たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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今週はイベント盛りだくさんだな~
とりあえず、ひとやま越えた(実際に蓮台寺駅~今井浜海岸まで歩いた;)休日はおわり、ちょっとほっとしています。
神保町のカレーも美味しかった~!
今回は都営の出口でて目の前のお店だったんですけど、他にもいくつかあるようで、また来ることがあったら、行きたいです。
本屋は篠村さんと書泉グランデさんで欲しかったもの、だいたいそろえました!
「とれいん」のアイボリーの駿馬(笑)欲しかったので、それほど高くもなく、定価で買えて良かったです。
あと、東急の碑文谷工場の本とか。宮田道一さん、関田克孝さん、荻原二郎さんあたりの文と写真が好きだなー。暖かみがあって。わかりやすくて。
書泉さんが、鉄道の売り場を拡大したとかで、表に垂れ幕がかかってました(笑)
さすがの品揃えや-!!
いちばんのめっけもんは、篠村書店さんで、カラーブックスの都営地下鉄が買えたこと。これはまりたての頃、図書館で読んですっごいよかった思い出があるので・・・
というか、都営の歴代の車両写真と、路線別のエピソードやシステム関係のことがひとまとめになってる本て、これくらいしか無かったので。i▽i)
最近になって「今だから話せる都営地下鉄の秘密」とか出ましたよね。
どちらも宝物です。
そのあとは小川町まで歩いて、千代田線に乗って、広尾へ。
千代田線内でメトロの車両を見ませんでした。小田急ばっか、時々常磐線。
千代田線では小田急の新4000形ばかり見たんですが、
日比谷線では東急の1000系?ばかりみました。
5000系の新型は日比谷線にはいれないのかな?;^_^)
というか、そもそも入れる気がない??(笑)
本数少なめと聞く割りには、3回くらい見かけました。
(あれ?少なめなのは、東急線内の日比谷線の本数でしたっけ?)
さて、お土産いっぱいで、宿題もいっぱいというか、読むもの多くて、いや原稿しろよ、ってかんじです。
楽しい! けど、そろそろどこかでアウトプットしないと、もう頭に入らないかも。もう3月も終わりがみえるし、いーやー!!!
とりあえず、ひとやま越えた(実際に蓮台寺駅~今井浜海岸まで歩いた;)休日はおわり、ちょっとほっとしています。
神保町のカレーも美味しかった~!
今回は都営の出口でて目の前のお店だったんですけど、他にもいくつかあるようで、また来ることがあったら、行きたいです。
本屋は篠村さんと書泉グランデさんで欲しかったもの、だいたいそろえました!
「とれいん」のアイボリーの駿馬(笑)欲しかったので、それほど高くもなく、定価で買えて良かったです。
あと、東急の碑文谷工場の本とか。宮田道一さん、関田克孝さん、荻原二郎さんあたりの文と写真が好きだなー。暖かみがあって。わかりやすくて。
書泉さんが、鉄道の売り場を拡大したとかで、表に垂れ幕がかかってました(笑)
さすがの品揃えや-!!
いちばんのめっけもんは、篠村書店さんで、カラーブックスの都営地下鉄が買えたこと。これはまりたての頃、図書館で読んですっごいよかった思い出があるので・・・
というか、都営の歴代の車両写真と、路線別のエピソードやシステム関係のことがひとまとめになってる本て、これくらいしか無かったので。i▽i)
最近になって「今だから話せる都営地下鉄の秘密」とか出ましたよね。
どちらも宝物です。
そのあとは小川町まで歩いて、千代田線に乗って、広尾へ。
千代田線内でメトロの車両を見ませんでした。小田急ばっか、時々常磐線。
千代田線では小田急の新4000形ばかり見たんですが、
日比谷線では東急の1000系?ばかりみました。
5000系の新型は日比谷線にはいれないのかな?;^_^)
というか、そもそも入れる気がない??(笑)
本数少なめと聞く割りには、3回くらい見かけました。
(あれ?少なめなのは、東急線内の日比谷線の本数でしたっけ?)
さて、お土産いっぱいで、宿題もいっぱいというか、読むもの多くて、いや原稿しろよ、ってかんじです。
楽しい! けど、そろそろどこかでアウトプットしないと、もう頭に入らないかも。もう3月も終わりがみえるし、いーやー!!!
