たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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人見街道のちかくに、小野神社から分祀したと思われる
人見稲荷神社があるのでいってみました。
スタートは京王線東府中駅です。
駅前の道の名が品川街道でした。
府中の古道の地図にみえた、品川道かもしれません。
新小金井街道をしばらく北上すると人見街道の入り口が右に見えます。
街道とはおもえないほど、狭い裏道にみえます。
しかし人見稲荷はさらにもう一本先の浅間山通りに面しています。
というか、浅間山の麓にあります。
昔の人見街道がどこを通っていたのかはわかりませんが、
現在では神社と街道は隔たっている気がします。
浅間山は多摩丘陵と同じ地層でできているそうです。
「新宿学」で地層の話もちょっと載っていたのですが、それによると東京は西から
多摩丘陵(T面)下末吉面(S面)武蔵野段丘(M面)立川段丘(Tc面)沖積地帯(A面)と
大昔に海岸浸食で地層が削られた関係で、東に行くほど地表としては時代が新しい
のですが浅間山は立川段丘に取り残された丘陵面なんでしょうね。
ただ武蔵台のあたりよりは標高低いらしい?
浅間山通から人見街道へ斜めに出る道があり、
△のデッドスペースが緑地になってました。
こういうのが昔の道の名残だったりするんですよね多分。
稲荷神社に到着。入り口の銀杏がなかなか見事です。
小山の上には鮮やかな彩りの社と石碑がありました。
祭神は住吉町の小野宮小野神社とおなじです。
ただ、江戸時代の流行神信仰のせいか、倉稲魂神(うかのみたま)が上位にいますね。
名前も稲荷神社になってますし。
そして、稲荷の社殿の右後ろになんと祓戸神社の小さな社もありました!
祭神は瀬織津姫・速開都姫・気吹戸主・速佐須良姫です。
祓戸神社は三嶋大社の横にもありました。出雲大社の参道の途中にもあります。
本殿(拝殿)にお参りする前に、穢れを祓うためにお参りする神社です。
この4柱は「大祓詞」という祝詞?にでてくるので祓戸四柱または祓戸大神といわれ、
「大祓詞」は「祓い給え~清め給え~」の元ネタです。
速開都姫(はやあきつひめ)を除いては、瀬織津姫も気吹戸主(いぶきどぬし)も
速佐須良姫(はやさすらひめ)も記紀神話にはでてきません。
この「大祓詞」にだけでてくるので、この4柱は普通セットです。
しかし、小野神社では、このなかの瀬織津姫だけを選んで祀っているのが特徴的なのです。
さらに、この人見稲荷神社では祓戸大神も祀っているので、瀬織津姫を二重に祀って
いることになりますね。
「大祓詞」は延喜式に掲載され、江戸時代には吉田神道が入門する神職に課すカリキュラムの必修テキストにしていたんだそうで、ということは神職ならまず覚える文章(教義?)なんですね。
マイナーだと思っていた瀬織津姫はその筋の人にとっては超メジャーだった。
「大祓詞の解釈と信仰」(神社本庁調査部長 岡田米夫 著)に祝詞のパターンが数例
載っていたので書いておこう。実際には文意は同じでも、文章は神社によって色々らしい。
そして、大祓詞がながったらしいので、ショートカットした文もいろいろ作られたらしい。
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大祓詞(中臣祓詞 または 中臣禊詞 とも)
高天原に神留り坐す 皇親(すめむつ)神漏岐(かむろぎ) 神漏美(かむろみ)の命以ちて
八百万神等を 神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて 我が皇御孫命(すめまみこと)は
豊葦原瑞穂国を 安国と平けく知ろし食(め)せと 事依さし奉りき
此く依さし奉りし国中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて
語問ひし磐根 樹根立ち 草の片葉をも語止めて
天の八重雲を 伊頭(いつ)の千別きに千別きて 天降し依さし奉りき
此く依さし奉りし四方の国中と 大倭日高見国を安国と定め奉りて
下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて
天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して 安国と平けく知ろし食せさむ国中に
成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種々の罪事は 天津罪 国津罪
許許太久(ここだく)の罪出でむ
此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて
千座の置座に置き足らはして 天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて
八針(やはり)に取り辟(さ)きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ
此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披(ひら)きて
天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 聞こし食(め)さむ
