たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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昨日で、仕事も一段落して明日からは事後処理です。
ようやっと肩の荷が下りた気分・・・!(担当者私じゃないけど)
今日はお休みなので、冬そば号に乗ってきました。
今年は「からす天狗」君というキャラクターでわりとかわいい。
けど、回送発車前にもってかれてしまいました。;
ああやって、運ぶのか、はじめて見た。
これは片倉の辺り?で横浜線をクロスオーバー。
ちょうど横浜線の車両も同時にくぐり抜けて、目の前をガーーーーっと並走してゆきました。かわカッコイイ。そして富士山がキレイです。
このとき、ちょうど黄色いジャンパーの人が背後で、名刺を配り始めて「何事」かと様子を見ていたら、名刺じゃなくて、マイ箸引換券でした。Σ´▽`;
去年の冬そば号は見てないし、その前のは笹塚辺りで見送って新宿方面に向かったから、乗ったの今回くらいだったかも。こんなの用意してたんだか。忘れてました。
駅を出て、ぐるっとまわった裏手で引き替えがされていました。
黄色ジャンパーの人、京王の広報課かなんかのアルバイトの人だと思ってたんですけど、よくみたら東京都交通局の椀証してて、しかも背中になんかかわいいキャラ背負ってるし!???ΣΣΣ(゚▽゚;
いいなあ、あのスタジャン・・・。
さすがにどこも満席で、今日はお品書きの下見だけにしましたが、駅に一番近い稲毛屋さんが、意外と空いていたので、つけとろそばをいただきました。
予想以上においしかったです。細くて堅くてつるつるなのが好きなので、ちょうどいいvvV
それにしても、10スタンプはハードルたけぇ・・・!!
ケーブルカーの往復だけで900円、そばも一杯1000前後だとすると、だいたいの御予算10000円ですね。しかも、一回じゃ無理だから、そのために高尾山口まで来ないと行けないし。大人の遊びです。(゚□゚川
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ちょうど、都心に用事があったので、ついでに見てきました~もう20歳って??まじで?
ヘッドマークが・・・曲線にそって折れ曲がって、柄がよくわからない orz
大江戸線・・・それでいいの?
色がちがう・・・。試作車だったのかな?
開業日&イベントは明日です。しかし、何故ツバクロー?駅鳥はいいとして(笑)
大江戸線なら、コバトンでもありかな~と思ったけど、いや無理か。
放射部でHM車を張ってたので、光が丘まで行ったんですけど、練馬とかまで来たら、西武の池袋線だとか有楽町線だとかがいて、雰囲気ほぼ埼玉な気がしたので。
あとは、ユリートとか。・・・人気度が違うか。
新線新宿側の改札。懐かしい、この工作物。新宿線カラーもちゃんとあるvよかったね。
学生時代はよく、ここで京王のと、新宿線三田線の都営の定期を買いに来たな~。
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早稲田の停留場。
池袋のサンシャインシティの文化館で今日から4日間ミネラルショーがあったんで。
その帰りに向原から荒川線に乗って早稲田までいきました。やった!荒川線制覇!
池袋駅まで戻るより近いかも知れない、荒川線。慣れると便利ですね。
それにしても・・・大塚線面白すぎる。
大塚駅前から向原は上り坂なんですよね。でもそこからはまた急な下り坂でほとんど遊園地のアトラクションみたい。
学習院下あたりの石垣は、新しめのコンクリートから、古そうな谷積になって、シダと蔦が生え放題で雰囲気あります。その先はまた積み方が変わって布積?これも古そう・・・
建設当時のままだったらロマンだなぁ。
面影橋では直角に曲がるんですね(笑)そのうえ、角の部分で信号待ち。
蒸気や高速鉄道でこの勾配や曲線は無理だなぁ。路面電車だから出来る芸当というか。
終点の早稲田はまさかの道路の分離帯の中央(笑)
ほんと路面電車だなぁ。
早稲田のわまりは、食堂の匂いに満ちててほんと、お腹がすきましたb
学生街だなぁ。
東西線に乗り換え、飯田橋で大江戸線、春日で三田線に乗り換えて神保町まで。
東西線までも遠かったけど、飯田橋の乗換も負けじと遠いですね^^;
秦川堂さんで欲しかった本をゲットしました!わーい。寄って良かった!
