たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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京王線開業100周年!を記念するいみあいで、
自分なりに今まで調べた京王に関する事柄を総括してみようかなという試み。
正直、散乱した主要な資料を引っ張り出すだけで疲労困憊になってます。
京王に関してはなぜかライトな部分しか表にでて来ないので、
ちょっとお話を作るには密度が足りないというか・・・
(なにがわからないのかよく分からない程度にはわからないという・・・謎)
年表になってる前史をならべると、こういう感じ?
明治38年12月12日 日本電気鉄道として蒲田-調布-府中-立川と新宿-府中の支線の軌道敷設を出願
明治39年 8月18日 武蔵電気軌道と改称、立川-八王子と府中-国分寺の路線を追加出願
明治40年 6月25日 新宿-八王子の本線と、府中-国分寺の支線、立川-立川停車場の特許を得る
明治40年 7月4日付けで先行出願した電気事業の許可を得る
明治43年 4月12日 京王電気軌道に改称
明治43年 9月21日 資本金125万円で設立
これはまあ、ウィキ様です・・・。社史の方だと、日付がまず省かれているという、ね。
蒲田が起点となっている蒲田ー調布ー府中ー立川が本線で、新宿ー府中が支線なんですけど、
認可されたのは本線の一部と支線のほうだったわけですね。
で、ここで調布といわれているのは、布田調布と田園調布のどっちかな、あるいは両方か。
※社史によると「蒲田停車場を起点とし、池上村~調布村~玉川村および砧村~千歳村~狛江村~調布町~多磨村~府中町~西府村~谷保村~立川村~立川停車場」とあるので両方ですね。
だとすると、東急多摩川線とルートが被ってくるのかな・・・。
かんじとしては、あれかなぁ。多摩堤通りを通って、二子玉川で玉川線と接続して、
府中いくかんじのルートかなぁ・・・。これだと多摩川を越える必要も無いわけで。
「京王帝都電鉄三十年史」によると、日本電気鉄道のときの発起人は渡辺熊之進ほか17名です。
それが武蔵電気軌道になると、特許状の写真からも分かるように渡辺熊之進ほか60名になってます。
つまり61名もの発起人がいるわけで。その中の代表が渡辺熊之進さんなんですね。
資金募集しているあいだに、増えたんだろうなぁ・・・。
渡辺熊之進は前の記事にも書いたとおり、そもそもは玉川砂利電気鉄道の発起人であり、
玉川電気鉄道の経営者でした。それが
明治36年10月4日専務取締役就任
明治38年8月15日事業遅滞の責任をとり平取締役に転任
明治39年1月3日取締役辞任
というかんじで、経営失敗の責任を取って辞任しています。
日本電気鉄道の出願が、その直前の12月12日ですから、こっちで起死回生を図ったのではないかと。
武蔵電気鉄道の発起人名簿から発起人を書きだしてみますと、
東京市麹町区内内幸町1丁目5番地 渡辺熊之進(玉川砂利電気鉄道の発起人)
東京府荏原郡駒沢村深沢371番地 谷岡慶治(玉川電気鉄道の発起人)
東京府荏原郡玉川村字用賀1572番地 鈴木虎之助(玉川村一の財産家、玉川線の駅設置に協力)
東京府荏原郡碑衾村2672番地 栗山九次郎(衾西部耕地整理組合の組合長で自由が丘誕生の祖)
東京府荏原郡玉川村字用賀659番地 金子為太郎(玉川村村長)
東京府荏原郡玉川村上野毛239番地 田中筑{門+吾}(玉川電鉄相談役)
など、このあたりが玉川とも関係の深そうなかんじの、渡辺さんの協力者ではないかな~?
