たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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せっかく縁あってなじみになった町なので、
ちょっくら地元観光と洒落こみたいと思います。
ルートは大國魂神社前~府中街道~下河原緑道(下河原方面)です。

府中のメインストリートといったらここ。
大國魂神社の参道、欅並木通りです。今日はここからスタートします。

先ほどの神社前を横切る道を少し行くと、府中で一番史跡らしい史跡、高札場跡に着きます。
ほんと、なんでもない道路の交差部分の一角にもはやセットのような古風な建物が残してあります。
その向かいにあるこれまた古風な黒い建物は酒屋さんです。
ここは旧甲州街道と府中街道が交わる、むかしのメインストリートだったと思われます。
(右端の写真)手前の左右の道が旧甲州街道で、真ん中奥が、国分寺方面へ続く府中街道です。
府中街道は反対側にいくと、JR(元南武鉄道)の府中本町駅、さらに西武(元多摩鉄道)の是政駅などがあり、そこから先は多摩川を渡って稲城に入ります。


府中市が観光スポットとするためにおいたと思われる、説明がボコボコ。
黒いのは府中小唄の節碑のひとつ。丸太を模したほうのは府中いろはガルタ?の一部と思われます。隣の四角いのは地名の説明。
府中小唄は昭和4年にできたらしい。高札場にあるのは第一節で
「六所明神さま 暗闇祭りヨ 闇に旅所へ 渡御なさる あれは灯じゃない 空の星 星さえ府中を 出てのぞく」と高札場=御旅所を唄った物が置かれています。神様もお祭りでは移動するルートや泊まる場所がきまっていて、そのポイントをオタビショというらしい。
ちなみに府中小唄の第六節の碑は大国魂神社の境内にあって
「武蔵府中は 自慢じゃないがヨ 萱(かや)やすすきの 中じゃない あれは府中の六所様 松は憂いもの 杉ばかり」と唄われます。
これは府中の昔話で「昔、大国魂神さまが八幡さまと一緒に府中にお降りになったとき、ご鎮座地を探してくるよう八幡さまに命じたところ、八幡さまは八幡山に自分のご鎮座地を見つけてそこに鎮座してしまったため、今か今かとお帰りを待つ大国魂神さまは「待つのはつらい・・・」「マツのは嫌じゃ」とぼやいたので、神社の境内には松が一本もない」というのに由来した物らしいです。八幡さま・・・(笑)
なので、府中では正月でも門松を立てない習わしだったんだとか。
(郷土かるたにも「松をたてない正月飾り」とあるらしい。)
今では伊勢丹フォーリスでも堂々と飾ってる気がしますが。

向かいの酒屋「中久本店」さんは、酒蔵を改造して喫茶店もやっているそう。おされ。
そしてカルタ丸太がここにも、乱立しすぎ。

府中の地酒「国府鶴 こうづる」
国府とかいて「こう」と読むらしい。東海道線の「国府津」と一緒ですね。
千代田区の麹町も府中と江戸城を結ぶから「国府路=こうじ」といったのが由来という説もあるらしいです。
徳島本線には府中駅とかいて「こうえき」と読ませたりする駅があるらしいので国府=府中ってことなんでしょう。
あと山陽本線の防府(ほうふ)も国府と同じ意味があるそうです。

府中街道をさらに北上中。
コナミスポーツなどの近代的なおっきい建物もあれば、青物横丁のような昭和から取り残された家屋も残ってたりします。不思議な土地。

府中街道と京王線の交差橋。右は大正13年頃のもの、ということは玉南の時代ですね(「むかしの府中」より)

