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たまろぐ

テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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なんでか、昨日から夜になると胃もたれがして、しかたがないので、
さすがに今日は、コンビニでソルマックを買って即ぐい飲みしました。我慢できんかった。

胃腸液とか買ったの、人生で2度目だわ~
ちょいちょい胃痛とかはやる方なんですが、普段はソフトドリンクで誤魔化します。

おもいあたる原因といえば、ルパで買ったカレーパンを夕食にしたからでせうね・・・。
美味しかったんだよ・・・でも、夜に油ものは、もうあかんね。あとは地味にストレスかな。
しかたないね、納期前だもの。

先週から「なんかしんどいなー」って思ってたら、山場迎えてたっていうね。
スケジュール1週間勘違いしてた!というより、〆切が延びなかった!
微妙に余裕のあるかんじで進行してたので気づかなかったのですね。
とりあえず、仕事をあした中にやっつければ、明後日は夜9時から本社でチェックをして、
土曜は休めそうでヤターイ!(なんか、帰りが終電まにあわなそうなカンジだけど・・・。)

八王子いきたいんですけど、広尾の図書館にもいきたい。一日で両方はきついからな。
土曜は首都いくかと、でも図書館だけだと、なんかもったいないので、今一生懸命他の用事考えてます(いっぺんに済まそう派)

どーにも、原稿するのに、情報が未確認だとおちつかなくて、
安心して考えたネタを吐けないので、それも若干ストレスなんだ、きっと。

日曜は、午後美容院の予約がはいってるんで・・・午前中しか時間がなくて、でも八王子いくならここしかないんで。
予約キャンセルしてもいいけど、そうするともうGW過ぎちゃう。

28~30日は、ひさびさの合宿で河口湖いってきます!久々の富士急!!!
去年は、バレンタインデーとかぶってて、バレンタイン号みたかったんですけど、
コミティアが合宿2日目の日にあって、泣く泣く諦めたんですよね・・・。それだけに楽しみで。

去年の2月コミティアは擬人化部さんがあったんだ・・・。だから、ぜっったい、出ておきたかったんだ。
結局、仕事があったんで、1時には撤収して午後出勤したけど、出られてほんとよかったなぁ。

今回は、来週いっぱいリテーク期間でスケジュールに余裕があるし、泊まり込みもなさそうで、ちょうど仕事抜けてからの連休なので、すげー嬉しいです。
でも、予定がはいりすぎて、やっぱり胃がきりきりします。

うん、落ち着こう、まず落ち着こう。

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今さっき、TBSラジオの爆笑問題の「日曜サンデー」聞いてたんですけど、
ゲストで愛川欽也さんがきてて、「黒駒の勝蔵」の話をしてったんです。

清水の次郎長で悪役?とか間抜け役として書かれることが多い甲州の博徒なんですけど、
現地へ行くと、明治の頃を憶えているおじいさんなんかは、清水の次郎長はあんま評判が良くなくて、甲州では「勝蔵はいい人だった~」と言う話が出てくるんだそうで。

だから、その証言を元に黒駒勝蔵の方をメインにした映画を今やってるらしい。
>http://news.so-net.ne.jp/article/abstract/692361/?nv=r_cmn_latest

昨日、そろそろ読む本がなくなってきて、ちょっと前に啓文堂の本棚に増えた雨宮敬次郎の本が気になってたので買ったんですが、黒駒勝蔵が少し載ってたんですよね。
だから「おっ」と思って。

雨宮の生家のある牛奥村のちかくの黒駒村ではすでに、名主や百姓代の二男であった「黒駒勝蔵」とか「中村安五郎(ども安)」などの博徒が名を馳せていて、おなじ名主の二男である敬次郎が同じ道に進まぬか、父親とその友人のひとが心配して、将来「お前は農業をやるか商人になるか、武道を学んで武士になるか」と訊ねたんだそうです。

で、親の心中を察して敬次郎は「俺は商売をやる」と答え、父親から資金をもらって行商を始める。
牛奥村から片道140kmはある江戸までの距離を往復して、地元で綿を仕入れて江戸で売り、江戸で古着や海苔、鮭などの海産物を仕入れては甲府で売るなどする「のこぎり商法」でこつこつ資金を貯め、経験を積み、横浜開港によって、横浜で直接外国と商売ができるようになってからは、そっちへ生糸をもっていったりして、篠原忠右衛門や若尾逸平の後を追う。

