たまろぐ 芝・丸山古墳(10/4) 忍者ブログ

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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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知り合いから貰ったチケットが使えるの昨日までだったんで、
代休とっていってきました。芝~!

芝公園には芝丸山古墳があるので、それも見に行きたかったんです。
ついでに、平日しかやってない公文書館で、前から知りたかった
王電の下高井戸線についても調べる予定。

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地図だと大江戸線が芝公園駅の下を通ってるぽかったんで、
てっきり止まるのかと思ってたらなかった。

ので、いつもの三田線で芝到着。

   

すぐそばに東照宮があったので、覗いてみます。
二代将軍秀忠と、その妻のお江の方と、三代家光公が祀られているらしい。

 

境内に家光公お手植の伝説があるイチョウがありました。
だから「公孫樹?」なんちて。

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東照宮内から左横の小道に出ると梅樹園がありました。
が、なんとそれが「 銀 世 界 」!!?

銀世界というと前に新宿の地図を見ながら書いた記事で、
諦聴寺の裏(淀橋浄水場の南西)のところに公園らしきものがあり
「銀世界」という表示だったので「なんだろう?」と思ってたんですが、
これ(梅園)だったのか!!!

梅屋敷はともかく銀世界って、なんか江戸っぽくない名称だな~
(どちらかというと大正ロマン的な?)
その後、東京瓦斯タンクの敷地になったんですけど、
や~、まさかこんなところに移植されて残ってるとはー。
ここ、無駄に一番たぎったんですけど、伝わっているでしょうか。



それはともかく、その背後にある小山のような森のようなモノが芝丸山古墳です。
ここくる予習に、ブラタモリの芝・増上寺アンコール放送の録画を見て来たんですけどね。
縄文時代はこの辺り海で、芝丸山古墳のとこだけ、
ぽろっと岬が欠けて島みたいになってるんですよね。

芝の地名の由来は昔ここが柴村という入会地で
柴刈り用の柴がとれたのかもしれませんが
多摩川の由来が「たば川」だといわれるくらいだし、
「しま」が「しば」になったと夢想しても許されるんじゃないか、とか思いました。
(無理があるな・・・)

柴村は戦国時代は荏原郡だったのがのちに豊島郡にはいり、
明治時代に芝区になって、第二次大戦後は
芝・麻布・赤坂の3区が合併して港区になったらしい。

   

海岸地帯だったので貝塚(多分縄文時代の)もあるらしい。
有名な割に調査されてないのは、なんでなんだろう?

芝丸山古墳は都内でも最古最大級の前方後円古墳です。
関西の方だと200~300m級が(大王墓なので)普通で、
武蔵国の兄貴分である上野国(群馬県)では200mが最大級なんですが、
東京(南武蔵)では100m越えれば最大級です。
ちなみに埼玉(北武蔵)は100~120mがざら、上野国の影響かなぁ…。

 

上2つは「東京の古墳を考える」より、1が芝丸山古墳で、ここだけぽつんとあります。
都内で最も古く、前方後円墳が集中しているのは多摩川中流域の田園調布です。
大宮八幡宮の記事で書いたとおり、関東では周溝墓が前方後方墳になり、
中央の流行をうけて大型の前方後円墳を作り始め、これが本格的な古墳時代と見なされます。

都内で最も古いとされる古墳は4世紀前半の世田谷区富士見坂の扇塚古墳で、
これは円墳みたいだが前方後円墳じゃないかといわれていたのですが、
最終的には前方後方墳という結論になったっぽいです。
マンションの建設にともない、簡易調査しただけで壊されたらしいですが。

その次が多摩川中流域・田園調布の宝来山古墳97mで、これは確実に前方後円墳。
その次が芝丸山古墳で110mです(が、形が崩れている為、数値に幅があります)。
それと同時代に前方後方墳の稲荷前古墳(横浜市青葉区)や砧中学校7号墳(世田谷区)があり
このあたり(4世紀中ごろ)が後方墳から後円墳への過渡期だったみたいです。

東急東横線や田園都市線のまわりは、都内最古級最大級の古墳群だらけですね。
そんななか、東京低地といわれるところで芝丸山古墳に次ぐ古さと大きさなのが、
上野公園にある摺鉢山古墳70mでこれは5世紀~6世紀。埴輪もでているようです。
(※埴輪がでないと、より古いと云われる。ただし東海系の土器はでてくる。)

多摩川系や鶴見川系の古墳が何世代にもわたって作られている古墳群なのにたいし、
この芝丸山古墳は最大級でありながら孤高の存在です。
そんなわけで?か、初代武蔵国造である兄多毛比命(えたもひ)の墓ではないか
という噂もあるくらいです。これはおさえておかねば。



山の中腹、前方部のあたりに稲荷神社がありました。
どうも、古墳と神社って文化的タイムラグがあるかんじがして
一緒に置かれてると位相空間ぽい気がするんですけど。だんだん慣れてきました。

   

頭頂部(後円部)は真っ平らな展望台になってました。
江戸時代に削られちゃったらしく、伊能忠敬の記念碑が建ってました。oh…ぅ。
外からみると、総体が見えないくらいでかいんですが、
登ってみるとそんなに広くもないですね。

 

ただ、高い。
前方部と後円部の間のあたりに、先ほどの東照宮の裏手がみえます。
なんだか、東照宮が丸山古墳を祀っているみたいな格好です。



降りてみる後円部。
やっぱりでかいな。そういう視覚的効果をねらって築造されるんでしょうけども。
ただ、どこまでが自然の台地を利用していて、どこまでが人工物なのかは
よくわかりませんんでした。案外、この近辺、似たような小山が多いです。

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さて、では東京タワーにむかいます。
ブラタモリの放送日が2011年3月11日で、そのアンコール放送では
タワーのアンテナが地震で曲がってしまった、という冒頭OPだったんですけど、
ここから見る限り治ったっぽいな。
最近だと、エレベーターのワイヤーが切れたとか、なんとか。
そ、それももう、大丈夫なのよね・・・?

右はプリンスパークホテルをはさんで反対側にあった池が、
大都会の中とてもきれいでした。これも台地のハケによる湧水なのかな?
近くに出世弁財天の宝珠院がありました。
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東京タワーは子どもの頃、一回くらいはいったかな?
タワーへむかうときに立ちはだかる坂が、なんか懐かしいかんじでした。
電波塔だから、より高い所に造るのは当たり前なんですけどね、
なんか「坂登るのか」とガッカリした思い出が・・・。

ドラえもん100体は結局、新宿駅のも箱根のも見に行けなかったんで、見られてよかった。
やっぱり実物があると感動しますね。それにしても造りすぎだね。(笑)

 

史跡を廻ろうというのに、間に異質なイベントつっこんだせいで、
すごく脳波が乱されました。
藤子さんの世界は副作用が強いからな・・・。
生半可な心構えでは、いってはいかんわ。



御成門からふたたび三田線に乗って、大手町をめざします。
今日も頼りっきりです。

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