たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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えーただいま、五代友厚さんの伝記小説を4冊かりてるんですが、どれを読めばいいかわからなくて。
しかも、図書館にまだまだあったよ、井上馨なんて選択肢なかったのに!!
そんなに題材に人気のある人だったのか。びっくりです。
幼年時代すっとばして、青年時代から始まってる本をまずみたら、やっぱり前後の話がよくわからなくて、おとなしく少年時代から扱ってる本を読み始めましたら、こんどはさらに100年くらい前の薩摩藩の財政の説明からはじまってて(笑)
あの、面白いですけどね?話、そこからですか!(「功名を欲せず」渡辺修)
著者が東京商工会議所の人みたいで、商工会議所の存在意義に疑問をもっていたところ、大阪商工会議所は東京となりたちが違うことを知り、五代ファンになったらしい。
ちょっと立場が面白そうな人なんで、他とは違う視点で期待しています。
ちなみに59pまで読んで、まだ五代さんの台詞が一行もありません。^ ^;)
すごく内容の細かい略歴読んでるようなかんじです。
でも、読み終わった暁には、他の小説の舞台背景がよくわかるにちがいない。
井上馨の本に、三井とおなじく公金取り扱いを許されている小野組が単独で銀行を設立するため大阪の五代友厚を通じて政府に働きかけていたとあり、結局は渋沢栄一の構想に押し切られる形で三井小野組共同の水と油な銀行ができあがったものの、小野の取引内容が不透明で危ないことを知った井上馨が諮って、一方だけをつぶしてしまう。
初期の造幣局時代は五代さんとしょっちゅう花街へ繰り出す仲だったそうですが、この小野組の件はその後の関係になにか響いたのかな。そこは書いてなかったので気になる所です。
雨宮さんの本にも、不換紙幣価値の下落による大規模なインフレをどうにかするため、五代さんと雨宮さんが裏で奮闘する様が描かれているんですが、結局は松方デフレ政策によって落ち着くので「負けた」と思う二人。
これを機に仲良くなった二人は、五代さんが馬車鉄道会社をおこすとき、規則を雨宮さんに相談したりするんですが、じゃあ、雨宮さんは馬車鉄道の経営にも参画してたのかな、っていうとそうでもない。
初期には薩摩出身の谷元道之社長、種田誠一副社長が経営を主導し、取締役を置くようになってからは五代さんの腹心・岩瀬公圃氏を送り込んで、五代色が強い。
それが明治20年下期になって、初期メンバー(取締役)が退陣し、川村伝衞、林謙吉郎、平沼専蔵などの京浜富裕層が取締役になる。
また、初期投資の償却がおわり、これから稼ぎ時という美味しい時期に、若尾さんら甲州系が進出しはじめ、明治23~24年にかけて甲州閥との交代が起きてくる。でもその中にも雨宮さんはいなくて、根津さんは居る(笑)
平沼専蔵さんだけ、26年まで取締役に残っているのを「平沼は横浜の生糸商で同業の若尾らと気脈を通じていたものか」とあるけど、雨宮さんの本に、専蔵さんは「大隈重信の腹心」である、とあるから、どちらかというと若尾さんが大隈さんと図って送り込んだ、改進党の牟田口元学社長と対立しなかったからじゃないかなと思う。
平沼さんは、横浜ちゅーより、埼玉の鉄道王ってイメージなんですが、個人的に。
五代さんは明治18年に亡くなっているので、そのせいで他派による乗っ取り、内部対立の末の薩摩派の退陣になったんだろうなぁ、と思うけど、明治にたどり着くのに、あとどれだけかかるのか(汗)
しかも、図書館にまだまだあったよ、井上馨なんて選択肢なかったのに!!