十代の後半から二十代に甲州街道を何度も何度も往復しているわけです。
甲州街道には雨宮さんの青春の汗が染みついているのですね。
それが、中央線を開業させることに役目を果たすのだから、あの当時の不便をよくよく知っている身としては感慨深かっただろうなぁ・・・。

甲州からは八王子へ出て、そこから南へ折れ横浜へ向かうんだそうで、「ああ、これが絹の道か・・・」と妙に納得したりもしました。横浜線のルーツでしたね。


しかし、雨宮さん、初めて江戸に行った日に「安政の大獄」を行った井伊直弼の暗殺「桜田門外の変」を目撃するとか、すげえ、時代だなぁ・・・。
けっこう面白そうなので、今後の展開が楽しみです。

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風が強くなるってのは知ってましたが、朝晴れてたんで傘持ってでなかったんですよね←バカチン一名
台風並って、これ台風とどうちがうのよのさ!!

昼に社長が「仕事無ければ帰れるうちにかえんなさい」とのたまわれたのだけど、なんとなく残ってたら雨がシャレにならなくなってた。
職場の人が窓から観察してたら、半分の人の傘がボシュ!ってなって、1/4の人が傘を差すのを諦めてて、1/4の人が上手いこと傘を差してたらしいので、傘持っててもあんまかわんなかったですかね。

で、みんな5時過ぎたピーク時にずぶ濡れ覚悟で帰って行くんですが、それは嫌だったので、居残り組でピザを頼んで時間を潰しました。
そしたら、食べ終わる頃には見事に雨は止んで、お月様が!

京王線が30分遅れでしたが、問題なく帰れたうえに8時台にしては電車も空いてたんで、これはこれでラッキーでした。

そもそも、京王線はまだ風が本格的に強くなる前の午前中に、新宿線内の住吉駅での車両故障で、下り方面に遅れがでてたんで「Σ早!!」って思ったんですけど、その後戻せたのか、乱れたまんまだったのかわかりません。

千葉と茨城と神奈川はなんか大変そうでしたね(特に千葉JRと京急)。こっち側だと横浜線も結局見合わせになってたかな・・・。

「こういう日でも江ノ電はとまらないんですよねー」と隣の席の子がいうんで、「え?」とよく聞いたら、昔通学につかってたそうで、リアル「江ノ電は台風でも止まらないから学校が休めない」話を聞きました。

で、伝説は本当やったんやっっっっ!!!

ピザーラのおねいさん、びしょ濡れで届けたくれた。ご、ごめん・・・。
クオーターイタリアーナおいしかったです。
同系列なのかVIVAパエリアのチラシもくれたので、今度はそっち頼んでみようか、という話になりました。

仕事しろよ。もしくは帰れ。

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京王のもともとの発起人の名前を「渡辺熊之助」と勘違いしてたんですが、今回、本を読んで「渡辺熊之進」でよかったんだと、あらためて気づかされ「!!!」てなってました。
「一文字違いだな~」とか、おもってたんですけど、それなら玉川の発起人と同名ですね、っていうか多分に同じ人物ですね。

「渡辺熊之進」で検索して出てくるこちらのページ
>http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/1993/13-0221.pdf
によると、玉川電気鉄道は、もともと「玉川砂利鉄道」というその後の玉川電鉄の前身とされる会社と、「玉川電気鉄道」という同名の別の会社の出願路線があわさったものらしくて、それぞれの会社の発起人筆頭が「渡辺熊之進」さんと、初代駒沢村村長の「谷岡慶治」さんなんですが、京王の前身の前身の前身の会社の日本電気鉄道の発起人名も、「渡辺熊之進 谷岡慶治 秋本喜七(以下略)」なんですよね。

渡辺熊之進さんは、明治36年10月4日に専務取締役に就任し、玉川線開業にむけて尽力していたんですが不況で用地買収などが進まず、その責任を取って、明治38年8月15日に平取締役に転任、明治39年1月3日には取締役も辞任ということに(東横の社史では)なってるのですが、(上のページの4月12日てのは何処の出典だろう?かすってもいないのが謎)ちょうど、かぶるように日本電気鉄道の出願が明治38年12月12日になってるのですよね。

それって、つまり渡辺さんが平取締役に降格して数ヶ月後に、京王の路線を出願し会社を立ち上げたということ?
玉川で失敗したから、次は京王で挽回、ということだったのだろうか・・・。コリテネー