それ以外だと
東京府北多摩郡武蔵野村大字境172番地 秋本喜七(衆議院議員、郡部会議長、玉川水道監査役)
東京市麻布区麻布山元町58番地 根津嘉一郎(東武鉄道社長など、甲州財閥系)
東京市日本橋区兜町2番地 小池国三(山一証券の祖、若尾逸平の下にいた、甲州財閥系)
東京市麹町区5番町2番地 伊藤大八(衆議院議員、鉄道局長、満鉄副総裁も務めた)
東京府北多摩郡立川村1788番地 中島治郎兵衛(神奈川県会議員,東京府北多摩郡会議長)
東京市京橋区南新堀町1丁目4番地 中沢彦吉(衆議院議員、東京市議会議長、中沢銀行を創立)
東京府荏原郡品川町大字北品川宿82番地 漆昌巌(品川町長、衆議院議員、品川馬車鉄道社長)
東京市京橋区釆女町29番地 越山太刀三郎(衆議院議員、日報社専務、東京電灯常務)
山梨県中巨摩郡玉幡村119番戸 新海栄太郎(教育者、山梨県会議員,東京米穀取引所理事)
あたりが有力な政治家や実業家かな。ほかにも
東京市小石川区中富坂町19番地 森久保作蔵(三多摩自由党壮士の指導者、夜の東京市長とも)
東京市深川区深川大和町8番地 木村許一郎( 東京材木問屋同業組合の初代組合長)
このへんは利光鶴松さんとの関係が深そうだなぁ~と。(深川は利光さんの選挙地盤だった)
東京市日本橋区阪本町9番地 徳田孝平(徳田商会創業者、相場師)
・・・これは鉄道投機によくいる手合いかな?
あとは地元の有力者だと思われる。
佐伯幸四郎(北多摩郡谷保村)内藤信吉(北多摩郡西府村)竹内太左衛門(北多摩郡府中町)
村野泰治(北多摩郡多磨村)井上平左衛門(北多摩郡調布町布田)富沢兵蔵(北多摩郡神代村深大寺)
川本弥太郎(北多摩郡千歳村)渡辺万助(北多摩郡三鷹村)小町利三郎(北多摩郡狛江村)
西山八郎(北多摩郡砧村喜多見)岩本源蔵(北多摩郡千歳村烏山)
並木代右衛門(豊多摩郡代々幡村)石原牛之助(豊多摩郡杉並村)
内藤貞雄(豊多摩郡高井戸村・高井戸村の村長)
芹沢新平(荏原郡世田ヶ谷村)須山権三郎(荏原郡蒲田村)
月村惣左右衛門(荏原郡蒲田村御園)月村治兵衛(荏原郡蒲田村御園)
森孫右衛門(荏原郡蒲田村御園)遠藤友右衛門(荏原郡蒲田村大字蒲田新宿)
野村治郎吉(荏原郡蒲田村大字蒲田新宿)三部甚左右衛門(荏原郡池上村)
広瀬三治郎(荏原郡玉川村用賀)
鈴木左内(荏原郡松沢村上北沢・六郷橋をかけた人)
それと爵位のある華士族が10名。これは電車が投資対象として有力視されていたためのよう。
広沢金次郎(伯爵)宗重望(伯爵)
新庄直陳(子爵)竹内惟忠(子爵)内田正学(子爵)
西五辻文仲(男爵)野田谽?通(男爵)松平正直(男爵)本多副元(男爵)杉渓言長(男爵)
その他
藤本辰太郎(東京市四谷区永住町)田中伊三郎(東京市京橋区宗十郎町)
宇田川源七(南足立郡江北村)初見八郎(東京市下谷区仲徒町・中江兆民に師事した新聞記者か?)
久能木宇兵衛(東京市日本橋区室町・久能木商店の当主かな?)岸真次郎(東京市麹町区永田町)
喜谷市郎右衛門(東京市京橋区大鋸町)鳥居梅次郎(南足立郡千住町)
竹内繁之助(東京市神田区錦町)
職業不明のひともいるけど、東京市内在住ならそれなりの資本家ではないかな。
山梨県在住が一人いるだけで、他は全員東京府内または東京市内在住のひとでまかなわれています。
んまあ、京王のテリトリーが東京からでてないので、当然っちゃあ、当然な訳ですが。
このころは、一部甲州系と、玉川電気鉄道ゆかりの一団が注目すべき点ではないでしょうか。
それが、明治40年代の市内電車の動向の末に新たな勢力が加わるのですが、それはまた今度で。
自分なりに今まで調べた京王に関する事柄を総括してみようかなという試み。
正直、散乱した主要な資料を引っ張り出すだけで疲労困憊になってます。
京王に関してはなぜかライトな部分しか表にでて来ないので、
ちょっとお話を作るには密度が足りないというか・・・
(なにがわからないのかよく分からない程度にはわからないという・・・謎)
年表になってる前史をならべると、こういう感じ?