そんなに題材に人気のある人だったのか。びっくりです。
幼年時代すっとばして、青年時代から始まってる本をまずみたら、やっぱり前後の話がよくわからなくて、おとなしく少年時代から扱ってる本を読み始めましたら、こんどはさらに100年くらい前の薩摩藩の財政の説明からはじまってて(笑)
あの、面白いですけどね?話、そこからですか!(「功名を欲せず」渡辺修)
著者が東京商工会議所の人みたいで、商工会議所の存在意義に疑問をもっていたところ、大阪商工会議所は東京となりたちが違うことを知り、五代ファンになったらしい。
ちょっと立場が面白そうな人なんで、他とは違う視点で期待しています。
ちなみに59pまで読んで、まだ五代さんの台詞が一行もありません。^ ^;)
すごく内容の細かい略歴読んでるようなかんじです。
でも、読み終わった暁には、他の小説の舞台背景がよくわかるにちがいない。
井上馨の本に、三井とおなじく公金取り扱いを許されている小野組が単独で銀行を設立するため大阪の五代友厚を通じて政府に働きかけていたとあり、結局は渋沢栄一の構想に押し切られる形で三井小野組共同の水と油な銀行ができあがったものの、小野の取引内容が不透明で危ないことを知った井上馨が諮って、一方だけをつぶしてしまう。
初期の造幣局時代は五代さんとしょっちゅう花街へ繰り出す仲だったそうですが、この小野組の件はその後の関係になにか響いたのかな。そこは書いてなかったので気になる所です。
雨宮さんの本にも、不換紙幣価値の下落による大規模なインフレをどうにかするため、五代さんと雨宮さんが裏で奮闘する様が描かれているんですが、結局は松方デフレ政策によって落ち着くので「負けた」と思う二人。
これを機に仲良くなった二人は、五代さんが馬車鉄道会社をおこすとき、規則を雨宮さんに相談したりするんですが、じゃあ、雨宮さんは馬車鉄道の経営にも参画してたのかな、っていうとそうでもない。
初期には薩摩出身の谷元道之社長、種田誠一副社長が経営を主導し、取締役を置くようになってからは五代さんの腹心・岩瀬公圃氏を送り込んで、五代色が強い。
それが明治20年下期になって、初期メンバー(取締役)が退陣し、川村伝衞、林謙吉郎、平沼専蔵などの京浜富裕層が取締役になる。
また、初期投資の償却がおわり、これから稼ぎ時という美味しい時期に、若尾さんら甲州系が進出しはじめ、明治23~24年にかけて甲州閥との交代が起きてくる。でもその中にも雨宮さんはいなくて、根津さんは居る(笑)
平沼専蔵さんだけ、26年まで取締役に残っているのを「平沼は横浜の生糸商で同業の若尾らと気脈を通じていたものか」とあるけど、雨宮さんの本に、専蔵さんは「大隈重信の腹心」である、とあるから、どちらかというと若尾さんが大隈さんと図って送り込んだ、改進党の牟田口元学社長と対立しなかったからじゃないかなと思う。
平沼さんは、横浜ちゅーより、埼玉の鉄道王ってイメージなんですが、個人的に。
五代さんは明治18年に亡くなっているので、そのせいで他派による乗っ取り、内部対立の末の薩摩派の退陣になったんだろうなぁ、と思うけど、明治にたどり着くのに、あとどれだけかかるのか(汗)
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へいへい追記。
宇都宮政市さんと山口憲さんをとりあえず調べてみました。
宇都宮さんはもともと弁護士だそうで。
一番有名な経歴は、下野電気鉄道の社長で、これは東武鬼怒川線のウィキがヒットしました。
ようするに、東武の傍系会社となった折りに社長就任したみたいで、やっぱり東武側の人って事か。
下野電気鉄道がもともとは鬼怒電の「発電所建設のための資材運搬軌道」だったってのは、面白いなぁ・・・。
その他の経歴は、昭和土地(株)専務、建築興業、宇和島鉄道、王子煉瓦、各取締役、筑波鉄道、王子電気軌道、各監査役、東武鉄道は顧問。あと鉄道同志会監事、下谷区会議員、市会議員。
山口憲さんは甲州街道乗合自動車の社長さんだった。で弁護士。
東京弁護士会副会長、東京市会議員、東京市参事会員、東京市副議長など、意外と大物??
