たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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富岡製糸場がなんか文化審の推薦を受けて世界遺産入りするかもとか、そんな噂を。
官有物払い下げの件を検索してたら、たまたま富岡製糸場が三井に払い下げられたときの所長が、
のちの玉川電気鉄道の専務になる津田興二さんだと知って「えええ!!」Σ(゚ Д ゚ ;;
となったんですが、津田さんも中上川さんの三井改革で三井入りした慶応OBの一人だったんですね・・・しかも紡績関係。和田さんとおなじ境遇だ。なるほど。
中上川さんの名前は「郷誠之助伝」でも河西豊太郎さんや池田成彬さんとともに
頻繁にでてきていたので「どういう人だろう?」とはおもっていたんですが、
財閥関連の新書を読んで、少しはわかりました。
もうちょっと詳しく知りたくて、今伝記を借りて読んでるんですが、
井上馨伝でもわからなかった、井上馨の官界に戻った後の動向が、意外と豊富で(笑)
まったく、浮気のつもりが本妻ゲットだぜー(謎言)
前半部分はほとんど福澤諭吉の行動・思想に偏っているんで、「おいおい中上川はどうした!(汗)」
ってかんじだったんですけど、山陽鉄道あたりから、中上川さん本人の仕事ぶりに言及しだしたので、いよいよ面白くなってきました。
しかし、気になるポイントが多すぎて、ちょっと頭の中で整理がつきませぬ。
とりあえず、中上川さんのもとで働いていた人達の名前がそれぞれビッグすぎるわ!
(朝吹英二・津田興二・和田豊治・武藤山治・藤山雷太・小林一三・岩下清周・・・)
中上川さんは山陽鉄道いりするまえは、甲斐織衞さんと組んで甲斐商店を拡張しようと苦心していたし、なんだか、ここのグループ、まとめて一つなんですねぇ・・・
(福澤一門・森村組・甲斐商店・中上川三井組)
村上定さんの名前も頻出するんですが、この名前、大正時代の玉川の監査役で見たぞ…。
もしかして三井を去った後の中上川組が、鉄道会社にあつまってきてんのかな。
ついでに山陽鉄道の内側の事情もすこし分かって、なんなのこの本内容。一石二鳥?三鳥?
関係ないけど、明治11年に官庁間の連絡手段として電話が実用化され、
その先駆けとなったのが内務省ー警視庁と、宮内省ー工部省のラインだと書いてあって、
前者はともかく後者は何用で(笑)
そういえば、工部省は明治3年12月13日に「皇居内にあった工部省官庁舎を東京木挽町5丁目の元外務省跡に移転」とあるから、最初は皇居内にあったんですね。
それと、何か関係があるのかなぁ。天皇の御裁可を早急に知る為とか?工部が??
よくわからないですが、気になる所です。まさか「ただ近いから」とかじゃないよね(汗)
佐渡金山も一時期皇室財産になってたらしいけど・・・ハテ。
ほかにも、東本願寺が三井京都支店を金庫としていた関係で、それが不良債権化した時に、
中上川さんが「金を返せないなら枳殻邸を登記するよっ」て差し押さえようとしたときの枳殻邸てのが、明治5年に鉄道寮が買収して京都出張所としてた場所だ(鉄道が開通したら原価でお寺に売り戻した)とか、ついこの間、確認したような、へんなところにリンクするんで、面白いんですけど、混乱しますし、憶えてられない。
あとは、中上川さんが英国留学したときに同船していた面子に星亨が居たとか、
松代藩士だった岩下清周は、片倉グループの片倉兼太郎(岡谷市)、東急グループの五島慶太(青木村)、製糸王の藤原銀次郎(長野市、このひとも中上川組)とあわせて「信州出身の財界4人男」にかぞえられるとか、
中上川さんの死後、富岡・大嶋・名古屋・三重の四製糸場が原合名会社に売却されたとか・・・。
原合名って、原六郎さんの系譜か?っておもったら、原善三郎さんのほうだった、おお、そっちか!
どうでもいいっちゃ、いいけど、ちょっとビックリ、気になるポイントが多数で悲鳴。
とりあえず、自分にとって重要なのは明治9年9月以降は井上さんは海外視察でロンドンに滞在し、そのときに中上川さんが知遇を得たということで。
井上さん、この頃日本にいねぇーーーーーーー!!!?
