たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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以前紹介した、府中の古道の地図のなかにあった「いききの道」「御滝道」にまつわる神社、
清水が丘の滝神社を見てきました。
府中崖線のハケ下にわく湧水による滝が神社の名前の由来なのでしょうが、
そう思うと府中市清水が丘の地区名の由来も同じなのでしょうね。
スタートは府中競馬正門前駅から。
平日の昼間なので人いねぇ~。
駅から府中競馬場に向かっては坂になっています。
気にしてなかったけど、これが段丘差だったんですね。
坂の左右は駐車場になっていますが、その背後がぼんやりと崖の茂みになっています。
坂の名前。
普門寺の裏手にあたる坂なので「普門寺坂」とか「薬師の坂」とかいうようです。
ここのお寺では薬師如来が祀られているのですね。
薬師信仰と目薬はけっこう深いつながりがあって、
新井薬師とか秩父の薬師様では境内にメグスリノキを植えて
目薬の飴とか葉っぱとかよく売っていますよね。
もうひとつ、「古墓=ふるはかの坂」というのも気になる所ですが、
古墳時代の墓ではなく普通の仏葬以降のお墓を指しているようですね。
武蔵国衙の周囲には古墳があんまりありません。
国府を設ける予定地に古墳を作るのを制限したのでは、という説もあったんですが
発掘で元からあった竪穴住居の上に掘立建物を上書きしたりしているので、
そういう建築制限があった訳ではなく、この辺りの崖は高さがあまりないから
地域で一等高い場所を選ぶ古墳には適さなかったのだろうというのを
最近「多摩のあゆみNo137」で読みました。
たしかに、あんまり崖が目立つほどでは無いんですよね。
あと、yahoo地図ではこの辺りに妙顕神社というのがあったんですけど、
もしかしてコレかな?(右の写真)
ものすごい、小さな祠で見逃してしまいそうでした。
何を祀っているのかな。大國魂神社からいけるいききの道はもうないので、
坂を降りきって、ここからは競馬場の大通りを東へ向かいます。
競馬場の駐車場から見た府中競馬正門前駅からのびる橋。
こうしてみると、段丘差があるために競馬場の2階へつなげたことがよく分かりますね。
しばらく行くと、左手にまた崖の上へ上る坂がありました。
「天地の坂」と「馬坂」だそうです。どっちがどっちだかはわかりませんが。
天地の坂の方の説明では、やはりこの辺りは湧水による滝が豊富で、
その流水による水車の運用や山葵の栽培もしていたようです。
馬坂の由来は明確ではないそうですが、案外いききの道をゆく運送用の馬が
崖下に降りて水を飲むための坂だったりして・・・。
これもいききの道の名残なのかなぁ。
この坂を右へいくと、おそらく八幡神社の境内の裏手に出ます。
競馬場の通りも端の方まで行くと、急速に雰囲気が変わります。
隣の屏が原因ですね。中を見るとかやぶき屋根のようで???
なにかの郷土資料館か博物館の公園かと思ったんですが、民家っぽいですね。
そこの玄関からまた、甲州街道方面へのびる道の雰囲気がいい意味でヤバイんだわ。
トトロの映画でメイが迷い込んだ竹藪みたいだ・・・。
ちょっと、吸い込まれそうでしたけど、今回は断念して元の道に戻ります。
競馬場通りの道を少し行き、左へ上る坂を選んでまた少し行くと
ようやっとお目当ての場所に来られました。
「いききの道」の分岐路です
入り口らしく道祖神的なものがならんでいますね。
「いききの道」の説明碑。
やはり人が行ったり来たりするために付いた名前で、
「筏道」「ハケタ道」「御滝道」ともよばれると書いてありますね。
それから「甲州古街道」といっているのは、これが大國魂神社の西門から甲斐国府へつづく
古甲州道へつながる道だからなのでしょう。
こうして歩いていると、普通の民家の裏通りなんですけどね。
でも、住宅がなければかなり景色のよい道ではありそうです。
少し遠くに多摩川の河川敷と向岡が見える・・・。
ようやく滝神社へ着きました。
いききの道はまだまだ先へつづいているようですが。
それにしても神社の神域を上から入るというのも、へんな感じだ・・・。
あと、雰囲気ありすぎる。(ビビリ)
もしかして、また裏口からはいっちゃったかな?
