たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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「みっちゃんぷろじぇくと」において、後半のネタ元になった記事。
漫画内でかなり蛇足感つよい流れになっちゃったけど、いれずには居れなかった。
おそらく京王関係の合併計画においてはこれが最古なんじゃないかと。
「●五大電鉄合同計画」明治四十四年八月十九日(土曜日) 読売新聞
旧東鉄重役川田、利光の両氏は今回相提携して
京成電気軌道会社(資本金百五十万円会長利光鶴松)
京王電気軌道会社(資本金百五十万円社長川田鷹)
武蔵電気鉄道会社(資本金三百五十万円社長伯爵廣澤金次郎)
王子電気軌道会社(資本金百万円社長才賀藤吉)の五電鉄会社を
合同し以て市を囲繞する理想的一大市外電鉄会社を起こさんとするの計画を立て
利光氏は既に武蔵電鉄取締役岩下清周、才賀王子電鉄社長と会見を遂げ
其の賛同を得たる由なるも刻下両瓦斯合併問題の横はれるを以て
同問題解決後にあらずんば該計画の実現を見んこと蓋し困難なるべしと云ふ
明治44年の8月というと、東京鉄道が市営化され市電として運転を開始した直後なんですが、
その時期に、なんでこんな大それた計画立ててるのか謎な記事です。
だいたい、「五大電鉄」ってなんですか。私鉄の名前、4つしか挙がってないないんですけど!
まさか、市電含めての話なのか、一体どういう見通しがあって、そんな話に?!
そして主犯格が利光さんぽい(笑)
「旧東鉄重役川田」氏というのは、京王の初代社長です。
市営化される前の、東京鉄道の常務の一人でしたが、もともとは東京電気鉄道の専務でした。
この時期の京王には、旧東鉄の重役の名前がちらほらみえます。
「京王電気軌道」の設立は明治43年4月(創立総会は9月21日)、創立委員長は東京鉄道社長で、東京馬車鉄道時代からの東京電車鉄道の元社長・牟田口元学氏。
京王の専務は利光さんの同族・利光丈平氏で、京王の重役はすべて利光さんの指名によって決められたので、京王の中に東京鉄道の、元三大勢力が大集合かもです。
時期的に市営化を見越した受け皿にされた感がなくもない・・・。
京成電気軌道はこの時期、開業に向けて工事中。
創立以来、京成は会長も社長もおかず、本多専務が切り盛りしてるんですが、
本多さんはもともと東京市街鉄道・工務課長です。
そして、明治44年3月17日の初の株主臨時総会で定款が改められ、役員が置かれることになったんですが、その選出は議長である利光さんに一任され、初代会長には井上敬次郎さんが就任。
しかし、東鉄市営化によって、井上さんは東京市電気局の理事に就任することになり、8月5日には早くも辞任、代わりに利光氏が会長となったので、この記事は、その直後のものということになります。
ちなみに、井上敬次郎氏は東京市街鉄道時代は取締役、東京鉄道では常務の一人でした。
なので、京成・京王=旧東鉄組とみなされても、仕方がないというか、
利光さんの影響下にあったといっていいかと。
武蔵電鉄が岡田治衛武社長じゃなくて、廣澤金次郎氏になっているのは、
明治44年7月3日に岡田氏が辞任し、監査役だった廣澤氏が就任した時期だったからで、こちらもトップが変わったばかりという。どうもどこも不穏当な時期。
ちなみに、岡田氏は明治45年7月に社長に復帰します。
ここで面白いのが、岩下清周氏が武蔵電鉄にいて、王子電軌の才賀氏と同調しているところ。
岩下氏の北浜銀行は才賀電機商会が破綻した時に王子を引き受けようとしていた位、
密な関係だったので、ここでもそれがあらわれているのかなと(笑)
明治末期の鉄道は、40年に日露戦争勝利の短期の好景気のあと、すぐに反動がくるので、
玉川の開業くらいまでが「駆け込み」であるといわれ、それ以降の鉄道軌道は免許はあっても、
開業までに軒並み難儀する時代だったようで、このような合同による計画の実現を考えたのかも知れません。
ところで「刻下両瓦斯合併問題の横はれる」というのは、44年8月ごろ、「市有化問題」と一緒に世間を騒がせていた、東京瓦斯と利光さんの千代田瓦斯の合併問題のことです。
もともと東鉄市営化についても議論のある所で、両方の問題の裏に利光さんがいたのため、随分矢面に立っていたんではと。
ついでに、東鉄の清算人にもなっているので、問題を抱えまくっていたらしい。
======================================
う~ん、ところで、武蔵電鉄=東横線と何も考えずに、作中ではしてしまったんですけど、
この頃の免許って、大正時代に一度失効してしまってて、軽便鉄道として取り直してるんですよね。
そうすると、今の東横の本体って、そっちか。と。ちょっと、しくった。
でもまあ、苦い思い出には違いないから、いいはいいか。
漫画内でかなり蛇足感つよい流れになっちゃったけど、いれずには居れなかった。
おそらく京王関係の合併計画においてはこれが最古なんじゃないかと。
「●五大電鉄合同計画」明治四十四年八月十九日(土曜日) 読売新聞
旧東鉄重役川田、利光の両氏は今回相提携して
京成電気軌道会社(資本金百五十万円会長利光鶴松)
京王電気軌道会社(資本金百五十万円社長川田鷹)
武蔵電気鉄道会社(資本金三百五十万円社長伯爵廣澤金次郎)
王子電気軌道会社(資本金百万円社長才賀藤吉)の五電鉄会社を
合同し以て市を囲繞する理想的一大市外電鉄会社を起こさんとするの計画を立て
利光氏は既に武蔵電鉄取締役岩下清周、才賀王子電鉄社長と会見を遂げ
其の賛同を得たる由なるも刻下両瓦斯合併問題の横はれるを以て
同問題解決後にあらずんば該計画の実現を見んこと蓋し困難なるべしと云ふ
明治44年の8月というと、東京鉄道が市営化され市電として運転を開始した直後なんですが、
その時期に、なんでこんな大それた計画立ててるのか謎な記事です。
だいたい、「五大電鉄」ってなんですか。私鉄の名前、4つしか挙がってないないんですけど!
