たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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先週、まとめるのをさぼってしまったので、今日こそはと。
以下はイベントの時に本と一緒に配ったレジメの一部で、
「みっちゃんぷろじぇくと」のなかでも大元の記事です。
もう内容はほぼこれの引用といっていいかと。
日付は、三土鉄道大臣が三社を官邸に招致して合同を説いた翌々日のものとなります。
「三電鉄合同は議会後実現 玉川、目蒲等も第二次参加し 関西でも合同促進せん」
昭和七年八月二十八日(日曜日) 読売新聞
京成、王子及び京王の三電鉄会社の合同問題が具体化する時期は当事者の口吻に依れば
早くも議会閉会後で実現の能否は来月中旬と予測してゐる、合同の難点は普通の合同の例に漏れず重役の振当上から生ずる人事関係と合併比率の割当が先づ指摘されるが
更に右三社の内京成と王子電車は資本系統は同じく川崎系であり且つ実権を握っている
現重役も亦川崎の代表者と看做し得るので問題ないのみならず所要電力も挙げて東電から供給されてゐる
即ち王子は一万二千キロ京成は七千キロ全部東電から受電してゐる
然に京王は所要電力七千キロ(外に三百キロは東電から受電)は東電の競争会社日電から受電してゐるのみならず川崎系の所有株数(代表者監査役高梨博司氏)は三分の一に過ぎず
他の主力株は合併反対の傾向にある井上社長を擁護する地元関係である、
従って合併の最難点は人事関係と合併比率よりも周囲の事情から京成と王子に対する京王電車の向背にある
併し乍ら該合併計画は当事者一部の間には多年協議されてゐた事柄で最近には大勢上から見て
機熟し然も形式上とは言ひ乍ら三土鉄相が慫慂せるを考慮に入れると十分実現の可能性がある、
右三電鉄が合同された暁には東京郊外電車としては競争線たる玉川、目蒲及び東横の各電鉄会社も第二次的合同に参加するものと思はれ関西に於ては床次鉄相在職時代計画されてゐた阪急(小林一三)阪神(堀啓次郎)と宇治電系の兵庫電気軌道、大軌と大鉄、南海と阪和各並行線路を有する電鉄会社の合同を促進するものと思はる
「不景気がとり持って郊外電鉄の合併、熟す 四電鉄は年内に 他の三組も交渉中」
昭和四年一月十一日(金曜日) 読売新聞
東京付近の電鉄 会社は既に行詰りに達してゐるものが多く局面展開策として他会社と合併連絡して新生面を開き且経営を節約するのを得策とするが鉄道省でも私鉄の合同を慫慂してゐる為に合併気運が相当熟して来た模様で、就中資本系統に於て共通した点が多い京王、京成、王子、玉川の四電鉄は合併の可能性最も多く既に具体的の相談も行はれたことがあるので今年度中には合併談が進捗して実現するに到るかと観られてゐる
尚其他に合併談の交渉が行はれてゐるのは京浜電気鉄道と目黒蒲田電鉄、池上電気鉄道と目黒蒲田電鉄、
東京横浜電鉄と湘南電気鉄道の三組がある模様でこの合併談は
電鉄界の不景気に 連れて益々その必要に迫られるので何れ近く実現されるものとして注目されてゐる
川崎系電鉄合同については、前に載せた記事と上の記事からも分かるように、昭和3、4年代から話はあったものの、一番本格的な動きを見せたのが、昭和7年の三土鉄相の時代であって、しかも、電鉄界の統制については、それ以前の床次鉄相のころから、準備がすすめられていたことがわかります。
昭和4年の記事の段階では玉川も含めた4社合同になってますが、昭和7年の合同ではなぜか外されています。(仲間はずれ/笑)
う~んと、気になるのは王子・京成は問題なく川崎系だけど、京王はちょっと違うみたいな書き方をされている所。
「右三社の内京成と王子電車は資本系統は同じく川崎系であり且つ実権を握っている」
「即ち王子は一万二千キロ京成は七千キロ全部東電から受電してゐる」が
「京王は所要電力七千キロは東電の競争会社日電から受電してゐる」
「川崎系の所有株数(代表者監査役高梨博司氏)は三分の一に過ぎず」
などのところが合同の話が進捗しない「京王電車の向背」の要因として挙げられています。
あいかわらずの、京王様様です。
まあ、一番の要因は、井上さんが合同に反対しているからなんでしょうけど。
京成・王子・京王の三社の中で、川崎財閥の支配力が最も顕著なのは京成であり、
それは社史からもあきらかなのですが、他の二社に関しては、その影響が不明で(汗)
王子の社史では一度だけ「川崎貯蓄銀行」の名が見えますが、文脈から見て主流資本とはとてもいえないかんじです。
「大正15年に東邦電力系の東京電力(今の東電とは別会社)が進出し、それまでの王子株の主流、大正生命(鈴木商店)及び森村銀行系(富士瓦斯紡績)の株の肩替わりを行って、東京電灯との競争の一手段としたものの、昭和3年4月に東京電灯が東京電力を合併、しかし王子の株は東京電灯に渡らず、そのまま東邦電力のもとに残されたので、王子社内には、東電系、東邦系、大正生命系の3大資本系統を有することとなった」とあるように、昭和初期の王子の主力株主は電力会社です。
京王に関しては、社史に資本の言及がありません(汗)
が「株式年鑑 昭和7年度」を見てみると、以下のように上位大株主にかなりの川崎系会社の名前がみてとれます(黄色字)
その関係でしょうが、後藤国彦さんが取締役に、高梨博司さんが監査役に就いています。
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(p600)京王電気軌道 東京府豊多摩郡代々幡町幡ヶ谷1045
設立 明治43年9月21日(設立資本金125万円)
資本金 1290万円(内払込1030万円)
株数 旧株 12万8000株(額面50円払込済)
新株 13万株(30円払込)
重役 社長兼専務・井上篤太郎、取締役・金光庸夫、渡辺嘉一、磯田正朝、後藤国彦、木村篤太郎、
井上平左衛門、兼理事・渡辺 孝、青木重匡、常任監査役・二見満次郎、
監査役・宮本政次郎、高梨博司、芹澤新平、相談役・植村俊平
期末株主数 昭和6年11月末 1571名 同年5月末 1558名
大株主名 大正生命4万0095 川崎貯蓄2万0060 川崎信託9700
平沼久三郎5880 日華万歳4900 帝国生命3770
井上篤太郎3100 日本医師共済生命3000 山口恒吉2830
新日本火災海上2572 芹澤新平2315