あんなにひっかきまわしてて、どんだけ・・・どんだけ・・・・・・(涙)
官有物払い下げの件を検索してたら、たまたま富岡製糸場が三井に払い下げられたときの所長が、
のちの玉川電気鉄道の専務になる津田興二さんだと知って「えええ!!」Σ(゚ Д ゚ ;;
となったんですが、津田さんも中上川さんの三井改革で三井入りした慶応OBの一人だったんですね・・・しかも紡績関係。和田さんとおなじ境遇だ。なるほど。
中上川さんの名前は「郷誠之助伝」でも河西豊太郎さんや池田成彬さんとともに
頻繁にでてきていたので「どういう人だろう?」とはおもっていたんですが、
財閥関連の新書を読んで、少しはわかりました。
もうちょっと詳しく知りたくて、今伝記を借りて読んでるんですが、
井上馨伝でもわからなかった、井上馨の官界に戻った後の動向が、意外と豊富で(笑)
まったく、浮気のつもりが本妻ゲットだぜー(謎言)
前半部分はほとんど福澤諭吉の行動・思想に偏っているんで、「おいおい中上川はどうした!(汗)」
ってかんじだったんですけど、山陽鉄道あたりから、中上川さん本人の仕事ぶりに言及しだしたので、いよいよ面白くなってきました。
しかし、気になるポイントが多すぎて、ちょっと頭の中で整理がつきませぬ。
とりあえず、中上川さんのもとで働いていた人達の名前がそれぞれビッグすぎるわ!
(朝吹英二・津田興二・和田豊治・武藤山治・藤山雷太・小林一三・岩下清周・・・)
中上川さんは山陽鉄道いりするまえは、甲斐織衞さんと組んで甲斐商店を拡張しようと苦心していたし、なんだか、ここのグループ、まとめて一つなんですねぇ・・・
(福澤一門・森村組・甲斐商店・中上川三井組)
村上定さんの名前も頻出するんですが、この名前、大正時代の玉川の監査役で見たぞ…。
もしかして三井を去った後の中上川組が、鉄道会社にあつまってきてんのかな。
ついでに山陽鉄道の内側の事情もすこし分かって、なんなのこの本内容。一石二鳥?三鳥?
関係ないけど、明治11年に官庁間の連絡手段として電話が実用化され、
その先駆けとなったのが内務省ー警視庁と、宮内省ー工部省のラインだと書いてあって、
前者はともかく後者は何用で(笑)
そういえば、工部省は明治3年12月13日に「皇居内にあった工部省官庁舎を東京木挽町5丁目の元外務省跡に移転」とあるから、最初は皇居内にあったんですね。
それと、何か関係があるのかなぁ。天皇の御裁可を早急に知る為とか?工部が??
よくわからないですが、気になる所です。まさか「ただ近いから」とかじゃないよね(汗)
佐渡金山も一時期皇室財産になってたらしいけど・・・ハテ。
ほかにも、東本願寺が三井京都支店を金庫としていた関係で、それが不良債権化した時に、
中上川さんが「金を返せないなら枳殻邸を登記するよっ」て差し押さえようとしたときの枳殻邸てのが、明治5年に鉄道寮が買収して京都出張所としてた場所だ(鉄道が開通したら原価でお寺に売り戻した)とか、ついこの間、確認したような、へんなところにリンクするんで、面白いんですけど、混乱しますし、憶えてられない。
あとは、中上川さんが英国留学したときに同船していた面子に星亨が居たとか、
松代藩士だった岩下清周は、片倉グループの片倉兼太郎(岡谷市)、東急グループの五島慶太(青木村)、製糸王の藤原銀次郎(長野市、このひとも中上川組)とあわせて「信州出身の財界4人男」にかぞえられるとか、
中上川さんの死後、富岡・大嶋・名古屋・三重の四製糸場が原合名会社に売却されたとか・・・。
原合名って、原六郎さんの系譜か?っておもったら、原善三郎さんのほうだった、おお、そっちか!
どうでもいいっちゃ、いいけど、ちょっとビックリ、気になるポイントが多数で悲鳴。
とりあえず、自分にとって重要なのは明治9年9月以降は井上さんは海外視察でロンドンに滞在し、そのときに中上川さんが知遇を得たということで。
井上さん、この頃日本にいねぇーーーーーーー!!!?
あんなにひっかきまわしてて、どんだけ・・・どんだけ・・・・・・(涙)
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