たまろぐ 住吉町の小野神社(10/11) 忍者ブログ

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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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京王線中河原駅から鎌倉街道を北上し、左に折れると宮前公園というのがあり、
その奥に武蔵国一宮の論社・小野宮小野神社があります。

多摩市一宮にも小野神社があり、多摩川の洪水により、この府中市の小野宮から遷座し、
水がひいて、再びこの地に戻ったのが小野宮で、多摩市に残ったのが一宮だというのが
府中市の見解です。

なので祭神は多摩市一宮とおなじ天下春命と瀬織津姫命なのですが、
ここではさらに兄多毛比命を祀っているという話です。

 

狛犬、子持ちなのが「子取り」で、毬持ちなのが「玉取り」で、これは東京ではよくある
わりと新し目のスタイルなんだそう。
獅子の千尋の谷とは様子がちがい、和やかな雰囲気。

  

境内地は洪水で一度流されてしまったためか、古樹は見当たらず
木も細っこいのしかありません。
しかし一宮の小野神社よりもすがすがしくて居心地がいい。
(あちらはごてごてしてて、若干どんよりした雰囲気だったからな・・・)

 

そのかわりお社の後ろに古木の株が祀られていました。
これがご神体ないしは洪水前のご神木だったのかな・・・。



小野神社のほうを向いて、小さな社がもうひとつ。
「府中の風土記」に倉稲魂命(うかのみたま)も祭祀されているとあったから、
これがそのお稲荷さんだな。

 

そして、この小野宮で重要なのが小野神社の由緒を篆刻した1795年建立の碑文。
三代安寧天皇の時代に使いとして兄武日(えたけひ)がやってきて
国を造り、府や廟をこの地に置いたと読めます。

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小野宮者在武藏州多麻縣小野村在昔 
安寧天皇使兄武日命國造 此州兄武建府於此縣置祖廟於此地
兄武者下春大神之後 二井諸忍野神狭命九世孫
下春者天孫隨駕三十二神之一 而威靈之最也 遂稱縣曰縣府中 號廟一宮
時謂州爲國 謂守爲造 謂廟爲宮 謂創爲一皆古言也
小野元縣名府中日顯 而小野月隱 地屬多麻縣 而名僅存於村落耳
葢上古質朴無廟號 獨依地而稱矣 今也小祠存羊 
亦其名見於延喜式神名帳 爲古廟也 明矣旁有枯株
周囲十尋許 其上可坐百人 瀰枝高聳摩天 殆乎有二千餘歳之想
爲故地也明矣 創降建置莫古焉 舊制威靈鍾於此 宜也四方祈福隨應有驗
内藤子章名重喬好古善醫 今茲傷其衰 修廟勒碑使余銘焉 長島侯援筆篆碑面
銘曰 鍾靈創祠 二千餘年 志士勒碑 不朽是傳 寛政七年九月望日
出雲國下大夫江都鳩谷孔平信敏撰 男信龍渉筆
次信鳳修約 長島侯人藤原巖恭書 内藤重喬肅建
=========================================
兄武日は兄多毛比の「毛」を「け」と読んだために、あてられた文字のようです。

またここでは小野神社の祭神である天下春命が、
兄武の十世代前の祖とされているように見えます。

二井諸忍野神狭命というのは「国造本紀」で
无邪志国造(むさしのくにのみやつこ)
成務朝の御世に、出雲臣の祖・二井之宇迦諸忍之神狭命の十世孫の兄多毛比命を国造に定められた。
知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)
崇神朝の御世に、八意思金命の十世孫の知々夫命を国造に定められ、大神をお祀りした。

とあるのを混同したもののようです。
天下春命は八意思金命(おもいかね)の息子であり、秩父国造の祖です。
二井之宇迦諸忍之神狭命は国造本紀にしかでてこない名前ですが、
出雲臣の祖・天穂日命からわかれた分家筋の祖であり、武蔵国造の兄多毛比の先祖です。

この小野宮の碑文では
天神(八意思金と天穂日を混同)ー天下春(1)ー二井諸忍野神狭(2)ー兄多毛比(10)

と解釈し、「兄武者 下春大神之後 二井諸忍野神狭命九世孫」と書いたのでしょう。

いずれにしても、男系社会が好む「男神の系譜」であり瀬織津姫については触れていませんね。

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小野神社へ向かうとき、中河原駅の隣に建っているスーパーの根本に、なんか小さな神社があるのに気づいたんですが、「住吉町だし住吉様かな?」と思ったら、庚申様の立派な奴だった。

 

庚申は普通西南方向をさすので西南向きだけど、ここのは真西を向いているので
「西向庚申塔」の扁額がでっかく飾ってあります。

肝心の住吉様はどこにあるんだ、とおもったら大國魂神社の境内に
合祀されてしまっているみたいですね。
住吉銀座なのに住吉様いない・・・!(笑)

「府中のまち 紹介」(http://library.city.fuchu.tokyo.jp/about/pdf/20121228kodomohakase.pdf)
によると、中河原というのは、かつて多摩川がもっと北側(中河原と分倍河原の間くらい?)
を流路としていた頃は、浅川との間にはさまれた地域で、そのためその名前がついた
んではないか、としています。

今では浅川と多摩川の合流点はもっと上流の日野の万願寺あたりですが。

また、白糸台では繭の生産が盛んだったため、その名前がついたようで
ここで生産された繭は、世田ヶ谷の砧にもっていってさらして、
さらに八王子で織物にして国府に納めたという話でした。



そういえば、下河原緑道の入り口のインテリジェントパーク近くのマンションに
でっかい繭のオブジェがあったなぁ・・・。
タイトルは「繭のかけ橋」だそうで。

世田ヶ谷に持って行っていたということは、船の往来が盛んだったということですね。
住吉様は航海の神で海神のイメージが強いけど、海と川で区別することもないのか。
海へ行っていた神様が、船や馬に乗って川を遡って山へ帰るというのも
良くある構図だし。

ただ、小野神社に関しては、やはり多摩川南岸で祀られるのが正しいみたい。
小野神社の分布や、横山氏とのつながりなんかをみても、
瀬織津姫は多摩川南岸がテリトリーなんだな。
住吉様は北岸の、国府(中央政府)と一緒にやってきた神様ってかんじがするなぁ。
遠州にやたらと多かった、六所神社の祭神も住吉様とおなじ筒男三兄弟だし。
瀬織津姫と小野氏こと横山氏の関係も、そのうちどこかでやろうと思います。

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