たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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先週が仕事の大詰めでした、また胃もたれが再発した。一度、見て貰うべきかなぁ・・・orz
土曜は休日出勤だったのだけど、20時まではヒマなので、昼から美容院の予約で5時間くらい拘束されたり、さらに図書館行ったり、会社の食堂でJ:COMテレビ見たりしてました。
湘南プレミアムという番組で、湘南モノレールの特集やってて、常務取締役のひととかが、
湘モノの歴史とか振り返ってて、J:COMぱねえ!!って思いながら見てました。
万博で跨座式モノレールがお披露目になるので「あれだけがモノレールだと思われたら遺憾!」という対抗意識を燃やして、開業頑張ったんだとか。
懸垂式は上に屋根がある状態だから、雪にも強いらしい。おおう、多摩モノには羨ましい話ですね。
いつもシャーベット状になっちゃって、止まったり遅れたりしてるから・・・
車両工場の中も拝見、てもうタモリ倶楽部と区別つかないディープな内容になってきてますけど、
台車の真ん中からパンタグラフがニューって生えてるのには、ちょっと驚いた。
でも、そうかっ、そりゃそうなるよな!!?
モノレールにしては珍しくトンネルがあったりして、そこでは75km/hだせるらしい。え、速くね?
J:COMはなぜか、杉並区のローカル番組?のすぎ☆たまとか入るんですよね。
出演者が荒川線と競争してたり、よくわかんないですけど。
そんでもって、本社でリテークだししてたら、また3時に帰宅になって、5時頃寝て、
10時に起きてアニメ見てご飯食べて、14時に再び寝て、20時に起きて、ATARU見て、スカイプしてたら2時になってました。
うひょう!なにもしていない。ね!
途中から見出したけど、ATARUおもしろいな~。
主人公の病室の隣の表札が「杉下右京」だったっぽい。気づかなかった!
======================================
下の年表、ちょいちょい入力ミスがあるので、みつけたら直してます。
あと、鉱山司の情報も挿入してみました。井上さん、本当はこっちの仕事してたかったみたい。
明治初期は外国貿易のためにきちんとした貨幣が早急に必要で、
それに伴って造幣寮の工場建設や、原料調達のための鉱山開発も活発なので、
鉱山司はてっきり大蔵省の管轄下だと思ってたんですが、一部民部省ともかぶってるんですね。
むずかしいです、というか、この頃の大蔵省と民部省って棲み分けが出来てるんだろうか?
なんか、ときどきごちゃごちゃになってるような。
鉄道払い下げと井上馨の件は、「東京海上火災保険会社六十年史」の会社前史の方に、
わりと詳しくまとめがあったんで、なんとなくですが、わかったような。
要するに渋沢栄一さんが会計係で関わってて、話が進まないから井上先生にアドバイスいただいたって感じなんですかね。↓
「東京青森間の内先づ東京宇都宮間を建設することとに決し、
その工事に関しては高島嘉右衛門氏、会計に関しては渋沢栄一氏
(明治六年五月大蔵省三等出仕(小輔事務取扱)を辞して
野に下り、当時第一国立銀行総監役)それぞれその事務に当り、
資本主総代は前島密氏(当時内務大丞駅逓頭)と定めた。
然るにその後事業計画の進行渋滞し、動もすれば途中挫折せんとする
状況に在ったが、伊達宗城氏、池田章政氏等熱心にこれが支持に力め、
又渋沢氏、前島氏等は諸般の調査に従事し、且計画の遂行に付て
政府に援助を内議したが、その諾否に関し政府の態度は容易に
決定するに至らなかった。
時に井上馨氏(明治六年五月大蔵大輔を辞し、当時野に在る)は、
鉄道新設の計画を抛棄し、既設鉄道の払下を請願するの時宜に
適するを勧告する所あった。 (…)」
( )内の説明読んでて、そういえば、井上さんと渋沢さん(と益田孝さん)は、
一緒に下野した忠義の仲であった…。キャ!////
じゃあ、渋沢さん経由で、員外として会議に参加したのかな。
伊藤工部卿がこれに前向きなコメントしてるのも、井上馨さんのコネクションが多少あったのかも知れないが…、それは予想の範囲を出ないよね。
======================================
追記。
・・・そうか、民部省は大蔵省とくっついたり、離れたりして、最終的に大蔵省に吸収、廃止されちゃうのか・・・。どーりで。管轄がかぶるはずだ。
土曜は休日出勤だったのだけど、20時まではヒマなので、昼から美容院の予約で5時間くらい拘束されたり、さらに図書館行ったり、会社の食堂でJ:COMテレビ見たりしてました。
湘南プレミアムという番組で、湘南モノレールの特集やってて、常務取締役のひととかが、
湘モノの歴史とか振り返ってて、J:COMぱねえ!!って思いながら見てました。
万博で跨座式モノレールがお披露目になるので「あれだけがモノレールだと思われたら遺憾!」という対抗意識を燃やして、開業頑張ったんだとか。
懸垂式は上に屋根がある状態だから、雪にも強いらしい。おおう、多摩モノには羨ましい話ですね。
いつもシャーベット状になっちゃって、止まったり遅れたりしてるから・・・
車両工場の中も拝見、てもうタモリ倶楽部と区別つかないディープな内容になってきてますけど、
台車の真ん中からパンタグラフがニューって生えてるのには、ちょっと驚いた。
でも、そうかっ、そりゃそうなるよな!!?
