たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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仕事もおわり、ブラタモれる幸せ。しかし、他局に堂々潜入ってありなのか(笑)
昨晩のブラタモリ新宿誕生編はなかなか感動的でしたねぇ。
曙橋の新宿歴史博物館にはたびたびお世話になります。あそこの写真集はまじおすすめ。
しかし、ガガーリンの額を直しに戻るとか(笑)学芸員さんは責任大変なんだな。
それにしても、甲州街道の馬糞まみれのCGはヒドイ。本当だったとしても、ヒドイ(笑)
玉川上水があのように街道と並行してた所をみると、甲武の前身の会社が上水使って船運したがった感じもよくわかりますね。多摩川だと神奈川方面にそれちゃいますし。四谷大木戸の手前までは開渠だったというから、そこまでは船運も可能なんでしょうが、飲み水としてはやっぱり汚れが心配ですよねぇ。
初台駅の旧ホームは、いっつも電車の中から見えないか探したりするんですけど、
イマイチよくわかんないんですよね^^;
なので映像で見られて嬉しいは嬉しいんですけど、新橋駅のときと比べると汚…ぁぁぃぇ、
下は、このあいだたまたま見つけた、昭和7年頃の新宿駅改造計画に関する朝日新聞の記事。
せっかく、新宿って事で記念に。
「帝都裏玄関として新宿駅大改造案 専売局用地に本屋を移転
……昨日関係者の第一回協議会」昭和七年十月十五日(金曜日)
雑沓を通り越して正に交通地獄の状態にある新宿駅付近を都市計画事業として根本的に改造し、
美しい交通中心を実現すべく立案中であった内務省では関係各省とも協議して漸く原案が出来たので
十四日午後二時から都市計画地方委員会事務所で関係各省連合の第一回打合せ会を開き
内務省から飯沼都市計画課長、前川第一技術課長、
大蔵省から太田営業?管財局総務部長、大熊工務部長、
鉄道省の須田監督局総務課長
東京府庁の金森内務、来島土木両部長、
東京市の近土木局長等関係官庁代表者三十五名参集して
原案について種々意見を交換したが、新宿駅の移転を始め極めて影響の大きい問題なので
次回の会合までに更に各関係官庁で充分研究を遂げ、ある程度の成案を得た上各軌道会社の
意向をも参酌して最後の決定をなす事として午後四時散会した
改造案の要旨は同駅を中心とする将来の交通文化の発展を考慮して新宿駅を現在の反対側
山手線の外側の専売局用地に移転し一万三千六百坪の同用地の内約三割を駅用地とし
省線本駅を建設し約六割八千坪の広大な土地を広場及び道路として思ひ切り明るい駅を実現し、
この広場内の施設としては二階の地下施設をなし下階を市営地下鉄、西武高速、小田急、東横等の
終端駅の相隣接せる集団停車場を作り上階(中二階)には共同の広間を設けて客だまりとし
これと鉄道各線ホーム、バス停車場、広場内歩道に通ずる数本の地下道を作るのを始め
車道と分けて歩道を作り、歩道付近には街路樹を又空地になる三百六十坪は芝生及び植樹地として
広場緑化を実現する
又これに伴って広場外周の道路計画として青梅街道浄水場入口付近の屈曲点から
広場の西側をすぎて甲州街道に通ずる主要連絡道を三十五メートルの幅で設け
又小滝橋方面から来る新設街路をうけて
青梅街道と広場に東北隅との間に二十七メートル幅の連絡道路を設けて
都心方面からの交通に当て、甲州街道以南の代々木駅明治神宮方面との交通については
新しく十八メートル幅の道路を設ける外付近の道路も大改革をなし面目を一新したものとなる計画である
越沢明さん名義の1930年代の東京市役所都市計画図とも一致します。
東横の新宿支線は1917年に私設鉄道法による免許が全部失効したのを受けて、軽便鉄道法によって免許を取り直したときの碑文谷~新宿間の事でしょうが、10年たってもまだ有効だったんですね。結局1936年に失効したようですが。
専売局用地というのは煙草工場のことかな?
