たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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今日は川越の氷川会館で友人の結婚式に出席してきました。
もうここ一ヶ月はその準備で気持ちがいっぱいいっぱいでした。
なにしろ初めてのおよばれで、服とか靴とかバッグとかそういうの
全く持ってなかったんで。閉店直前の京王ファッション店街にかけこんで
マネキンさして「これください!」で決めましたからね。
まあ、なんとか滞りなく終わって良かったです。
一時は台風まで結婚する勢いでしたが、なんとか晴れましたね。
よかったよかったマジで。雨だともう、傘一本もつだけでもめんどくさい。
晴れ着をガードするなんて無理だよ。
そんなわけで、帰りは東上線です。
行きはJRで大宮まで行って、氷川神社(本家)にお参りしてから、
川越線で川越いったんで、電車もバスも本数少なくて到着はギリギリでした。
ちなみに氷川会館は川越氷川神社の付属施設です。
その記事はいつかそのうち。
そんでもって東上線ですよ、ひさしぶりの。
もう、元町・中華街までの電車がばっちりです。
でも各停なんだな・・・。これ乗るか?埼玉の人。
(副都心線内では急行になるらしいけど。逆の方がいいんじゃ?)
朝霞台で一緒に乗って来た友達とお別れし、ちょっと元町行きをまってみる事に。
うまくいったら、東急の車両と東上線の車両のツーショットとれるかも?
とドキドキしながら待つ。
したら、下りが8000形でした!まだいきてた!!/////
しかし残念なことに、上りで来たのは副都心線の車両。
まあせっかくだから、これで。
ちょっと珍しい顔の子だなと。
思ったら、LEDが大参事になってた。
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前回、御殿場線のりにきたときは外に出なかったんで、外観はみてなかった。
新幹線が止まる駅にしては、普通の駅ですね。
おとなりが伊豆箱根鉄道の終点駅で。
三島駅もなんか改修工事するようですね。
これは、そんなに大がかりなものではないのかな?
ただ、バスの乗り入れがかなりあり。
沼津東海登山バスや富士急シティバスなど。
いちばん目に着いたバスが「西武のか!」と思ったら、伊豆箱根のだった。
改修工事の影響か、なんかそこかしこに黄色いテープが通せんぼしていた。
エスカレーターのみならず、トイレまでもキープアウト!うおおおおお~(汗)
うわーい、東海の車両だ~。
あいかわらず、窓ふいてないなー。
根府川。
来るときが9/2だったんで、ふと「根府川の事故昨日だったんだよね」と思いました。
その事故で、大日本電力の穴水熊雄さんは二番目?の奥さんとそのお母さんを亡くしてるらしい。
昭和8年8月28日の読売新聞の記事に長男の勝彦さんのコメントがあって知りました。
「皆も浮かばれます 祖母と母を失った穴水君語る」
魔の一〇九列車とともに根府川の海ふかく沈んだ横死者百十一名のうち
現場の遺留品から身許がわかった幸運の二婦人ー麻布区宮村町七一
北海道電灯専務取締役穴水熊雄氏夫人ひろ子さん(当時三五歳)と
ひろ子さんの母堂駿河銀行頭取端野喜太郎氏夫人たい子さん(当時五五歳)の遺族は
震災十周年記念日を前に行はれた本社海底撮影隊の列車沈没現場の慰霊法要に
「之で有縁無縁の横死者も浮かばれませう」と感激してゐるが供養の当日
麻布区宮村町七一を訪ふと長男勝彦君(二四)は母と祖母とを一時に奪った