100年でこんなに大きくなったよ、玉南。

寿町三丁目コジマ交差点。京王線の窓からでもよくわかります。
つまり、府中駅を前にしてコジマが見えたら、そこが府中街道との交差点と思って間違いないです。

ここにも国府鶴。
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ちょっくら地元観光と洒落こみたいと思います。
ルートは大國魂神社前~府中街道~下河原緑道(下河原方面)です。
府中のメインストリートといったらここ。
大國魂神社の参道、欅並木通りです。今日はここからスタートします。
先ほどの神社前を横切る道を少し行くと、府中で一番史跡らしい史跡、高札場跡に着きます。
ほんと、なんでもない道路の交差部分の一角にもはやセットのような古風な建物が残してあります。
その向かいにあるこれまた古風な黒い建物は酒屋さんです。
ここは旧甲州街道と府中街道が交わる、むかしのメインストリートだったと思われます。
(右端の写真)手前の左右の道が旧甲州街道で、真ん中奥が、国分寺方面へ続く府中街道です。
府中街道は反対側にいくと、JR(元南武鉄道)の府中本町駅、さらに西武(元多摩鉄道)の是政駅などがあり、そこから先は多摩川を渡って稲城に入ります。
府中市が観光スポットとするためにおいたと思われる、説明がボコボコ。
黒いのは府中小唄の節碑のひとつ。丸太を模したほうのは府中いろはガルタ?の一部と思われます。隣の四角いのは地名の説明。
府中小唄は昭和4年にできたらしい。高札場にあるのは第一節で
「六所明神さま 暗闇祭りヨ 闇に旅所へ 渡御なさる あれは灯じゃない 空の星 星さえ府中を 出てのぞく」と高札場=御旅所を唄った物が置かれています。神様もお祭りでは移動するルートや泊まる場所がきまっていて、そのポイントをオタビショというらしい。
ちなみに府中小唄の第六節の碑は大国魂神社の境内にあって
「武蔵府中は 自慢じゃないがヨ 萱(かや)やすすきの 中じゃない あれは府中の六所様 松は憂いもの 杉ばかり」と唄われます。
これは府中の昔話で「昔、大国魂神さまが八幡さまと一緒に府中にお降りになったとき、ご鎮座地を探してくるよう八幡さまに命じたところ、八幡さまは八幡山に自分のご鎮座地を見つけてそこに鎮座してしまったため、今か今かとお帰りを待つ大国魂神さまは「待つのはつらい・・・」「マツのは嫌じゃ」とぼやいたので、神社の境内には松が一本もない」というのに由来した物らしいです。八幡さま・・・(笑)
なので、府中では正月でも門松を立てない習わしだったんだとか。
(郷土かるたにも「松をたてない正月飾り」とあるらしい。)
今では伊勢丹フォーリスでも堂々と飾ってる気がしますが。
向かいの酒屋「中久本店」さんは、酒蔵を改造して喫茶店もやっているそう。おされ。
そしてカルタ丸太がここにも、乱立しすぎ。
府中の地酒「国府鶴 こうづる」
国府とかいて「こう」と読むらしい。東海道線の「国府津」と一緒ですね。
千代田区の麹町も府中と江戸城を結ぶから「国府路=こうじ」といったのが由来という説もあるらしいです。
徳島本線には府中駅とかいて「こうえき」と読ませたりする駅があるらしいので国府=府中ってことなんでしょう。
あと山陽本線の防府(ほうふ)も国府と同じ意味があるそうです。
府中街道をさらに北上中。
コナミスポーツなどの近代的なおっきい建物もあれば、青物横丁のような昭和から取り残された家屋も残ってたりします。不思議な土地。
府中街道と京王線の交差橋。右は大正13年頃のもの、ということは玉南の時代ですね(「むかしの府中」より)
100年でこんなに大きくなったよ、玉南。
寿町三丁目コジマ交差点。京王線の窓からでもよくわかります。
つまり、府中駅を前にしてコジマが見えたら、そこが府中街道との交差点と思って間違いないです。
ここにも国府鶴。
さっそくいろいろと疑問と問題が・・・
西武多摩川線の前身の多摩鉄道って、本当は北多摩鉄道なんですかね??
府中市の年表には北多摩鉄道って書いてある・・・白糸台の前の名前の北多磨駅も、実は会社の名前だったのではとか・・・ウィキと書いてあることが違う。
どっちなんでしょう、西武の社史になら書いてある?しかし、西武に社史なんてあるんだろうか・・・あの東急以上にややこしそうな遍歴のあれをどうまとめるのだか。あんまり、見たことがないんですが。
下河原線もなぁ・・・軍にとられたって言うのが。鉄道省なの?軍なの??それともこれは同義なの???
鉄道建設用の砂利も運んだんだろうけど、どっちかというと旧日本陸軍燃料廠(第5空軍府中基地)への引き込み線が本来の役目だったのでは。
競馬場線というのも、副業みたいな物なんじゃ・・・。北府中、謎が多い。府中の森も侮りがたし。
謎と言えばこの間、秩父の帰りに武蔵野線に乗ってたら、北府中の東芝工場の敷地内?で、湘南カラーとオレンジバーミリオンの201系じゃない車両(103系?)が甲羅干ししてたのも見かけた。あれ、あそこJRの敷地だったのかな。てっきり工場のだと思ってたけど。
