の怨嗟を語りたかったのかなーというかんじ。
「新宿駅が二つあった頃」で著者が折口信夫の講義をきいてて、話が枝分かれして
それはそれでおもしろいんだけど、ついに本筋に戻ってくることはなかった的なこと
を書いていたので、折口信夫もこんなかんじなのかなー。
ただ折口先生の文章とはちがって、このひとの説明はわかりやすい。
(いま、タイトルに惹かれて「魂の古代学」という新潮選書も読んでるんですけど
折口解説本でして、そこでかいつまんで説明されている折口論には共感します)
著者の内海さんは戦後まもなくの昭和30年代から自分の家の系統の神様について
いろいろと集め始めたので、時代的に戦中の軍国主義反発とあいまって、
感情と論理が分離できてないけど、それも学者じゃないからしょうがないのかな・・・。
とにかく、取り扱っている話題はおもしろいのです。
それだけに、きちんとジャンル分けして解説してほしかった。
鹿島昇の鹿島史学にかぶれているので、秦の始皇帝の父親はじつはユダヤ人の商人だった、
だから秦はユダヤ系国家であり、夏殷周はオリエント文化をそのまま漢訳したものであり、
日本の秦氏も「名を取らず実を取る」ユダヤ的な性格を帯びている、という論を紹介されてて。
トンデモ系ではあるのですが、今読んでいる「秦氏と新羅王伝説」(皆神山すさ/彩流社/2010年)と
いっている事は重複しているし、あわせて考えるととてもおもしろいです。
(ちなみに↑こちらの本の中に深大寺の項目があります。渡来系の寺として有名なんですね・・・)
この本の中で紹介されていた「朝鮮文化と日本」(金達寿 キムタルス/講談社学術文庫)も
読んでみました。なるほど、日本の中に残る古代朝鮮語は朝鮮出身の人なら見つけやすい
かもな~と思って。全国を廻られているんですが、私が読んだのは相模・武蔵・上野・房総編で、
しかも金さん、電車で移動なさるので昭和30~40年代の小田急や京王や八高や東上線の
沿線の描写も一緒に出てくるんですよね。
とくに、京王のなんか、聖蹟桜ヶ丘駅から周りがブルドーザーだらけで赤土に覆われた工事の中を
町役場(近々市政になる予定の)の教育委員会を訪ねられていて、「ほうわ~~~」と興奮しました。
八高線だと飯能だとか高麗地方とか、小田急だと秦野、京王だと狛江や深大寺や布多天神社、
東上線だと志木のあたりを訪ねていましたね。
相模国の大磯あたりははじめ、高麗人によって開拓されたらしいです。
まえに紹介した相模六所神社のひとつ、 比々多神社の周囲にも100基ちかい古墳があり
これが高麗族の墓ではないかと、予想されている。
被葬者の特定ってのは、考古学でもかなり慎重を期する作業なので安易にきめつけては
いけないのですが、可能性としてはおもしろいなーと。
で、「~瀬織津比咩」の内海さんが、この金さんが瀬織津姫とは「セオールの姫」つまり
ソウルの姫巫女と言う意味だというのをいっている、というのを紹介されてて、
「朝鮮文化と日本」に載ってるかな~?と見たんですが、残念ながら大国魂神社を
参拝しただけで、金さんは小野神社には気づかなかったみたいですね。
武蔵国編には載っていませんでした。(となると、本家の滋賀県・近江国編に載っているのか?)
ソウルは京城と書くのですが、もともとは固有名詞ではなく「都」と言う意味の一般名詞のようで、
そうすると瀬織津姫は「都(宮)の姫」ということになるのかな?
「~瀬織津比咩」を読んでの最大の収穫は、記紀以外に載っている日本神話の本を紹介されて
いたことでしょうか。
宮下文書(富士文書)、秀真政伝紀(ホツマツタヱ)、三笠山紀(ミカサフミ)、先代旧事本紀大成経
など、本書では「古事記」「日本書紀」より古いと断言されてましたが、学会では偽書とされている
文書たちです。
このなかの、先代旧事本紀大成経については、前に紹介した「奇書『先代旧事本紀』の謎をさぐる」
にも騒動の事が載っていましたが、他の本については知らなかった、とくに
秀真政伝紀(ホツマツタヱ)には、瀬織津姫のことがかなり重要な神として載っているので、
今「完訳 秀真伝 上・下」(鳥居礼 校訂・訳/八幡書店/1988年)を借りて読んでいます。
ハタレ魔軍と天照大神の神軍団が戦ってて、ファンタジー小説みたいで、なかなかおもしろいです。
ただ、「日本書紀」を超えることはできないかな~。
秀真国(ホツマの国)というのは、どうも富士山麓の山梨県のあたりの事らしいですね。
宮下文書(富士文書)も山梨県吉田市に伝えられていた文書だというし、山梨県には
最後の秘境があるの・・・かも?
ただ、ホツマツタヱにおける天照大神の所在地は伊雑宮(イザワノミヤ)で瀬織津姫もそこに
いるかんじ。神の教えとして「伊勢の道(夫婦和合の教え)」というのを説いているし、
そこは先代旧事本紀大成経騒動と通じる物があるのかもしれない。
ちなみに、ホツマツタヱにおける天照大神はアマテル大神で男神です。
瀬織津姫は十二后の中から特に選ばれて中宮になっています。
十二后は横道十二宮と対応しているとおもわれ。
一年をかけてアマテルがそれぞれの宮の姫を訪れるようです。
そういえば、三島大社の見目神社にまつられていた事代主の奥さんも12人だったな。
なにか意味があるのかもしれない。
ホツマツタヱはまだ途中までしか読んでませんが、とりあえず瀬織津姫のポジションは絶大です。
今流通している神道でも、瀬織津姫はアマテラスオオミカミ(女神)の荒御霊であるとの解釈ですし、
思ったよりパーフェクトな姫神かもしれません・・・。
ホツマツタヱの神話も紹介したかったんですが、長くなったのでまた今度。
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