たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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さっそくいろいろと疑問と問題が・・・
西武多摩川線の前身の多摩鉄道って、本当は北多摩鉄道なんですかね??
府中市の年表には北多摩鉄道って書いてある・・・白糸台の前の名前の北多磨駅も、実は会社の名前だったのではとか・・・ウィキと書いてあることが違う。
どっちなんでしょう、西武の社史になら書いてある?しかし、西武に社史なんてあるんだろうか・・・あの東急以上にややこしそうな遍歴のあれをどうまとめるのだか。あんまり、見たことがないんですが。
下河原線もなぁ・・・軍にとられたって言うのが。鉄道省なの?軍なの??それともこれは同義なの???
鉄道建設用の砂利も運んだんだろうけど、どっちかというと旧日本陸軍燃料廠(第5空軍府中基地)への引き込み線が本来の役目だったのでは。
競馬場線というのも、副業みたいな物なんじゃ・・・。北府中、謎が多い。府中の森も侮りがたし。
謎と言えばこの間、秩父の帰りに武蔵野線に乗ってたら、北府中の東芝工場の敷地内?で、湘南カラーとオレンジバーミリオンの201系じゃない車両(103系?)が甲羅干ししてたのも見かけた。あれ、あそこJRの敷地だったのかな。てっきり工場のだと思ってたけど。
てか、なんで湘南カラー(ほんとにカボチャみたいに濃い緑の)がいるの。保存車両?謎が多い・・・・・・
========== 追記 ==============
東芝工場引き込み線の謎の車両の件ですが、謎が解けました。こういう事らしい↓
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217922427 ヤフー知恵袋
特に理由もなく特殊塗装って・・・(笑)
じゃあ、私が見たのはやっぱり103系かな。あと115系なのかも。
いちおう後日改めて撮りに行った時の動画もあるのだけど、例によって編集の仕方と、webへの上げ方がわからないのでorz
気になる方は、こんど北府中~西国分寺の工場内をガン見すればいいんじゃないかな!いろいろいるやもよ。
この工場の引き込み線も、やっぱりもとは下河原線のらしい。武蔵野線が受け継いだ、って考えるとちょっとうはうはvどきどきする。
今度、暇なときには北府中を散策してみよう。いろいろ面白そうだ。
じつは16日、休日出勤で午後一時手空きになったのをいいことに、インテリジェントパークから中河原駅まで、下河原緑道をあるいてみたのですよ。
最初は、いろいろオブジェがあって、面白かったけど、後半はほとんどただの遊歩道だったな・・・
たっくさん花だの稲だの植えられてて、ちょっと「花葬」っぽいと思ったなど・・・
下河原から中河原へは、案外ちかかったです!これも収穫!!
そのあとはまた会社で朝の4時半まで作業し、ちょっと寝て、帰りに201系のさよなら運転もみてきました。
前回は豊田駅ホームから拝んだので、今回は駅に入らず(入場規制とかあるらしかったし)線路脇からお見送りしました。
で、前回休館日で失敗した豊田中央図書館に突撃かまし、おめあてゲット。
広報ひのがぱねえ!!たった数十平方センチメートルのなかに、知りたかったこと全部書いてある!