それにしても、神保町の兄弟は、あいかわらず半蔵門への扱いがヒドイ(爆笑)
いつもと逆の改札からいったら、こんな表示が。
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新宿イルミネーショーン!
サザンテラスとモザイク通りと西口ロータリーの小田急百貨店(右端は京王の)
今年のカラーは金と銀なのか―。一昨年と去年は、真っ青クリスマスでしたよね。
で、4社協力して頑張ってるという京王のは、結局どの辺りだったんですか???←A.プラザホテル
なんか、12日シール配ってると云うんで、出勤の途中で寄ってみました。
東京競馬場。
てっきり都営車がつけるんだと思ってましたが、運用が京王車にもどってました。
そら、そーか!
実を言うと、競馬場館内に入るのは初めてです。緊張したー;
(芝生のスペースは花火見るのに入った事はあるな。
ハーゲンダッツの試食を配ってたので、それを食べながら見た思い出・・・)
京王のイベントスペースは「競馬場正門付近」って書いてあったんですけど、
どこだどこだと回廊を歩いてたら「下」だった。
なぬー!どっから降りたらいいんだ!
中に入ったら、ホテルかここは!つー位の別世界。
馬はどこにいるのか、乗馬用のお馬さんが一頭いるだけでした。
おもってたより、ちいさくてかわいいな!
無事、シールをゲットし、ついでに欲しかったバンダナも購入。
例によってイベント後半に発表される引換券をもらったけど、さすがに3時半にまた来る気はないし。
そして、たぶん当たらない(さよなら6000系の時の厳しい思い出・・・)
それとは又別に、でっかい福引きの引換券と、東府中リトナードオープン関連の赤ペンをもらいました。
・・・なんで赤ペンなんだろう、と思ったら、は!?競馬だからか!Σ◎□◎)ノ
うーん、福引きの方も、残念ながら外れましたので、大人しく会社に向かいました。
馬のキャラクターかわいい、とおもったら、案の定サンリオ様だった。
三ノ輪着。王電ビル~!
なかの通路はカレー屋さんになってましたが・・・それにしても古い!雨戸が木製!
商店街の途中にあった、喫茶店のあめみやさんが気になりつつ・・・とりあえずは、ふるさと館を目指します。
その途中、こんなところにまでLIFEが!千葉のときといい、お釈迦様の手のひらかと思う。
と、そのそばにまたまたありましたよ赤レンガ壁。
「旧千住製絨所煉瓦塀
この煉瓦塀は、明治十二年(一八七九年)に創業を開始した官営工場、
千住製絨所の敷地を取り囲んでいた東側の塀です。…建設年代は、明治四十四年から
大正十三年頃と推定されます。
千住製絨所はラシャ場とも呼ばれ、殖産興業、富国強兵政策の一貫として
軍服用絨(毛織物)の本格的な国産化のために設けられた施設です。…」
荒川区には、こんな煉瓦塀がけっこうあちこちに残っている模様。
やっぱり、煉瓦造りが盛んだったからかなぁ。このあといった荒川ふるさと文化館で、
「煉瓦のある風景ーあらかわの建築と煉瓦産業ー」というパンフレットも売られていました。
荒川遊園の煉瓦塀の事も、ばっちりこちらに載っていました。
あと小田急の親会社だった鬼怒電(鬼怒川水力電気)の尾久変電所のこととか。
赤レンガのおしゃれな洋風建築だったので「赤レンガ」とか「赤水力」などと地元の人に呼ばれていたそう。大正十二年の震災の時にも崩れず残っていたけど、昭和三十二年に撤去されてしまったそうです。おしいなぁ。
あとは南千住の常磐線のガード下の赤レンガも。大塚駅のも荒川煉瓦を使っているのかな~?
