たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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とりあえず、疲れました。orz
いいたいこととか書き留めておきたいことはいろいろあるようで、でもソレをキレイにまとめられる程の気力・集中力が残ってないため、ろくな文章に仕上がらない気がして躊躇中です(へんな日本語)
結局、本社でのチェックが土曜の夜10時からになっちゃったんで、広尾には予定通りお昼には行けたものの、調べ物が閉館時間ぎりぎりまでかかり、そのまま会社でて、本社へ車で移動して、2時まであーだこーだ、ダメだしして、結局家に帰ったのが朝の4時でした。
12時半に美容院にいかねばならないので、9時の開館に合わせて八王子資料館の展示を見て、そのまま西八王子まで行き、図書館で郷土資料を見てから、帰ろうという計画は、出来ないこともないけど、来週も仕事の直しが待っているので断念しました。
河口湖の旅行の帰りに寄ればいいや、に変更です。行きは高尾駅周辺を散策したいので。
大月まで行くなら、乗換は高尾のほうがよさげなイメージ。(八王子まで来る本数って少なそう・・・)
で、調べ物の方は、最初あてにしていた「帝国統計年鑑」が全然鉄道載ってなくて(再録範囲の問題か、または別物なのか)「銀行会社要録」もヒットしないし、「帝国鉄道要鑑」も玉川電鉄が未開業部門に載っているくらい古すぎで、これどっちも明治むけじゃない!!!知りたいのは明治末期から昭和初期なのにっっって、かなーり空振り感満載だったんですけど、再検索して見つけた「株式年鑑」が年代別にそれぞれ本になってて、超便利。
とりあえず、大正8年と大正14年と昭和3年、5年、7年、を借りてみたんですけど(館内閲覧)、昭和3年のまでは株主の内訳が載ってなくて「これもダメかー」と諦めかけたら、5年から大株主の項目が増えてて、上位株主の持ち株数が載ってて超ラッキー。
京王や京成の、川崎系の持ち株数がだいたいわかりました。
京成はちゃんと川崎さんとのあれやこれを社史に載せてるんですが、京王と王子はそういうの載ってないと思うんで、どのくらいの影響力だったのかイマイチわからなかったんですが、京王に関しては川崎系は2位でしたね。
ただ、問題は王子で、やっぱり上位は昭和5年でも7年でも電気会社なんですよねー。
どこが川崎系なんだ。てか、川崎系の会社いる???
その点はまったく王子の社史に書いてあった通りなんで、
京王みたいに「なかったことに」してるわけでもなさそう(笑)
資本の内幕ぶっちゃけてるあたり、ある意味何処よりも正直者かもれない。
それをいうなら、東武鉄道のほうが、川崎肇(川崎銀行)、原邦造(第百銀行)などの川崎財閥の中核が取締役になってるあたり、よっっっぽど川崎系だと思うんです。
そういえば、東武鉄道は、森村さんと、川崎八右衛門さんと、原六郎さん(邦造の養父)、原善三郎さん(横浜鉄道とか武蔵鉄道=甲武の競願相手、出願してた人)が発起人だったから、元からと言えばそうか。
ただ、発起人同士の個性が強すぎて(笑)、内部対立があったらしく、事態をまとめるために根津さん参上にいたるので、この時代までつながりを保っていたのか、どうなのか。
東武に関しては、とにかく根津さんが自分で株を買い占めちゃうので。
王子の大株主の中に宇都宮政市さんがいて、この人が根津系らしいので、それが川崎とのつながりになっているのか、どうなのか。そもそも何者なんだろう、いちおう調べておこう。
根津さんはどこにでもいるよな~(笑)「いつでもどこでも根津っちです!!」
なんか、もう、あらゆる所にいすぎて数えておくのも必要ない気がするくらい。うーん。
そもそもの、この合同話の元ネタになってるのが↓の新聞記事なんですが、
=====================================
「川崎系の郊外 三電軌合同か」昭和三年三月四日
最近郊外に於ける電気鉄道の発達は著しいものであるが
この普及発達結果は勢ひ線路の輻重と距離の近接を来たし
各会社が単独経営するよりも合同して経営を一にする方が
有利なるものがあるので川崎系の資本関係を辿り京成、
京王及王子の三電車の合併運動が行はれてゐる
=====================================
この記事、運動の主体が、電鉄側なのか国なのか川崎側なのかがわからず、 ヒドイ。
主語を書け!主語を!!