崖下から見た鳥居。
その隣にまたまた見事なケヤキ?の木があり。枝振りがまた立派!
ちょっと、写真には納まりきらなかったです。
こちらが社殿とご祭神。
京都の上賀茂・下鴨神社からでも勧請したのかな?
賀茂建角身命(かもたけつぬみ=下鴨の祭神)とその娘の玉依姫(たまよりひめ)と
その子の賀茂別雷命(かもわけいかづち=上賀茂の祭神)という親子三代。
玉依姫のタマは大國魂のタマとも通じるのかしら?
丹塗矢で懐妊したというのは大国主の幸御霊・奇御霊である大物主の話とも共通しますね。
ワケイカヅチの方は大国主の子の阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこ)とも同一視されるというし、
大国主=大物主=賀茂別雷命の父神とすると、そんなに関係性は離れてもいない?のか???
まあ、それはそれほど重要じゃない。
大事なのはこちら。
滝神社の本来の由来の滝。
残念ながら網で囲われております。
府中市ではもう2か所しかこういう清水の湧く場所はないみたい。
しかし、いまだに涸れることなく出続けてるのはえらいと思う。
それにしても、このロケーションのすごさはなんなんだろう。
2本の神木の間から湧き出る清水、って。舞台が本格的。
住宅街の隙間にこんなのが残ってるなんてなぁ。
・・・む、むかしはね!?もっとこんこんと白い水がでてたと思うんですよ?(唐突のフォロー)
さて、ハケと湧水の実際を堪能したところで、東府中駅で電車に乗って帰ります。
次は熊野神社古墳でも見に行くかな。
清水が丘の滝神社を見てきました。
府中崖線のハケ下にわく湧水による滝が神社の名前の由来なのでしょうが、
そう思うと府中市清水が丘の地区名の由来も同じなのでしょうね。
スタートは府中競馬正門前駅から。
平日の昼間なので人いねぇ~。
駅から府中競馬場に向かっては坂になっています。
気にしてなかったけど、これが段丘差だったんですね。
坂の左右は駐車場になっていますが、その背後がぼんやりと崖の茂みになっています。
坂の名前。
普門寺の裏手にあたる坂なので「普門寺坂」とか「薬師の坂」とかいうようです。
ここのお寺では薬師如来が祀られているのですね。
薬師信仰と目薬はけっこう深いつながりがあって、
新井薬師とか秩父の薬師様では境内にメグスリノキを植えて
目薬の飴とか葉っぱとかよく売っていますよね。
もうひとつ、「古墓=ふるはかの坂」というのも気になる所ですが、
古墳時代の墓ではなく普通の仏葬以降のお墓を指しているようですね。
武蔵国衙の周囲には古墳があんまりありません。
国府を設ける予定地に古墳を作るのを制限したのでは、という説もあったんですが
発掘で元からあった竪穴住居の上に掘立建物を上書きしたりしているので、
そういう建築制限があった訳ではなく、この辺りの崖は高さがあまりないから
地域で一等高い場所を選ぶ古墳には適さなかったのだろうというのを
最近「多摩のあゆみNo137」で読みました。
たしかに、あんまり崖が目立つほどでは無いんですよね。
あと、yahoo地図ではこの辺りに妙顕神社というのがあったんですけど、
もしかしてコレかな?(右の写真)
ものすごい、小さな祠で見逃してしまいそうでした。
何を祀っているのかな。大國魂神社からいけるいききの道はもうないので、
坂を降りきって、ここからは競馬場の大通りを東へ向かいます。
競馬場の駐車場から見た府中競馬正門前駅からのびる橋。
こうしてみると、段丘差があるために競馬場の2階へつなげたことがよく分かりますね。
しばらく行くと、左手にまた崖の上へ上る坂がありました。
「天地の坂」と「馬坂」だそうです。どっちがどっちだかはわかりませんが。
天地の坂の方の説明では、やはりこの辺りは湧水による滝が豊富で、
その流水による水車の運用や山葵の栽培もしていたようです。
馬坂の由来は明確ではないそうですが、案外いききの道をゆく運送用の馬が
崖下に降りて水を飲むための坂だったりして・・・。
これもいききの道の名残なのかなぁ。
この坂を右へいくと、おそらく八幡神社の境内の裏手に出ます。
競馬場の通りも端の方まで行くと、急速に雰囲気が変わります。
隣の屏が原因ですね。中を見るとかやぶき屋根のようで???