あと、大正編年史の新聞集成がちょっと面白かったので、それもコピー。
斬馬剣というコラムに当時の田園都市のことが書いてあって、
共産的思想の筆者にものすごく攻撃されている。
「蒲田電車の沿線に田園都市なるものがあります。…この都市に頑張る連中は、東京の成金や此辺の地主、さも無くば蒲電の重役の歴々であって、その市は実に我々プロレタリヤに対するブルの威嚇であるのです」とか「私はかかるものの地球上から消滅せん事を心から祈るものであります。」とか、な、なにもそこまで・・・
大正のころから、本当にセレブリティな別天地だったんだなぁ。
なにより、電車の呼び方が・・・目蒲じゃなくて、蒲田なんだ。かまでんなんだ(笑)どうしよう、目黒なかったことにされてる。
本当は、玉南の節目でなにか載ってないかなぁ、と思ったんですが、全然、京王の事ですら書かれてなかったです。だいたいは鉄相のうごきと、東京市電の業態と、省線のことくらいかなぁ。やっぱ、中央から見たら、新宿以西なんて田舎なんだわ、田園都市にもかなわない事を目の当たりにしたわ。あたりまえだけど。
で、宴の後の静けさ的な豊田駅をあとにし、中央特快で国分寺までいって、下河原線の痕跡をさがすもよくわからず、今度は快速?で武蔵境まで。
西武多摩川線で春夏秋のラッピングを見てきました。黄色いなかった!白糸台で寝てた!!全員白いの!3編成で運行はまかなえると言うことですね多摩川線。
せっかくなので、是政まで行き、このあとどうやって帰ろうかなぁ・・・府中本町まで歩くのはなんかヤだし、と思い「そうだ!せっかくだから多摩川河川敷のサイクリングロードで関戸までいってみよう!」と、よく考えたら府中本町いくより全然遠いコースを選んで、散歩してきました。
寝不足はお肌に悪いらしいですが、それよりもっと頭に悪いです。それは確実にいえる。
是政から南武線と武蔵野南線の鉄橋までは、近かったんですが、そこから関戸橋までが、ほんともう・・・orz
京王の城というか・・・あれ、もう巣だよね完全に、の聖蹟桜ヶ丘の某高層マンションが蜃気楼のようにぼや~と見えだしてからが、長かったです。死ぬかと思った。おすすめしない!
いや、すっごい、いい季候だった。晴れ間は見えるし、寒くも暑くもないし、虫の声はするし・・・桜並木の植わってる堰?あたりまでは、ほんと、おすすめコースなんですけど。
たんに、体力の問題かなぁ・・・?いやー
余裕がないので、写真は後日あげたいと思います。
西武多摩川線の前身の多摩鉄道って、本当は北多摩鉄道なんですかね??
府中市の年表には北多摩鉄道って書いてある・・・白糸台の前の名前の北多磨駅も、実は会社の名前だったのではとか・・・ウィキと書いてあることが違う。
どっちなんでしょう、西武の社史になら書いてある?しかし、西武に社史なんてあるんだろうか・・・あの東急以上にややこしそうな遍歴のあれをどうまとめるのだか。あんまり、見たことがないんですが。
下河原線もなぁ・・・軍にとられたって言うのが。鉄道省なの?軍なの??それともこれは同義なの???
鉄道建設用の砂利も運んだんだろうけど、どっちかというと旧日本陸軍燃料廠(第5空軍府中基地)への引き込み線が本来の役目だったのでは。
競馬場線というのも、副業みたいな物なんじゃ・・・。北府中、謎が多い。府中の森も侮りがたし。
謎と言えばこの間、秩父の帰りに武蔵野線に乗ってたら、北府中の東芝工場の敷地内?で、湘南カラーとオレンジバーミリオンの201系じゃない車両(103系?)が甲羅干ししてたのも見かけた。あれ、あそこJRの敷地だったのかな。てっきり工場のだと思ってたけど。
てか、なんで湘南カラー(ほんとにカボチャみたいに濃い緑の)がいるの。保存車両?謎が多い・・・・・・
========== 追記 ==============
東芝工場引き込み線の謎の車両の件ですが、謎が解けました。こういう事らしい↓
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217922427 ヤフー知恵袋
特に理由もなく特殊塗装って・・・(笑)
じゃあ、私が見たのはやっぱり103系かな。あと115系なのかも。
いちおう後日改めて撮りに行った時の動画もあるのだけど、例によって編集の仕方と、webへの上げ方がわからないのでorz
気になる方は、こんど北府中~西国分寺の工場内をガン見すればいいんじゃないかな!いろいろいるやもよ。
この工場の引き込み線も、やっぱりもとは下河原線のらしい。武蔵野線が受け継いだ、って考えるとちょっとうはうはvどきどきする。
今度、暇なときには北府中を散策してみよう。いろいろ面白そうだ。
じつは16日、休日出勤で午後一時手空きになったのをいいことに、インテリジェントパークから中河原駅まで、下河原緑道をあるいてみたのですよ。
最初は、いろいろオブジェがあって、面白かったけど、後半はほとんどただの遊歩道だったな・・・
たっくさん花だの稲だの植えられてて、ちょっと「花葬」っぽいと思ったなど・・・
下河原から中河原へは、案外ちかかったです!これも収穫!!
