たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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京王線が100周年なのでその影響ですかね~
大国魂神社の境内にある郷土資料館の2階で今、
府中市内を通る鉄道に関する歴史的文書を無料で公開中なのです。
南武線、下河原線、京王線、玉南線、西武多摩川線、あと未成線などの
資料がガラス越しですが見られます。
個人的見所は、下河原線の路線図です。
府中刑務所内にかつて引き込み線があって、囚人輸送とか、戦災車両を運び込んで修理?とか
させてたみたいで。今はもう残っていない、線路なんですけど、それが地図上で赤線ひかれてたり。
あとは多磨村が砂利採取権を申請してて、その範囲が南武鉄道と西武鉄道との採取地の間の
ほっそいすきま狙いだったりしたのが、地味につぼりました。
そこの図書館でチラシを見つけたんですけど、「京王線と府中」という図書館主催の講座が
あるらしく、こちらもその場で速攻予約しました。
それが今日だったんですが、仕事が忙しくて、ゆっくりお話聞く暇がなかったのが残念です。
京王鉄道友の会の会員で、ネコパブリッシングで「京王線14mの時代」とかを執筆されてる
鈴木洋さんという方が講師にきてて、府中市内の駅についてや、京王線と西武多摩川線の
あれこれを話されてゆきました。
個人的に知りたかったことがいろいろとわかって、とても有意義な時間でしたよ。
下河原線のSLバック運転は、国分寺と下河原、どっちに頭を向けていたのかとか、
そのさい貨車は前と後ろどっちにくっつけるのか、とか。
玉南と京王の駅がケヤキ通りを挟んで向かい合っていたんだけど、べつの資料みると
ホーム同士がくっついている図面だったんで「あれ?」と個人的に思ってたんですけども、
どうも、玉南が京王の駅ホーム南側まで路線を延ばしてたらしいんです。
その辺、質問時間に聞いてみたんですけど、公文書館で探してください、いわれた。
うおお・・・やっぱり、あそこなのか。
あと、神社の境内に線路を通すときにもめたらしい、という話も、
私、本で1回しかみかけたことなくて、しかもその本はこぼれ話みたいなあつかいで、
情報源書いてなかったんで、いまいち確証なかったんですけど、最近資料がみつかったらしい
ことをおっしゃっていた。ほんとは、これ質問でききたかったな~。
神職総代に訴えられて、すごい弱ったとか。
関戸~百草の建設中に土砂崩れが起こって、国立の建設業者が亡くなったりもしたらしく
神様の祟りじゃないかじゃないかいわれて「神社とお寺さん、こわい ;△;)」と京王が思ったか
どうか、その後は神社お寺をわりあい避けるようになったみたいだとか。
あと、TJライナーを参考に300~400円くらい上乗せして有料特急やるか、とか
クロスシートの車両を作ろうかな~という話もあったけど、一応あっただけ、みたいな。
メーカーにも聞いてみたけど「そういう話はくるには、きていますが・・・」みたいな歯切れで
結局、向こう10年は新車つくらない、と重役にいわれた、とも話されていた。
あとは、南武線開通前の屋敷分駅(分倍河原駅)の最初の場所は、どうも旧甲州街道の
前だったらしい、とか、車返駅(武蔵台駅)と新染谷駅の話とか。
西武多摩川線との共同駅や、交差地点に乗換駅をつくる構想も京王側にはあったんだけど
法律の問題や、お客をとられるとおもった西武側に断られたらしい話とか。
昭和39年ごろ新宿駅手前の甲州街道の併用軌道が工事でつかえなくなって、
新車搬入をわりあい踏切が広い東府中駅で行ってたとか。
車両は金沢八景と名古屋の豊川でつくるんだけど、川崎駅まではJRの台車を
はかせて運んでそこから陸送するんだけど、1晩に2両までしか許可がでないんだとか。
わたらせ渓谷のトロッコ列車にも京王の車両がいるらしい。
あとは、運行の話で、新宿線との走行強距離調整で、そのままだと京王が損なんで
競馬場に新宿車両を入れてただで働かせてる、みたいな話もされていたけど、
それ以外は難しくってついて行けませんでした。
ほんと、運用の話になると、私からきしだめです。
相模原線で普通電車を待つ特急電車がいるんです、ともいってたけど、
あれは若葉台での話なのかな・・・。あと、やっぱり桜上水で新宿線、泊まる子いるらしいね。
話題がとっちらかりすぎてて、聞き取るの大変でしたけどもおもしろかったです。
津軽鉄道応援団の会員でもいらっしゃって、明日からストーブ列車が走りますよ!
とうれしそうに語られていた。
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