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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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森村市左衛門さんの本と、大隈・松方財政の本を返してきました。
一冊、読み切らなかったんで、延長。

いや~、同時に読んでいくと、なかなか感慨深いものがありまーすネー。

西南戦争後の不換紙幣増発によるインフレ対策で大隈大蔵卿がいろいろ政策打ち出すんですけど、
基本的に貿易不均衡(輸入超過による貿易赤字)是正のために、(輸出業を盛んにするため)
国内産業を振興しようとお金を注ぐんだけど、そそげば注ぐほどインフレ-で。
海外貿易では正貨(金貨銀貨)を扱うので、国内の金銀がどんどん流出しちゃって、
紙幣の価値は下がって、逆に金銀は不足の状態だったのですね。だから鉱山開発も重要だった。

でも国内産業は育てなきゃ、って方針は諦めきれなくて、官有物工場を民間に売ったりして資金を得ようとするんだけど、十四年の政変(五代さんと黒田さんの北海道官有物払い下げに関する騒動)で大隈さんが退陣して、松方正義大蔵卿にかわって、やっと紙幣整理、緊縮財政、デフレ政策に転換するわけで。おおまかにいえば。

その一方で、幕府や諸藩の御用を勤める森村さんが、横浜へ銀の両替を頼まれた時に、綺麗な日本の銀と粗悪なメキシコドルが両替される様を見て、「このままじゃいかん」と危機感をつのらせ、森村組を設立して、弟の豊さんをアメリカにやって、小さな店を構え、自分は地道に古物を買い集めて、あっちに送る、本当に小さな小さな輸出業を始める。
国からの補助金を潤沢に使って、鷹揚な商売をする他の同業者の存在に苦しめられながら、独立独歩を旨とし、自力で商売の出来ない者に真の国益は守れんとばかりに、補助金の誘いに一切応じず、正直な商売をして、彼の地で絶大な信用を築いていく。
一方で補助金を受けてた同業商は、みな潰れたという。

いやー、なんだろうねー、この財政政策の光と影、的な。

それなのに、森村さんは「大隈さんは常識のある人だ」と
べた褒めする記事書いてるんだから、ますますなんだかなーな。

渋沢栄一さんと大隈さんといっしょに、神戸へ旅行したらしい、なんてなかよし!!

あと、井上馨ででてきた本「江戸東京を作った人々2」も借りたんですけど、
1/3くらいが、銀座の煉瓦街のことで、半分くらいがそれを実行した由利公正さんに関することで、
井上さんちょーおまけだった!大政治家じゃなかったの!!?なんで、こんなに話がないの!??

ついでに、市区改正委員だった田口卯吉の項もあったんだけど、
そっちは士族授産を目的とした小笠原開発事業がメインで、市区改正ぜんぜん関係なかった。
えええー、タイトルと乖離してやおまへんかー!?

経済学者で自由新聞の論陣を張ってた人でもあるので、当時の財政を痛切に批判する様が、
「自由民権と大隈・松方財政」(大石嘉一郎著)にも、ちょっと出て来てました。

「政府が干渉保護の精神を以て行ひたる事業の利益は、
其の年々貨幣を注入するの多きに係らず、年々減少するの勢ありと雖も、
人民の自ら作業して得る所の利益に至りては、紙幣の氾濫せしに係はらず、
政府の干渉ありしに係はらず、地方税に於て非常の増徴ありしに係はらず、
年々増進の勢あるが為めに、其租税も亦此の如く増の景気を呈せしは
あに亦た愉快な次第ならずや」

なんとなく、森村さんの事例を見ていると、政府による積極財政は
かえって民間事業を圧迫する結果になってたのかなーと。思ったり。
ねー感慨深いですね~。

でも、菊池さんの本で、森村商店は、土佐藩との関わりが深く、板垣退助とも親交があった、的な事が書いてあったので、「森村さんも自由民権運動にかかわりが!?」と期待した部分は、、、ちょっと、外れました。むしろ中津藩と仲良しになった。ああ…だから、まわり大分県民だらけなのか、とちょと納得。福沢諭吉を大尊敬されてたみたいですね。