購入電力 玉川電気鉄道400キロ 日本電力6500キロ
====================================
しかし、上に見る川崎系会社の合計株数は、3万4660株であり、
これでは第1位の大正生命の4万株にも届いていません。
それに新日本火災海上は大正生命とおなじく、もと鈴木商店系の保険会社なので、
これらを併せると、4万2667株になります。
ちなみに、京成と王子の株式はこう。
====================================
(p596) 京成電気軌道 東京市本所区向島押上町203
設立 明治42年7月30日(創立資本金150万円)
資本金 2025万円(内払込 150万0円)
株数 旧株10万5000株(額面50円 払込済)
第二新株10万株(42円50銭払込)
第三新株20万株(27円50銭払込)
(12年4月1日12円50銭払込)
重役 社長・本多貞次郎、常務・後藤国彦、取締役・上原鹿造、利光丈平、大井田瑞足、監査役・井上敬次郎、大塚 尚、
期末株主数 昭和6年11月末 2276名 同年5月末 2236名
大株主名 千歳商会4万 川崎貯蓄1万8588 本多合資1万8221
千葉合同銀行1万3779 日華万歳生命1万3730 日本火災7840
平沼久三郎6750 河野 通5228 大正生命5000
第一徴兵5000 国華徴兵3970
販売電力 5995馬力(上期) 5788馬力(下期)
(p598) 王子電気軌道 東京市北豊島郡西巣鴨町965
設立 明治43年4月23日(創立資本金100万円)
資本金 1400万円(内払込837万5000円)
株数 旧株 13万株(額面50円払込済)
新株 15万株(12円50銭払込)
重役 社長・金光庸夫、常務・小平保蔵、取締役・広橋嘉七郎、井上篤太郎、田村周蔵、佐々田懋、松永安左衞門、後藤国彦、監査役・宇都宮政市、宮川竹馬
期末株主数 昭和6年11月末 901名 同年5月末 898名
大株主名 東邦證券7万3500 東電證券4万5200 大正生命3万8580
日本教育生命1万0800 宇都宮合名6480 佐々田合名3550
日本医師共済生命2500 國光生命2500 日ノ出商会2470
石崎丈太郎2400 日本昼夜銀行2300 佐々田懋2200
千澤専助2100 千葉合同銀行2090 生保證券1820
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京成においては、やはり川崎系の所有株数が圧倒的で、合計すると9万7907株。(1/4位)
対して王子は千葉合同銀行の2090株くらいで、浅野系の日本昼夜銀行よりも少ない。
かわりに、1位が東邦電力で2位が東京電灯で、3位が大正生命。
では、なぜ王子が「問題なく川崎系」なのかというと、これはもしかしてもっと単純な図式で、
「東京電灯の社長が郷誠之助氏だから」なのではないかと、最近思い至りました。
郷さんが川崎家の為に東京電灯をどうこうするようには思わないのですが、
当時の一般的な見解は、郷氏=川崎系だったのかもしれないですよね。oh…うっかり。
ついでに、東京電灯の株式は以下のよう。
====================================
(p582) 東京電灯 東京市芝区桜田本郷町23
設立 明治16年2月(創立資本金20万円)
資本金 4億2956万2000円(全額払込済)
株数 859万1240株(額面50円払込済)
重役 社長・郷誠之助、副社長・小林一三、常務・五十嵐直三、太刀川平治、本間利雄、鈴村秀三、
取締役・廣瀨為久、河西豊太郎、大橋新太郎、松永安左衞門、
常任監査役・伊東三郎、監査役・萩原拳吉、宮口竹雄
期末株主数 昭和6年11月末 6万1732名 同年5月末 6万1114名
大株主名 東電證券106万7899 東邦證券37万3196 東邦電力13万5000
雨宮保全10万9515 東信電気7万6406 岩崎久弥6万1030
安田保善社4万9508 山口誠太郎3万5000 田島合名3万3647
第一徴兵3万3070 三井合名3万1415 板谷定吉3万0940
小野耕一3万0936 大森慶次郎2万9744 安田銀行2万9567
三井信託2万7716 大森國平2万6709 安田貯蓄2万5300
帝国生命2万5243 穴水合名2万4986
====================================
「大株主」覧のなかには川崎系らしき会社の名前は見当たりませんね。
かわりに安田財閥系の名前がちらほらと、三菱(岩崎)と三井系もいますね。
第一徴兵は根津系かな、小野耕一さんは小野金六さんの息子さんでこの辺が甲州財閥の残りかと。
やはり川崎財閥が東京電灯に影響を及ぼすとしたら、郷さんを通じてしかなさそうですね。
京王が、昭和6年12月に、契約満了を以て、東京電灯から日本電力に受電先を替えているのが、タイミング的に面白い所です。
新聞で、京王が日電から受電していることも、合同の妨げになっている様な書き方をしているのは、この郷さんの影響のことをいっているのかもしれませんね。
京王電鉄30年史にはこの点について「これは契約更改時になっていたほかに、電力購入料金についての東京電灯側の値上げ要求(1キロあたり1銭)が、話合いで調整をみなかったからといわれる。」と書いてあり、ただの偶然かも知れませんが、本当のところは分かりません。
ただし、(外に三百キロは東電から受電)している、というのは恐らく「荒玉水道町村組合への供給分については、東京電灯から引き続き受電した」ための分だと思われます。
でも、川崎が電力事業にまったく投資してなかったというわけではなく、
昭和5年発行の「日本財閥の解体」(高橋亀吉 著/中央公論社)によると、
~川崎財閥には、その金融業を通じて吸収した資金を如何に運用するかと云ふ問題が、
当然起きて来る。…川崎には提携して立つ程の事業家もなければ、その巨額な金融資本を活用し得る程の事業を、川崎自らも経営して居らぬ。そこで従来は、その事業の安固にして収益の確実な点から、専ら電力事業にその資本を投じて来た(だが単なる収益目的の投資だった)。然るに電力界に漸く電力過剰時代が出現し、競争が激化し、前途不安の念が増大して来たので、その資本を電力界から電車界に移動させた。