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仕事おわったぁぁぁああああああ!あああああああ~
今日帰るって、メールしたんでそろそろ準備せねばな・・・正直動きたくないけど。天気が急速に悪くなりましたね。
日本の古本屋さんで金光さんから郷さんに充てた書簡が3万円で売られている、気になる・・・いや、買わないですけどね!?(ちょっとほしい)
「金光庸夫書簡 郷誠之助宛」
金光庸夫、金光庸夫、昭和16年 5月26日
封筒つき 19×108 墨つき名前まで全24行 金光庸夫・1877-1955 大分県生まれ 昭和期の実業家、政治家 大正生命保険の創業社長 当書簡は第二次近衛内閣・厚相時のもの フアイル№1 76-7 金光庸夫が財団法人結核予防会長・厚生大臣と書き・郷への宛には資金達成委員 男爵とある
奎書店 30,000円
神戸大学の電子図書館システムで、たまたま帝人事件の発端となった郷さんの番町会を批判した記事がヒットして、「そういえば郷誠之助の名前は東横の前身の会社でもみたことあるな」と、この際、ちゃんとおさえておくかと思って、借りた伝記がまだ読み切らないので、帰省のお供に持って行こうか考え中。でもすごい荷物になる予感。(^^;
けっこう面白いんですけど、残念ながら武蔵電鉄や五島さんに関する記述はまだ、でてきてない上に、肝心の帝人事件もさらっと、流された orz
帝人事件で面白いのは、京王京成王子の合併を強く押した三土鉄相がこれで捕まってるんですよね。これで、話が流れたのかな?とも思ったんですけど、どうも昭和7年の段階で、この合併話は詰んでいたもよう。
昭和初期の恐慌の底が昭和6年でそれ以降は回復していったことも、合併を会社側が退けた要因だったのかな?でも、若干、戦時統制の匂いもする。(まだ早いか)
そして、この三土鉄相は、なんとあの宮脇俊三さんの伯父さんでもあるという!!なんと、世間の狭いことか!!!
解説には、時代的なものの限界で、どうしても平沼騏一郎の批判になるので記述をさけたのだろう、とあって、ああ、そういう弊害が・・・。
でも、武蔵電鉄のことも載っていないのは、それも黒歴史だから?
「それは賢明な策である。結構だ、しかし、君はこの郷誠之肋を見離したということだな」といわしめた、五島さんの独走が苦かったのかな。
>Ⅰ中川浩一の東急電鉄史
それとも、他の事業整理に比べて規模が小さい?から、些末なこととされたのかな。
お葬式の委員の中には、五島さんの名前もあるんですがねぇ・・・。
というか、日比谷平左衛門さんとか森村市左衛門さんの名前もあるぞ。
森村さんは、たぶん市左衛門の名前を継いだ開作さんじゃないかな。
日比谷さんはわからない。
(ていうか、日本の爵位って世襲できるんだな。本場は個人に与えられるものじゃなかったでしたっけ?)
まあ、一番の出オチが、伝記の編纂責任者が後藤國彦さんだったという。
郷さんの側近だったのか!!!今まで気づかなかった!
そういえば、郷さんの血縁は川崎系が多かったのです。最期を看取ったのも川崎八右衛門夫妻だという(でも、この川崎さんもはたして何代目なのか;)
あんまり、どこの財閥派ってかんじの人ではなく、ニュートラルなイメージ(渋沢さんみたいな)があったんで、失念していました。
でも、一番の収穫は、和田豊治さんとのニアミスがすごいこと。
事業整理をやる関係で、お互いに顔を見る機会が多かったようで。
当時の和田さんの評価って、すごい高いんですね。なんで社会で習わなかったんだろ??憶えていないだけ?
でも、まあ、ここに和田さん個人のエピソードがはいってるわけではないので、これは別個に伝記を読まねばなるまい。
「財界世話業」という言葉が出来る前に、和田さんは働き過ぎで亡くなってしまうので、基本的には「渋沢栄一」「井上準之助」「郷誠之助」の三氏が当時ではこれに価するよう。でもその働きをみれば、和田さんも充分その資格があった、という。やだもう、なにその不遇のイケメン!
