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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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前日の夜に「なんか描きたいけど何もおもいつかな~い」とつぶやいたら、
「冬コミのページが1枚空いてるんだぜ! b」という剛のお誘いを受けたので、
急遽ゲストイラストを描く事になりました。アイマスのキャラらしいです。
いつもジャンルが被らない友達なので、女の子描くのが新鮮でのりのりで描いてしまった。

ちょうどその翌日は仕事で田無へ行く予定だったので、
帰りに西武線で川越まで届けにいったらいいや、と思って。
さすが、田無にはドラえもんやしんちゃんがいる。田無駅ホームにはタコちゃんの自販機が。



ただ、問題なのが電車。準急だろうと急行だろうと本川越まではすべて各駅・・・!
思ったより時間がかかる事がわかりました。orz
通勤急行なら半分くらい飛ばすみたいなんですが・・・。なんか不便だなぁ。
池袋線とは種別の優等が逆なんですね?

  

かわごえ~~~。本当に副駅名つけてる。
駅トイレは12月から工事中のようでした。



無事に原稿を渡して帰路。
同じ西武線の国分寺線で帰ろうかと思ったんですけど、また各停しかないとなると、
国分寺からバスに乗ってく時間もあるし、何時間かかるかわかったもんではないので、
結局乗り慣れた東上線で帰る事にしました。時間に余裕があったら、国分寺線にも乗りたかった…。

写真は西武線と東上線の交差部。
たぶん、川越鉄道のが開通はやいので東上線が上を通ってるんだと思う。
東上線なら、川越に止まる優等種別多いのになぁ。西武と東上での川越に対する重要度の違いかな。
西武には他に幾つも主要駅があるけど、東上線て池袋ー川越が最重要ルートていうか、
ほかに選択肢ないですもんね。
この場所のちかくに、立派な構えの東武ホテルもありました。やっぱり力点が…

 

東上線内はいよいよ50000系統ばかりになってきてましたが、8000系もまだいました。
これは朝霞台でみかけた子。

  

そして、川越から乗ってきた急行がこれ。
東上線にしては珍しいラッピング車。(田園都市線内でなら50000系で広告つきはみかけましたが)
しかも、何故か京急と空港コラボ。え、F直は!?むしろ→は京急に向いてるの???(笑)
そういえば、前に田舎に行ったときも、車内広告で京急のダイヤ改正つるしてるの見ましたが。

なにか理由があるのかなぁ・・・。空港(客)ほしいんだろうか。

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これは武蔵野線の待合室にあった案内図。また真ん中から折れてるのはもう芸なのかな。
「東京へは西国分寺で中央線に乗った方が早いです」と示したいらしい・・・。

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「明治の東京 外国人の見聞記」(岡田章雄/桃源社/昭和40年2月発行)に紹介されてる、
医師ヘンリー・フォールズの新橋横浜間鉄道の感想に、客車のことがありまして。

~線路は今では複線になっていて、一等車、二等車、三等車の8輌か10輌連結の客車が
およそ一時間毎に双方の終点を出発している。
運輸量はかなり多いし、その上に運賃の収益も素晴らしくいいという事である。

英国の技師によって建設された線路は、有名なアメリカの鉄道建設者の証言するところによると、
「その堅牢なこと岩の如き」ものである。ゲージは英国の普通の狭軌に比べてやや狭い。
機関車は英国で製造された物で、いくらか軽すぎる。しかし強力で、見た所は格好がいい。

車室は三等車は別として、ちょうど市内電車の車室のように、座席が縦の方向に附いている。
一等車は三つの小室に区分され、中央の小室が他の二室に向かって開いている。

入り口はアメリカの車室と同様、車輌の両端にあるが、プラットホームは狭い。
腕木信号機は閉塞式を用い、私の見たとことでは、その働きは完全ではないようだ。
中間の停車場は、その設計も極めて優秀で、鉄の陸橋が線路をまたいでいる。
線路には全線に渡って柵が設けられられている。鉄道事故はほとんど発生した事がない。
ーもっとも自殺のために飛び込むのは別で、悲しい事にそれはよくある。ー

…小さな四角形の緑色のクッションが1回1ペニィ程で提供されるが、脂肪の塊に恵まれていない
三等客にはそれが結構役に立っている。~


……ヘンリーさんは鉄道マニアだったのだろうか?
ほかの外国人にくらべると、着眼点が妙に的を射ているというか。
参考になるので大変ありがたいですが。

「今では複線になっていて」ということは、最初は単線だったんですね。
wikiによるとまず、明治9年12月1日新橋ー 品川駅間複線化(同区間に田町仮停車場を開設)、
明治12年3月1日大森ー 川崎駅間が複線化、ついで11月1日川崎ー鶴見駅間が複線化。
明治13年11月14日に品川ー大森駅間が複線化。
明治14年5月7日鶴見ー横浜駅間複線化、これにより新橋ー横浜駅間の複線化が完成、
ということなので、意外と全線複線化まで時間が掛かってるんですねぇ。

うっ、ということは明治9年時点ではまだほとんど単線だということか・・・!

