たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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前回、御殿場線のりにきたときは外に出なかったんで、外観はみてなかった。
新幹線が止まる駅にしては、普通の駅ですね。
おとなりが伊豆箱根鉄道の終点駅で。
三島駅もなんか改修工事するようですね。
これは、そんなに大がかりなものではないのかな?
ただ、バスの乗り入れがかなりあり。
沼津東海登山バスや富士急シティバスなど。
いちばん目に着いたバスが「西武のか!」と思ったら、伊豆箱根のだった。
改修工事の影響か、なんかそこかしこに黄色いテープが通せんぼしていた。
エスカレーターのみならず、トイレまでもキープアウト!うおおおおお~(汗)
うわーい、東海の車両だ~。
あいかわらず、窓ふいてないなー。
根府川。
来るときが9/2だったんで、ふと「根府川の事故昨日だったんだよね」と思いました。
その事故で、大日本電力の穴水熊雄さんは二番目?の奥さんとそのお母さんを亡くしてるらしい。
昭和8年8月28日の読売新聞の記事に長男の勝彦さんのコメントがあって知りました。
「皆も浮かばれます 祖母と母を失った穴水君語る」
魔の一〇九列車とともに根府川の海ふかく沈んだ横死者百十一名のうち
現場の遺留品から身許がわかった幸運の二婦人ー麻布区宮村町七一
北海道電灯専務取締役穴水熊雄氏夫人ひろ子さん(当時三五歳)と
ひろ子さんの母堂駿河銀行頭取端野喜太郎氏夫人たい子さん(当時五五歳)の遺族は
震災十周年記念日を前に行はれた本社海底撮影隊の列車沈没現場の慰霊法要に
「之で有縁無縁の横死者も浮かばれませう」と感激してゐるが供養の当日
麻布区宮村町七一を訪ふと長男勝彦君(二四)は母と祖母とを一時に奪った
十年前のいたましい惨事を思い浮かべながら「僕がまだ十四の時だったので、
もうはっきり記憶してゐませんがなんでも当時二人が熱海に行くことになって
ゐたので遭難したものと思ひ私が捜しに出掛けて時計と鎖の遺留品を発見したのです
私のところでは幸ひ遺留品から身許がわかったのですが
いまだに全然名前さへわからず海の底に沈んでゐる無縁仏も
十年ぶりに浮かばれるわけです」と暗然としてゐた
これは読売新聞が海底写真隊というのを組んで、
沈んだ一〇九列車を捜して撮影に成功したという
記事の最後に書かれています。
穴水熊雄さんには勝彦さんと清彦さんという二人の息子さんがいて
清彦さんの方は東急分離後、相鉄の社長となって横浜の西地区開発を進め
成功させた人らしいんだけど、ひろ子さんは後妻であって実母ではなかった気がする。
穴水さんにはさらに三番目の奥さんもいたのかな。
東急分離のとき、穴水さんの後継者を相鉄に飛ばすなんて!と
井上篤太郎さんの元秘書で京王合併のときにも仲介役となった
柿沢篤太郎さんが東急に抗議したことがあるらしい。
結果的には、まあ本人としては納得づくで、相鉄にとっても幸運になった
みたいなまとめ方になってたと思います。
柿沢さんはその後、平塚市の市長になってた気がする。
井上さんはこれには反対だったから、ちょっと後ろめたかったみたい。
今回は色々と平塚に縁のある旅になった気がします~。
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