而して電車事業に投資を始めると共に、後藤國彦をその方面の総司令官にして、川崎の対投資態度が頗る積極的になってきた。…斯くて現在その支配権を獲得したものに京成電軌と池上電鉄があり、準支配権を獲得したものに京王電軌がある。
殊に最近では川崎が中心となって、東京近郊電車会社中の有力なものを合併させることに依って、無益な競争を避けて、投下資本の収益率を高めんとする運動が著々進捗しつつある。~
と解説されて、川崎が鉄道に投資し始めた原因を、電力供給過剰による電力会社の競争激化の情勢によるとしています。
川崎家が昭和金融恐慌を境に台頭してきたのには、先代の川崎八右衛門当主が、それまで消極経営をしていて、政商と呼ばれるような遣り方も避けてきたため、恐慌の損失を免れていたこと、しかも当主が代替わりして積極経営に転じ、井上準之助に目を付けられ第百銀行という大銀行と合併を果たして、負債を負う代わりに上等の得意先を獲得出来た点などがあるようです。
事業規模が拡大するにつれて、川崎家だけではまかなえずに、顧問格の郷さんを通じて採用したのか、河合良成や後藤國彦などの番頭格がそれぞれの事業を担当するようになります。そしてそれを、川崎家を補佐するかんじで高梨さんが監視する役目だったようです。以下は再び「日本の財閥」より。
~ 川崎財閥は、その支配下の銀行会社に対し別に整った統制法を未だ有せず、
単にその信任する番頭連を差遣して、之に一切の権限を委ねて居る。而して
番頭連に対する監視役としては、八右衛門自身これに当り、足らざる所は
高梨博司をして補はさせて居る。従って高梨は川崎財閥の参謀長格である。
尤も、高梨の先輩には杉浦甲子郎が居るが、これは単に川崎子飼ひの長老で、
今日その実際の仕事は若手に委かしてゐる。而して爾余の番頭連には、
夫々その受持部分がある。例へば河合鐵二は銀行を、山崎清は損害保険を、
河合良成は生命保険を、後藤國彦は電鉄をと云ふ工合だ。~
つまり、電車業に関してはまとめて後藤さんが担当だった訳ですね。
ともなればやっぱり、合同運動の最大主力は川崎代表の後藤さんだったんでしょう。
以下の後藤さんのインタビュー記事がありました。
「電鉄合同は未だ進まぬ 後藤京成専務談」 昭和七年十月十四日(金曜日) 読売新聞
王子京成京王三電鉄の合同問題に後藤京成専務は左の如く語った
合同問題は京成としても自分が病気してゐる関係から進まず王子としても態度未定である、従って合同の成否も明確を欠き合併比率、重役の顔触れ等は未だ問題になる処まで行ってゐない
ちなみに、他の電鉄会社で川崎と関係がありそうなのが以下。
====================================
(p611) 池上電気鉄道 東京市京橋区銀座8丁目1
事務所 東京市外大崎町五反田272
設立 大正6年10月23日(創立資本金40万円)
資本金 700万円(内払込305万1250円)
株数 旧株 1万8500株(額面50円払込済)
新株 12万1500株(17円半払込)
重役 社長・中島久万吉、専務・後藤国彦、取締役・益田元亮、金光庸夫、高橋熊三、上原鹿造、野村 孝、
常任監査役・高梨博司、監査役・立石知満
期末株主数 昭和6年11月末 1373名 同年5月末1367名
大株主名 日華生命3万4265 日本火災3万3364 大正生命1万7140
日本教育生命5000 内海頴二2300 後藤国彦2000
中島久万吉2000 林 磯吉2000 天春虎一2000
計画線 五反田ー品川
中延ー池上
自動車線 品川駅前ー丸子多摩川
大森駅前ー池上駅前
(p610) 西武鉄道 東京市京橋区五郎兵衛町10
仮事務所 東京府豊多摩郡淀橋町角筈
設立 大正11年8月15日(創立資本金600万円)
資本金 1300万円(内払込810万円)
株数 旧株 12万株(額面50円払込済)
新株 14万株(15円払込)
重役 社長・岡野 昇、取締役・根津嘉一郎、大川平三郎、諸井四郎、脇田貞三、綾部利右衛門、山崎覚太郎、
監査役・後藤国彦、斎藤 力
期末株主数 昭和6年11月末 2121名 同年5月末 2085名
大株主名 大川合名6300 斎藤長八郎6100 大正生命5370
根本秀太郎4130 千葉利雄3687 綾部利右衛門3500
岡野 昇3250 山崎嘉七3010 国華徴兵2700
東京動産輔兼2650 根津合名2600 脇田貞三2500
計画線 早稲田線(早稲田ー高田馬場)
立川線(新宿ー立川)
(p602) 玉川電気鉄道 東京府豊多摩郡渋谷町大和田1
設立 明治36年10月10日(創立資本金40万円)
資本金 1250万円(内払込725万円)
株数 旧株 11万株(額面50円 払込済)
新株 14万株(12円50銭払込)
重役 社長・平沼亮三、常務・鵜飼重雄、取締役・井上篤太郎、金光庸夫、村瀬末一、
監査役・金澤冬三郎、後藤国彦
期末株主数 昭和6年11月末 978名 同年5月末 966名
大株主名 内国貯蓄銀行2万8284 日本徴兵2万3299 千代田生命2万500
大同大地1万5466 大正生命9176 新日本火災7040
北川日出二郎4910 目黒蒲 田電鉄4500 帝国生命4000
門野幾之進3000 大塚録二2400 徳川達孝2000
販売電力 5227馬力(上期) 5993馬力(下期)
====================================
池上は京成に次ぐ、川崎の直系電鉄会社といってよく、大株主の内訳も納得ですが、
西武(武蔵野鉄道と合併前の)と、玉川にも後藤さんが監査役として参加しています。
そして、これまで見てきて当然気になってくるのが、川崎以上にどの電鉄会社にも大株主として名を連ねている大正生命の存在です。
生命保険会社ですから、投資先として鉄道を有力視するのはあるとおもいますが、しかしその投資先のどれにも後藤さんの名前があるのは気になる所です。
大正生命は金光庸夫さんが鈴木商店をバックに設立した会社で、京王や王子などとは大正時代からの関わりであり、川崎よりも関係は古いです。
しかし、昭和恐慌の中、鈴木が破綻して、その後ろ盾を失った後どうしたのかがよく分かりません。株式年鑑にも途中から記載されなくなってしまいます。
可能性としては、恐慌を機に台頭した川崎財閥系に頼ったというのがありそうですが、
川崎と大正生命が支配関係にあったかどうかは、まだわかりません。
大正14年発行の「財界の名士とはこんなもの?」には、金光庸夫氏について、