いままでちょっと、玉川さんは昔から京王を知ってる「親戚のお兄ちゃん」って立ち位置のつもりだったんですけど、ここまでいくともう「実兄弟」の域ですね。
うわー、うわー。

それはそれで、いいですけど、それ気づいてるのは玉川さんだけかな。

でも、京王は京王で、もともと蒲田~調布~府中~立川にいく本線のお兄ちゃんが(出願の段階では)いたので、結局、支線であるはずの新宿~府中である自分が認可され本線になった経緯をみると、あっち方面(玉川)の親しげな年上の存在って、けっこう重いと思うのですけど、どうかな!?(ひといき)

ところで、この「調布」って、田園調布と、布田調布と、どっちの調布だろう・・・直線ルートできたら、どっちも通るからどっちでもいいのか(適当)

ウソじゃないっすよ!?ウソじゃないっすよーーーー!!!


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あーびっくりた、あー。

京王電軌の三十年史の年表を写してたら、大正2年4月7日に「笹塚変電所(100kW)が完成し東電及び玉電より受電」とあって、「はっ?」゚Д゚)ってなりました。

あ、あれ・・・?開業前から、玉川さんから電気もらってたの?(京王の開業日は4月15日)
もともと東京電灯からは電車の動力用に125kWを買ってるんですが、玉川さんも同時に??いやいやいやいやって。

たしか、前に笹塚(新町)~調布開通後の頃、玉川さんから電気を送ってもらうようになって、「サイズ的に一番小さい京王になるかな」てどっかで書いたと思うんですけど、そのつもりでネームも書いてたんですけど、そこひっくり返されると割と真面目にデラピンチ!!

で、東電さんの本とか玉電さんの本とかで確認したんですけど、やっぱり、三十年史の記述はちがうみたいです。
宮田道一さん監修の玉電さんの年表によると、「大正4年4月2日玉川電鉄は京王電軌への電力供給の許可を得る。ただちに供給を開始」ってなってて、東電の本には「1915年に玉川電気鉄道から受電(4月から電車運行用に150kW、12月から電灯供給用に150kW)が開始された事に伴い東京電灯からの購入は中止され、府中火力発電所も廃止された」とあるので、あー、やっぱり大正4年でいいんだよね、びっくりした、となりました。

まさか公式にエイプリルフールかまされるとは。

ちなみに、井上篤太郎さんが、大正2年の3月17日に玉電の取締役支配人になってるので、駒沢変電所はまだ出来てないけど、もしや玉川さんの火力発電所の電気で・・・?と一瞬思ってしまいました。
富士瓦斯紡績さんの電気を送電してもらうためにたてた、玉川の駒沢変電所は大正2年10月から始動するので、ふつーに考えたら、他社に送電するのはそれからですよね。
 京王ヒドイ
ちなみに、玉川さんと京王の出会いを設定したのは、この玉電の年表で玉川から京王へ「ただちに送電開始」の部分に反応したからです(私が)。
これで玉川→京王になったといっても過言ではなく・・・。宮田さんサイコ-!ありがとう!!(黙れ変態)

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と、会社の人から手作りの生チョコをふるまわれて気づく。

生チョコって、生クリームとチョコレートでつくるのか・・・それすら知らなかった。
てか、最近の男子、女子力たけえ!!

追加の仕事が15日でおわるので16日に代休とって、小田原へ向かいがてら、
小田急のラストランを見てこようとおもってたんですが、別班の作業が今週いっぱいで、手伝わねばならんと今日判明し、ぐぬぬぬ~と唸っております。

17日に伊豆急の基地で朝からイベントがあるので、それも見に行けるかな~とおもってたんですけど、17日から休むとなると、それも行けない。
わ、私のゴールデンプランが・・・。っていっても、今日考えたんですけどね。

まあ、いいです。なるようになるでしょう。それより、17日(土)雨だそうだぞ。伊豆急、だいじょうぶか。

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http://www.izukyu.co.jp/kanko/50th/index.html
きっぷ博物館とか誰得(笑)いいな~伊豆急カッコイイなー。
テープカットの写真、真ん中の黒いのが昇さんかな。
処女電車の真ん中の窓に貼られてるのは五島会長の遺影ですね。すげえ、運転に邪魔そう (^ ^;

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