明治38年12月12日 日本電気鉄道として蒲田-調布-府中-立川と新宿-府中の支線の軌道敷設を出願
明治39年 8月18日 武蔵電気軌道と改称、立川-八王子と府中-国分寺の路線を追加出願
明治40年 6月25日 新宿-八王子の本線と、府中-国分寺の支線、立川-立川停車場の特許を得る
明治40年 7月4日付けで先行出願した電気事業の許可を得る
明治43年 4月12日 京王電気軌道に改称
明治43年 9月21日 資本金125万円で設立
これはまあ、ウィキ様です・・・。社史の方だと、日付がまず省かれているという、ね。
蒲田が起点となっている蒲田ー調布ー府中ー立川が本線で、新宿ー府中が支線なんですけど、
認可されたのは本線の一部と支線のほうだったわけですね。
※社史によると「蒲田停車場を起点とし、池上村~調布村~玉川村および砧村~千歳村~狛江村~調布町~多磨村~府中町~西府村~谷保村~立川村~立川停車場」とあるので両方ですね。
だとすると、東急多摩川線とルートが被ってくるのかな・・・。
かんじとしては、あれかなぁ。多摩堤通りを通って、二子玉川で玉川線と接続して、
府中いくかんじのルートかなぁ・・・。これだと多摩川を越える必要も無いわけで。
「京王帝都電鉄三十年史」によると、日本電気鉄道のときの発起人は渡辺熊之進ほか17名です。
それが武蔵電気軌道になると、特許状の写真からも分かるように渡辺熊之進ほか60名になってます。
つまり61名もの発起人がいるわけで。その中の代表が渡辺熊之進さんなんですね。
資金募集しているあいだに、増えたんだろうなぁ・・・。
渡辺熊之進は前の記事にも書いたとおり、そもそもは玉川砂利電気鉄道の発起人であり、
玉川電気鉄道の経営者でした。それが
明治36年10月4日専務取締役就任
明治38年8月15日事業遅滞の責任をとり平取締役に転任
明治39年1月3日取締役辞任
というかんじで、経営失敗の責任を取って辞任しています。
日本電気鉄道の出願が、その直前の12月12日ですから、こっちで起死回生を図ったのではないかと。
武蔵電気鉄道の発起人名簿から発起人を書きだしてみますと、
東京市麹町区内内幸町1丁目5番地 渡辺熊之進(玉川砂利電気鉄道の発起人)
東京府荏原郡駒沢村深沢371番地 谷岡慶治(玉川電気鉄道の発起人)
東京府荏原郡玉川村字用賀1572番地 鈴木虎之助(玉川村一の財産家、玉川線の駅設置に協力)
東京府荏原郡碑衾村2672番地 栗山九次郎(衾西部耕地整理組合の組合長で自由が丘誕生の祖)
東京府荏原郡玉川村字用賀659番地 金子為太郎(玉川村村長)
東京府荏原郡玉川村上野毛239番地 田中筑{門+吾}(玉川電鉄相談役)
など、このあたりが玉川とも関係の深そうなかんじの、渡辺さんの協力者ではないかな~?