~◇従来の経歴を見れば直ぐ分かる事であるが、彼れは明治十年生れ本年とって四
十九歳の働き盛りである。既に政界に於ても相当成功の域に達し、多年下院に席
を置き政友本党の幹事迄勤め上げたものである。又実業界に於ては南武鉄道帝国
石油王子電気等の重役を兼ね、何処に於ても用ひるに足る事を示して居る。
◇即ち山本系かと見れば後藤系と気脈を通じ、浅野系かと見れば鈴木系と握手す
る等、玄妙自在の変通振りを発揮して其間毫も無理らしき痕跡を留めない。さり
とて彼れの方から進んで権勢富貴に接近したと云ふ訳でなく、寧ろ反対に彼れを
利用せんとする分子の多い事は、彼れの有為の材である事を立証するものであ
らねばならぬ。~
とあり、あらゆる財閥と関係をもっていたようです。
浅野系とも関わりがあるから、南武鉄道の重役にもなっていたんでしょうか。
大正14年というと、南武線開通前であり、この頃の南武の大株主に京王と玉川もいて、
井上さんも取締役などになっていたはずなので、どちらの関わりからなのかはよく分かりません。
また昭和13年発行の「非常時財界の首脳」では
~ 大正二年太陽生命を辞すると共に、鈴木を中心にして大正生命を創立し、その専務として財界
の本舞台に登場し、鈴木商店の関東鎮台たる地位についた。
財界パニックに依って大鈴木が没落の惨運に於かれた時、その後援を得てゐる氏の関係事業も
破産を免かれないの如く噂され、大正生命も余程の打撃は受けたものの、
流石は後年の大政治家だけあって、秘策と辣腕を思ふ存分ふり廻して難局を反って
有利に転換し、より以上成績を向上させた程であった。~
と書かれています。「秘策」とはなんなのか、それについての記述はないですが、
やはり鈴木を失って危機的状況になったのは確かなようです。
また、神戸の鈴木商店が、「関東鎮台」として大正生命を扱っていたというのも、大正時代に、東京方面の事業に進出する足場になっていたことを窺わせます。
金光さん自身は「中庸の徳」でどこからも頼りにされ、またその信頼に応える力のある人、という評価で、京王の穴水系との交代の間の社長も務めておりなにかと「中立的な立場の人」だったのではないかと思います。
後藤さんのインタビュー記事でも合併に関して「王子(金光氏社長)としても態度未定である」とあるように、必ずしも川崎とまったく同調していたともいいがたいようです。
しかし、「川崎系の所有株数(代表者監査役高梨博司氏)は三分の一に過ぎず」という文言が気になる所です。京王の株が旧株12万8000株、新株13万株の総数25万8000株だとすると、大株主覧にみる川崎系の株数3万4660株では不足で、大正生命系の4万2667株を足して、漸く「1/3」位の比率になります。
問題は、世間一般が大正生命を=川崎系と見なしていたかどうかです。
それによって、これまで見てきた川崎系の電鉄への影響力もだいぶ違った見方になってくると思うのです。
私は、はじめ、川崎と大正生命は別カウントだと思っていました。そう思った根拠は、
「京王グループの系譜」(小川功)において、
~従来「つつましくして居った」「京王の経営方針が随分変って」「積極策を執った」のは、
この頃京王自体の資本系統が昭和9年3月京王取締役に就任した穴水熊雄率いる
北海道電灯(9年5月では筆頭株主の大正生命40105株に次ぐ36080株を保有する
京王の第二位の大株主、大日本電力と改称)に組み込まれたという「経営陣の変更と
共に」生じた急激な転換であった~
とあるように、川崎が所有していた4万株(よりは実際は少ないか)を後の大日本電力の穴水氏に渡しているときも、大正生命はあいかわらず第一位の地位にとどまっているような書き方をされていたからです。
実際そうなのでしょうが、昭和13年頃の京王の株主名簿には、大正生命のたの字も見いだせません。
綺麗さっぱり居なくなっているのです。
「株式年鑑」の昭和12年度では大正生命4万0105株、北電興業3万8130株、大日本電力8830株、で第2位第3位が穴水株で、併せると一位の大正生命を凌いでいます。
京王の社長も、穴水熊雄氏が就任済です。
それが昭和13年度になると、北電興業が9万5749株の第一位株主となり、
大正生命の名前は消えているのです。
総株数は25万8000株で動いてませんから、大正生命が北電興業に株を譲って消えたということでしょう。社長の座を金光氏が退いたためだと思いますが、具体的に何があったのかはわかりません。
新聞で見る、大正生命のうごきとしては、昭和15年2月10日付けの読売に以下のような記事があります。
「保険事業(生命損害)経営へ 産組突如乗出す 政財界の動向注目さる」
昭和十五年二月十日(土曜日)読売新聞
産業組合中央会会頭有馬頼寧伯は旧臘以来金光庸夫氏との間に
同氏経営の大正生命(資本金五十万円全額払込済)日本教育生命(資本金三十万円三分の一払込済)及び
新日本火災海上(資本金五百万円四分の一払込済)三社(資本金総額五百八十万円中百八十五万円払込済)の買収につき交渉中のところこの程
譲渡価格約七百万円(会社株式、所有有価証券及び営業権を含む)の基本契約に調印した、
右肩替り資金は産組役職員退職共済基金造成委員会において考究中の社団法人もしくは任意団体により
近く組織される産組役職員共済会の基金の一部が運用される形式をとってをりこれが経営主体となってゐるが
実質的には協同組合主義による組合保険への一大飛躍であり、
全国的に役職員五十万、組合員七百万を持つ産組組合の保険運営を立体とする
今後の活動は組合自体の新発展段階を指示するものとして大いに注視されるとともに
保険業界に与へる波紋も極めて重大なるものがある、
しかして問題の突破に驚いた農林、商工両省は既に賛否両論が対立、議会においては
松村謙三氏の簡単なる質問論檄となって現れてをり政財界の本問題を中心とする動向は大いに注目を要する
産業組合が保険業に進出するにあたって、金光さんの経営する保険会社を買い取ろうというもの。
ここにきて、何故金光さんが自分の会社を売ろうとしたのかは分かりませんが、
何か重大な転換期だったんでしょうか。ちなみにこの買収は実現には至りません。
有馬頼寧さんというと、京王が買収して結局廃線にした武蔵中央電気鉄道の取締役だった人というのも、面白い縁ですね。
なにはともあれ、後藤さんと金光さんの関係については、もうすこし精査していきたいところです。