今の時代に、こういう整理をしてくれる人がいればいいのにね~と思ったりして。
19日にこっちもどって、20日には神保町で一緒に美味しいカレーを食べる約束なので、楽しみです。帰りに図書館寄ってこよう。でも、出掛けっぱなしで、4連休って感じがしないのが難点です。もっとやすみたいよー!(贅沢者)
今日帰るって、メールしたんでそろそろ準備せねばな・・・正直動きたくないけど。天気が急速に悪くなりましたね。
日本の古本屋さんで金光さんから郷さんに充てた書簡が3万円で売られている、気になる・・・いや、買わないですけどね!?(ちょっとほしい)
「金光庸夫書簡 郷誠之助宛」
金光庸夫、金光庸夫、昭和16年 5月26日
封筒つき 19×108 墨つき名前まで全24行 金光庸夫・1877-1955 大分県生まれ 昭和期の実業家、政治家 大正生命保険の創業社長 当書簡は第二次近衛内閣・厚相時のもの フアイル№1 76-7 金光庸夫が財団法人結核予防会長・厚生大臣と書き・郷への宛には資金達成委員 男爵とある
奎書店 30,000円
神戸大学の電子図書館システムで、たまたま帝人事件の発端となった郷さんの番町会を批判した記事がヒットして、「そういえば郷誠之助の名前は東横の前身の会社でもみたことあるな」と、この際、ちゃんとおさえておくかと思って、借りた伝記がまだ読み切らないので、帰省のお供に持って行こうか考え中。でもすごい荷物になる予感。(^^;
けっこう面白いんですけど、残念ながら武蔵電鉄や五島さんに関する記述はまだ、でてきてない上に、肝心の帝人事件もさらっと、流された orz
帝人事件で面白いのは、京王京成王子の合併を強く押した三土鉄相がこれで捕まってるんですよね。これで、話が流れたのかな?とも思ったんですけど、どうも昭和7年の段階で、この合併話は詰んでいたもよう。
昭和初期の恐慌の底が昭和6年でそれ以降は回復していったことも、合併を会社側が退けた要因だったのかな?でも、若干、戦時統制の匂いもする。(まだ早いか)
そして、この三土鉄相は、なんとあの宮脇俊三さんの伯父さんでもあるという!!なんと、世間の狭いことか!!!
解説には、時代的なものの限界で、どうしても平沼騏一郎の批判になるので記述をさけたのだろう、とあって、ああ、そういう弊害が・・・。
でも、武蔵電鉄のことも載っていないのは、それも黒歴史だから?
「それは賢明な策である。結構だ、しかし、君はこの郷誠之肋を見離したということだな」といわしめた、五島さんの独走が苦かったのかな。
>Ⅰ中川浩一の東急電鉄史
それとも、他の事業整理に比べて規模が小さい?から、些末なこととされたのかな。
お葬式の委員の中には、五島さんの名前もあるんですがねぇ・・・。
というか、日比谷平左衛門さんとか森村市左衛門さんの名前もあるぞ。
森村さんは、たぶん市左衛門の名前を継いだ開作さんじゃないかな。
日比谷さんはわからない。
(ていうか、日本の爵位って世襲できるんだな。本場は個人に与えられるものじゃなかったでしたっけ?)
まあ、一番の出オチが、伝記の編纂責任者が後藤國彦さんだったという。
郷さんの側近だったのか!!!今まで気づかなかった!
そういえば、郷さんの血縁は川崎系が多かったのです。最期を看取ったのも川崎八右衛門夫妻だという(でも、この川崎さんもはたして何代目なのか;)
あんまり、どこの財閥派ってかんじの人ではなく、ニュートラルなイメージ(渋沢さんみたいな)があったんで、失念していました。
でも、一番の収穫は、和田豊治さんとのニアミスがすごいこと。
事業整理をやる関係で、お互いに顔を見る機会が多かったようで。
当時の和田さんの評価って、すごい高いんですね。なんで社会で習わなかったんだろ??憶えていないだけ?
