たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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夏休みの帰省を利用して、神社名所をいろいろ見てきました。
こちらは神奈川県大磯町の相模国総社・六所神社です。
大國魂神社がかつて、(武蔵国の)六所宮や六所明神とよばれていた如く、
相模国にも六所神社とよばれ、相模国内の有名社を一箇所に祭った総社があったという事です。
しかも、大祭は大國魂とおなじ5月5日。
これはよい比較サンプルが近所にあったものだ、と思い見てきました。
これはそこでもらってきた、六所の地図。
大國魂には一の宮~六の宮がありますが、相模国の六所神社は一の宮~四の宮までしかなく、
五の宮「格」(=相当)という扱いで平塚八幡宮、そして自分を入れてやっと六所という、
なんか、ちょっとイレギュラーなカウントな気がしないでもないですが、そんな違いがあります。
一の宮 寒川神社(さむかわ) 式内社
二の宮 川勾神社(かわわ) 式内社
三の宮 比々多神社(ひびた) 式内社
四の宮 前鳥神社(さきとり) 式内社
五の宮格 平塚八幡宮
寒川はJR相模線の沿線で有名な神社ですね。これだけが相模川の対岸にあります。
1500年前の雄略天皇の頃、奉幣され、延喜式でも相模国唯一の明神大社というから、
相当格は高いです。関東八州方除総鎮護・八方除の守護神というから効能のテリトリーも広そうです。
川勾神社は11代垂仁天皇の時代に磯長国造阿屋葉造が勅命を奉じ、
日本武尊が東征の途中で奉祀、允恭天皇の皇妃安産を祈願、頼朝は神馬を献上、
小田原北条氏から鬼門守護社とされ、徳川からは50石を寄せられるなど
スポンサーに事欠かない神社です。
「かわわ」の「勾=わ」は「くねくね曲がっている」という意味ですが、
これみてると小田原に入る手前の酒匂川も「さかわ」と読むのを思い出しますね。
「匂」は「勾」が転じたものという説があるそうです。
比々多神社は神武天皇6年国土創造の神を祀ったというのだから、こればヤバイ。
初代じゃないですか。53代淳和天皇の時に当国総社冠大明神の神号を賜る。え?
神社の周辺には古墳が360基もあったらしい。
弥生時代からのものがあるとすれば、神武時代創祀というのもあながち・・・
前鳥神社は1640余年の歴史があり、と創建年代書いてないわりには、数字が具体的だな・・
祭神の前鳥大神は修学・学問の神であり、渡来系技術者を庇護して土木・農業の発展をなし
産業技術の神として崇敬されているらしい。
じつは、平塚にあったとされる国府跡が四の宮から発掘されています。
国府を立てるときに、周辺域に職人用の竪穴式住居がたくさん建てられるんですが、
そんな人達も庇護したのかもしれませんよね。
平塚八幡宮も1600年以上の歴史有り、仁徳天皇68年に大地震があり、その被害をみかねた天皇が詔勅を出して応神天皇を祀ったことから創祀、推古天皇の時代にも地震があり、鎮地大神の御宸筆を賜る。
相模国一国一社の八幡宮で、平塚中心市街と官庁街を結ぶ、最も標高の高い八幡山に位置。
江戸時代に街道が整備されると、門前は大門通りとよばれ、東海道と大山道と厚木街道と須賀港からの道が交わる交通の要所となり、平塚商業発祥の地となる。
そして肝心の相模国総社。
六所神社は崇神天皇の御代、櫛稲田姫を守護神として創建、当時は柳田大神といったという。
大化の改新後、国府鎮座の総社に指定、一の宮から平塚八幡宮の分霊を祀る。
鎌倉時代には源頼朝から富士川合戦の戦勝祈願がなされ、小田原北条氏からは65石の寄進があった。
他の神社に比べると、弱い感じですが、場所は神奈川県大磯町国府本郷935で、
平安時代初期の『和名類聚抄』には「大住府」、鎌倉時代初の十巻本『伊呂波字類抄』には「余綾府」と記されていることから、平塚から大磯へ国府が移転したということが分かっており、
大磯に移ってから指定されたんではないかなと。または、一緒に引っ越した可能性も。
大住(おおすみ)、余綾(よろぎ)は相模国内の郡の名前です。
余綾は近世以降、淘綾と表記される事が多くなり、明治時代では淘綾郡が採用されたそうです。
大きな地図で見る
六所神社とは6柱の神、または6宮を合祀していることからついた名前で、
祀っている神様じたいはまちまちです。
その中で、国府内で国司が一括祭祀できるよう総社とした六所神社というのは、
武蔵国、相模国以外では、下総国(千葉県市川)安房国(千葉県館山)出雲国(島根県)出羽国(山形県)で、埼玉にも総社としての六所神社があるらしいのだけど、これは国府関連とはちがうのかな?
