たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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前掲「川辺と水の事典」に載っていた海運の荷揚げ場所と官有地の関係をあらわした地図がかなり使えそうな。
ちょっと、昔買った「江戸散歩東京地図」(成美堂ブック/2005年)を引っ張り出してきて、地図を比べてみました。(一時期「鬼平犯科帳」と「剣客商売」にはまっていたので、池波正太郎に反応して買い。
佐嶋さんがデラかわいいのですっっっ基本長官×佐嶋さん、逆でも萌。おま)
①の小石川砲兵工廠は元「水戸殿」かな。現小石川後楽園で東京ドームの近くだな。
②の靖国神社は突起部分が「歩兵屯所」と「馬場」であとは細かい苗字が列なってるから旗本か御家人かな?
③の近衛兵営は元「田安殿」と「清水殿」で②の機能が移ってきた感じ?
④陸軍軍馬局は元「一橋殿」で、今は丸紅と、き、気象庁??(笑)
⑤紙幣寮は「酒井左衛門」「小田原右近」「松平越前」「太田備後」「太田備中」「夏目左近」で
大手町駅の北側から北東、東の一帯。逓信総合博物館と、新聞社が多いですね。
⑥太政官、右の細長いの、「松平三河」「水野出羽」「松平内蔵」「松平和泉」「松平誠之助」「稲垣長門」「松平丹波」「水野周防」で、上の空白は「北町奉行所」だったっぽい。下の空白は「南町奉行所」とか「松平阿波」「松平土佐」。で現、え、あ東京駅だ。
左のでっかいの。「安藤対馬」「内藤紀伊」「松平下総」「酒井右京」「本多越中」「本庄区内」「間部下総」と「御厩」、皇居外苑。
下の小さいの、「牧野越中」で日比谷駅南東部、劇場が多い。
⑦日比谷練兵場は「松平大膳」「松平肥前」「南部美濃」「上杉弾正」「大岡越前」など、いわずもがな日比谷公園。霞ヶ関駅のあたり。
⑧工学寮(工部大学校)は「内藤右近」「内藤紀伊」「丹波左京」「松平伯耆」など、で、国会議事堂、首相官邸、内閣府、合同庁舎四号、財務省、経産省、日本郵政公社(この辺は今はもう名前ちがうのかな?)と、虎の門ホール。うをを、一気に中枢に。
⑨工部省製作寮は「松平肥前」「京極佐渡」「木下飛驒」「相良越前」「勘定奉行」など、
金比羅さまがのこってますね。虎ノ門駅南側です。
⑩博物館は「薩州殿」「鍋島加賀」「阿部播磨」「松平時之助」で帝国ホテルです。
⑪鉄道寮(新橋・汐留)は「松平肥後」「松平奥平」「脇坂中務」で新橋停車場だ。ゆりかもめが今いる。
⑫海軍用地は「鉄砲稽古場」「酒井左衛門」
⑬ガス局は「紀伊殿」で今の浜松町駅東側。旧芝離宮。
⑭鉄道寮は「松平肥後」、シーバスや東芝があるあたりかしら、日の出駅の辺はまだ海。
⑮海軍用地(水平本部)は増上寺の西側社地、溜め池かお堀のようだ。隣接地に東京プリンスホテルがたってる。
⑯海軍砲兵屯所は増上寺の南側川縁だな。社地と学寮のようだ。今は芝公園内。
⑰工部省製作寮は「有馬中務」で救生会中央病院や三田高校、赤羽小学校、三田大郵便局など。
⑱勧業寮は「薩州」「松平阿波」「内藤金一郎」「松平伊勢」で三田駅の北東側。NECがある。
⑲浜離宮は「御浜殿」でまんま
⑳海軍省は「稲葉長門」「一橋殿」「松平安芸」「尾張殿」で築地市場!!
㉑電信倉庫局は「奥平大膳」屋敷地で銀座郵便局と銀座中。郵便局は電信も兼務したからかな?
㉒官有波止場は江戸の地図にはまだないかんじだから、埋め立て地かな?はとば公園で残ってる。
㉓㉔の造船局造船所と東京府懲役所は「石川島人足寄場」と「佃煮島」。あれタモリ倶楽部でクルーズしてたのここだっけ。すこし海中にずれますが有楽町線月島駅がありますね。
㉕越中島練兵所は「松平下総」「松平阿波」と「越中島調練場」で元からの軍事訓練場だったのですね。
㉖北海道開拓使は「久世大和」「松平伊豆」「土井大炊」かな。「田安殿」もはいってるのかな?今の箱崎ジャンクションあたり。
㉗の陸軍省倉庫は「御竹蔵」で今は 両国国技館や江戸東京博物館、慰霊堂、復興記念館のある一帯。
㉘のくし形の湊の御蔵は「浅草御蔵」ですね。総武線浅草橋の北側あたり。都営の蔵前駅の由来です。
幕末の大名一覧というページがあったので、そこで当時の持ち主がわかりそうです。
http://bakumatu.727.net/iroha/mame-kanmei.htm こちら
ただ、参考にした古地図も、年代的に多少のずれがあるかもな~。敷地交換してる可能性もあるし。
一橋殿はいわずもがなの徳川慶喜でしょうね。
松平阿波守は蜂須賀さんか。
松平肥後守は・・おお!会津公(松平容保)じゃないっすか。
薩州殿てのは薩摩藩邸ってことでいいのかな・・・。鉄道通すのに反対したっていう(笑)
田町駅のあたりも薩州殿だな。
御覧のように、11,12,13,14の官有地を新橋横浜間鉄道だった東海道線が通っています。
幕府側から接収した官有地をフル活用したようですね。
田町から先は海に張り出してますが(^ ^;)
「水の事典」によると、江戸の荷揚げ場所は市場の機能をもっており、
その規模は武家地の方が町地より遥かに大きかったんだとか。
そして陸揚げに有利な海岸のいい土地は大名の広大な土地屋敷となっていて、
呼び方も武家地の岸を「物揚場」、町地のを「河岸」と読んで、区別していた。
これは火除け地でも「火除明き地」と「広小路」と区別したので文字通り、
武士と町人では棲み分けがはっきりしていた証なんですねぇ・・・。
そういえば、新宿駅南側の「火除け地」も武家屋敷だったか。
江戸の文化に詳しくない明治政府は「河岸」のことを単なる水辺の岸と解釈し、市場の機能の有無を考慮せず、かなり無理な官有地化を強行したようで。
その後、「松方緊縮財政」頃から民間への払い下げが進行してったそうです・・・。
こういう視点もおもしろいものですね。
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