以下はイベントの時に本と一緒に配ったレジメの一部で、
「みっちゃんぷろじぇくと」のなかでも大元の記事です。
もう内容はほぼこれの引用といっていいかと。
日付は、三土鉄道大臣が三社を官邸に招致して合同を説いた翌々日のものとなります。
「三電鉄合同は議会後実現 玉川、目蒲等も第二次参加し 関西でも合同促進せん」
昭和七年八月二十八日(日曜日) 読売新聞
京成、王子及び京王の三電鉄会社の合同問題が具体化する時期は当事者の口吻に依れば
早くも議会閉会後で実現の能否は来月中旬と予測してゐる、合同の難点は普通の合同の例に漏れず重役の振当上から生ずる人事関係と合併比率の割当が先づ指摘されるが
更に右三社の内京成と王子電車は資本系統は同じく川崎系であり且つ実権を握っている
現重役も亦川崎の代表者と看做し得るので問題ないのみならず所要電力も挙げて東電から供給されてゐる
即ち王子は一万二千キロ京成は七千キロ全部東電から受電してゐる
然に京王は所要電力七千キロ(外に三百キロは東電から受電)は東電の競争会社日電から受電してゐるのみならず川崎系の所有株数(代表者監査役高梨博司氏)は三分の一に過ぎず
他の主力株は合併反対の傾向にある井上社長を擁護する地元関係である、
従って合併の最難点は人事関係と合併比率よりも周囲の事情から京成と王子に対する京王電車の向背にある
併し乍ら該合併計画は当事者一部の間には多年協議されてゐた事柄で最近には大勢上から見て
機熟し然も形式上とは言ひ乍ら三土鉄相が慫慂せるを考慮に入れると十分実現の可能性がある、
右三電鉄が合同された暁には東京郊外電車としては競争線たる玉川、目蒲及び東横の各電鉄会社も第二次的合同に参加するものと思はれ関西に於ては床次鉄相在職時代計画されてゐた阪急(小林一三)阪神(堀啓次郎)と宇治電系の兵庫電気軌道、大軌と大鉄、南海と阪和各並行線路を有する電鉄会社の合同を促進するものと思はる
「不景気がとり持って郊外電鉄の合併、熟す 四電鉄は年内に 他の三組も交渉中」
昭和四年一月十一日(金曜日) 読売新聞
東京付近の電鉄 会社は既に行詰りに達してゐるものが多く局面展開策として他会社と合併連絡して新生面を開き且経営を節約するのを得策とするが鉄道省でも私鉄の合同を慫慂してゐる為に合併気運が相当熟して来た模様で、就中資本系統に於て共通した点が多い京王、京成、王子、玉川の四電鉄は合併の可能性最も多く既に具体的の相談も行はれたことがあるので今年度中には合併談が進捗して実現するに到るかと観られてゐる
尚其他に合併談の交渉が行はれてゐるのは京浜電気鉄道と目黒蒲田電鉄、池上電気鉄道と目黒蒲田電鉄、
東京横浜電鉄と湘南電気鉄道の三組がある模様でこの合併談は
電鉄界の不景気に 連れて益々その必要に迫られるので何れ近く実現されるものとして注目されてゐる
川崎系電鉄合同については、前に載せた記事と上の記事からも分かるように、昭和3、4年代から話はあったものの、一番本格的な動きを見せたのが、昭和7年の三土鉄相の時代であって、しかも、電鉄界の統制については、それ以前の床次鉄相のころから、準備がすすめられていたことがわかります。
昭和4年の記事の段階では玉川も含めた4社合同になってますが、昭和7年の合同ではなぜか外されています。(仲間はずれ/笑)
う~んと、気になるのは王子・京成は問題なく川崎系だけど、京王はちょっと違うみたいな書き方をされている所。
「右三社の内京成と王子電車は資本系統は同じく川崎系であり且つ実権を握っている」
「即ち王子は一万二千キロ京成は七千キロ全部東電から受電してゐる」が
「京王は所要電力七千キロは東電の競争会社日電から受電してゐる」
「川崎系の所有株数(代表者監査役高梨博司氏)は三分の一に過ぎず」
などのところが合同の話が進捗しない「京王電車の向背」の要因として挙げられています。
あいかわらずの、京王様様です。
まあ、一番の要因は、井上さんが合同に反対しているからなんでしょうけど。
京成・王子・京王の三社の中で、川崎財閥の支配力が最も顕著なのは京成であり、
それは社史からもあきらかなのですが、他の二社に関しては、その影響が不明で(汗)
王子の社史では一度だけ「川崎貯蓄銀行」の名が見えますが、文脈から見て主流資本とはとてもいえないかんじです。
「大正15年に東邦電力系の東京電力(今の東電とは別会社)が進出し、それまでの王子株の主流、大正生命(鈴木商店)及び森村銀行系(富士瓦斯紡績)の株の肩替わりを行って、東京電灯との競争の一手段としたものの、昭和3年4月に東京電灯が東京電力を合併、しかし王子の株は東京電灯に渡らず、そのまま東邦電力のもとに残されたので、王子社内には、東電系、東邦系、大正生命系の3大資本系統を有することとなった」とあるように、昭和初期の王子の主力株主は電力会社です。
京王に関しては、社史に資本の言及がありません(汗)
が「株式年鑑 昭和7年度」を見てみると、以下のように上位大株主にかなりの川崎系会社の名前がみてとれます(黄色字)
その関係でしょうが、後藤国彦さんが取締役に、高梨博司さんが監査役に就いています。
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(p600)京王電気軌道 東京府豊多摩郡代々幡町幡ヶ谷1045
設立 明治43年9月21日(設立資本金125万円)
資本金 1290万円(内払込1030万円)
株数 旧株 12万8000株(額面50円払込済)
新株 13万株(30円払込)
重役 社長兼専務・井上篤太郎、取締役・金光庸夫、渡辺嘉一、磯田正朝、後藤国彦、木村篤太郎、
井上平左衛門、兼理事・渡辺 孝、青木重匡、常任監査役・二見満次郎、
監査役・宮本政次郎、高梨博司、芹澤新平、相談役・植村俊平
期末株主数 昭和6年11月末 1571名 同年5月末 1558名
大株主名 大正生命4万0095 川崎貯蓄2万0060 川崎信託9700
平沼久三郎5880 日華万歳4900 帝国生命3770
井上篤太郎3100 日本医師共済生命3000 山口恒吉2830
新日本火災海上2572 芹澤新平2315
購入電力 玉川電気鉄道400キロ 日本電力6500キロ
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しかし、上に見る川崎系会社の合計株数は、3万4660株であり、
これでは第1位の大正生命の4万株にも届いていません。