国つ神は高山の末 短山(ひきやま)の末に上り坐して
高山の伊褒理(いほり) 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ
此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと
科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
朝の御霧 夕の御霧を 朝風夕風の吹き払ふ事の如く
大津辺に居る大船を 舳(へ)解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く
彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌(とがま)以ちて 打ち掃ふ事の如く
遺る罪は在らじと
祓へ給ひ清給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐つ
速川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持ち出でなむ
此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の
潮の八百会(やほあひ)に坐す速開都比売(はやあきつひめ)と言ふ神
持ち加加(かか)呑みてむ
此く加加呑みてば 気吹戸(いぶきど)に坐す気吹戸主(いぶきどぬし)と言ふ神
根国 底国に気吹き放ちてむ
此く気吹き放ちてば 根国 底国に坐す速佐須良比売(はやさすらひめ)と言ふ神
持ち佐須良ひ失ひてむ
此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清給ふ事を
天つ神 国つ神 八百万神等共に 聞こし食せと白(まを)す
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中略祓(伊勢大宮司家聞書、春日社家大東家本中臣祓)
高天原に神留ります 皇親神漏岐神漏美の命以ちて
八百万の神等を神集へに集へ給ひ 皇御孫命をば
豊葦原の瑞穂の国を 安国と平けく知食せと事寄さし奉りき
此く寄さし奉りし国中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし給ひ 神掃ひに掃ひ給ひて
天つ祝詞の太祝詞の事を以ちて宣れ
此く宣らば 罪といふ罪 咎といふ咎は在らじ者をと 祓へ給ひ清め給ふ事を
科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 大津の辺に居る大船の舳綱解放ちて
大海原に押放つ事の如く 彼方や繁木が本を 焼鎌の敏鎌を以ちて 打ち掃ふ事の如く
祓へ給ひ清給ふ事を 祓戸の八百万の神達 左男鹿の八つの耳振り立てて聞食せと申す
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最要中臣祓(神祇提要本)
高天原に神留ります 皇親神漏岐神漏美の命を以ちて
八百万の神等を神集へに集へ賜ひ 吾が皇御孫命をば
豊葦原の水穂の国を 安国と平けく知食せと 事寄さし奉りき
此く寄さし奉りし国中に 荒振る神等をば神問はしに問はし給ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて
天つ祝詞の太祝詞の事を以て宣れ
此く宣らば 罪といふ罪 咎といふ咎はあらじ物をと 祓へ給へ清め給ふ事を
八百万の神達共に 左男鹿の八つの御耳振立てて聞食せと申す
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最要祓(春日社家大東家本中臣祓 吉田家八部祓)
高天原に神留ります 皇親神漏岐神漏美の命を以ちて
天つ祝詞の太祝詞事を宣れ
此く宣らば 罪といふ罪 咎といふ咎はあらじ物をと 祓へ給へ清め給へと申す事の由を
八百万の神達共に 左男鹿の八つの耳を振立てて 聞食せと申す
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最上祓(吉田家八部祓本)
高天原の天つ祝詞の太祝詞を持ちかがむ呑むでん 祓へ給ひ清め給ふ
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蒼生大祓(春日社家大東家本中臣祓)
天つ祝詞の太祝詞の事を以ちて 祓へ給ひ清め給ふ
(昭和37年7月1日発行 神社本庁調査部長 岡田米夫 著 神社新報社 発行)
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大祓詞は中臣祓詞ともよばれます。
これは、大祓の儀式の時に藤原氏の祖の中臣氏が朱雀門でこの祝詞を読み上げるのを
役目としていたからだそうです。中臣氏が文を読み上げて、実際の祓えの作業は
忌部氏(いんべ)が行っていたそうです。
この本には色々とこの祝詞に関する解説が載っていたのだけども、
発行が戦後まもなくで、国家神道の影響とか、キリスト教への対抗心とかが
なんか、すけてみえる気がします。
江戸後期に盛んになった国学で、平田篤胤の国学論が、キリスト教の影響を受けていた
という話も聞くので、国家神道を作成するもとにしたときにでも、混じったのかな?
まあ、国家神道そのものが西欧列強に対抗する宗教の模索の結果だからどっちとも?