てか、なんで湘南カラー(ほんとにカボチャみたいに濃い緑の)がいるの。保存車両?謎が多い・・・・・・
========== 追記 ==============
東芝工場引き込み線の謎の車両の件ですが、謎が解けました。こういう事らしい↓
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217922427 ヤフー知恵袋
特に理由もなく特殊塗装って・・・(笑)
じゃあ、私が見たのはやっぱり103系かな。あと115系なのかも。
いちおう後日改めて撮りに行った時の動画もあるのだけど、例によって編集の仕方と、webへの上げ方がわからないのでorz
気になる方は、こんど北府中~西国分寺の工場内をガン見すればいいんじゃないかな!いろいろいるやもよ。
この工場の引き込み線も、やっぱりもとは下河原線のらしい。武蔵野線が受け継いだ、って考えるとちょっとうはうはvどきどきする。
今度、暇なときには北府中を散策してみよう。いろいろ面白そうだ。
じつは16日、休日出勤で午後一時手空きになったのをいいことに、インテリジェントパークから中河原駅まで、下河原緑道をあるいてみたのですよ。
最初は、いろいろオブジェがあって、面白かったけど、後半はほとんどただの遊歩道だったな・・・
たっくさん花だの稲だの植えられてて、ちょっと「花葬」っぽいと思ったなど・・・
下河原から中河原へは、案外ちかかったです!これも収穫!!
そのあとはまた会社で朝の4時半まで作業し、ちょっと寝て、帰りに201系のさよなら運転もみてきました。
前回は豊田駅ホームから拝んだので、今回は駅に入らず(入場規制とかあるらしかったし)線路脇からお見送りしました。
で、前回休館日で失敗した豊田中央図書館に突撃かまし、おめあてゲット。
広報ひのがぱねえ!!たった数十平方センチメートルのなかに、知りたかったこと全部書いてある!
あと、大正編年史の新聞集成がちょっと面白かったので、それもコピー。
斬馬剣というコラムに当時の田園都市のことが書いてあって、
共産的思想の筆者にものすごく攻撃されている。
「蒲田電車の沿線に田園都市なるものがあります。…この都市に頑張る連中は、東京の成金や此辺の地主、さも無くば蒲電の重役の歴々であって、その市は実に我々プロレタリヤに対するブルの威嚇であるのです」とか「私はかかるものの地球上から消滅せん事を心から祈るものであります。」とか、な、なにもそこまで・・・
大正のころから、本当にセレブリティな別天地だったんだなぁ。
なにより、電車の呼び方が・・・目蒲じゃなくて、蒲田なんだ。かまでんなんだ(笑)どうしよう、目黒なかったことにされてる。
本当は、玉南の節目でなにか載ってないかなぁ、と思ったんですが、全然、京王の事ですら書かれてなかったです。だいたいは鉄相のうごきと、東京市電の業態と、省線のことくらいかなぁ。やっぱ、中央から見たら、新宿以西なんて田舎なんだわ、田園都市にもかなわない事を目の当たりにしたわ。あたりまえだけど。
で、宴の後の静けさ的な豊田駅をあとにし、中央特快で国分寺までいって、下河原線の痕跡をさがすもよくわからず、今度は快速?で武蔵境まで。
西武多摩川線で春夏秋のラッピングを見てきました。黄色いなかった!白糸台で寝てた!!全員白いの!3編成で運行はまかなえると言うことですね多摩川線。
せっかくなので、是政まで行き、このあとどうやって帰ろうかなぁ・・・府中本町まで歩くのはなんかヤだし、と思い「そうだ!せっかくだから多摩川河川敷のサイクリングロードで関戸までいってみよう!」と、よく考えたら府中本町いくより全然遠いコースを選んで、散歩してきました。
寝不足はお肌に悪いらしいですが、それよりもっと頭に悪いです。それは確実にいえる。
是政から南武線と武蔵野南線の鉄橋までは、近かったんですが、そこから関戸橋までが、ほんともう・・・orz
京王の城というか・・・あれ、もう巣だよね完全に、の聖蹟桜ヶ丘の某高層マンションが蜃気楼のようにぼや~と見えだしてからが、長かったです。死ぬかと思った。おすすめしない!
いや、すっごい、いい季候だった。晴れ間は見えるし、寒くも暑くもないし、虫の声はするし・・・桜並木の植わってる堰?あたりまでは、ほんと、おすすめコースなんですけど。
たんに、体力の問題かなぁ・・・?いやー
余裕がないので、写真は後日あげたいと思います。
西武多摩川線の前身の多摩鉄道って、本当は北多摩鉄道なんですかね??
府中市の年表には北多摩鉄道って書いてある・・・白糸台の前の名前の北多磨駅も、実は会社の名前だったのではとか・・・ウィキと書いてあることが違う。
どっちなんでしょう、西武の社史になら書いてある?しかし、西武に社史なんてあるんだろうか・・・あの東急以上にややこしそうな遍歴のあれをどうまとめるのだか。あんまり、見たことがないんですが。
下河原線もなぁ・・・軍にとられたって言うのが。鉄道省なの?軍なの??それともこれは同義なの???