経歴はわかっても、横のつながりがわからないと、なんともな~、な結果でした。
あれだ。川崎財閥がそもそも、ちょっとマイナーすぎるんですよ。
「川崎財閥」で、でてくるのって、大概、川崎正蔵さんの神戸川崎のほうですもん。
これですら、他の四大財閥に比べたら、研究の数が少ない方らしい。困ったもんだ・・・。
川崎肇さんが2代目川崎八右衛門さんの甥っ子だってことは、わかりました。
川崎肇さん、川崎銀行の中核なのに、ウィキに「駒沢育ちのゴルファー」としてしか、載ってないのはどうなのか(笑)生没年が一致するので、たぶん当人だと思います。
>http://www17.ocn.ne.jp/~ya-na-ka/kawasakiHajime.htm谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー 川崎肇
実際、新聞にも「ゴルフ好き」として紹介されてますし、暴漢に襲われ、片目を失明し、「どうも国産の義眼はイマイチなので、今度ヨーロッパいく時、何個か注文してくるつもり!」っていってるんで。
ほかに、書くことあるだろう・・・ほかに、もっとさぁ!(笑)
宇都宮政市さんと山口憲さんをとりあえず調べてみました。
宇都宮さんはもともと弁護士だそうで。
一番有名な経歴は、下野電気鉄道の社長で、これは東武鬼怒川線のウィキがヒットしました。
ようするに、東武の傍系会社となった折りに社長就任したみたいで、やっぱり東武側の人って事か。
下野電気鉄道がもともとは鬼怒電の「発電所建設のための資材運搬軌道」だったってのは、面白いなぁ・・・。
その他の経歴は、昭和土地(株)専務、建築興業、宇和島鉄道、王子煉瓦、各取締役、筑波鉄道、王子電気軌道、各監査役、東武鉄道は顧問。あと鉄道同志会監事、下谷区会議員、市会議員。
山口憲さんは甲州街道乗合自動車の社長さんだった。で弁護士。
東京弁護士会副会長、東京市会議員、東京市参事会員、東京市副議長など、意外と大物??
経歴はわかっても、横のつながりがわからないと、なんともな~、な結果でした。
あれだ。川崎財閥がそもそも、ちょっとマイナーすぎるんですよ。
「川崎財閥」で、でてくるのって、大概、川崎正蔵さんの神戸川崎のほうですもん。
これですら、他の四大財閥に比べたら、研究の数が少ない方らしい。困ったもんだ・・・。
川崎肇さんが2代目川崎八右衛門さんの甥っ子だってことは、わかりました。
川崎肇さん、川崎銀行の中核なのに、ウィキに「駒沢育ちのゴルファー」としてしか、載ってないのはどうなのか(笑)生没年が一致するので、たぶん当人だと思います。
>http://www17.ocn.ne.jp/~ya-na-ka/kawasakiHajime.htm谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー 川崎肇
実際、新聞にも「ゴルフ好き」として紹介されてますし、暴漢に襲われ、片目を失明し、「どうも国産の義眼はイマイチなので、今度ヨーロッパいく時、何個か注文してくるつもり!」っていってるんで。
ほかに、書くことあるだろう・・・ほかに、もっとさぁ!(笑)
とりあえず、疲れました。orz
いいたいこととか書き留めておきたいことはいろいろあるようで、でもソレをキレイにまとめられる程の気力・集中力が残ってないため、ろくな文章に仕上がらない気がして躊躇中です(へんな日本語)
結局、本社でのチェックが土曜の夜10時からになっちゃったんで、広尾には予定通りお昼には行けたものの、調べ物が閉館時間ぎりぎりまでかかり、そのまま会社でて、本社へ車で移動して、2時まであーだこーだ、ダメだしして、結局家に帰ったのが朝の4時でした。
12時半に美容院にいかねばならないので、9時の開館に合わせて八王子資料館の展示を見て、そのまま西八王子まで行き、図書館で郷土資料を見てから、帰ろうという計画は、出来ないこともないけど、来週も仕事の直しが待っているので断念しました。
河口湖の旅行の帰りに寄ればいいや、に変更です。行きは高尾駅周辺を散策したいので。
大月まで行くなら、乗換は高尾のほうがよさげなイメージ。(八王子まで来る本数って少なそう・・・)
で、調べ物の方は、最初あてにしていた「帝国統計年鑑」が全然鉄道載ってなくて(再録範囲の問題か、または別物なのか)「銀行会社要録」もヒットしないし、「帝国鉄道要鑑」も玉川電鉄が未開業部門に載っているくらい古すぎで、これどっちも明治むけじゃない!!!知りたいのは明治末期から昭和初期なのにっっって、かなーり空振り感満載だったんですけど、再検索して見つけた「株式年鑑」が年代別にそれぞれ本になってて、超便利。
とりあえず、大正8年と大正14年と昭和3年、5年、7年、を借りてみたんですけど(館内閲覧)、昭和3年のまでは株主の内訳が載ってなくて「これもダメかー」と諦めかけたら、5年から大株主の項目が増えてて、上位株主の持ち株数が載ってて超ラッキー。
京王や京成の、川崎系の持ち株数がだいたいわかりました。
京成はちゃんと川崎さんとのあれやこれを社史に載せてるんですが、京王と王子はそういうの載ってないと思うんで、どのくらいの影響力だったのかイマイチわからなかったんですが、京王に関しては川崎系は2位でしたね。
ただ、問題は王子で、やっぱり上位は昭和5年でも7年でも電気会社なんですよねー。
どこが川崎系なんだ。てか、川崎系の会社いる???