それに新日本火災海上は大正生命とおなじく、もと鈴木商店系の保険会社なので、
これらを併せると、4万2667株になります。
ちなみに、京成と王子の株式はこう。
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(p596) 京成電気軌道 東京市本所区向島押上町203
設立 明治42年7月30日(創立資本金150万円)
資本金 2025万円(内払込 150万0円)
株数 旧株10万5000株(額面50円 払込済)
第二新株10万株(42円50銭払込)
第三新株20万株(27円50銭払込)
(12年4月1日12円50銭払込)
重役 社長・本多貞次郎、常務・後藤国彦、取締役・上原鹿造、利光丈平、大井田瑞足、監査役・井上敬次郎、大塚 尚、
期末株主数 昭和6年11月末 2276名 同年5月末 2236名
大株主名 千歳商会4万 川崎貯蓄1万8588 本多合資1万8221
千葉合同銀行1万3779 日華万歳生命1万3730 日本火災7840
平沼久三郎6750 河野 通5228 大正生命5000
第一徴兵5000 国華徴兵3970
販売電力 5995馬力(上期) 5788馬力(下期)
(p598) 王子電気軌道 東京市北豊島郡西巣鴨町965
設立 明治43年4月23日(創立資本金100万円)
資本金 1400万円(内払込837万5000円)
株数 旧株 13万株(額面50円払込済)
新株 15万株(12円50銭払込)
重役 社長・金光庸夫、常務・小平保蔵、取締役・広橋嘉七郎、井上篤太郎、田村周蔵、佐々田懋、松永安左衞門、後藤国彦、監査役・宇都宮政市、宮川竹馬
期末株主数 昭和6年11月末 901名 同年5月末 898名
大株主名 東邦證券7万3500 東電證券4万5200 大正生命3万8580
日本教育生命1万0800 宇都宮合名6480 佐々田合名3550
日本医師共済生命2500 國光生命2500 日ノ出商会2470
石崎丈太郎2400 日本昼夜銀行2300 佐々田懋2200
千澤専助2100 千葉合同銀行2090 生保證券1820
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京成においては、やはり川崎系の所有株数が圧倒的で、合計すると9万7907株。(1/4位)
対して王子は千葉合同銀行の2090株くらいで、浅野系の日本昼夜銀行よりも少ない。
かわりに、1位が東邦電力で2位が東京電灯で、3位が大正生命。
では、なぜ王子が「問題なく川崎系」なのかというと、これはもしかしてもっと単純な図式で、
「東京電灯の社長が郷誠之助氏だから」なのではないかと、最近思い至りました。
郷さんが川崎家の為に東京電灯をどうこうするようには思わないのですが、
当時の一般的な見解は、郷氏=川崎系だったのかもしれないですよね。oh…うっかり。
ついでに、東京電灯の株式は以下のよう。
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(p582) 東京電灯 東京市芝区桜田本郷町23
設立 明治16年2月(創立資本金20万円)
資本金 4億2956万2000円(全額払込済)
株数 859万1240株(額面50円払込済)
重役 社長・郷誠之助、副社長・小林一三、常務・五十嵐直三、太刀川平治、本間利雄、鈴村秀三、
取締役・廣瀨為久、河西豊太郎、大橋新太郎、松永安左衞門、
常任監査役・伊東三郎、監査役・萩原拳吉、宮口竹雄
期末株主数 昭和6年11月末 6万1732名 同年5月末 6万1114名
大株主名 東電證券106万7899 東邦證券37万3196 東邦電力13万5000
雨宮保全10万9515 東信電気7万6406 岩崎久弥6万1030
安田保善社4万9508 山口誠太郎3万5000 田島合名3万3647
第一徴兵3万3070 三井合名3万1415 板谷定吉3万0940
小野耕一3万0936 大森慶次郎2万9744 安田銀行2万9567
三井信託2万7716 大森國平2万6709 安田貯蓄2万5300
帝国生命2万5243 穴水合名2万4986
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「大株主」覧のなかには川崎系らしき会社の名前は見当たりませんね。
かわりに安田財閥系の名前がちらほらと、三菱(岩崎)と三井系もいますね。
第一徴兵は根津系かな、小野耕一さんは小野金六さんの息子さんでこの辺が甲州財閥の残りかと。
やはり川崎財閥が東京電灯に影響を及ぼすとしたら、郷さんを通じてしかなさそうですね。
京王が、昭和6年12月に、契約満了を以て、東京電灯から日本電力に受電先を替えているのが、タイミング的に面白い所です。
新聞で、京王が日電から受電していることも、合同の妨げになっている様な書き方をしているのは、この郷さんの影響のことをいっているのかもしれませんね。
京王電鉄30年史にはこの点について「これは契約更改時になっていたほかに、電力購入料金についての東京電灯側の値上げ要求(1キロあたり1銭)が、話合いで調整をみなかったからといわれる。」と書いてあり、ただの偶然かも知れませんが、本当のところは分かりません。
ただし、(外に三百キロは東電から受電)している、というのは恐らく「荒玉水道町村組合への供給分については、東京電灯から引き続き受電した」ための分だと思われます。
でも、川崎が電力事業にまったく投資してなかったというわけではなく、
昭和5年発行の「日本財閥の解体」(高橋亀吉 著/中央公論社)によると、
~川崎財閥には、その金融業を通じて吸収した資金を如何に運用するかと云ふ問題が、
当然起きて来る。…川崎には提携して立つ程の事業家もなければ、その巨額な金融資本を活用し得る程の事業を、川崎自らも経営して居らぬ。そこで従来は、その事業の安固にして収益の確実な点から、専ら電力事業にその資本を投じて来た(だが単なる収益目的の投資だった)。然るに電力界に漸く電力過剰時代が出現し、競争が激化し、前途不安の念が増大して来たので、その資本を電力界から電車界に移動させた。
而して電車事業に投資を始めると共に、後藤國彦をその方面の総司令官にして、川崎の対投資態度が頗る積極的になってきた。…斯くて現在その支配権を獲得したものに京成電軌と池上電鉄があり、準支配権を獲得したものに京王電軌がある。