それ以外だと
東京府北多摩郡武蔵野村大字境172番地 秋本喜七(衆議院議員、郡部会議長、玉川水道監査役)
東京市麻布区麻布山元町58番地 根津嘉一郎(東武鉄道社長など、甲州財閥系)
東京市日本橋区兜町2番地 小池国三(山一証券の祖、若尾逸平の下にいた、甲州財閥系)
東京市麹町区5番町2番地 伊藤大八(衆議院議員、鉄道局長、満鉄副総裁も務めた)
東京府北多摩郡立川村1788番地 中島治郎兵衛(神奈川県会議員,東京府北多摩郡会議長)
東京市京橋区南新堀町1丁目4番地 中沢彦吉(衆議院議員、東京市議会議長、中沢銀行を創立)
東京府荏原郡品川町大字北品川宿82番地 漆昌巌(品川町長、衆議院議員、品川馬車鉄道社長)
東京市京橋区釆女町29番地 越山太刀三郎(衆議院議員、日報社専務、東京電灯常務)
山梨県中巨摩郡玉幡村119番戸 新海栄太郎(教育者、山梨県会議員,東京米穀取引所理事)
あたりが有力な政治家や実業家かな。ほかにも
東京市小石川区中富坂町19番地 森久保作蔵(三多摩自由党壮士の指導者、夜の東京市長とも)
東京市深川区深川大和町8番地 木村許一郎( 東京材木問屋同業組合の初代組合長)
このへんは利光鶴松さんとの関係が深そうだなぁ~と。(深川は利光さんの選挙地盤だった)
東京市日本橋区阪本町9番地 徳田孝平(徳田商会創業者、相場師)
・・・これは鉄道投機によくいる手合いかな?
あとは地元の有力者だと思われる。
佐伯幸四郎(北多摩郡谷保村)内藤信吉(北多摩郡西府村)竹内太左衛門(北多摩郡府中町)
村野泰治(北多摩郡多磨村)井上平左衛門(北多摩郡調布町布田)富沢兵蔵(北多摩郡神代村深大寺)
川本弥太郎(北多摩郡千歳村)渡辺万助(北多摩郡三鷹村)小町利三郎(北多摩郡狛江村)
西山八郎(北多摩郡砧村喜多見)岩本源蔵(北多摩郡千歳村烏山)
並木代右衛門(豊多摩郡代々幡村)石原牛之助(豊多摩郡杉並村)
内藤貞雄(豊多摩郡高井戸村・高井戸村の村長)
芹沢新平(荏原郡世田ヶ谷村)須山権三郎(荏原郡蒲田村)
月村惣左右衛門(荏原郡蒲田村御園)月村治兵衛(荏原郡蒲田村御園)
森孫右衛門(荏原郡蒲田村御園)遠藤友右衛門(荏原郡蒲田村大字蒲田新宿)
野村治郎吉(荏原郡蒲田村大字蒲田新宿)三部甚左右衛門(荏原郡池上村)
広瀬三治郎(荏原郡玉川村用賀)
鈴木左内(荏原郡松沢村上北沢・六郷橋をかけた人)
それと爵位のある華士族が10名。これは電車が投資対象として有力視されていたためのよう。
広沢金次郎(伯爵)宗重望(伯爵)
新庄直陳(子爵)竹内惟忠(子爵)内田正学(子爵)
西五辻文仲(男爵)野田谽?通(男爵)松平正直(男爵)本多副元(男爵)杉渓言長(男爵)
その他
藤本辰太郎(東京市四谷区永住町)田中伊三郎(東京市京橋区宗十郎町)
宇田川源七(南足立郡江北村)初見八郎(東京市下谷区仲徒町・中江兆民に師事した新聞記者か?)
久能木宇兵衛(東京市日本橋区室町・久能木商店の当主かな?)岸真次郎(東京市麹町区永田町)
喜谷市郎右衛門(東京市京橋区大鋸町)鳥居梅次郎(南足立郡千住町)
竹内繁之助(東京市神田区錦町)
職業不明のひともいるけど、東京市内在住ならそれなりの資本家ではないかな。
山梨県在住が一人いるだけで、他は全員東京府内または東京市内在住のひとでまかなわれています。
んまあ、京王のテリトリーが東京からでてないので、当然っちゃあ、当然な訳ですが。
このころは、一部甲州系と、玉川電気鉄道ゆかりの一団が注目すべき点ではないでしょうか。
それが、明治40年代の市内電車の動向の末に新たな勢力が加わるのですが、それはまた今度で。
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