天照大神(あまてらす)が穢れを浄化するために一切を引き受けて岩屋にこもった
(一度死んだ)というのも、キリストがユダヤ人の罪の一切を引き受けて磔になった後、
葬られた洞窟の中を数日後確かめたら空になっていて、復活したとわかった、
という話に付会しているような気がしますし、神道に無理に教義を見いだして
読者を教化しよう、という文体もちょと鼻につきます。
でも、そこ以外ではおもしろい解釈もいっぱいだし、勉強になりました。
神道の教えというか、「主義」(という方がしっくりくるな)というのは要約すれば
「きれいにしなさいよ」と「なかよくしなさいよ」の二つです。
そしてこれは祝詞の最初の「皇親」(すめらがむつ、すめむつ)の二文字で
あらわせてしまうようです。文字を切り離して一文字ずつの原義をみれば
「皇(すめ)」は、清浄な、神聖なという意味があり、後世になって「統べる」という
意味も含まれるようになったのだとか。
「親(むつ)」は=「睦」で仲良くするであり、神道の教義はこの二文字で終わってしまいます。
まあ、ですが皇親とつなげていった場合は、その見た目通り「天祖」(あめのみおや)とか、
すべての人や神の親神という意味でいいんでしょう。
本では高皇産霊(たかみむすひ)神皇産霊(かみむすひ)と、
伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)と、天照大神がこれにあたるという解釈でした。
神漏岐(かむろぎ) 神漏美(かむろみ)というのも、人類の祖となる男女神、
アダムとイブとか、ジョカとフッギとかのようなのの日本版、普通にいったら
伊弉諾、伊弉冉や上記の神のことをいうのでしょう。
それ以降は記紀神話の要約で天孫降臨までを述べてから、祝詞は本題にはいります。
「荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて」というあたりで、
国中に溜まった不平不満、ぶつぶつ文句を言うさま、それが大きくなると国禍となるので
その文句を根掘り葉掘り聞いてやり、その後でその問題を掃いてよけてしまえ、
というのがこの祓えの重要なポイントなんだそうです。
「聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと」は、よく話を聞いてさえやれば、
悪いものは取り去られるので、またみんな仲良く清い心持ちでやっていける、という
考え方なんだそうです。水に流せってことで、まあとても日本的ではある。
そしてその掃いた「穢れ」やそれが増幅して悪さをするようになった「罪」を処理する
実働部隊がこの祓戸四柱なんですね。(いわばゴミ収集車や焼却炉や夢の島)
川の早瀬である瀬織津姫が罪を海まで運び、
港・潮流の神である速開都姫が沖まで運んで飲み込み、
風の神である気吹戸主が底の国まで運び、
風化・摩耗の神である速佐須良姫が塵にしてなくしてしまう。
途中、水から風にエレメンツが転化しているような気がするけど、まあ気にしない。
気吹戸主以外は女神なんですね。
速開都姫(速秋津姫)には速秋津彦という対となる男神(夫か兄か)がいて
記紀神話ではイザナギ・イザナミの子として一緒に生まれてくるらしい。
そもそも神話を編纂するときに、自然崇拝での精霊(エレメンツ)は
ほとんどイザナギ・イザナミの子として整理されたみたいですね。
大祓詞のなかに「科戸(しなど)の風」とあるように、記紀神話では
イザナギが朝霧を吹いたときに風の神として級長戸辺神(しなとべ)が生まれます。
大山祇神は山の神、句句廼馳(くくのち)は木の神、埴安神(はにやす)は土の神、
倉稲魂神(うかのみたま)は穀物の神、火之迦具土神(かぐつち)は火の神で、
水の神は罔象女神(みつはのめ)とか高龗神(たかおかみ)闇龗神(くらおかみ)
とかいろいといるのですが、水戸(港)の神として速秋津姫・速秋津彦も生まれます。
瀬織津姫や気吹戸主や速佐須良姫はいたけど記入漏れ、ってことですかね。
ちょっと、おもしろいのが
「荒潮の潮の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の潮の八百会(やほあひ)に坐す
速開都比売(はやあきつひめ)と言ふ神 持ち加加(かか)呑みてむ」の
「加加呑みてむ」の「加加」がオノマトペぽいってこと。
ギリシャ語に未分明の状態をあらわす「混沌(カオス)」という言葉があり、これは
「あくびする(カスケイン)」と同源なんだそうですね。
「はじめにカオスあり」は「はじめにあくびする」に通じ、赤子の産声の兆候ともとれますが
この「カカ」という音もそれに似ている気がしたのです。
速開都比売は複雑な潮流の上にいる神らしいので、たぶんイメージは渦潮のなんでも
みこんでいく穴なんでしょうけども。余談でした。
(まあ、中国の神話の混沌は目も口も耳もない穴なしだったので、
お友達の神が親切で七穴開けたら死んじゃったらしいですけども)
境内から街道の方をみる。
今はすぐにどん詰まりになりますけど、昔は人見街道の方まで伸びていたのかなぁ?
時期は10月の半ばだったので、ハロウィーンの地域祭りがあるらしいです。
あとは、熊野神社古墳で古墳まつりが予定されていたのだけど、
おもいっきり台風が直撃した日だったので、おそらく中止になったのでしょう。
資料館でのVTRでは、飛鳥時代の衣装を着て歩くコスプレ祭りっぽかったので、
見てみたかったんですけども。
あと、ツイッターで「古墳にコーフン」というアカウントから、全国の古墳まつりの日程が
流れてきたので、古墳まつりは府中だけじゃなく、全国的なイベントになってるらしいです。
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