わからないのは「市営地下鉄」。どの時点の免許線のことだろうか。
東京高速鉄道が昭和6年12月に新宿~四谷~築地の新宿線を市から譲渡されているけど、東京高速の鉄道だろうか。この契約自体の鉄道省からの認可がちょうどこの頃(昭和7年10月)だから、まだ名義上は市営だったのかもしれないですね。
しかし、青梅街道側がメインのせいか、京王のけの字もでていないのは、なんか寂しい・・・^^;
ここでもなかま外れなのか。
昨晩のブラタモリ新宿誕生編はなかなか感動的でしたねぇ。
曙橋の新宿歴史博物館にはたびたびお世話になります。あそこの写真集はまじおすすめ。
しかし、ガガーリンの額を直しに戻るとか(笑)学芸員さんは責任大変なんだな。
それにしても、甲州街道の馬糞まみれのCGはヒドイ。本当だったとしても、ヒドイ(笑)
玉川上水があのように街道と並行してた所をみると、甲武の前身の会社が上水使って船運したがった感じもよくわかりますね。多摩川だと神奈川方面にそれちゃいますし。四谷大木戸の手前までは開渠だったというから、そこまでは船運も可能なんでしょうが、飲み水としてはやっぱり汚れが心配ですよねぇ。
初台駅の旧ホームは、いっつも電車の中から見えないか探したりするんですけど、
イマイチよくわかんないんですよね^^;
なので映像で見られて嬉しいは嬉しいんですけど、新橋駅のときと比べると汚…ぁぁぃぇ、
下は、このあいだたまたま見つけた、昭和7年頃の新宿駅改造計画に関する朝日新聞の記事。
せっかく、新宿って事で記念に。
「帝都裏玄関として新宿駅大改造案 専売局用地に本屋を移転
……昨日関係者の第一回協議会」昭和七年十月十五日(金曜日)
雑沓を通り越して正に交通地獄の状態にある新宿駅付近を都市計画事業として根本的に改造し、
美しい交通中心を実現すべく立案中であった内務省では関係各省とも協議して漸く原案が出来たので
十四日午後二時から都市計画地方委員会事務所で関係各省連合の第一回打合せ会を開き
内務省から飯沼都市計画課長、前川第一技術課長、
大蔵省から太田営業?管財局総務部長、大熊工務部長、
鉄道省の須田監督局総務課長
東京府庁の金森内務、来島土木両部長、
東京市の近土木局長等関係官庁代表者三十五名参集して
原案について種々意見を交換したが、新宿駅の移転を始め極めて影響の大きい問題なので
次回の会合までに更に各関係官庁で充分研究を遂げ、ある程度の成案を得た上各軌道会社の
意向をも参酌して最後の決定をなす事として午後四時散会した
改造案の要旨は同駅を中心とする将来の交通文化の発展を考慮して新宿駅を現在の反対側
山手線の外側の専売局用地に移転し一万三千六百坪の同用地の内約三割を駅用地とし
省線本駅を建設し約六割八千坪の広大な土地を広場及び道路として思ひ切り明るい駅を実現し、
この広場内の施設としては二階の地下施設をなし下階を市営地下鉄、西武高速、小田急、東横等の
終端駅の相隣接せる集団停車場を作り上階(中二階)には共同の広間を設けて客だまりとし
これと鉄道各線ホーム、バス停車場、広場内歩道に通ずる数本の地下道を作るのを始め
車道と分けて歩道を作り、歩道付近には街路樹を又空地になる三百六十坪は芝生及び植樹地として
広場緑化を実現する
又これに伴って広場外周の道路計画として青梅街道浄水場入口付近の屈曲点から
広場の西側をすぎて甲州街道に通ずる主要連絡道を三十五メートルの幅で設け
又小滝橋方面から来る新設街路をうけて
青梅街道と広場に東北隅との間に二十七メートル幅の連絡道路を設けて
都心方面からの交通に当て、甲州街道以南の代々木駅明治神宮方面との交通については
新しく十八メートル幅の道路を設ける外付近の道路も大改革をなし面目を一新したものとなる計画である
越沢明さん名義の1930年代の東京市役所都市計画図とも一致します。
東横の新宿支線は1917年に私設鉄道法による免許が全部失効したのを受けて、軽便鉄道法によって免許を取り直したときの碑文谷~新宿間の事でしょうが、10年たってもまだ有効だったんですね。結局1936年に失効したようですが。
専売局用地というのは煙草工場のことかな?
わからないのは「市営地下鉄」。どの時点の免許線のことだろうか。
東京高速鉄道が昭和6年12月に新宿~四谷~築地の新宿線を市から譲渡されているけど、東京高速の鉄道だろうか。この契約自体の鉄道省からの認可がちょうどこの頃(昭和7年10月)だから、まだ名義上は市営だったのかもしれないですね。
しかし、青梅街道側がメインのせいか、京王のけの字もでていないのは、なんか寂しい・・・^^;
ここでもなかま外れなのか。
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