たまろぐ 大阪窯業引込線跡 忍者ブログ

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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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で、河口湖旅行のあと、西八王子で降りて、八王子図書館で八王子関連のことを調べ、
(八王子駅と西八王子駅の丁度間にあって)移動距離が大して変わらないこともあり、
そこから八王子資料館へ行って、「八王子と鉄道展 私鉄編」を見て、ふたたびここへ。
>3/4の記事を参照

正直、体力の限界というか、足の裏の死力を尽くしてここに立っております。
お土産のワインが重い重い。

 

前回は、この省線と玉南の交差部分が、こっち側がただのコンクリートだと思っていたんですけど、反対側にどうも建設当時の石積み部分が残っていた、けど、あっち側の踏切からは距離があり、しかも八高線の橋脚が手前にあって見えにくかったんで、ふたたびこっち側からよく見てみました。

なんか、垂直にぱっつーん、ってなって、片側はコンクリートに増強した感じなんですかね。

たぶん、中央線が、最初は単線だったのに、昭和になってから複線にしたから、
それで幅を増やさなきゃならなくなったんじゃないかと予想・・・。

そう思った、理由がこちら。↓

 

この、交差部分よりやや新宿方面へいった所に残る遺構。
大阪窯業八王子工場引き込み線。

京王線のすぐそばに、コンクリートの橋脚だけ残ってるんですが、幅広な台形なのは、
横浜線とおなじ、築堤による土盛りの形にあわせたものかなぁ・・・。
これが、片側一個だけ残っているんですが、単線で開業した玉南が、京王に合併されたあと、
複線になった際に撤去されたからじゃないか、という記述をみたので、
「へ~そうか、複線化に伴って橋脚も動かされることがあるんだな」と思ったからです。

「東京の鉄道遺産 上」(山田俊明 著/けやき出版)によると、
もとは八王子煉瓦製造(株)という会社で明治30年創業、ホフマン釜を備えた大規模な大型機械化工場として官設中央線の煉瓦建造物に製品が使用されたものの、アメリカ製機械の不具合で目標とした大量生産ができず、埼玉の日本煉瓦製に取って代わられ・・・
八王子煉瓦はその後、関東煉瓦製造を経て、大阪窯業八王子工場となり、1932年(昭和7年)の火災で全焼するまで煉瓦の製造を行っていたそう。

日野煉瓦が、明治21~23年の創業で甲武鉄道の為にあったような会社なら、
こちらは官設中央線(明治34年8月八王子駅~上野原駅間開業)の為の会社みたいですね。

さらに「中央線 街と駅の120年」(三好好三 編著/JTBパブリッシング)の八王子駅のコラムによると、
最初は、単線の引き込み線が中央線の本線から分岐する形で、由井村北野の水田を走り、湯殿川北岸の工場まで建設されたが、明治41年横浜鉄道が開通すると、そちらから築堤で分岐するよう移設された、とあります。

>こちらのページにその線路の地図が載っています。
http://www.geocities.jp/takeshi_departure/renga.html

これみると、意外と中央線と玉南の交差部から近いな~と思って、もしかして距離的にこの築堤交差部が、(漫画の画面的に)見えるかもしれない・・・と不安になり、訪れました。

まあ、思った程には近くも遠くもなかったです。
でもって、こっち側からみると、京王線と横浜線が平行に見えるな・・・ふ~ん。
まあ、考慮にはいれておこう・・・。

  

前回、この付近にあった煉瓦構造物の橋脚で、中央線、八高線、そして第三の一番高い橋脚があって、ヤフー地図でみたら、なにかの側線?らしいと判明したやつ。
たしかに、車止めみたいなコンクリートがあります。京王とJRの交差部の手前辺りですね。
右側の建物の壁、の背後にあるやつがそうです。

 

こちらもりべ~んじ!
はじめ、名前がわからなくてネットの検索でもお手上げの結果だったんですが、
前記山田さんの本で「第二石曽根川橋梁」とわかって、そうか、銘板撮るの忘れた・・・と気づいたので。

でも、橋には「第二石曽根橋梁」とあって、川とは書いていない・・・。
石曽根川は、山田さんの本によると用水路だそうで、それを跨ぐ立派な煉瓦アーチが2004年に取り壊されるまで民家に存在した、とあり、これは「八王子と鉄道展 国鉄編」で展示されてた、日野煉瓦と思わしき遺構のことかなと。
北側に向かって下がっているので、山田川から取水してたのかな~。
高尾のトンネルのように、川が間を通っていたのかどうか。でも川って書いてない・・・。

「八王子と鉄道展」のパンフの地図ではよくわからなかったのですが、
上の民家に残っていたという遺構は、甲武鉄道の、官設中央線と繋がるために移転する前の八王子駅時代のものであり、したがって日野煉瓦製である可能性があるのですが、
この「第二石曽根橋梁」は共用駅である八王子駅移転後の、付け替えられた線路のものであるので、日野煉瓦製ということはなかったですね。
山田さんの本に載ってた地図で理解しました。

たぶん、先の八王子煉瓦か日本煉瓦製でありましょう。

ぜんぶ、つながってるんだなぁ。

 

なんか、鉄道用地の杭が気になって。2、2、1ってかんじで近距離に埋まってました。
外側に向かってだんだん増えてったのかなぁ。
中央線~八高線~側線~みたいに、増築?

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