たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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追記:西暦と年号がごっちゃになっていたので直しました。Σ(´Д`;
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日付がかわってしまった・・・。
父と子、2p更新しました。
あと1pで、締められる・・・はず。
なにげに、回想を未来からひっぱってくるという、強引な手法を使っていますが
そこまで変なやり方でもないですよね?という居直り。
設定消化というか裏舞台消化というか、そんなかんじです。
本編知らない方にはすみません。
この飲み会自体は1944年の5月頃です。
最初の思いつきの段階では中心に京王がいたんですけど、
相模と京王ってニアミスなんで、それはちょっとあり得ないということになり、
代わりに横浜線に登場して頂いた事情があります。でもかえって出せてよかったな!
京浜電気鉄道と横浜鉄道とは青木正太郎さんという共通の経営者がいるんで、仲は悪くないです。
ただ、横浜線が思いを馳せる父親は青木さんではなく原善三郎さんだったりします。
横浜鉄道の願書を諦めることなく繰り返しだし続けた人です。でも設立?は見ずに亡くなって居るはず。
なにげに雨宮敬次郎さんと一人の女性をめぐって刃傷沙汰になりかけたことがあります。
同業者には亀善と呼ばれていたらしい。
あと地下鉄の件というのは、早川さんと五島さんの争いで中立な立場の人の裁定を乞おう、
という場面で利光さんがその一人となったんですが、五島さんと利光さんてなにげに
なかよしなのよね・・・。っていう、京浜側の不平感が根っこにあって。
地下鉄がらみで東横に株を買収されたことも内心、全然面白くない。
で、三社合併で東急が成立したのが1942年の5月なんですが、その頃は小田原に対しても
苛つきがあったみたいな、描写を実はしていたんですけど、今やっと出せた。;´Д`)
これを描くに当たって、ついに利光さんの自伝を借りてしまいました。
自由民権の資料集とか、小田急の25年史とか部分的には方々に収録されてるんですが、
実物を読んだのは実はこれがはじめてです。わお
といっても他の人が書いた利光さんの伝記で、これの現代語訳みたいな良書はちゃんとあるんで、
内容はそれとほとんど変わらないんですけどね。
(『ー明治の気骨ー利光鶴松伝』渡邊行男/葦書房/2000,8)
東京市街鉄道の内情とかはほとんどこの伝記で知りましたし最初のオフ本で参考にもしました。
利光さんが京王の役員を指名したっていうのも、この本で知りましたし。
ただ、こちらは詳しい年月日の記述がないんで最近、都史資料集成で逆整理しましたけど。
ただその伝記でもはしょられてる小さな出来事がオリジナルにはぽろぽろあったので、
読むのも無駄にはなりませんでした。
本当を言えば復刻版ではないほうの外見の体裁が知りたかったんですけど、まあしょうがないですね。
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拍手をいつもありがとうございます!
反応がにぶくて失礼しました。
とても励みになっています。
うまいタイミングでお礼を云いたいとおもいつつ、
いつもだらだらと長文を書いてしまうので。
描きたいものと書きたい事がたくさんあって、色々と追いつきません。
とりあえず熱気が目下の敵です。頑張ります。
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日付がかわってしまった・・・。
父と子、2p更新しました。
あと1pで、締められる・・・はず。
なにげに、回想を未来からひっぱってくるという、強引な手法を使っていますが
そこまで変なやり方でもないですよね?という居直り。
設定消化というか裏舞台消化というか、そんなかんじです。
本編知らない方にはすみません。
この飲み会自体は1944年の5月頃です。
最初の思いつきの段階では中心に京王がいたんですけど、
相模と京王ってニアミスなんで、それはちょっとあり得ないということになり、
代わりに横浜線に登場して頂いた事情があります。でもかえって出せてよかったな!
京浜電気鉄道と横浜鉄道とは青木正太郎さんという共通の経営者がいるんで、仲は悪くないです。
ただ、横浜線が思いを馳せる父親は青木さんではなく原善三郎さんだったりします。
横浜鉄道の願書を諦めることなく繰り返しだし続けた人です。でも設立?は見ずに亡くなって居るはず。
なにげに雨宮敬次郎さんと一人の女性をめぐって刃傷沙汰になりかけたことがあります。
同業者には亀善と呼ばれていたらしい。
あと地下鉄の件というのは、早川さんと五島さんの争いで中立な立場の人の裁定を乞おう、
という場面で利光さんがその一人となったんですが、五島さんと利光さんてなにげに
なかよしなのよね・・・。っていう、京浜側の不平感が根っこにあって。
地下鉄がらみで東横に株を買収されたことも内心、全然面白くない。
で、三社合併で東急が成立したのが1942年の5月なんですが、その頃は小田原に対しても
苛つきがあったみたいな、描写を実はしていたんですけど、今やっと出せた。;´Д`)
これを描くに当たって、ついに利光さんの自伝を借りてしまいました。
自由民権の資料集とか、小田急の25年史とか部分的には方々に収録されてるんですが、
実物を読んだのは実はこれがはじめてです。わお
といっても他の人が書いた利光さんの伝記で、これの現代語訳みたいな良書はちゃんとあるんで、
内容はそれとほとんど変わらないんですけどね。
(『ー明治の気骨ー利光鶴松伝』渡邊行男/葦書房/2000,8)
東京市街鉄道の内情とかはほとんどこの伝記で知りましたし最初のオフ本で参考にもしました。
利光さんが京王の役員を指名したっていうのも、この本で知りましたし。
ただ、こちらは詳しい年月日の記述がないんで最近、都史資料集成で逆整理しましたけど。
ただその伝記でもはしょられてる小さな出来事がオリジナルにはぽろぽろあったので、
読むのも無駄にはなりませんでした。
本当を言えば復刻版ではないほうの外見の体裁が知りたかったんですけど、まあしょうがないですね。
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拍手をいつもありがとうございます!
反応がにぶくて失礼しました。
とても励みになっています。
うまいタイミングでお礼を云いたいとおもいつつ、
いつもだらだらと長文を書いてしまうので。
描きたいものと書きたい事がたくさんあって、色々と追いつきません。
とりあえず熱気が目下の敵です。頑張ります。
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