でも、まあ、ここに和田さん個人のエピソードがはいってるわけではないので、これは別個に伝記を読まねばなるまい。
「財界世話業」という言葉が出来る前に、和田さんは働き過ぎで亡くなってしまうので、基本的には「渋沢栄一」「井上準之助」「郷誠之助」の三氏が当時ではこれに価するよう。でもその働きをみれば、和田さんも充分その資格があった、という。やだもう、なにその不遇のイケメン!
今の時代に、こういう整理をしてくれる人がいればいいのにね~と思ったりして。
19日にこっちもどって、20日には神保町で一緒に美味しいカレーを食べる約束なので、楽しみです。帰りに図書館寄ってこよう。でも、出掛けっぱなしで、4連休って感じがしないのが難点です。もっとやすみたいよー!(贅沢者)
26日の仕事明けに食堂で朝ご飯を食べていたら、
J:COMテレビで郷土の森の特集をやっていたので、昼の3時までは次の作業も入ってこないし、
一度行ってみたかった梅まつりに行ってきました!
去年の秋に、観光館がオープンしたんですよね。
分倍河原の駅前から、京王バスが臨時増発をだしているのですが、
ちゅうバス(市バス)も走ってないのかな?そっちなら100円均一で70円安いはずなんですけど、よくわからなかったです。ってことで、到着。
最近は、行き先がLEDで絵柄の表示もするんですよね。クリスマスバスの時はサンタの顔とか。
今回は梅の花柄でほがらかかわいい~。
バス停の反対側にある広場の「ライオンズの森」という由来が気になります。
博物館の常設展では、くらやみ祭に少し詳しくなれました。
この時期いつもコミティアがあるんで、まだまともに見たことないんですよね。1週間がかりなのか。
品川湾のすさまじい色の塩水を口に含む所で驚愕しました。神事って大変。
世田ヶ谷の郷土誌に「この辺りの若者はわらじ履きで歩いて、この神事を手伝いに行った」みたいな記述があったと思うので、結構広範囲の自治体に支えられてるみたいです。
府中の歴史も面白かった。昭和期の京王の駅の模型があって、
当時の駅の写真が、ホームの端にどうも地下階段があるっぽいのが、この模型で確かめられてラッキーでした。
でも、ほんというと、大正期の府中駅が今は一番知りたいんですが・・・。
その頃は地下階段無くて、構内踏切なんじゃないかなぁ。
ほかにも色々面白かったんで、作品に取り込んでみたいと思います。
でも、何よりも参考になったのは、復元保存された建物の数々!!
すげー、欲しかった構図とか、デザインとかがごろごろ。なにより府中に実際にあったというのが、実用率高いです。もっと早く来れば良かったーーーーーぁ!!
小学校の壇上とか、緞帳とか、株主総会のときの参考に絶対なったのに(しょぼ)。惜しいことした。
いやー、昔の洋館づくりはよいですねー。
やっぱ、こういうのは想像じゃ描けないな。そういう技術的な貯金もないし。
こんどは、ぞんぶんに活かそう。*´艸`*)
和風の建物もいいかんじした。時代劇のセットみたい~。
農家は民権化時代の参考になりそうでした。描くかどうかは微妙ですが。
そして、博物館で某様のブログで知った八王子の鉄道展のチラシもゲット。残り一枚でした。
って、ことで、昨日はその八王子にいってきましたよ~~~!
あ、梅はまだほとんど咲いてませんでした。(^あ^;
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さきに八王子行って帰りにいこうと思ってたんですけど、あまりにもお腹がすいていたので、先に高尾山の冬そば。
日光屋さんの山芋の天ぷらはあいかわらず絶品でした~!
もう一個は栄茶屋本店さんのきのこ汁そば。解ったのはナメコとキクラゲだけで、それ以外は謎のキノコだらけでした。椎茸ではないのはたしか(←大嫌物)。
真っ黒いキノコがあったんですげど、なんでしょう?ぶりぶりふわふわした食感でした。
味は意外と濃いめで、ほのかに三つ葉とゆず?の香り。全体的にスパイシーですらあり。いや~満足、お腹いっぱいです。
高尾山口駅の待機メロディ?が「チェカ・リンダリンダリンダ・・・」みたいな洋曲がかかってたのが気になりました。あれはなんだろう?