そのあとはまた会社で朝の4時半まで作業し、ちょっと寝て、帰りに201系のさよなら運転もみてきました。
前回は豊田駅ホームから拝んだので、今回は駅に入らず(入場規制とかあるらしかったし)線路脇からお見送りしました。
で、前回休館日で失敗した豊田中央図書館に突撃かまし、おめあてゲット。
広報ひのがぱねえ!!たった数十平方センチメートルのなかに、知りたかったこと全部書いてある!
あと、大正編年史の新聞集成がちょっと面白かったので、それもコピー。
斬馬剣というコラムに当時の田園都市のことが書いてあって、
共産的思想の筆者にものすごく攻撃されている。
「蒲田電車の沿線に田園都市なるものがあります。…この都市に頑張る連中は、東京の成金や此辺の地主、さも無くば蒲電の重役の歴々であって、その市は実に我々プロレタリヤに対するブルの威嚇であるのです」とか「私はかかるものの地球上から消滅せん事を心から祈るものであります。」とか、な、なにもそこまで・・・
大正のころから、本当にセレブリティな別天地だったんだなぁ。
なにより、電車の呼び方が・・・目蒲じゃなくて、蒲田なんだ。かまでんなんだ(笑)どうしよう、目黒なかったことにされてる。
本当は、玉南の節目でなにか載ってないかなぁ、と思ったんですが、全然、京王の事ですら書かれてなかったです。だいたいは鉄相のうごきと、東京市電の業態と、省線のことくらいかなぁ。やっぱ、中央から見たら、新宿以西なんて田舎なんだわ、田園都市にもかなわない事を目の当たりにしたわ。あたりまえだけど。
で、宴の後の静けさ的な豊田駅をあとにし、中央特快で国分寺までいって、下河原線の痕跡をさがすもよくわからず、今度は快速?で武蔵境まで。
西武多摩川線で春夏秋のラッピングを見てきました。黄色いなかった!白糸台で寝てた!!全員白いの!3編成で運行はまかなえると言うことですね多摩川線。
せっかくなので、是政まで行き、このあとどうやって帰ろうかなぁ・・・府中本町まで歩くのはなんかヤだし、と思い「そうだ!せっかくだから多摩川河川敷のサイクリングロードで関戸までいってみよう!」と、よく考えたら府中本町いくより全然遠いコースを選んで、散歩してきました。
寝不足はお肌に悪いらしいですが、それよりもっと頭に悪いです。それは確実にいえる。
是政から南武線と武蔵野南線の鉄橋までは、近かったんですが、そこから関戸橋までが、ほんともう・・・orz
京王の城というか・・・あれ、もう巣だよね完全に、の聖蹟桜ヶ丘の某高層マンションが蜃気楼のようにぼや~と見えだしてからが、長かったです。死ぬかと思った。おすすめしない!
いや、すっごい、いい季候だった。晴れ間は見えるし、寒くも暑くもないし、虫の声はするし・・・桜並木の植わってる堰?あたりまでは、ほんと、おすすめコースなんですけど。
たんに、体力の問題かなぁ・・・?いやー
余裕がないので、写真は後日あげたいと思います。
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