なにかの郷土資料館か博物館の公園かと思ったんですが、民家っぽいですね。
そこの玄関からまた、甲州街道方面へのびる道の雰囲気がいい意味でヤバイんだわ。
トトロの映画でメイが迷い込んだ竹藪みたいだ・・・。
ちょっと、吸い込まれそうでしたけど、今回は断念して元の道に戻ります。
競馬場通りの道を少し行き、左へ上る坂を選んでまた少し行くと
ようやっとお目当ての場所に来られました。
「いききの道」の分岐路です
入り口らしく道祖神的なものがならんでいますね。
「いききの道」の説明碑。
やはり人が行ったり来たりするために付いた名前で、
「筏道」「ハケタ道」「御滝道」ともよばれると書いてありますね。
それから「甲州古街道」といっているのは、これが大國魂神社の西門から甲斐国府へつづく
古甲州道へつながる道だからなのでしょう。
こうして歩いていると、普通の民家の裏通りなんですけどね。
でも、住宅がなければかなり景色のよい道ではありそうです。
少し遠くに多摩川の河川敷と向岡が見える・・・。
ようやく滝神社へ着きました。
いききの道はまだまだ先へつづいているようですが。
それにしても神社の神域を上から入るというのも、へんな感じだ・・・。
あと、雰囲気ありすぎる。(ビビリ)
もしかして、また裏口からはいっちゃったかな?
崖下から見た鳥居。
その隣にまたまた見事なケヤキ?の木があり。枝振りがまた立派!
ちょっと、写真には納まりきらなかったです。
こちらが社殿とご祭神。
京都の上賀茂・下鴨神社からでも勧請したのかな?
賀茂建角身命(かもたけつぬみ=下鴨の祭神)とその娘の玉依姫(たまよりひめ)と
その子の賀茂別雷命(かもわけいかづち=上賀茂の祭神)という親子三代。
玉依姫のタマは大國魂のタマとも通じるのかしら?
丹塗矢で懐妊したというのは大国主の幸御霊・奇御霊である大物主の話とも共通しますね。
ワケイカヅチの方は大国主の子の阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこ)とも同一視されるというし、
大国主=大物主=賀茂別雷命の父神とすると、そんなに関係性は離れてもいない?のか???
まあ、それはそれほど重要じゃない。
大事なのはこちら。
滝神社の本来の由来の滝。
残念ながら網で囲われております。
府中市ではもう2か所しかこういう清水の湧く場所はないみたい。
しかし、いまだに涸れることなく出続けてるのはえらいと思う。
それにしても、このロケーションのすごさはなんなんだろう。
2本の神木の間から湧き出る清水、って。舞台が本格的。
住宅街の隙間にこんなのが残ってるなんてなぁ。
・・・む、むかしはね!?もっとこんこんと白い水がでてたと思うんですよ?(唐突のフォロー)
さて、ハケと湧水の実際を堪能したところで、東府中駅で電車に乗って帰ります。
次は熊野神社古墳でも見に行くかな。
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