たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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東京人8月号が東京古道特集だったんで、ちょっと高いけど買ってしまった。
今なら、京王ポイント券で本を買うとクリアファイルもらえるよ!ひゃっほーっ
それと、今更ながら銀の匙にも手を出しました。
やっぱり面白いね。動物のお医者さんの再来かと錯覚する、この懐かしい感じも!!
「開拓使」という言葉がわりと頻出するのがぐいぐい来ますね。
開拓使というと、幕末に八王子千人同心が北海道開拓で派遣されてるんですよね。
多摩はほぼ天領だったから藩主が居なくて半士半農、豊臣の刀狩りも及ばなかった土地なので、刀を持ちながら鍬も持ったような家が多くて、完全サラリーマンな藩士よりも開拓に向いてたんだそうで。
すると、この中にも八王子出身のご先祖様の末裔が・・・!!
アキのひいばあちゃんがいちばん好きです。御言葉がカッコ良すぎて。
卒論で少彦名神が奉られている主な神社を調べたときに知ったんですが
少彦名神って大国主命と国土開拓した神様だから、
明治期に北海道でばんばか神社が創立してるんです。
なんで、明治にこんな乱立されてんの!?って思ったら、北方開発の守り神だったんだーね。
府中の大国魂神社もご祭神は大国主命と同一視されているらしいけどよく分からない。
大国魂神っていったら大歳神の子であって、大己貴命ではないような気もするんですが
神社に飾られる絵馬には、あきらかに因幡の白兎伝説っぽい絵が描かれているんで。
でもまあ、当時の蝦夷地開拓の性質から行ったら、これであってるのかもしれない。
魂はあきらか多摩とかかってるから地元の国神が中央の国神と合体した結果なのか。
武蔵野と多摩の使い分けもよくわからないけど。
どっちも万葉集時代から使われてる地名だから古いは古いし。
武蔵野台地のように原っぽいのが武蔵野で、多摩川に近い沖積地帯が多摩なのかな~?
大国魂神社はこのボーダーにあるイメージです。(北と南で)
ただし、そこまできっちり分化してる感じもしないのが悩ましい所ですね。
結論:よくわからない。古代って、いつもそう。
ブラタモリでやってた府中の古道も、国衙の跡も、
2000年代になって発掘でわかったばっかりのわりと新しい研究成果なんですよね。
それまでは国府の場所すら憶測に過ぎなくて、幻の国府よばわりされてて、候補地が高安寺だとか御殿跡地だとか高倉だとか坪の宮だとか、色々いわれてたらしい。宮司の猿渡盛厚さんなんかは京所を主張されてたらしいけど、神社の真下だとはだれも云わないんだ不思議。
大国魂神社は昭和40年~50年代には今ほど立派ではなく、改築の必要があって、その機会に発掘調査ができないかという話になり、当時の矢部市長と相談して協力を得、埋蔵文化財担当がいなかった教育委員会に専任を用意して「武蔵国府関連遺跡」として昭和51年に発掘調査を開始。
参集殿の調査で8世紀のものと思われる大きな掘立柱の遺構が、それまでの竪穴式住居の上を突っ切って建てられた事が分かり、これが国庁の一部であろうということになる。
ただ、民家の建っている土地にはなかなか手が出せないので、社地以外は売地が出たら市で買収して、ということをしてって、ようやっと国衙の位置を近年特定したのですね。
国分尼寺の跡地もはじめは分からなくて、
国分寺と東山道武蔵路をはさんで建っていた事がやっと分かったらしい。
イトーヨーカドーの駐車場だった、府中本町駅横の土地も、御殿地として去年くらいまで発掘されてましたし、そこの結果もそろそろまとまるんじゃないかなあ。
先月、鯛焼き屋があった広場に看板がたってて、府中駅南側が大規模開発する予定らしい。
また色々出て来るんだろうなぁ、と期待しきりです。
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