JR八王子駅。SOGOがついに閉店していました・・・。
次はセレオ八王子北館とかになるんだそうで。セレオ?
中央通路で、武田軍が桃を配ってて大行列ができていました。
写真はご当地ゆるキャラ武田菱丸です。
関係ないですけど、帰りに寄った京王ストアではキョロちゃんの着ぐるみが店内を歩いていてびびりました。菱丸は布張りだけど、キョロちゃんはビニール製だった・・・。かわいかったけど。
(写真右)駅の向こう側って、ほとんど来たこと無かったんですけど、結構ひらけてる。とちの木広場というらしいです。
昼に休憩するにはもってこいだな~、と色々妄想。←
駅前を右に折れてから、結構あるく・・・。ジョナサンがみえるまでは、とりあえずがんばって下さい!
お向かいの市役所は解体工事するらしいです。資料館と姉妹みたいなつくりなんですけどね。資料館の方も時間の問題かな・・・。
展示の内容は、調布の時と同程度の量でしたが、こっちはきちんとパンフがある!
しかも400円でリーズナブル!せっかくだから、荒川区みたいに100円位入場料とればいいのに、といらぬ心配。
ただ販売場所が、建物の外の窓口か、廊下の奥の事務室の中に声を掛けるかで、やや買いにくいところはありますが。
すでに、残部少数で、4月に再版かかっているそうなので、
国鉄編で手に入らなかった方は、4月の私鉄編も行けば、手に入ると思います。
ただ、荒川区のとちがって、展示品の全部が収録されているわけではなさそうなので、先にパンフを買って見比べると良いかも知れません。
個人的な収穫は、大正期の八王子停車場の写真が載っていることと、横浜線の建設時の写真で土方?さんの衣装がわかることです。
4月は玉南のもあるだろうし、いや~、いい時期にやってくれたな~、楽しみです。
あと、常設展の方に渋谷定七さんの大店模型があって、渋谷さんが織物買継商だとわかったことも、なにげに収穫でした。村野常右衛門さんの本に、八王子の選挙区で争ったような記述があったので、八王子の有力者だというのはわかってたんですが・・・。
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帰りの京王ストアで買った、八社会のパンが自重していない。
時々、こういうの出しますよね。
まえに、箱ティッシュを買った時にも、側面に各社の電車の写真がついてた。
珍しがられて、会社の人がほしがったので、あげちゃいましたが。
10日また永山寄ってきました。今度は買った!永山あんぱん!
この焼き印が地味に笑えるんです。直球v(ツボらしい)
ホイップクリームぎっちりでしたが、甘いのはあんこのほうで、ホイップ自体はさほどでもなく、緩衝材的な、甘さの中和剤みたいになってて、おいしかったです。
あと、となりに永山クリームパンなるものもあって、ふ、ふえてる・・・v
あと、前回の記事の訂正というか、駅の外れに東秀はまだ残っていました!ちょっと嬉しい。
というか、もとの位置そのままかな?これ。てんやのほうが、店舗の場所うつしたのかも。
隣の廃墟はもと居酒屋だったような気がする。利用してないからあんま憶えていないですが。
永山はリトナードでやっぱりいいみたいです。
前にフレンテの看板をみたような気がしたけど、勘違いだったようで、一昨日探したら見つからなかった。案内板にはそんなこと書いていないですし。
改札前のスペース(ルパのお隣)が「coming soon!」になっているんですが、なにになるんだろう。工事中のスペースにはなにか入る様子はないですね、これみてると。
「京王エキチカドッとこむ」のHPながめていて、なんとな~く、リトナードは駅一体型の複合商業施設で、フレンテは駅に近い、別棟の施設なのかな、と思いました。最初はフレンテ>リトナードで、フレンテの方が格とか規模とかが上なのかな?とも考えてたんですけど。リトナードでもでかいとこはでかそうだし。
その他の未整備の施設群は単に「エキチカ」と呼んでいるのかな?