当時の人にとってはまったく自明のことだったのかも知れませんが、情報を受け取る側としては書きっぱなしにされると困ります。もやっとする!(この文章の締め方に)
昭和3年は大株主の内訳がのってないんだよ~~~。
王子と京王の、共通していて未確認の人物だと、山口憲氏がいるので、この人も一応調べてみようかな。
うん、書いたら次が見えてきた。やっぱ、吐き出すって大事だな。
さて・・・ここまで、あえて触れずにいる超・超キーマン、及び会社がいるんですが・・・、
なぜか、鉄道の本で言及されているのを見たことがないというか、だから余計に謎すぎるんですが(笑)私としては、京王の井上さんと(合同のことで)ケンカせず、終生仲良かったらいいな、と願っております。
まあ、結論が見えたらもう一回まとめたい。;;
いいたいこととか書き留めておきたいことはいろいろあるようで、でもソレをキレイにまとめられる程の気力・集中力が残ってないため、ろくな文章に仕上がらない気がして躊躇中です(へんな日本語)
結局、本社でのチェックが土曜の夜10時からになっちゃったんで、広尾には予定通りお昼には行けたものの、調べ物が閉館時間ぎりぎりまでかかり、そのまま会社でて、本社へ車で移動して、2時まであーだこーだ、ダメだしして、結局家に帰ったのが朝の4時でした。
12時半に美容院にいかねばならないので、9時の開館に合わせて八王子資料館の展示を見て、そのまま西八王子まで行き、図書館で郷土資料を見てから、帰ろうという計画は、出来ないこともないけど、来週も仕事の直しが待っているので断念しました。
河口湖の旅行の帰りに寄ればいいや、に変更です。行きは高尾駅周辺を散策したいので。
大月まで行くなら、乗換は高尾のほうがよさげなイメージ。(八王子まで来る本数って少なそう・・・)
で、調べ物の方は、最初あてにしていた「帝国統計年鑑」が全然鉄道載ってなくて(再録範囲の問題か、または別物なのか)「銀行会社要録」もヒットしないし、「帝国鉄道要鑑」も玉川電鉄が未開業部門に載っているくらい古すぎで、これどっちも明治むけじゃない!!!知りたいのは明治末期から昭和初期なのにっっって、かなーり空振り感満載だったんですけど、再検索して見つけた「株式年鑑」が年代別にそれぞれ本になってて、超便利。
とりあえず、大正8年と大正14年と昭和3年、5年、7年、を借りてみたんですけど(館内閲覧)、昭和3年のまでは株主の内訳が載ってなくて「これもダメかー」と諦めかけたら、5年から大株主の項目が増えてて、上位株主の持ち株数が載ってて超ラッキー。
京王や京成の、川崎系の持ち株数がだいたいわかりました。
京成はちゃんと川崎さんとのあれやこれを社史に載せてるんですが、京王と王子はそういうの載ってないと思うんで、どのくらいの影響力だったのかイマイチわからなかったんですが、京王に関しては川崎系は2位でしたね。
ただ、問題は王子で、やっぱり上位は昭和5年でも7年でも電気会社なんですよねー。
どこが川崎系なんだ。てか、川崎系の会社いる???
その点はまったく王子の社史に書いてあった通りなんで、
京王みたいに「なかったことに」してるわけでもなさそう(笑)
資本の内幕ぶっちゃけてるあたり、ある意味何処よりも正直者かもれない。
それをいうなら、東武鉄道のほうが、川崎肇(川崎銀行)、原邦造(第百銀行)などの川崎財閥の中核が取締役になってるあたり、よっっっぽど川崎系だと思うんです。
そういえば、東武鉄道は、森村さんと、川崎八右衛門さんと、原六郎さん(邦造の養父)、原善三郎さん(横浜鉄道とか武蔵鉄道=甲武の競願相手、出願してた人)が発起人だったから、元からと言えばそうか。
ただ、発起人同士の個性が強すぎて(笑)、内部対立があったらしく、事態をまとめるために根津さん参上にいたるので、この時代までつながりを保っていたのか、どうなのか。
東武に関しては、とにかく根津さんが自分で株を買い占めちゃうので。
王子の大株主の中に宇都宮政市さんがいて、この人が根津系らしいので、それが川崎とのつながりになっているのか、どうなのか。そもそも何者なんだろう、いちおう調べておこう。
根津さんはどこにでもいるよな~(笑)「いつでもどこでも根津っちです!!」
なんか、もう、あらゆる所にいすぎて数えておくのも必要ない気がするくらい。うーん。
そもそもの、この合同話の元ネタになってるのが↓の新聞記事なんですが、
=====================================
「川崎系の郊外 三電軌合同か」昭和三年三月四日
最近郊外に於ける電気鉄道の発達は著しいものであるが
この普及発達結果は勢ひ線路の輻重と距離の近接を来たし
各会社が単独経営するよりも合同して経営を一にする方が
有利なるものがあるので川崎系の資本関係を辿り京成、
京王及王子の三電車の合併運動が行はれてゐる
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この記事、運動の主体が、電鉄側なのか国なのか川崎側なのかがわからず、 ヒドイ。
主語を書け!主語を!!
当時の人にとってはまったく自明のことだったのかも知れませんが、情報を受け取る側としては書きっぱなしにされると困ります。もやっとする!(この文章の締め方に)
昭和3年は大株主の内訳がのってないんだよ~~~。
王子と京王の、共通していて未確認の人物だと、山口憲氏がいるので、この人も一応調べてみようかな。
うん、書いたら次が見えてきた。やっぱ、吐き出すって大事だな。
さて・・・ここまで、あえて触れずにいる超・超キーマン、及び会社がいるんですが・・・、
なぜか、鉄道の本で言及されているのを見たことがないというか、だから余計に謎すぎるんですが(笑)私としては、京王の井上さんと(合同のことで)ケンカせず、終生仲良かったらいいな、と願っております。
まあ、結論が見えたらもう一回まとめたい。;;
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