たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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昨日は町田の図書館に行くついでに相模国の国分寺跡をみにいきました!小田急!!v
小田急マートで水を買いに行ったら、小田急商事が50周年らしい、ほおお!
海老名ビナウォーク!
のなかに、七重の塔がみえる(笑)
相模国分寺の最寄り駅は海老名駅でした。
武蔵国分寺は西国分寺なので、不思議といろんな路線が集まる箇所にあるんですね。
これは本物ではなくモニュメント。スケールは1/3らしい。えええ!?
昔の権力と技術ってすげえ。
27日は海老名の風鈴市でお祭りがあるみたいでした。
ビナウォークって小田急のなんですね。
イベントには相鉄も関わってるから、二人で協力してる感じがする。(にやっ)←
そして駅前の横断幕が強烈でした・・・。
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ビナウォークを通り過ぎ、国分寺へ向かいます。
すると、目の前にわかりやすすぎるほどの崖が見えてきます。崖線です。
古い遺跡や村落は、水を得やすく水害を避ける為に、
水が湧きやすい崖の上につくられますので、この国分寺跡もその例にもれず、
といったところでしょうか。
府中なんかは立川崖線(府中崖線)と国分寺崖線の間にはさまれた台地の広大な平地に
国分寺と国府があったので川をはさんだ向こう側の多摩丘陵と比べれば
「単純な地形」であると本で言われていました。
多摩川の近くの立川崖線の上に大國魂神社(国府跡)があり、
台地のもっと奥まった方、国分寺崖線の下に武蔵国分寺があります。
そしてこの相模国分寺も似たような条件であるようです。
国分寺への道。
比較的緩やかに崖を上れるように工夫された坂でした。
崖を登り切った突き当たりを右へいくと、大きなけやきの木がありました。
大國魂神社の入り口にある神木によく似ています。不思議だ。
看板の説明によると、ここは船着き場で杭にしていたケヤキが育ったものらしい。
目の前は緩やかなスロープ状になっていました。
昔はここまで水辺がきていたということですね。
看板の後ろをむくと、現・相模国分寺がありました。
階段を登ると、左に本堂へむかう階段がさらにあります。
正面にはまた、崖の上に立つ住宅。ここは崖線と崖線の間の幅が狭いみたいですね。
ご本堂。国分寺の本尊は基本的に薬師如来です。
境内にはりっぱな銀杏の木がありました。
大国魂にもあるんですが、表からは見えず、季節にはぎんなんの臭いだけがするんですよね~
楠木や銀杏はその独特の臭いから魔除けの効果があるとされるので、ご神木になりやすいのかも。
本堂は南向きで、(西)右を向けば小田急や相鉄の駅のあるビナウォークが見えます。
垣根がなければ、もっと景色がいいんだろうな~
踊り場から先ほどの大ケヤキを見る。
あの先が相模川なのだな。時代によっては海老名駅一帯は水の中っすかね。
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本命の相模国分寺跡~!
先ほどの国分寺より北へ数100mいった場所にあります。
ここから現在地へ移転したらしい。
国分寺は741年の詔をきっかけに8世紀で全国に建立されてきますが、
10世紀にはもう衰退していって平安時代後期には荒廃していた模様。
国分寺跡地に保存されているのは、目の前の長~~い門柱跡と、
土台を復元した七重の塔と、盛り土の上に残った礎石だけの国分寺の3つ。
それでも武蔵国の国分寺跡にくらべれば立派な保存整備状態です。壮大です。
武蔵国分寺は横に畑とかあって、住宅にも囲まれてあんまり景色が広々としてない。
もしかして、相模国のほうが広いのか。
昔から法隆寺式伽藍配置の大規模なものとして有名だったらしい。
こちらも、南向きに配置されてますね。
こういう雰囲気はよく似てますけど。
大正時代、国に史跡指定された時の碑が建ってます。
指定されたのは大正10年3月3日ですが、碑は大正14年となってますね。
すぐ横に郷土資料館の旧温故館がありました。
洋風の歴史的建造物みたいでリニューアル済です。
元は海老名村役場庁舎だそうで、この建物自体みどころたっぷりです。
資料館にあった地形図と遺跡群の地図。
だいたいの遺跡が崖線と崖線の間の黄色い部分(相模野台地)に分布しています。
崖の上の崖、あれは座間丘陵というのか~。古墳群はむしろ丘陵の上に造られてますね。
そのなかを走っている溝は目久尻川かな。
昭和40年代まではこの目久尻側から西の海老名耕地へ、逆川という人工の用水が
国分寺と国分尼寺のあいだをS字に流れていたそうです。
うーん、なかなか複雑な土地だな。
ところで国分寺とセットであるはずの相模国府は、まだ場所が分かっていないそうです。
一応、国分寺の北側じゃないかとは云われてるんですが、民間の住宅地なので手が出せないそうで。
その後、どうも平塚の方に移転したらしく、平塚のほうで結構色々なものが発掘されているよう。
武蔵国府は多摩川は東西に走り、台地も幅が広いので余裕を持って左右に展開してますけど、
相模国府は相模川が南北に走り、しかも丘陵が近くて台地の幅が狭いから、一体どういう風に
展開したのだか。もしかして、狭い故に平塚に移転したのだろうか。
相模国は旧東海道と、東山道武蔵路の分岐点です。
官道らしきものはちびちび見つかっているので今後の調査結果が楽しみです。
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お昼は前から気になっていたビナウォークのら~めん処で。
おいしかったです!
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