その点はまったく王子の社史に書いてあった通りなんで、
京王みたいに「なかったことに」してるわけでもなさそう(笑)
資本の内幕ぶっちゃけてるあたり、ある意味何処よりも正直者かもれない。
それをいうなら、東武鉄道のほうが、川崎肇(川崎銀行)、原邦造(第百銀行)などの川崎財閥の中核が取締役になってるあたり、よっっっぽど川崎系だと思うんです。
そういえば、東武鉄道は、森村さんと、川崎八右衛門さんと、原六郎さん(邦造の養父)、原善三郎さん(横浜鉄道とか武蔵鉄道=甲武の競願相手、出願してた人)が発起人だったから、元からと言えばそうか。
ただ、発起人同士の個性が強すぎて(笑)、内部対立があったらしく、事態をまとめるために根津さん参上にいたるので、この時代までつながりを保っていたのか、どうなのか。
東武に関しては、とにかく根津さんが自分で株を買い占めちゃうので。
王子の大株主の中に宇都宮政市さんがいて、この人が根津系らしいので、それが川崎とのつながりになっているのか、どうなのか。そもそも何者なんだろう、いちおう調べておこう。
根津さんはどこにでもいるよな~(笑)「いつでもどこでも根津っちです!!」
なんか、もう、あらゆる所にいすぎて数えておくのも必要ない気がするくらい。うーん。
そもそもの、この合同話の元ネタになってるのが↓の新聞記事なんですが、
=====================================
「川崎系の郊外 三電軌合同か」昭和三年三月四日
最近郊外に於ける電気鉄道の発達は著しいものであるが
この普及発達結果は勢ひ線路の輻重と距離の近接を来たし
各会社が単独経営するよりも合同して経営を一にする方が
有利なるものがあるので川崎系の資本関係を辿り京成、
京王及王子の三電車の合併運動が行はれてゐる
=====================================
この記事、運動の主体が、電鉄側なのか国なのか川崎側なのかがわからず、 ヒドイ。
主語を書け!主語を!!
当時の人にとってはまったく自明のことだったのかも知れませんが、情報を受け取る側としては書きっぱなしにされると困ります。もやっとする!(この文章の締め方に)
昭和3年は大株主の内訳がのってないんだよ~~~。
王子と京王の、共通していて未確認の人物だと、山口憲氏がいるので、この人も一応調べてみようかな。
うん、書いたら次が見えてきた。やっぱ、吐き出すって大事だな。
さて・・・ここまで、あえて触れずにいる超・超キーマン、及び会社がいるんですが・・・、
なぜか、鉄道の本で言及されているのを見たことがないというか、だから余計に謎すぎるんですが(笑)私としては、京王の井上さんと(合同のことで)ケンカせず、終生仲良かったらいいな、と願っております。
まあ、結論が見えたらもう一回まとめたい。;;
いいたいこととか書き留めておきたいことはいろいろあるようで、でもソレをキレイにまとめられる程の気力・集中力が残ってないため、ろくな文章に仕上がらない気がして躊躇中です(へんな日本語)
結局、本社でのチェックが土曜の夜10時からになっちゃったんで、広尾には予定通りお昼には行けたものの、調べ物が閉館時間ぎりぎりまでかかり、そのまま会社でて、本社へ車で移動して、2時まであーだこーだ、ダメだしして、結局家に帰ったのが朝の4時でした。
12時半に美容院にいかねばならないので、9時の開館に合わせて八王子資料館の展示を見て、そのまま西八王子まで行き、図書館で郷土資料を見てから、帰ろうという計画は、出来ないこともないけど、来週も仕事の直しが待っているので断念しました。
河口湖の旅行の帰りに寄ればいいや、に変更です。行きは高尾駅周辺を散策したいので。
大月まで行くなら、乗換は高尾のほうがよさげなイメージ。(八王子まで来る本数って少なそう・・・)