まさか、市電含めての話なのか、一体どういう見通しがあって、そんな話に?!
そして主犯格が利光さんぽい(笑)
「旧東鉄重役川田」氏というのは、京王の初代社長です。
市営化される前の、東京鉄道の常務の一人でしたが、もともとは東京電気鉄道の専務でした。
この時期の京王には、旧東鉄の重役の名前がちらほらみえます。
「京王電気軌道」の設立は明治43年4月(創立総会は9月21日)、創立委員長は東京鉄道社長で、東京馬車鉄道時代からの東京電車鉄道の元社長・牟田口元学氏。
京王の専務は利光さんの同族・利光丈平氏で、京王の重役はすべて利光さんの指名によって決められたので、京王の中に東京鉄道の、元三大勢力が大集合かもです。
時期的に市営化を見越した受け皿にされた感がなくもない・・・。
京成電気軌道はこの時期、開業に向けて工事中。
創立以来、京成は会長も社長もおかず、本多専務が切り盛りしてるんですが、
本多さんはもともと東京市街鉄道・工務課長です。
そして、明治44年3月17日の初の株主臨時総会で定款が改められ、役員が置かれることになったんですが、その選出は議長である利光さんに一任され、初代会長には井上敬次郎さんが就任。
しかし、東鉄市営化によって、井上さんは東京市電気局の理事に就任することになり、8月5日には早くも辞任、代わりに利光氏が会長となったので、この記事は、その直後のものということになります。
ちなみに、井上敬次郎氏は東京市街鉄道時代は取締役、東京鉄道では常務の一人でした。
なので、京成・京王=旧東鉄組とみなされても、仕方がないというか、
利光さんの影響下にあったといっていいかと。
武蔵電鉄が岡田治衛武社長じゃなくて、廣澤金次郎氏になっているのは、
明治44年7月3日に岡田氏が辞任し、監査役だった廣澤氏が就任した時期だったからで、こちらもトップが変わったばかりという。どうもどこも不穏当な時期。
ちなみに、岡田氏は明治45年7月に社長に復帰します。
ここで面白いのが、岩下清周氏が武蔵電鉄にいて、王子電軌の才賀氏と同調しているところ。
岩下氏の北浜銀行は才賀電機商会が破綻した時に王子を引き受けようとしていた位、
密な関係だったので、ここでもそれがあらわれているのかなと(笑)
明治末期の鉄道は、40年に日露戦争勝利の短期の好景気のあと、すぐに反動がくるので、
玉川の開業くらいまでが「駆け込み」であるといわれ、それ以降の鉄道軌道は免許はあっても、
開業までに軒並み難儀する時代だったようで、このような合同による計画の実現を考えたのかも知れません。
ところで「刻下両瓦斯合併問題の横はれる」というのは、44年8月ごろ、「市有化問題」と一緒に世間を騒がせていた、東京瓦斯と利光さんの千代田瓦斯の合併問題のことです。
もともと東鉄市営化についても議論のある所で、両方の問題の裏に利光さんがいたのため、随分矢面に立っていたんではと。
ついでに、東鉄の清算人にもなっているので、問題を抱えまくっていたらしい。
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う~ん、ところで、武蔵電鉄=東横線と何も考えずに、作中ではしてしまったんですけど、
この頃の免許って、大正時代に一度失効してしまってて、軽便鉄道として取り直してるんですよね。
そうすると、今の東横の本体って、そっちか。と。ちょっと、しくった。
でもまあ、苦い思い出には違いないから、いいはいいか。
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