8輌か10輌連結というのは、今の感覚からしても結構多いような気が・・・。
蒸気機関車による牽引だから、当然電車とは違うのでしょうが。
(客車はほぼ木製ので軽いのだろうし)
「車室は三等車は別として、ちょうど市内電車の車室のように、座席が縦の方向に附いている。」
ということは、ロングシートだったということかな?
三等客車はむしろクロスシートだったのかも。今のイメージと逆ですね。

大宮の鉄道博物館に残る三等客車はロングシートでしたけど、
あれは三扉でしたし時代が違うのかもな・・・。

そして、この頃からすでに自殺による人身事故はがんがんあるっぽいですね(川汗)

ヘンリー・フォールズさんは、大森貝塚のときにも書いたように、指紋研究の第一人者でしたが
明治7年、宣教師として来日、築地居留地18番館に住み、布教活動のかたわら医療に従事、
翌年築地川をへだてた南小田原町3丁目10に診療所を開いて健康社と称し、4丁目8に移転。
これがツキジホスピタル=筑地病院と呼ばれ東京で最初に開設されたミッション系病院となる。
明治8年にはおなじキリスト系の日本人たちやアメリカの宣教師とともに
楽善会という盲人教育の為の会をつくり、盲人の為の凸字聖書を取り寄せたりして
影ながら日本での盲学校の設立に尽力したのだとか。
(学校設立の申請書に外国人の名前があると東京府が認可しなかった)

楽善会はその後、仏教徒などの参加もあって、キリスト教的な色彩が薄くなり、
不満を覚えたフォールズは脱退を表明して、明治19年に帰国。滞日期間は12年程度でした。

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相棒の元旦SPでまさかの大倉山記念館がでてきましたね。
予言したわけじゃないんですが、こういう偶然はビックリします。

国枝さん・・・ええ人やなぁ。最期までイケメンで、ちょっと女子高生の恋心設定にきゅんとしました。

ああやって、過去の分からない事を専門の機関にいって調べるてるの見ると、わくわくしますね。
新資料とか!それでどんどん謎が解き明かされていくのも、ウフフフ♪
まあ、事件なので不謹慎ちゃそうかもですが・・・。色々勉強になりました。


深夜に日テレでやってた笑神様に鉄道オタク芸人が出そろってて、
宮川氏(非鉄)以外が実はみんな鉄道番組のMCやってるってのが一番ウケました(笑)
鉄道界のビッグフォーって!!
正直、他の2組がなくても全然よかった位、鉄組がムダに輝いていた・・・。
また、あのメンバーで集まってくれないかな。

新年早々、京急のドレミファインバーターの音聞けたんで、幸先いいかんじです。
おやすみなさい。

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今年は実家にも帰らず、自宅でまったり過ごす予定ですが、
掃除ばかりで普段の休みとなんらかわりがありません、おせちも食べられません T_T)

正直毎年毎年、2月の半ばまでは大きめの仕事の〆切で現場がキリキリマイになるので、
3月がくるでは新年を感じる事が出来ず。というか、3月来たら、私免許の更新に行かなきゃ。orz

というわけで、このさきちっとも楽しい事が待ち受けていません新年ですが、
今年も季節感丸無視でマイペースにのらくら行きたいと思います。

今年も一年無事ですごせますように。宜しくお願い致します。

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お昼に啓文堂で、岩崎弥太郎の本を見かけて、買おうかな~と思ったんですけど、
発行が2年も前のだったんで、図書館で借りられるかな?と思って検索してみたら、
その本自体はなかったんですが、いくつか出てきた岩崎弥太郎の本の中に、
砂川幸雄さんの名前がみえて、「あれ?この人の名前なんか見覚えあるな」と思い、
今度は著作者名で検索してみたら、以前読んだ森村さんと中上川さんの本書かれてた方だ!!!

知らずにすでに2冊も読んでたんです。しかも、どちらも読みやすくてエピソード満載の素晴らしい内容だったんで(実は個人所有でほしい)、年始休館が明けたら作家借り敢行しようと思います。

しかも、この方の著書が、

「金儲けが日本一上手かった男 安田善次郎の生き方」
「運鈍根の男 古河市兵衛の生涯」
「大倉喜八郎の豪快なる生涯」
「中上川彦次郎の華麗な生涯」
「藤田伝三郎の雄渾なる生涯」
「明治の巨人岩崎弥太郎」
「森村市左衛門の無欲の生涯」
「製陶王国をきずいた父と子 大倉孫兵衛と大倉和親」

で、な ん だ こ の 人 物 誌 一 覧。 ビンビンくるっっっっ!(笑)
もしかして財閥研究が趣味なのかな。それにしてもこの数はすごいな。
「~なる生涯」ってのは、草思社のシリーズ名っぽいです。

最後の大倉さんてのは、森村グループのTOTOやINAXなんかの陶器大手の創始者なんですが、
最初は浮世絵や錦絵をあつかう版元「万屋」さんだったみたい。
その関係で、横浜開化期の錦絵展の展示会ページがヒットしたんですけど
(http://www.okuraken.or.jp/tenjikai/tenji_kako/egakareta_yokohama/ 大倉精神文化研究所)
これの、場所が東横線の「大倉山」らしくて、「え?もしかしてこの名前・・・地名の由来になったっぽい?」
とwikiみてみたら、やっぱりそうだったです(笑)>「ウィキペディア 大倉山駅(神奈川県)」

大倉山という地名になったのは割と最近なんですが、それまでは通称でそう呼ばれてたみたい。
南武線の駅名として残っている「津田山」が玉川電気鉄道の専務の津田さんの名前から由来するように、この大倉山は大倉一族の流れを汲む大倉邦彦さんが設立したこの施設に由来するようですね。
まさか、こんなところに繋がってくるなんて。この展示会、見てみたかったわ~~~。

しかも、この大倉山駅、80年代に東横線と相鉄が繋がる計画の分岐点となっていたのだとか。
すごいな、そんな頃から相鉄との直通計画があったとは。
それが、近年いよいいよJR直通も含めて実現しそうだなんて、
やっぱり鉄道の構想は壮大でドキドキしますね。

つながってゆくよ~~~?

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