殊に最近では川崎が中心となって、東京近郊電車会社中の有力なものを合併させることに依って、無益な競争を避けて、投下資本の収益率を高めんとする運動が著々進捗しつつある。~
と解説されて、川崎が鉄道に投資し始めた原因を、電力供給過剰による電力会社の競争激化の情勢によるとしています。
川崎家が昭和金融恐慌を境に台頭してきたのには、先代の川崎八右衛門当主が、それまで消極経営をしていて、政商と呼ばれるような遣り方も避けてきたため、恐慌の損失を免れていたこと、しかも当主が代替わりして積極経営に転じ、井上準之助に目を付けられ第百銀行という大銀行と合併を果たして、負債を負う代わりに上等の得意先を獲得出来た点などがあるようです。
事業規模が拡大するにつれて、川崎家だけではまかなえずに、顧問格の郷さんを通じて採用したのか、河合良成や後藤國彦などの番頭格がそれぞれの事業を担当するようになります。そしてそれを、川崎家を補佐するかんじで高梨さんが監視する役目だったようです。以下は再び「日本の財閥」より。
~ 川崎財閥は、その支配下の銀行会社に対し別に整った統制法を未だ有せず、
単にその信任する番頭連を差遣して、之に一切の権限を委ねて居る。而して
番頭連に対する監視役としては、八右衛門自身これに当り、足らざる所は
高梨博司をして補はさせて居る。従って高梨は川崎財閥の参謀長格である。
尤も、高梨の先輩には杉浦甲子郎が居るが、これは単に川崎子飼ひの長老で、
今日その実際の仕事は若手に委かしてゐる。而して爾余の番頭連には、
夫々その受持部分がある。例へば河合鐵二は銀行を、山崎清は損害保険を、
河合良成は生命保険を、後藤國彦は電鉄をと云ふ工合だ。~
つまり、電車業に関してはまとめて後藤さんが担当だった訳ですね。
ともなればやっぱり、合同運動の最大主力は川崎代表の後藤さんだったんでしょう。
以下の後藤さんのインタビュー記事がありました。
「電鉄合同は未だ進まぬ 後藤京成専務談」 昭和七年十月十四日(金曜日) 読売新聞
王子京成京王三電鉄の合同問題に後藤京成専務は左の如く語った
合同問題は京成としても自分が病気してゐる関係から進まず王子としても態度未定である、従って合同の成否も明確を欠き合併比率、重役の顔触れ等は未だ問題になる処まで行ってゐない
ちなみに、他の電鉄会社で川崎と関係がありそうなのが以下。
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(p611) 池上電気鉄道 東京市京橋区銀座8丁目1
事務所 東京市外大崎町五反田272
設立 大正6年10月23日(創立資本金40万円)
資本金 700万円(内払込305万1250円)
株数 旧株 1万8500株(額面50円払込済)
新株 12万1500株(17円半払込)
重役 社長・中島久万吉、専務・後藤国彦、取締役・益田元亮、金光庸夫、高橋熊三、上原鹿造、野村 孝、
常任監査役・高梨博司、監査役・立石知満
期末株主数 昭和6年11月末 1373名 同年5月末1367名
大株主名 日華生命3万4265 日本火災3万3364 大正生命1万7140
日本教育生命5000 内海頴二2300 後藤国彦2000
中島久万吉2000 林 磯吉2000 天春虎一2000
計画線 五反田ー品川
中延ー池上
自動車線 品川駅前ー丸子多摩川
大森駅前ー池上駅前
(p610) 西武鉄道 東京市京橋区五郎兵衛町10
仮事務所 東京府豊多摩郡淀橋町角筈
設立 大正11年8月15日(創立資本金600万円)
資本金 1300万円(内払込810万円)
株数 旧株 12万株(額面50円払込済)
新株 14万株(15円払込)
重役 社長・岡野 昇、取締役・根津嘉一郎、大川平三郎、諸井四郎、脇田貞三、綾部利右衛門、山崎覚太郎、
監査役・後藤国彦、斎藤 力
期末株主数 昭和6年11月末 2121名 同年5月末 2085名
大株主名 大川合名6300 斎藤長八郎6100 大正生命5370
根本秀太郎4130 千葉利雄3687 綾部利右衛門3500
岡野 昇3250 山崎嘉七3010 国華徴兵2700
東京動産輔兼2650 根津合名2600 脇田貞三2500
計画線 早稲田線(早稲田ー高田馬場)
立川線(新宿ー立川)
(p602) 玉川電気鉄道 東京府豊多摩郡渋谷町大和田1
設立 明治36年10月10日(創立資本金40万円)
資本金 1250万円(内払込725万円)
株数 旧株 11万株(額面50円 払込済)
新株 14万株(12円50銭払込)
重役 社長・平沼亮三、常務・鵜飼重雄、取締役・井上篤太郎、金光庸夫、村瀬末一、
監査役・金澤冬三郎、後藤国彦
期末株主数 昭和6年11月末 978名 同年5月末 966名
大株主名 内国貯蓄銀行2万8284 日本徴兵2万3299 千代田生命2万500
大同大地1万5466 大正生命9176 新日本火災7040
北川日出二郎4910 目黒蒲 田電鉄4500 帝国生命4000
門野幾之進3000 大塚録二2400 徳川達孝2000
販売電力 5227馬力(上期) 5993馬力(下期)
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池上は京成に次ぐ、川崎の直系電鉄会社といってよく、大株主の内訳も納得ですが、
西武(武蔵野鉄道と合併前の)と、玉川にも後藤さんが監査役として参加しています。
そして、これまで見てきて当然気になってくるのが、川崎以上にどの電鉄会社にも大株主として名を連ねている大正生命の存在です。
生命保険会社ですから、投資先として鉄道を有力視するのはあるとおもいますが、しかしその投資先のどれにも後藤さんの名前があるのは気になる所です。
大正生命は金光庸夫さんが鈴木商店をバックに設立した会社で、京王や王子などとは大正時代からの関わりであり、川崎よりも関係は古いです。
しかし、昭和恐慌の中、鈴木が破綻して、その後ろ盾を失った後どうしたのかがよく分かりません。株式年鑑にも途中から記載されなくなってしまいます。
可能性としては、恐慌を機に台頭した川崎財閥系に頼ったというのがありそうですが、
川崎と大正生命が支配関係にあったかどうかは、まだわかりません。
大正14年発行の「財界の名士とはこんなもの?」には、金光庸夫氏について、
~◇従来の経歴を見れば直ぐ分かる事であるが、彼れは明治十年生れ本年とって四