モノレールにしては珍しくトンネルがあったりして、そこでは75km/hだせるらしい。え、速くね?
J:COMはなぜか、杉並区のローカル番組?のすぎ☆たまとか入るんですよね。
出演者が荒川線と競争してたり、よくわかんないですけど。
そんでもって、本社でリテークだししてたら、また3時に帰宅になって、5時頃寝て、
10時に起きてアニメ見てご飯食べて、14時に再び寝て、20時に起きて、ATARU見て、スカイプしてたら2時になってました。
うひょう!なにもしていない。ね!
途中から見出したけど、ATARUおもしろいな~。
主人公の病室の隣の表札が「杉下右京」だったっぽい。気づかなかった!
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下の年表、ちょいちょい入力ミスがあるので、みつけたら直してます。
あと、鉱山司の情報も挿入してみました。井上さん、本当はこっちの仕事してたかったみたい。
明治初期は外国貿易のためにきちんとした貨幣が早急に必要で、
それに伴って造幣寮の工場建設や、原料調達のための鉱山開発も活発なので、
鉱山司はてっきり大蔵省の管轄下だと思ってたんですが、一部民部省ともかぶってるんですね。
むずかしいです、というか、この頃の大蔵省と民部省って棲み分けが出来てるんだろうか?
なんか、ときどきごちゃごちゃになってるような。
鉄道払い下げと井上馨の件は、「東京海上火災保険会社六十年史」の会社前史の方に、
わりと詳しくまとめがあったんで、なんとなくですが、わかったような。
要するに渋沢栄一さんが会計係で関わってて、話が進まないから井上先生にアドバイスいただいたって感じなんですかね。↓
「東京青森間の内先づ東京宇都宮間を建設することとに決し、
その工事に関しては高島嘉右衛門氏、会計に関しては渋沢栄一氏
(明治六年五月大蔵省三等出仕(小輔事務取扱)を辞して
野に下り、当時第一国立銀行総監役)それぞれその事務に当り、
資本主総代は前島密氏(当時内務大丞駅逓頭)と定めた。
然るにその後事業計画の進行渋滞し、動もすれば途中挫折せんとする
状況に在ったが、伊達宗城氏、池田章政氏等熱心にこれが支持に力め、
又渋沢氏、前島氏等は諸般の調査に従事し、且計画の遂行に付て
政府に援助を内議したが、その諾否に関し政府の態度は容易に
決定するに至らなかった。
時に井上馨氏(明治六年五月大蔵大輔を辞し、当時野に在る)は、
鉄道新設の計画を抛棄し、既設鉄道の払下を請願するの時宜に
適するを勧告する所あった。 (…)」
( )内の説明読んでて、そういえば、井上さんと渋沢さん(と益田孝さん)は、
一緒に下野した忠義の仲であった…。キャ!////
じゃあ、渋沢さん経由で、員外として会議に参加したのかな。
伊藤工部卿がこれに前向きなコメントしてるのも、井上馨さんのコネクションが多少あったのかも知れないが…、それは予想の範囲を出ないよね。
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追記。
・・・そうか、民部省は大蔵省とくっついたり、離れたりして、最終的に大蔵省に吸収、廃止されちゃうのか・・・。どーりで。管轄がかぶるはずだ。
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