十年前のいたましい惨事を思い浮かべながら「僕がまだ十四の時だったので、
もうはっきり記憶してゐませんがなんでも当時二人が熱海に行くことになって
ゐたので遭難したものと思ひ私が捜しに出掛けて時計と鎖の遺留品を発見したのです
私のところでは幸ひ遺留品から身許がわかったのですが
いまだに全然名前さへわからず海の底に沈んでゐる無縁仏も
十年ぶりに浮かばれるわけです」と暗然としてゐた
これは読売新聞が海底写真隊というのを組んで、
沈んだ一〇九列車を捜して撮影に成功したという
記事の最後に書かれています。
穴水熊雄さんには勝彦さんと清彦さんという二人の息子さんがいて
清彦さんの方は東急分離後、相鉄の社長となって横浜の西地区開発を進め
成功させた人らしいんだけど、ひろ子さんは後妻であって実母ではなかった気がする。
穴水さんにはさらに三番目の奥さんもいたのかな。
東急分離のとき、穴水さんの後継者を相鉄に飛ばすなんて!と
井上篤太郎さんの元秘書で京王合併のときにも仲介役となった
柿沢篤太郎さんが東急に抗議したことがあるらしい。
結果的には、まあ本人としては納得づくで、相鉄にとっても幸運になった
みたいなまとめ方になってたと思います。
柿沢さんはその後、平塚市の市長になってた気がする。
井上さんはこれには反対だったから、ちょっと後ろめたかったみたい。
今回は色々と平塚に縁のある旅になった気がします~。
帰りは伊東線ではなく伊豆箱根~
修善寺から韮山で寄り道して、三島をめざします~
修善寺駅も、近々工事して変わってしまうようですよ。
富士山世界遺産登録のヘッドマーク。
うかうかしているうちに行ってしまいましたが。
右のはそのあとに来たやつ。回送なので、これも乗れません。
で、やっと乗れたのが子の子。
ドアがスイーツの広告になってて、予想外デス・・・。
全部青いけど、意外と車両のバリエーションが豊富なんですね。
伊豆長岡駅で降りて、韮山の反射炉まで歩き、
そこから江川代官邸まで行ってみます。
(正直、世界遺産はやめといたほうがいいよ・・・。と思う)
伊豆長岡駅は修善寺駅に似ているなぁ・・・四角くて薄くて土産物屋やコンビニと一体化。
あ、伊東駅にもちょっと似ているかも。ていうか伊豆っぽい海っぽい駅だな。
改札とは反対側にあるので、踏切を渡る。
この辺、唯一の名物にしては、駅の入り口の方向が逆なのはなんでなのか。
とりあえず、立て札が絵付きでかわいらしい。
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韮山駅までまた戻ってきました。
けっこう、駅から道のりありました。正直、方向わからなくなりました。
周囲がほぼ水田で、奈良盆地思い出した!でも、あれよりは見通しが悪い。
そのうえ、豪雨にゲリラれた。
これは逆方向の電車。
こんどのドア広告は缶コーヒーだな。
この時間帯は片側ホームしか使用しないみたい。
登下校の時間なら、反対側の改札も開くらしいが。
やっぱり、江川邸のある方向とは反対に駅の入り口が付いてるんだよな。
なんでやねん。(また1本のがした)
上りが来ました。さっき、回送になってた種類だ。
三島駅の一つ手前の三島広小路でおりました。
ここの近くの国分寺跡と、三島大社を見てから、三島駅まで歩いて帰ります。
なので伊豆長岡~韮山区間と、三島広小路~三島駅区間は乗れてない私。
三島広小路は階段があって、なんかかわいい駅だな。
ちょっと、南武線の稲田堤駅に似ている気もする。
(あと缶コーヒーはけっこうガチなスポンサーなのかな?)
