たまろぐ 将門と神田明神 忍者ブログ

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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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大手町駅のC9出口からでると、将門塚の標識が目に入りました。
この近くにあるらしい。これは、ゆかねば!

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ビルの裏手、気象庁の横に自然にありました。

この間、BSプレミアムで平将門やってたんで、一応経歴は把握したんですけどね。
武蔵国府で足立郡司と興世王(おきよおう)の仲を取り持ったのが、
転落のはじまりだったな・・・。
というか、「将門記」では興世王が悪い入れ知恵を将門にしたってなってるのかな?

その放送では、のちの宿敵となる従兄弟の平貞盛が切れ長目の美形に描かれてて、
その時点でも「!!!」となるのに、地元の親族間の争いで
「(貞盛の父の)国香叔父を殺しちゃったよごめん」ていう将門の謝罪に
宮仕えで中央にいる貞盛が「いいよ、しょうがないよ」と許す文を返し、
将門がほほをピンクに染めるというのが、その番組のハイライトでした。
うぉい、NHKぇ・・・!となったよね。
そうか、将門の乱は従兄弟同士の感情のすれ違い上の悲劇だったのか・・・
BLだな、と変換されました。責任の所在はNHKです。

 

もともとは、ここが神田明神の所在地だったみたいです。
神社が移転したので、将門塚も何度かどかそうとしたけど、結局出来なかった、
という将門の呪いは有名ですね。

   

将門塚はとても美しく整備されてて、それはいいんですが、
その周囲のカエルが異様にキュートで、全部もってかれました。
なんだこれ、かわいいよ、なんでカエル、どうしてカエル???

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お堀端をつたって、国立公文書館をめざします。
公文書館は、北の丸公園の方にあって、どの駅からも遠い。
不便よね・・・。

途中にあった太田道灌の碑。
江戸の歴史の始まりとして、よく出てくる名前だけど、
本人自体はあんまり何した人か知らないですが、上杉氏の武将なんだね。

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芝公園や、はじめての公文書館の利用で手間取りすぎて、
すっかり日が暮れてきてしまいました。
本当なら、このあと神保町へ行ってカレーを食べてから、神田明神をみて
湯島天神と上野公園の五條天神社と摺鉢山古墳と京成のなにかを見てから帰ろうと
思ってたんですけど、もう日が短い季節ですし、無理ですね。

でも将門塚をみたんで、これは神田明神も見ないと、しまりが悪い!
時間との勝負でしたが、カレーを泣く泣く諦め、
空腹を抱えて神田の街を北上します。

あいだにあった中央線と総武緩行線。お茶の水を越えたあたり。
高架下のお店の光が綺麗です。

 

そこから100m位いって左にまがると、すぐ判りました。神社(への階段で)。
やっぱり、台地の上に建ってるんですね~
男坂というらしい。



のぼり切ってみると、やっぱり勝手口でした。
もうね、いいんですよ、最短ルートで、ね。

 

拝殿の横に、またあの3匹の狛犬!?
と思ったら、獅子を題材にした像みたい。
ということは、平塚神社のあの子狛犬、もじつはこれと同じモチーフだったのか。

   

神田明神の祭神は、大国主・少彦名と平将門です。将門はあとから合祀されました。
ネットの説明では、「秀忠の時代に武州の総社とし、江戸の総鎮守として」とあって
江戸の総鎮守はいいとして、武州の総社は ;゜Д゜)ハア!?
え…、あれ、明治時代だけでなく、江戸時代にも武州の総社の地位を奪われてたの?大國魂。
だったら、家康がくれた500石はなんだったのよ。
秀忠の時代になって扱い変わったのかと思いましたが、
境内の説明には総社とまでは書いてなかった。謎

祭神を一の宮、二の宮、三の宮、と数えるのはその名残なのかしら…?

   

神田明神でのお目当ては少彦名命の像でした。
神像はけっこう珍しいから、「おお!」と思ってずっと行きたかったんです。
でも行く機会逃してて、今度こそ、と思ってたんですけど。

あれ、これじゃない・・・これじゃないよ・・・。

たしか、学生時代にネットで見た像は黒くてもっと小さかったような・・・。
もしかして代替わりしちゃった???それとも神田明神じゃなかったのかな。
い、いや・・・なんというか。ちがうんです。


このページ(http://www.kandamyoujin.or.jp/info/keidai/detail.html?kid=4)によると
この彫像は東京藝術大学学長の宮田亮平さんがつくったらしい。
いや、このモチーフの解釈は正しい、正しいよ…とても。 orz

普通、エビス様というと、大国主の跡取りの事代主(息子)が習合されるんですが、
神田明神ではスクナヒコナがエビス神なんですね。
いいとおもいます!大黒様と恵比寿様のブロマンス的に。←
親子よりは、比肩出来る兄弟仲の方が、大黒エビスの関係に近いと私も正直思います。


そして、そのお隣の大黒様がまだ……。でかいし表情が(なんでこう凶悪なインパクト?)
たぶん、ライトの加減のしかただと思うんですが。
たそがれ時かな!たそがれ時にきたのが全部悪いな!うん!
ほんま、すみませんでした。

 

その他もろもろ、裏手にあった小さな神社。
江戸神社というのがありました。
大宝二年(702年)創建の江戸最古の地主神だそうです。
ただ祭神は大国主ではなく建速須佐ノ男命(すさのお)。
初めはこちらが江戸大明神または天王と呼ばれたらしい。

そういえばスサノオは八坂神社の牛頭天王と習合しているんだよな。

鎌倉時代には江戸氏の氏神で、江戸氏が多摩郡喜多見村に移住の跡は
太田道灌によって祀られてたのが、江戸開府以降、江戸城拡張で
神田明神と共に神田台に移り、さらにまたここに遷ってきたと。

神田明神は天平2年(730年)に武蔵国豊島郡柴崎村(大手町)に創建とあったから
それよりこっちのが古いですね。大宝律令時代だ。

 

その他、いっぱい。ぜんぶ有名所やな。
籠祖神社(猿田彦=サルタヒコと塩土老翁=シオツチノオヂ)、八幡神社、
富士神社(浅間神社と同じ意味だろう)、天神社(菅原道真と柿本人麻呂)、
大鳥神社(日本武尊)、天祖神社(天照大神)、諏訪神社(建御名方=タケミナカタ)

 

ちょっとよかったのが、金刀比羅神社(と三宿稲荷神社)があったこと。
こんぴら様というと、ガンジス川のワニの神格化なんですけど、
日本ではなぜか奈良三輪山の大物主(おおものぬし)が習合してるんですよね。

ワニというと、大国主の息子の事代主(ことしろぬし)が
大阪三島の溝咋姫(みぞくいひめ)の元へ通うのにワニに変身して淀川を上った、
というのがあるから事代主でもいい気がするんですが、大物主なんですね。

大物主は大国主と同格ですが、大国魂神ほどには同一視されてない気がします。
ああ、だいすきだ、大物主と少彦名。

それにしても、この神社、事代主をとことん排除するような。

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