鉄道建設用の砂利も運んだんだろうけど、どっちかというと旧日本陸軍燃料廠(第5空軍府中基地)への引き込み線が本来の役目だったのでは。
競馬場線というのも、副業みたいな物なんじゃ・・・。北府中、謎が多い。府中の森も侮りがたし。
謎と言えばこの間、秩父の帰りに武蔵野線に乗ってたら、北府中の東芝工場の敷地内?で、湘南カラーとオレンジバーミリオンの201系じゃない車両(103系?)が甲羅干ししてたのも見かけた。あれ、あそこJRの敷地だったのかな。てっきり工場のだと思ってたけど。
てか、なんで湘南カラー(ほんとにカボチャみたいに濃い緑の)がいるの。保存車両?謎が多い・・・・・・
========== 追記 ==============
東芝工場引き込み線の謎の車両の件ですが、謎が解けました。こういう事らしい↓
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217922427 ヤフー知恵袋
特に理由もなく特殊塗装って・・・(笑)
じゃあ、私が見たのはやっぱり103系かな。あと115系なのかも。
いちおう後日改めて撮りに行った時の動画もあるのだけど、例によって編集の仕方と、webへの上げ方がわからないのでorz
気になる方は、こんど北府中~西国分寺の工場内をガン見すればいいんじゃないかな!いろいろいるやもよ。
この工場の引き込み線も、やっぱりもとは下河原線のらしい。武蔵野線が受け継いだ、って考えるとちょっとうはうはvどきどきする。
今度、暇なときには北府中を散策してみよう。いろいろ面白そうだ。
じつは16日、休日出勤で午後一時手空きになったのをいいことに、インテリジェントパークから中河原駅まで、下河原緑道をあるいてみたのですよ。
最初は、いろいろオブジェがあって、面白かったけど、後半はほとんどただの遊歩道だったな・・・
たっくさん花だの稲だの植えられてて、ちょっと「花葬」っぽいと思ったなど・・・
下河原から中河原へは、案外ちかかったです!これも収穫!!
そのあとはまた会社で朝の4時半まで作業し、ちょっと寝て、帰りに201系のさよなら運転もみてきました。
前回は豊田駅ホームから拝んだので、今回は駅に入らず(入場規制とかあるらしかったし)線路脇からお見送りしました。
で、前回休館日で失敗した豊田中央図書館に突撃かまし、おめあてゲット。
広報ひのがぱねえ!!たった数十平方センチメートルのなかに、知りたかったこと全部書いてある!
あと、大正編年史の新聞集成がちょっと面白かったので、それもコピー。
斬馬剣というコラムに当時の田園都市のことが書いてあって、
共産的思想の筆者にものすごく攻撃されている。
「蒲田電車の沿線に田園都市なるものがあります。…この都市に頑張る連中は、東京の成金や此辺の地主、さも無くば蒲電の重役の歴々であって、その市は実に我々プロレタリヤに対するブルの威嚇であるのです」とか「私はかかるものの地球上から消滅せん事を心から祈るものであります。」とか、な、なにもそこまで・・・
大正のころから、本当にセレブリティな別天地だったんだなぁ。
なにより、電車の呼び方が・・・目蒲じゃなくて、蒲田なんだ。かまでんなんだ(笑)どうしよう、目黒なかったことにされてる。
本当は、玉南の節目でなにか載ってないかなぁ、と思ったんですが、全然、京王の事ですら書かれてなかったです。だいたいは鉄相のうごきと、東京市電の業態と、省線のことくらいかなぁ。やっぱ、中央から見たら、新宿以西なんて田舎なんだわ、田園都市にもかなわない事を目の当たりにしたわ。あたりまえだけど。
で、宴の後の静けさ的な豊田駅をあとにし、中央特快で国分寺までいって、下河原線の痕跡をさがすもよくわからず、今度は快速?で武蔵境まで。
西武多摩川線で春夏秋のラッピングを見てきました。黄色いなかった!白糸台で寝てた!!全員白いの!3編成で運行はまかなえると言うことですね多摩川線。
せっかくなので、是政まで行き、このあとどうやって帰ろうかなぁ・・・府中本町まで歩くのはなんかヤだし、と思い「そうだ!せっかくだから多摩川河川敷のサイクリングロードで関戸までいってみよう!」と、よく考えたら府中本町いくより全然遠いコースを選んで、散歩してきました。
寝不足はお肌に悪いらしいですが、それよりもっと頭に悪いです。それは確実にいえる。
是政から南武線と武蔵野南線の鉄橋までは、近かったんですが、そこから関戸橋までが、ほんともう・・・orz
京王の城というか・・・あれ、もう巣だよね完全に、の聖蹟桜ヶ丘の某高層マンションが蜃気楼のようにぼや~と見えだしてからが、長かったです。死ぬかと思った。おすすめしない!
いや、すっごい、いい季候だった。晴れ間は見えるし、寒くも暑くもないし、虫の声はするし・・・桜並木の植わってる堰?あたりまでは、ほんと、おすすめコースなんですけど。
たんに、体力の問題かなぁ・・・?いやー
余裕がないので、写真は後日あげたいと思います。