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先週が仕事の大詰めでした、また胃もたれが再発した。一度、見て貰うべきかなぁ・・・orz
土曜は休日出勤だったのだけど、20時まではヒマなので、昼から美容院の予約で5時間くらい拘束されたり、さらに図書館行ったり、会社の食堂でJ:COMテレビ見たりしてました。
湘南プレミアムという番組で、湘南モノレールの特集やってて、常務取締役のひととかが、
湘モノの歴史とか振り返ってて、J:COMぱねえ!!って思いながら見てました。
万博で跨座式モノレールがお披露目になるので「あれだけがモノレールだと思われたら遺憾!」という対抗意識を燃やして、開業頑張ったんだとか。
懸垂式は上に屋根がある状態だから、雪にも強いらしい。おおう、多摩モノには羨ましい話ですね。
いつもシャーベット状になっちゃって、止まったり遅れたりしてるから・・・
車両工場の中も拝見、てもうタモリ倶楽部と区別つかないディープな内容になってきてますけど、
台車の真ん中からパンタグラフがニューって生えてるのには、ちょっと驚いた。
でも、そうかっ、そりゃそうなるよな!!?
モノレールにしては珍しくトンネルがあったりして、そこでは75km/hだせるらしい。え、速くね?

J:COMはなぜか、杉並区のローカル番組?のすぎ☆たまとか入るんですよね。
出演者が荒川線と競争してたり、よくわかんないですけど。

そんでもって、本社でリテークだししてたら、また3時に帰宅になって、5時頃寝て、
10時に起きてアニメ見てご飯食べて、14時に再び寝て、20時に起きて、ATARU見て、スカイプしてたら2時になってました。

うひょう!なにもしていない。ね!
途中から見出したけど、ATARUおもしろいな~。
主人公の病室の隣の表札が「杉下右京」だったっぽい。気づかなかった!


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下の年表、ちょいちょい入力ミスがあるので、みつけたら直してます。
あと、鉱山司の情報も挿入してみました。井上さん、本当はこっちの仕事してたかったみたい。
明治初期は外国貿易のためにきちんとした貨幣が早急に必要で、
それに伴って造幣寮の工場建設や、原料調達のための鉱山開発も活発なので、
鉱山司はてっきり大蔵省の管轄下だと思ってたんですが、一部民部省ともかぶってるんですね。
むずかしいです、というか、この頃の大蔵省と民部省って棲み分けが出来てるんだろうか?
なんか、ときどきごちゃごちゃになってるような。

鉄道払い下げと井上馨の件は、「東京海上火災保険会社六十年史」の会社前史の方に、
わりと詳しくまとめがあったんで、なんとなくですが、わかったような。
要するに渋沢栄一さんが会計係で関わってて、話が進まないから井上先生にアドバイスいただいたって感じなんですかね。↓

「東京青森間の内先づ東京宇都宮間を建設することとに決し、
その工事に関しては高島嘉右衛門氏、会計に関しては渋沢栄一氏
明治六年五月大蔵省三等出仕(小輔事務取扱)を辞して
野に下り
、当時第一国立銀行総監役)それぞれその事務に当り、
資本主総代は前島密氏(当時内務大丞駅逓頭)と定めた。
 然るにその後事業計画の進行渋滞し、動もすれば途中挫折せんとする
状況に在ったが、伊達宗城氏、池田章政氏等熱心にこれが支持に力め、
又渋沢氏、前島氏等は諸般の調査に従事し、且計画の遂行に付て
政府に援助を内議したが、その諾否に関し政府の態度は容易に
決定するに至らなかった。
 時に井上馨氏(明治六年五月大蔵大輔を辞し、当時野に在る)は、
鉄道新設の計画を抛棄し、既設鉄道の払下を請願するの時宜に
適するを勧告する所あった。 (…)」