で、調べ物の方は、最初あてにしていた「帝国統計年鑑」が全然鉄道載ってなくて(再録範囲の問題か、または別物なのか)「銀行会社要録」もヒットしないし、「帝国鉄道要鑑」も玉川電鉄が未開業部門に載っているくらい古すぎで、これどっちも明治むけじゃない!!!知りたいのは明治末期から昭和初期なのにっっって、かなーり空振り感満載だったんですけど、再検索して見つけた「株式年鑑」が年代別にそれぞれ本になってて、超便利。
とりあえず、大正8年と大正14年と昭和3年、5年、7年、を借りてみたんですけど(館内閲覧)、昭和3年のまでは株主の内訳が載ってなくて「これもダメかー」と諦めかけたら、5年から大株主の項目が増えてて、上位株主の持ち株数が載ってて超ラッキー。
京王や京成の、川崎系の持ち株数がだいたいわかりました。
京成はちゃんと川崎さんとのあれやこれを社史に載せてるんですが、京王と王子はそういうの載ってないと思うんで、どのくらいの影響力だったのかイマイチわからなかったんですが、京王に関しては川崎系は2位でしたね。
ただ、問題は王子で、やっぱり上位は昭和5年でも7年でも電気会社なんですよねー。
どこが川崎系なんだ。てか、川崎系の会社いる???
その点はまったく王子の社史に書いてあった通りなんで、
京王みたいに「なかったことに」してるわけでもなさそう(笑)
資本の内幕ぶっちゃけてるあたり、ある意味何処よりも正直者かもれない。
それをいうなら、東武鉄道のほうが、川崎肇(川崎銀行)、原邦造(第百銀行)などの川崎財閥の中核が取締役になってるあたり、よっっっぽど川崎系だと思うんです。
そういえば、東武鉄道は、森村さんと、川崎八右衛門さんと、原六郎さん(邦造の養父)、原善三郎さん(横浜鉄道とか武蔵鉄道=甲武の競願相手、出願してた人)が発起人だったから、元からと言えばそうか。
ただ、発起人同士の個性が強すぎて(笑)、内部対立があったらしく、事態をまとめるために根津さん参上にいたるので、この時代までつながりを保っていたのか、どうなのか。
東武に関しては、とにかく根津さんが自分で株を買い占めちゃうので。
王子の大株主の中に宇都宮政市さんがいて、この人が根津系らしいので、それが川崎とのつながりになっているのか、どうなのか。そもそも何者なんだろう、いちおう調べておこう。
根津さんはどこにでもいるよな~(笑)「いつでもどこでも根津っちです!!」
なんか、もう、あらゆる所にいすぎて数えておくのも必要ない気がするくらい。うーん。
そもそもの、この合同話の元ネタになってるのが↓の新聞記事なんですが、
=====================================
「川崎系の郊外 三電軌合同か」昭和三年三月四日
最近郊外に於ける電気鉄道の発達は著しいものであるが
この普及発達結果は勢ひ線路の輻重と距離の近接を来たし
各会社が単独経営するよりも合同して経営を一にする方が
有利なるものがあるので川崎系の資本関係を辿り京成、
京王及王子の三電車の合併運動が行はれてゐる
=====================================
この記事、運動の主体が、電鉄側なのか国なのか川崎側なのかがわからず、 ヒドイ。
主語を書け!主語を!!
当時の人にとってはまったく自明のことだったのかも知れませんが、情報を受け取る側としては書きっぱなしにされると困ります。もやっとする!(この文章の締め方に)
昭和3年は大株主の内訳がのってないんだよ~~~。
王子と京王の、共通していて未確認の人物だと、山口憲氏がいるので、この人も一応調べてみようかな。
うん、書いたら次が見えてきた。やっぱ、吐き出すって大事だな。
さて・・・ここまで、あえて触れずにいる超・超キーマン、及び会社がいるんですが・・・、
なぜか、鉄道の本で言及されているのを見たことがないというか、だから余計に謎すぎるんですが(笑)私としては、京王の井上さんと(合同のことで)ケンカせず、終生仲良かったらいいな、と願っております。
まあ、結論が見えたらもう一回まとめたい。;;