語源の説明じゃ施設の説明になってないですよ・・・orz お願いします(;´▽`)
東秀といえば、昨日の「ぶらり途中下車の旅」でテレビをつけたら、いきなり見慣れた景色が映ってて「…?」「!!!!!」ってなりました。
そうか~府中本町きてたのか~。中久本店さん、気になりつつ入った事無かったんですが、酒粕ラテ、おいしそうでした。今度いこう。
府中の東秀は府中本町のと府中駅前のと2軒あったんですけど、震災の影響で1軒は休業中なんですよね。だから、最近あんま食べに行けてないんですが、何年か前に食べた担々麺が実に辛くて絶品でした。季節毎に復活するんですが、それ以降のはちょっとうまみと辛さがいまいちで…。またあの味でないかなぁ。
それはともかく。
今日の午後12:30からTBSラジオの森田知事の「千葉ドリームもぎたてラジオ」(http://www.tbs.co.jp/radio/mogiradi/)でいすみ鉄道の例の公募社長がゲストで来ていましたね。
もとは成田空港の管制かなんかのマネージャーさんだそうで。
もともと乗り物が好きで、鉄道と航空、どっちにすすもうかというとき、
30年くらい前の国鉄は労組とか例のごたごたで「沈みかけ」だったので、
これから「アゲアゲ」な航空の方を必死で勉強したんだとか(笑)
しかし齢49を数え、そろそろ50に進もうという時、なにか心に宿すものがあったようで、公募したところ100以上のなかから選ばれ、まさか、どうしよう、と思ったそう(笑)
現場のスタッフはJRのOBで年上のベテランの方ばかりだし、若輩の自分が上から指導するよりは、職場のモチベーションをあげるような方法で模索しているそう。
あとはムーミン列車の事とか、子どもの頃の思い出とか。
勝浦に祖母の家があり、当時、外房線が房総東線といわれていた頃、両国から出る蒸気機関車のひく列車に乗っていき、海で遊び、毎夏まっくろになっていたそうで。
大原駅から田んぼの中を延びる木原線の線路にも思い出が深かったそう。
ムーミンは30~40代の女性をターゲットにしていて、「鉄道見に行きたい」といっても行きたがりそうにないお母さんも「ムーミン」なら、来たいと思うかも知れないじゃないですかって、たしかに(笑)
ムーミンは勧善懲悪ではなく「みんなが仲良く暮らしている」からイメージにふさわしい、とも。斎藤博監督の功績だな~。
来週もお越しになるみたいです。興味がありましたらぜひ!
昨日から、立川のオリオン書店さんのノルテ店(北立川駅前の高島屋のお隣)3Fにて、
多摩地域の郷土誌フェアがやってるので、今日お出かけついでに寄ってきました。
鉄道に関するものは少ないですが、多摩ニュータウンの造成記録としてはなかなか。
京王の若葉台車両基地が出来てく様子とか、聖跡桜ヶ丘駅が高架化する前のとか、かゆい所に手が届いた感じ*^^*
東村山市史研究の本は、多摩湖鉄道と武蔵野鉄道と旧西武鉄道がちょこっと載ってたので買ってみました。
意外とおもしろいのが立川の生活史第三集「多摩川の砂利採取と人びと」で、
平成2年頃まで砂利採取を生業としていた方のオーラルヒストリーなんですけど、
府中や調布から、オワイ車という糞尿を都心部へ取りに行く馬車で朝早く甲州街道がだーーーーっと渋滞していたとか。
多摩川での砂利採取が禁止になり、今度は陸砂利といって、調布あたりの畑から砂利を拾う方にシフトしたとか。オリンピックの建設ラッシュで泥が大量にでてたから、砂利をすくって目減りした畑の土も、そういうのをもらってタダ同然で補充できたから、土地の人も「どうぞどうぞ」という感じだったとか(笑)
砂利と云えば、京王は聖跡と中河原の間で京帝砂利という会社を昭和26年にたててて、「これからは砂利の時代!コンクリートブロックもつくるよ!」って、いってたんですけど、昭和39年には多摩川の砂利採取が禁止されるし、その間でも、手掘りならいいけど機械はダメとか、規制がいろいろうるさかったというから、ちゃんと採算とれたんでしょうか?