武蔵国周辺で多い傾向ですが、全国に分布としてもいい範囲かもです。
出雲国造と武蔵国造は祖先が同じで、出雲が大和に下ったあたりから、出雲族の武蔵への入植がはじまたっという話もあるくらいだから、武蔵と出雲は案外離れた関係ではないのかもしれませんが、出羽は調べてないのでまだよくわかりません。
総社の六所神社が全国に複数存在するなら、そこから調べれば、国府内に国内の有力社を一括祭祀するという効率化が、いつ頃行われるようになったのかがわかると思ったんですけど、これじゃよく分からないな・・・。
中央から一律にそうするよう、お触れが出たのなら同じ時期にみんな総社をつくったと云えるんですが、どこか1箇所が始めて、隣国がそれをまねるようになった、というようにも見えなくもなく・・・。う~ん。
だいたい、なんで「6社」なんでしょうかね?
ちなみに、国府総社でない六所神社も含めた全国の分布が、上のグーグル地図です。
全国的にあるにはあるんですが、結構偏りがあります。
世田谷などの多摩川流域にもけっこう六所神社があるんですが、
これは大國魂神社から勧請したものが多いみたいです。機会があったらいってみようかな。
一番目を引くのは静岡県西部、愛知県に隣接した地域に群生している六所神社です。
愛知県のなかで有名な六所神社は奥州塩竃の六所明神、塩竃神社から勧請したものなので、
祭神は塩竃神社と同一ですが、お隣の静岡県はなんなんだと。
昔の行政単位でいうと、愛知県は三河国で静岡県西部は遠江国(遠州)です。
静岡県神社庁のホームページ(http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/search.php?mode=city&search=&city=35&p=10)で調べると、だいたい2系統あることがわかりました。
浜松市北区引佐町の辺りで祭祀されているのは
底津海祇神・中津海祇神・上津海祇神と、底津筒男命・中津筒男命・上津筒男命
という海神のダブル3兄弟。
なかでも浜松市浜北区宮口1の六所神社は遠江六十二座式内神社の一社であり、
麁玉郡多賀明神ということで、比較的有名です。
浜松市カントリークラブ周辺で祭祀されているのは
伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大神・月読尊・素盞嗚尊・蛭子命という有名所の3貴神家族です。
とくに浜松市浜北区大平813の六所神社は創建年月日、神階、不詳
延喜式国史所載一宮、二宮、三宮、総社、国内神名帳所載旧社格村社というのが気になる所です。
もしかしたらこれが遠州国の総社なのかも?