( )内の説明読んでて、そういえば、井上さんと渋沢さん(と益田孝さん)は、
一緒に下野した忠義の仲であった…。キャ!////
じゃあ、渋沢さん経由で、員外として会議に参加したのかな。
伊藤工部卿がこれに前向きなコメントしてるのも、井上馨さんのコネクションが多少あったのかも知れないが…、それは予想の範囲を出ないよね。

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追記。

・・・そうか、民部省は大蔵省とくっついたり、離れたりして、最終的に大蔵省に吸収、廃止されちゃうのか・・・。どーりで。管轄がかぶるはずだ。

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けいおうのまわり、大分県人だらけ!!!!
と思った休日でした。
けど、とっかかりが何だったのか忘れました。今度、思い出しつつ一度まとめます。
慶應義塾と京王、意外と関係あったんですね。間接だけどね。

まあ、とりあえずは、ウィキの馬車鉄道の外部リンクから小川功さんの論文で、
「関西鉄道会社建設期の地元重役による経営改善推進」というのがあって、
そこでだいーぶ、馬車鉄道の内部事情を把握しました。
関西鉄道と連動してたんだ-。ますます、事態がややこしいな。関西の鉄道わからないし。
名古屋~大阪でしたっけ?関西鉄道。

谷元さんはもともと大隈派ではあったんですね。
それが不祥事を起こし、信頼の厚い中野武営さんや牟田口元学さんにとってかわられたと…。
そういえば、谷元さんは甲武鉄道にも創立委員として参加していたっけ。
それが、大隈・若尾派閥VS地元・雨宮派閥みたいな対立がおこって、21年頃に辞めている。

平沼専蔵さんは一般には「高利貸し」のイメージだったんですね。
後ろ暗い所があるから、表だった所には出たくなかったんだとか。

でも、雨宮さんの自伝には、
「十九年に初めて日本鉄道条例と云ふものが出来て民間に鉄道を許すと云ふことになった
其前に井関盛良さんと岩田作兵衛さんとが新宿八王子間の馬車鉄道の願を出して置いたので
之を本鉄道に願ひ替へて仕舞った。そこで当局者は本鉄道の発起人の身代を調べた結果
此の発起人では"資力が薄い"と云ふので大隈さんが紹介して平沼が金を出し
それで許すと云ふことになった。」
とあるので、甲武鉄道実現に当たってはかなりのキーマンではあったもよう。
『平沼が大隈にとって「無抵当で金を貸す」「俺には恩人」であった』と小川さんの論文にあるので、
大隈さんのお財布だったのかな。

それにしても、渡辺一族、何者だ。すげー気になるんですけど。
そういえば、玉川や京王の発起人も渡辺姓だったな。関係あるかな??
でも、渡辺さんて、ふつうに結構あちこちにいるからなー。
嘉一さんとか、技術関係であらゆる鉄道に関与してますし。

ええい、家系図はどこだ家系図は!!

大正八年末の臨時株主総会で武蔵電鉄の専務になった渡辺勝三郎さんは、この渡辺一族だと思う。
治右衛門の三男と名前が同じだ。
この人らは、財閥とはいわないのかな・・・?

とまあ、この辺の事は、確認と訂正。

京王電軌救済会という、なんだかほほえましいかんじの会の委員長で、
京王の常務だった渡辺孝さんはどうかな?うわあ!大分県人だ!!!

甲州財閥が財閥の起源なら、大分財閥があったっていいと思うくらいにはうようよいるなぁ(笑)

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友人が岡山へ転勤になるので、金曜日にそのお別れ会で仕事のあとに池袋へ大集合。
山梨の合宿に来れなかった人も集まって、五年ぶりに顔見た人も全然かわってなくて、
すっごい楽しかった!久しぶりに美味しい酒をガンガンのみました。

したら、案の定、手足が冷えて痛くなってしまった・・・。
体中に毒素がまわってるなぁ、ってかんじ。
昨日の昼まで痛みが消えなかったので、キーボード打ち込むのに難渋しました。

