たまろぐ 荒川線と3・荒川ふるさと文化館企画展 忍者ブログ

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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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三ノ輪着。王電ビル~!
なかの通路はカレー屋さんになってましたが・・・それにしても古い!雨戸が木製!

商店街の途中にあった、喫茶店のあめみやさんが気になりつつ・・・とりあえずは、ふるさと館を目指します。

  

その途中、こんなところにまでLIFEが!千葉のときといい、お釈迦様の手のひらかと思う。
と、そのそばにまたまたありましたよ赤レンガ壁。


「旧千住製絨所煉瓦塀

 この煉瓦塀は、明治十二年(一八七九年)に創業を開始した官営工場、
千住製絨所の敷地を取り囲んでいた東側の塀です。…建設年代は、明治四十四年から
大正十三年頃と推定されます。
 千住製絨所はラシャ場とも呼ばれ、殖産興業、富国強兵政策の一貫として
軍服用絨(毛織物)の本格的な国産化のために設けられた施設です。…」

荒川区には、こんな煉瓦塀がけっこうあちこちに残っている模様。
やっぱり、煉瓦造りが盛んだったからかなぁ。このあといった荒川ふるさと文化館で、
「煉瓦のある風景ーあらかわの建築と煉瓦産業ー」というパンフレットも売られていました。
荒川遊園の煉瓦塀の事も、ばっちりこちらに載っていました。
あと小田急の親会社だった鬼怒電(鬼怒川水力電気)の尾久変電所のこととか。
赤レンガのおしゃれな洋風建築だったので「赤レンガ」とか「赤水力」などと地元の人に呼ばれていたそう。大正十二年の震災の時にも崩れず残っていたけど、昭和三十二年に撤去されてしまったそうです。おしいなぁ。
あとは南千住の常磐線のガード下の赤レンガも。大塚駅のも荒川煉瓦を使っているのかな~?
は!そういえば、王子駅(東北本線)も大塚駅(山手線)も南千住駅(常磐線)も、みんな日本鉄道の路線駅ですね。荒川線は、日鉄さんとゆかりが深いのか~
社史みてると、山手線と並行しまくってる計画線たててるので、山手線は微妙な顔してそうですが。「雑司ケ谷、目白、高田、大久保等を経て新宿」なんて、何それ、いやがらせ?ってレベルですし(笑)

 

やっと、本命の企画展にたどりつけました~
雨だったので、ここまでしんどかったす。

ホールのパネル展示からもう、足止めされまくりで、食い入るように車両の写真と説明読んでました。おかげで、なんとな~く、荒川線の歴代車両がわかるようになりました。ありがたい。
受付で入場料を払って中へ。まずあるのが、「チンチン」電車の名前の由来ともなった「信鈴」の展示。とりあえず、ならしますよね(///゚▽゚///)=3ムフー
私の後からきたお父さんも、やっぱり鳴らしてました「チンチン♪」

その次にあるのが、荒川線沿線に展開されている、商店さんによる荒川線グッズという。
・・・すごいよ、荒川線、愛されすぎだよ。現在販売中のマイグッズを展示した企画展なんて初めてだよ(笑)これらが売られている、お店のリストもしっかりとありました。

中の展示も資料も見事でしたよ、面白かった!江戸東京博でやった、都営100周年の縮小版みたい。ヘッドマークのアレとか、なんかみたことあるのまで。
なにより、人が少なくてじっっっっっくり見られるのがイイネ!
しかも、それらの展示品を網羅したパンフレットがちゃんと、受付で売られているのですよ!
それも、昭和初期に流行った沿線案内(金子常光さん筆)のカラーレプリカ付録つき!!!
どこかの京王さんはまじ見習って欲しい。聖跡のアウラホールでやったときも、調布の郷土資料館でやったときも、パンフどころかポスカすらなかったもんね。まじ見るだけね、鬼だね!!

不満を述べるなら、後半は三ノ輪線の写真や話ばっかりで、「お、大塚線は・・・?」って悲しくなったけど、ここ荒川区の郷土館だからね。って気づいた。は!
ということは、大塚線のあれやこれは、豊島区とか、北区じゃないとやってくれないのかあああああ!!!!!?と愕然としました。いや、大げさかな。

まあ、案の定、京王線との合併話だとか、下高井戸の延長話とかは皆無でしたが、
ただ、電力供出のところで「昭和十六年九月六日電第一三九一号逓信大臣命令書」に「電気供給事業設備を出資すべき者(会社)は、東京市、日本電力、東京横浜電鉄、王子電気軌道、大日本電力、京王電気軌道及京成電気軌道」って並びになってて、モエー!!

東横ってあるのは、たぶん玉川のもってた部分でしょうね。昭和十一年に合併してるから。
玉川を合併した当初、五島さんは「向ヶ丘以西の土地を大練兵場として軍に提供、かわりに駒沢、代々木の両練兵場を商店街にし、玉電を高速電車に切り換え、駒沢と祐天寺の間に大商店街を建設する、そのための大幅道路もつくり、年中無停電電灯を供給してサービスを尽くすー」という電灯百万灯計画をたてていたらしいから・・・。
もし、電力供出がなければ、玉川も京王みたいな高速電車を早めに行えて、廃線にならずに済んだかもしれません。なんという…。

もしかして、関東配電に供出された電鉄ってみんな馬車軌間のひとじゃね?なんでしょうね、この呪い(笑)
この、関東配電への供出のパネルでは「王子電気軌道も、同年九月、東京市や京王電気軌道と共に、関東配電に出資する会社になるよう命ぜられ」って、あえて京王をピックアップしてくれたーーーーー!って部分に、萌えました。すいません、そんなとこばっかみてて。

あとは、三ノ輪橋近辺の、ほかの都電さんの系統との絡みであらたに何かを得ました。
21系統が三ノ輪橋まできて、27系統の荒川線と接点あったんですよね。恋人同士だったらいいな~と。
21・31系統を設置したのは東京鉄道?開業した年代的には、ほぼ王子と一緒なんですよね。うわ~運命感じるわ~vvv

荒川線が存続決定したのは、昭和四十九年の美濃部都知事の発言によったとか。
美濃部都政か~~~多摩ニュータウンもこの人が発端やし、ちょっと研究してみようかな。


 

おみやげどっさり。
帰りにあめみやさんの喫茶店寄ったら、花電車の表紙のノートが!!!
がっつり買わせていただきましたが、なかみもけっこう凝ってます。210円だったと思う。

 

帰りも荒川線で、新庚申塚まで。
都営100のHMつきでした。が、中では黒服のフォーマルな格好の集団が楽しげに写真を・・・貸し切りだったのか?とびびりました。しかも、なかなかいいお年のおじさまたちが笑顔で写真撮りあってるんですもん。ツ、ツアー?

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~おまけ~


帰りの三田線にて。
あのホームドア、上部がかぱっと開くんだね、おどろいた。
傘掛け用・・・ではないよな(笑)なにか操作するパネルがあるよう。

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