そして、この翌日ついに関東にも雷雨が到来。
伊豆箱根鉄道も止まったそうなので、日程的にはギリギリセーフだったみたいです。
帰省の途上その2
熱海駅で降りて、西の坂をだら~~~~~~~っと降りたところにあります。
熱海市が管理する元旅館・起雲閣。
作画参考用の本棚にあった洋館の本の中で紹介されてまして、
元・根津嘉一郎氏の別荘だそうで。
いや、そこも引っかかりポイントではあったんですが、
なによりステンドグラスの温室がほかとはまたひと味ちがって「おお!」と
思ったのもので。しかも熱海だし、通り道だし。
実際にはここの所有者は3回かわっていて、
最初にここを作ったのは海運王の内田信也氏。
彼は船成金の1人で、鉄道大臣になった経験もあるそうです。
親孝行な大臣としても有名で、老母の為の保養施設として
この別荘を建てたそうで、そのときは数軒の和室の家屋だけでしたが、
その後、根津嘉一郎氏の手に渡り、さらに洋館やローマ風呂が追加。
庭を整備したのも根津氏らしい。
戦後は、旅館業で名を挙げた桜井兵五郎が買いとり、宿泊施設を増設、今の形になりました。
内田氏が建てた麒麟と朱雀の間の壁をそれぞれ、青漆喰と赤漆喰にしたのも彼で、
出身地の金沢では、本来お殿様の部屋にしか使用出来なかったしろものらしいです。
平成になって旅館も閉鎖され、今は熱海市が管理しています。
まあ、閉館時間まで時間がなかったので、すっげえ飛ばし飛ばしで見ましたけども。
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「玉渓」と「玉姫」の間
机と椅子がならんでいるのが貴賓室で、ソファーがあるのが食堂だそうです。
ステンドグラスは当時としても相当高価な珍しいもので、モザイクタイルも
皇室の部屋を手がけたデザイナー作だとか(うろおぼえ)。
ローマ風呂の窓もステンドだったな。
正直、いい趣味しています根津氏。
まあ、暖炉上のレリーフが仏像だったり、洋間の欄間が中華風だったり、
天井が殿間の格子だったりで、和洋中華おりまぜてるので、ちょっぴり謎センスですが。
トルコとかペルシャみたいといえなくもなく。いや、ほんとはそいういうのよくわからんのですが。
外に出てみる。
この庭もねづっちこだわりの自作らしい。
屋根はさりげなく黄金色でこれもこだわり。
庭の真ん中にある岩は、20トンあるのを十人以上の職人に二ヶ月かけて運ばせたという。
そのため「根津の大石」の名前が付いてます。なんとなく、顔に見えなくもなく。
併設されてる喫茶店で一服したかったんですが、一足先に店じまいされてしまい、
とぼとぼと来宮駅への坂を上りました。
街中ではなかなか見ない標識。多摩の坂なんて生ぬるい、伊豆の坂です。
うおおお、足が、もうあがらない。
来宮駅は外から見るのは初めてかな。
じっくり見たかったけど、下りの電車が来てしまったので、ダッシュで改札入りました。
これのがすと、伊東線て平気で40分位電車こないからな!
最近さぼり気味です。どうも。
今日は京王にしては珍しい、ラッピング車両に出くわしたのでその報告。
馬だ…。馬だねぇ…。
でも、先頭車両にはHMもシールもとくには無かったです。横っ腹だけ。
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ついでに、3月から4月にかけて撮った100周年記念のなにかも。
これは新宿駅の改札へ上るための中央階段の壁。
年表と歴代の車両(電車とバスの)写真がたら~~っと。
やっと、100周年らしい雰囲気になってきましたね。
これは京王帝都リバイバルカラー。
かなちゅうバスとならぶと、兄弟みたいなんだ。てか、ふつーにかなちゅうのバスだと思った。
小金井のあたりで、白い方もみかけたけど、ウチの近所だとこのカラーしか見ないなぁ。
そういえば、去年の三田線の高島平車両基地イベントで、京王帝都って書いた
自作のバスの模型を持ち歩いている男性がいたなぁ。あれはなんだったんだろ。
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ついでに武蔵野線も。じつは今年節目だったのね。
ごめん、小田急しか頭になかった(=4月1日)
でも4月初日生まれはほかにも沢山いるんだろうなぁ。
阿佐ヶ谷のロフトでトークイベントがあって、会社から会場へ向かう途中の西国分寺で
こんなポスターみかけました。
おお、これはなんかなつかしー顔!
だれだおまえは!