たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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荒川車庫でいったん降ります。そこから一駅分、ゆるゆる歩きました。
車庫にはレトロ号のかたわれがいました。「三八号」とは何の事だろう・・・
例の黄色い幸せ電車と、リバイバルっ子にHMとられたゼブラも見かけました。
営業所前のバラ。大塚駅のより、花の数も多くて、背丈もそろってきれい。
・・・もしかして三ノ輪線の方が、大塚線より育てるの上手?それとも個性なのかしらこれも。
荒川遊園到着~。
しかし、目的は遊園の方ではなく、「煉瓦」の遺構。
ちょうど、遊園の手前に荒川区教育委員会の立て札がありました。
「煉瓦工場と荒川遊園
明治・大正期、荒川(現隅田川)沿いにはいくつもの煉瓦工場があった。
土が煉瓦の製造に適していたことと、船運が期待されてのことである。
旭電化跡地(東尾久七丁目)付近にあった戸田・山本煉瓦工場、
華蔵院(東尾久八丁目)付近にあった鈴木煉瓦工場などである。
なかでも古いのが、明治五年に石上仲衛門氏が設立した煉瓦工場だという。
後の広岡煉瓦工場である。
その跡地にできた「あらかわ遊園」は、大正十一年に開園した
都内でも古い民営遊園地で、大小の滝・築山・池・観月橋・総檜展望台などを備え、
たいへんな賑わいをみせた。太平洋戦争中は高射砲の陣地となり一時閉鎖されたが、
昭和二十五年、区立荒川遊園として生まれ変わった。」
王子駅が途中から高架化したと聞いて、その時期がいつなのかを検索していてたら、
たまたまヒットしたブログに、荒川遊園の外周にのこっている煉瓦塀の謎を追っている物がありまして、それがなかなか面白かったので自分でも実物を見に来てみました。
そちらの記事はこちらです↓
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~kajihiro/mati/renga/renga1.htm
あらかわ遊園は王子電軌が経営していたものですが、謎も多いみたいですね。
で、肝心の煉瓦塀はどこだ~と周りを見渡した所、あやしい門柱を発見。
近寄って裏をみてみると~、やっぱりありました!
ただの住宅の壁と云うには、異様な雰囲気ですね。
そして、その壁をちょこちょこぶった切って、近代的な住宅の玄関が路地にむいている。なかには、周りの赤レンガに合わせて、門柱を煉瓦風にしてしまっているお宅もvvv
このへん、ブラタモってほしいわ~。きっときっと面白いよ。
角端をまがって、つきあたりへ。その先は、住宅地内を通って遊園側へ続いているらしい。
ばっつり砕いたな~。
こんどは現在の荒川遊園の塀を伝って、もとの入り口へ。
一球さんのいる広場まで戻りました。
片側は32系統の「王子駅」行き表示で、反対側は27系統の「町屋駅」行きになってます。
一球さんの名前は、このあと行った荒川ふるさと文化館の展示で知りました(笑)
先にこっち、見といて良かったなぁ。^^
「ああ、あれかぁ!」って色々思えましたもん。
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