それが、現・京王エージェンシーだというんだから、なにがどうしてそうなった的な(笑)
前に多摩地域史研究会でやった「多摩の鉄道史」のレジュメ冊子、1と2と、「京王相模原線延伸物語」が載っている多摩ニュータウン学会誌も売られていました。
手元に一冊欲しい!という方はぜひ。
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ここからは昨日の雪の様子。
たまたま昨日は病院の日だったので、さがたま並走線を見てきました。
が、走ってたのは新宿線車両ばっかり(笑)まあ、いいですけどね。
永山駅は小田急マルシェが一足先にリニューアルして、京王クラウン街は11月半ばにリトナードがオープンしたはずですが、フレンテでもあるという、謎。
フレンテとリトナードは同居可能なのか?同じものなのか????
見た感じ、新しく入ったお店はそんなに無くて、元からあったお店をバス停側に押し出した感じ。そのうえ、元の店舗は、工事中で閉鎖されたままだから、まあ、なんというか。↓
ぜんぜん、オープンできてないよ(笑)京王・・・!
しかし、京王クラウン街はどんどんなくなっているんだなぁ・・・(寂)
残ってるのは聖跡のくらいですか。一応、食料品店街(医薬品含む)ってかんじで、SC(ショッピングセンター)とは区別してるんでしょうか。やっぱり謎。
あと「クラウン」ってもしかしなくても「王冠」って意味ですかね(笑)
気にした事無かったけど、改めて考えると、おかしな笑いがこみあげt
前は不二家とテイクアウト専用のお寿司屋さんがあったはずだけど、撤退したっぽい?
残ったのは、ケンタッキーとC&C、啓文堂書店とクリシマかな?京王マートどうした(笑)
そもそも、この半地下街、小田急マルシェと区別しにくいので ;´▽`)
マルシェの松屋は、いつのまにか出来てたんですけど、こんどはすき屋も入って乱戦状態。
銀タコは、昔はグリナード永山の中にあったんですけど、追い出されたのか?(笑)
SEIYUの前にちっちゃなブースとしてオープンして、変わった作り方でおっきかったからよく買ってたんですが、ここのほうが売れそうではありますね。
そのお隣の三井住友銀行は、むかしはさくら銀行で桜色してたんですけど、今は緑色で寒々しい。
ヴィドフランス(青いパン屋さん)は反対に奥へ引っ込んだんだな。
上の階の京王の改札前にルパがオープンしてたから、こちらも乱戦突入だな~。
看板の色が青いから個人的に子供の頃は(小田急のパン屋さん)って呼んでたんだけど、たぶん関係ないですよね。あははははは
ルパはふだんよく買っているので、永山きたら逆にヴィドのパン買います。めずらしくて。
そしたら、「永山あんぱん」なるものを売ってるのですね!(笑)
あんパンの表面に「永」の焼き印がされてて、ホイップクリームもはいっているらしく「・・・やるな!」とニヤリとしてしまいました。永山の名物になればよいな~と。
ああ、もう、多摩ニュータウンの写真とか、懐かしすぎて思い出が止まりませんよ。
そのうえ、この永山の大改造・・・。
昔は、グリナード永山がメインで、竹取の湯もベルブ永山もなかったですし。
気づけば、ゲームセンターだの、パチンコ屋だのが幅を利かせてて。
公団だか都市機構だかがにらみを利かせてた?頃は考えられなかったと思うんですけど。なんか、雰囲気が・・・
てんやは下にうつったけど、お隣が空き店舗なので何とも。お隣だった東秀はいなくなった?
かわりに日高屋が小田急の方でオープンしている。っく!(悔)
小田急マルシェがキラキラしてて上品でまぶしいので、京王リトナードだかフレンテだかは、はやく完成させて見返してほしいものです。ますます格差が目立ちます(涙)
ベルブ永山が出来る前は、諏訪団地に図書館があって。
おもしろいことに、ビニールの手提げに入った状態の紙芝居を貸し出してて、子供の頃はそれを夜のお供にしていたものです。
永山図書館がオープンして、諏訪のは閉館しちゃいましたが。
諏訪の商店街もシャッター街になっちゃったなぁ。
府中に本店がある和菓子の青木屋さんのFC店があって、武蔵野日誌だの栗まつりだの、豆大福だのイチゴ大福だの売ってた和菓子屋さんは、まだあるかなぁ。
あそこのおかげで青木屋さんのファンになったのに、このところ行ってない。