でも結局、佐鳴湖の東海道線沿線および天竜川流域で祭祀されてる六所神社は
祭神も由緒もわからないものが多数です。
多分、有名所から勧請しまくったんじゃないかな~?と思うんですが
なんで浜松市にこんなに六所神社がもちゃ~ってなってるのかの理由はわからなかったです。
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小田急で出発したところ、小田原本線に嫌われ小田原行き急行をのがしたので、
次に来た藤沢行き急行で藤沢まで。たまにはこういうルートもいいものです。
JRの藤沢駅のニューデイズが面白い形してましたし(笑)
東海道線で相模川を渡る。
そこからは平塚~大磯~ニ宮~国府津と続きます。
平塚と大磯には先にも書きました通り、国府がありました。
また国府津の「津」は港という意味であり、国府が管理した港で交易を行っていたようです。
さらに相模国の国分寺は海老名にあり、そこにも国府があったんではないかということで、
相模国国府の位置がなかなか定まらない原因になっています。
二宮駅で下車。
二宮の由来はもちろん、ニノ宮の川勾神社があるからですが、
六所神社も大磯駅よりはこちらが近いので。
ただ残念ながら川勾神社と六所神社では方向が全然違うし距離もあるので、
今回は川勾神社の方を諦めました。
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駅前ロータリー。
なんとガラスの兎の像がある。二宮が舞台だったんですね。
だけど、重要なのはその下の標識。
国道一ケタ!しかも1号線とな!
なんと、六所神社へ向かう道は旧東海道でした。
もしかして、相模総社って東海道筋の名所でもあったんかな?
途中にあった消防団らしき施設。
国府新宿となっています。この辺りの地名です。
その手前にあった、お稲荷さんと「道祖神」と堂々と書いた石。
ここまではっきりかいてあると、いっそ清々しいな(笑)
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全国的に雨の中、関東南部は晴れてます。
アスファルトの道みちが、熱気でかなりやばかったですが、どうにかたどり着きました。
ここにも道祖神の石が、神社の碑の後ろに。
さすが、東海道というべきなのか。
右から大正6年、昭和13年、平成9年とあります。
朱の大鳥居なんか、本来は文化14年の建立だったのに、
平成9年の自動車事故で大破してしまったという悲しい事実が書かれています。
鳥居の場所が動いてないとすれば、やっぱり江戸時代の頃から東海道に接していたんですね。
それが古代までさかのぼれるかは謎ですが。
参道をすすむと、なんと東海道線が横たわっていて、地下道が設けられてました(爆)
こんな参道ははじめてです。
え、いつから?もしかして、明治からずっとこれなの?
地下道を設けたのは、もっと列車が頻発に往来するようになってからでしょうが…おーう。
ようやっと、神社がみえてきました。
参道にぽつぽつある大樹はケヤキです。樹齢300年以上はあるそうです。
やっぱり、ケヤキなのか・・・。
それと、またまた道祖神がいました。こんどは夫婦神です。
櫛稲田姫の湯津爪櫛の御守りと神奈川県重要文化財の神像について。
クシナダヒメはスサノオがヤマタノオロチを退治するときに、
櫛に姿を変えて、彼を守ったという伝説があり、そこから御守りとして売られているのでしょう。
御守りに付いている由来には、荒魂(あらみたま)であるところのスサノオの命は
クシナダヒメの奇魂(くしみたま)を得る事で、鎮まりより強く尊い神になったとあります。
なるほど、櫛と奇しきをかけているのね・・・。
この櫛をみにつけると、女性はアゲマンになれるそうです。良縁・災禍除け。
神社では他に鳥の御守りも売っていました。
こちらは源頼朝が治承4年に平維盛軍と富士川で戦ったときの戦勝祈願にちなむものだそうです。
(「吾妻鏡」)
境内には、門から入ってすぐのところに、左右で一対の池があります。
左には竜神を、右には水神と、弁財天を祀っているのですが、
もともとは櫛稲田姫の姿見の池だそうです。
姿見の池といえば、出雲の八重垣神社のが有名ですね。
薄紙にコインをのせて水に浮かべれば、婚期を占えるというやつ。
水神の方はミツハノメなのかな?
左が男(龍)で右が女神って配置なのかな・・・。
近所に大磯プリンスホテルがあるらしく、寄進されてた(笑)
あまり広い敷地ではないながら、この1対の池はかなりの存在感です。
水も比較的美しい。近くの井戸からポンプでくみ上げている模様。
それにしても、な~んで出雲の神さまなんだろうなあ?
駅にもどります。
途中、秦野駅方面へいく道があるらしく、秦野道という名前の停留所がありました。
秦野って、渡来系技術集団となにか関係があるのかな?
それにしても、周辺の積乱雲が、ほんとすごい。
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