は!そういえば、王子駅(東北本線)も大塚駅(山手線)も南千住駅(常磐線)も、みんな日本鉄道の路線駅ですね。荒川線は、日鉄さんとゆかりが深いのか~
社史みてると、山手線と並行しまくってる計画線たててるので、山手線は微妙な顔してそうですが。「雑司ケ谷、目白、高田、大久保等を経て新宿」なんて、何それ、いやがらせ?ってレベルですし(笑)
やっと、本命の企画展にたどりつけました~
雨だったので、ここまでしんどかったす。
ホールのパネル展示からもう、足止めされまくりで、食い入るように車両の写真と説明読んでました。おかげで、なんとな~く、荒川線の歴代車両がわかるようになりました。ありがたい。
受付で入場料を払って中へ。まずあるのが、「チンチン」電車の名前の由来ともなった「信鈴」の展示。とりあえず、ならしますよね(///゚▽゚///)=3ムフー
私の後からきたお父さんも、やっぱり鳴らしてました「チンチン♪」
その次にあるのが、荒川線沿線に展開されている、商店さんによる荒川線グッズという。
・・・すごいよ、荒川線、愛されすぎだよ。現在販売中のマイグッズを展示した企画展なんて初めてだよ(笑)これらが売られている、お店のリストもしっかりとありました。
中の展示も資料も見事でしたよ、面白かった!江戸東京博でやった、都営100周年の縮小版みたい。ヘッドマークのアレとか、なんかみたことあるのまで。
なにより、人が少なくてじっっっっっくり見られるのがイイネ!
しかも、それらの展示品を網羅したパンフレットがちゃんと、受付で売られているのですよ!
それも、昭和初期に流行った沿線案内(金子常光さん筆)のカラーレプリカ付録つき!!!
どこかの京王さんはまじ見習って欲しい。聖跡のアウラホールでやったときも、調布の郷土資料館でやったときも、パンフどころかポスカすらなかったもんね。まじ見るだけね、鬼だね!!
不満を述べるなら、後半は三ノ輪線の写真や話ばっかりで、「お、大塚線は・・・?」って悲しくなったけど、ここ荒川区の郷土館だからね。って気づいた。は!
ということは、大塚線のあれやこれは、豊島区とか、北区じゃないとやってくれないのかあああああ!!!!!?と愕然としました。いや、大げさかな。
まあ、案の定、京王線との合併話だとか、下高井戸の延長話とかは皆無でしたが、
ただ、電力供出のところで「昭和十六年九月六日電第一三九一号逓信大臣命令書」に「電気供給事業設備を出資すべき者(会社)は、東京市、日本電力、東京横浜電鉄、王子電気軌道、大日本電力、京王電気軌道及京成電気軌道」って並びになってて、モエー!!
東横ってあるのは、たぶん玉川のもってた部分でしょうね。昭和十一年に合併してるから。
玉川を合併した当初、五島さんは「向ヶ丘以西の土地を大練兵場として軍に提供、かわりに駒沢、代々木の両練兵場を商店街にし、玉電を高速電車に切り換え、駒沢と祐天寺の間に大商店街を建設する、そのための大幅道路もつくり、年中無停電電灯を供給してサービスを尽くすー」という電灯百万灯計画をたてていたらしいから・・・。
もし、電力供出がなければ、玉川も京王みたいな高速電車を早めに行えて、廃線にならずに済んだかもしれません。なんという…。
もしかして、関東配電に供出された電鉄ってみんな馬車軌間のひとじゃね?なんでしょうね、この呪い(笑)
この、関東配電への供出のパネルでは「王子電気軌道も、同年九月、東京市や京王電気軌道と共に、関東配電に出資する会社になるよう命ぜられ」って、あえて京王をピックアップしてくれたーーーーー!って部分に、萌えました。すいません、そんなとこばっかみてて。
あとは、三ノ輪橋近辺の、ほかの都電さんの系統との絡みであらたに何かを得ました。
21系統が三ノ輪橋まできて、27系統の荒川線と接点あったんですよね。恋人同士だったらいいな~と。
21・31系統を設置したのは東京鉄道?開業した年代的には、ほぼ王子と一緒なんですよね。うわ~運命感じるわ~vvv
荒川線が存続決定したのは、昭和四十九年の美濃部都知事の発言によったとか。
美濃部都政か~~~多摩ニュータウンもこの人が発端やし、ちょっと研究してみようかな。
おみやげどっさり。
帰りにあめみやさんの喫茶店寄ったら、花電車の表紙のノートが!!!
がっつり買わせていただきましたが、なかみもけっこう凝ってます。210円だったと思う。
帰りも荒川線で、新庚申塚まで。
都営100のHMつきでした。が、中では黒服のフォーマルな格好の集団が楽しげに写真を・・・貸し切りだったのか?とびびりました。しかも、なかなかいいお年のおじさまたちが笑顔で写真撮りあってるんですもん。ツ、ツアー?
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~おまけ~
帰りの三田線にて。
あのホームドア、上部がかぱっと開くんだね、おどろいた。
傘掛け用・・・ではないよな(笑)なにか操作するパネルがあるよう。