十九歳の働き盛りである。既に政界に於ても相当成功の域に達し、多年下院に席
を置き政友本党の幹事迄勤め上げたものである。又実業界に於ては南武鉄道帝国
石油王子電気等の重役を兼ね、何処に於ても用ひるに足る事を示して居る。
◇即ち山本系かと見れば後藤系と気脈を通じ、浅野系かと見れば鈴木系と握手す
る等、玄妙自在の変通振りを発揮して其間毫も無理らしき痕跡を留めない。さり
とて彼れの方から進んで権勢富貴に接近したと云ふ訳でなく、寧ろ反対に彼れを
利用せんとする分子の多い事は、彼れの有為の材である事を立証するものであ
らねばならぬ。~
とあり、あらゆる財閥と関係をもっていたようです。
浅野系とも関わりがあるから、南武鉄道の重役にもなっていたんでしょうか。
大正14年というと、南武線開通前であり、この頃の南武の大株主に京王と玉川もいて、
井上さんも取締役などになっていたはずなので、どちらの関わりからなのかはよく分かりません。
また昭和13年発行の「非常時財界の首脳」では
~ 大正二年太陽生命を辞すると共に、鈴木を中心にして大正生命を創立し、その専務として財界
の本舞台に登場し、鈴木商店の関東鎮台たる地位についた。
財界パニックに依って大鈴木が没落の惨運に於かれた時、その後援を得てゐる氏の関係事業も
破産を免かれないの如く噂され、大正生命も余程の打撃は受けたものの、
流石は後年の大政治家だけあって、秘策と辣腕を思ふ存分ふり廻して難局を反って
有利に転換し、より以上成績を向上させた程であった。~
と書かれています。「秘策」とはなんなのか、それについての記述はないですが、
やはり鈴木を失って危機的状況になったのは確かなようです。
また、神戸の鈴木商店が、「関東鎮台」として大正生命を扱っていたというのも、大正時代に、東京方面の事業に進出する足場になっていたことを窺わせます。
金光さん自身は「中庸の徳」でどこからも頼りにされ、またその信頼に応える力のある人、という評価で、京王の穴水系との交代の間の社長も務めておりなにかと「中立的な立場の人」だったのではないかと思います。
後藤さんのインタビュー記事でも合併に関して「王子(金光氏社長)としても態度未定である」とあるように、必ずしも川崎とまったく同調していたともいいがたいようです。
しかし、「川崎系の所有株数(代表者監査役高梨博司氏)は三分の一に過ぎず」という文言が気になる所です。京王の株が旧株12万8000株、新株13万株の総数25万8000株だとすると、大株主覧にみる川崎系の株数3万4660株では不足で、大正生命系の4万2667株を足して、漸く「1/3」位の比率になります。
問題は、世間一般が大正生命を=川崎系と見なしていたかどうかです。
それによって、これまで見てきた川崎系の電鉄への影響力もだいぶ違った見方になってくると思うのです。
私は、はじめ、川崎と大正生命は別カウントだと思っていました。そう思った根拠は、
「京王グループの系譜」(小川功)において、
~従来「つつましくして居った」「京王の経営方針が随分変って」「積極策を執った」のは、
この頃京王自体の資本系統が昭和9年3月京王取締役に就任した穴水熊雄率いる
北海道電灯(9年5月では筆頭株主の大正生命40105株に次ぐ36080株を保有する
京王の第二位の大株主、大日本電力と改称)に組み込まれたという「経営陣の変更と
共に」生じた急激な転換であった~
とあるように、川崎が所有していた4万株(よりは実際は少ないか)を後の大日本電力の穴水氏に渡しているときも、大正生命はあいかわらず第一位の地位にとどまっているような書き方をされていたからです。
実際そうなのでしょうが、昭和13年頃の京王の株主名簿には、大正生命のたの字も見いだせません。
綺麗さっぱり居なくなっているのです。
「株式年鑑」の昭和12年度では大正生命4万0105株、北電興業3万8130株、大日本電力8830株、で第2位第3位が穴水株で、併せると一位の大正生命を凌いでいます。
京王の社長も、穴水熊雄氏が就任済です。
それが昭和13年度になると、北電興業が9万5749株の第一位株主となり、
大正生命の名前は消えているのです。
総株数は25万8000株で動いてませんから、大正生命が北電興業に株を譲って消えたということでしょう。社長の座を金光氏が退いたためだと思いますが、具体的に何があったのかはわかりません。
新聞で見る、大正生命のうごきとしては、昭和15年2月10日付けの読売に以下のような記事があります。
「保険事業(生命損害)経営へ 産組突如乗出す 政財界の動向注目さる」
昭和十五年二月十日(土曜日)読売新聞
産業組合中央会会頭有馬頼寧伯は旧臘以来金光庸夫氏との間に
同氏経営の大正生命(資本金五十万円全額払込済)日本教育生命(資本金三十万円三分の一払込済)及び
新日本火災海上(資本金五百万円四分の一払込済)三社(資本金総額五百八十万円中百八十五万円払込済)の買収につき交渉中のところこの程
譲渡価格約七百万円(会社株式、所有有価証券及び営業権を含む)の基本契約に調印した、
右肩替り資金は産組役職員退職共済基金造成委員会において考究中の社団法人もしくは任意団体により
近く組織される産組役職員共済会の基金の一部が運用される形式をとってをりこれが経営主体となってゐるが
実質的には協同組合主義による組合保険への一大飛躍であり、
全国的に役職員五十万、組合員七百万を持つ産組組合の保険運営を立体とする
今後の活動は組合自体の新発展段階を指示するものとして大いに注視されるとともに
保険業界に与へる波紋も極めて重大なるものがある、
しかして問題の突破に驚いた農林、商工両省は既に賛否両論が対立、議会においては
松村謙三氏の簡単なる質問論檄となって現れてをり政財界の本問題を中心とする動向は大いに注目を要する
産業組合が保険業に進出するにあたって、金光さんの経営する保険会社を買い取ろうというもの。
ここにきて、何故金光さんが自分の会社を売ろうとしたのかは分かりませんが、
何か重大な転換期だったんでしょうか。ちなみにこの買収は実現には至りません。
有馬頼寧さんというと、京王が買収して結局廃線にした武蔵中央電気鉄道の取締役だった人というのも、面白い縁ですね。
なにはともあれ、後藤さんと金光さんの関係については、もうすこし精査していきたいところです。
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