久しぶりに11時台の京王線に乗った~。あの時間でも結構な満員ですね。
やっぱり、あの西に行く程人が降りていって、段々楽になっていくのがたのしい。
だいたい、調布までがガマンのしどころですね。
これが、南武線とかだと、降りたと思ったらさらに乗ってくるんで、地獄ですねアレ。(府中→立川)

分倍河原着く頃には、南武線はもう終了してました。
あれ、南武線ってそんなに早かったっけ。多摩側だけ??
そして、聖跡に着くと同時に、非常停止ボタンが発動して、けたたましいことこと。
あれ、高音と、サイレンみたいな唸る音と、二種類の音が同時に鳴りっぱなしになるんですね。
ほんとに非常事態ってかんんじになります。雰囲気が一変にかわるというか。

さいわい、10分くらいで動き出したんですけど、結局なにが原因だったのかわからなかった。
女性が「すみませーん」て手を挙げてたのはみえた、けどそんなあわてた感じじゃなかったから、大丈夫だったんだろう。

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もうひとつ借りてるのが平凡社新書の「日本の地方財閥30家」菊池浩之著。

川崎財閥が(財閥研究系の本に)あまりにも載ってないので、「地方財閥」をキーワードにヒットした本を借りてみました、が、こちらはほんとに小財閥をあつかったものなので、むしろ川崎クラスが載っていない(爆)
だいたい川崎さんて東京系だから地方でもないかも、お手上げ。

かわりに森村財閥が載っていました。これはこれで。
といっても、本流である所の森村組の事業にはほとんど触れず、むしろ傍系のTOTOだとか日本ガイシだとかがメインで、まあ今ではそこが残って有名なんだから仕方がないのですが。
しかし、紡績・製糸の部で十大紡績として富士瓦斯紡績を挙げているにも拘わらず、会長を日比谷さんとして、森村財閥との関係を述べていないのがさみしい・・・。
個人的にはそここそ重要なのに。

あとは醤油財閥で野田や銚子の醤油業者の系譜がわかるのが嬉しいです。
千葉の鉄道において醤油業者の存在は欠かせませんものね。
総武鉄道とか総武鉄道とか、あと銚子電鉄とか。

で、奥付の同著者の本の中に「日本の15大財閥」というのがあって、そっちかーー!と。
これは啓文堂に普通に在庫があったので買いました。新書なので全然安い。
ちょうど三井物産と三菱汽船についても知りたかったですし、一石二鳥です。

しかし、著者自身が認めるだけあって、内容は超デフォルメされているので、ほんとに入門書です。
川崎財閥の説明なぞ6pしかなかった。もちろん鉄道との関わりにも触れてなし。
ここでもマイナー扱いなんだなぁ(笑)でも面白いし、勉強になったので後悔はありません。

衝撃だったのが、川崎と第百銀行が合併するとき、「二代目川崎八右衛門は第百銀行頭取の原邦造を引退させることに成功し、合併後の実権を握った」とあり、ええ!?と Σ(゚Д゚;
あんたら仲良くやってったんじゃなかったんかーいっ。
いや、対立したとも書いてないんでわかりませんが、なんか不穏当だなぁ…と。

本当に、川崎で華々しい目立った話題って、この第百銀行の合併だけなんですよねぇ…。
どこにだったら、もうちょっと詳しいこと書いてあるのかな。

このシリーズの最大の魅力は巻末に、参考になりそうな文献を列挙してくれている所なので、これを頼りにまだまだ旅は続けられそうです。というか続きます…orz

とりあえず、森村さんの伝記っぽいのは3冊くらいあるようなので、五代さんを読み終わったら、いよいよ本命にいきたいとおもいもす…。

そうそう、大日本電力の社史にて、富士製紙から電気部門が出来た時の富士製紙の社長が原六郎さんなんだそうで、これも「なんだってー!?」でした。
原親子もちょっと、知っといたほうがよさそうかな。
あとは普通に甲州閥が多方面で勉強になりそうなので、これも憶えておこう・・・。

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