たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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「鉄道と街 横浜駅」(大正出版)を見ていたら、新橋駅は
「1階は右側手前から上等待合所、湯呑所、上等婦人待合所、上等出札所、不寝番詰所駅長詰所など。
左側は手前から中・下等待合所、同出札所、守線(保線)詰所、車長(車掌)詰所などがあった」
って書いてあって、ビジュアル日本の歴史と逆だ。おかしいな・・・。
まあ、待合室は書かないんで、別にいいんですけど。
問題はですね、、、
「二階は左右とも事務室で、コンコースの中程に階段がついていた。
したがって右の事務所から左の事務所へゆくのには一旦コンコースへ降りて、
それから反対側の階段を登る。
電話なんてない頃だから緊急の場合など血相を変えてコンコースを走る。」(笑)
「それで、(明治)六年十二月、中央の屋根上に丸屋根の太鼓橋のような渡り通路をつくった。」
「古い写真には無様な恰好の通路が写っているのがあるが、新橋駅も横浜駅も
幸か不幸か十七年の台風で吹きとばされてしまった。」えーっっΣΣ(゚▽゚ ;;)
やっぱり、渡り廊下あったーーーーーー!!
手元の写真見てる限り、ないのかな、って思ったけど、やっぱりないと不便ですよね、あの造り。
事務所も予想通り2階にあるんだな。
問題は、その渡り廊下が写った写真が、ここには載ってないということだ。orz
「古い写真には」あるにはあるらしいので、探さねば・・・・・・。うをおおおお・・・
ついでに、当時、新橋横浜間で稼働していた機関車の種類も調べたんですが、
ウィキ様々です・・・。最初の機関車だけあって見つけやすい。
でも、国鉄150形、160形、190形、110形まではすぐ分かったけのだど、
あと一形式がなかなかみつからなくて、120形~140形や170形はちがうし、
180形もちがうし・・・って思ったら「A3形」かよ!イレギュラーだな!!!
1号機関車は、大宮いったときに多分みている・・・。
でも、原形とは似ても似つかぬ位、改造を受けて居るらしいので、参考にはならないかな・・・。
参考になったのは、むしろ12号機関車について書いているサイト様だった。(´▽`人 ♪
うーん、車両の細かな違いとか、自分はさっぱりわかんないんで、
こういう細かい所に気を配れる方って、すごいですね。
煙突部分に、番号がふってあったらしいんだけど、ちょうど明治九年に、西の機関車とわけるための改番があって、新橋横浜のはぜんぶ奇数になったらしいんだわ。わわわ。
ふつうに偶数の機関車描いたらアウトだった。
車両はこういう所が怖いよ~~(川;□;)
機関車なんて、鉄道趣味の粋の粋だから、余計にな~~
わかれば、もうちょっと積極的に描いていきたんですが・・・。
====================================
「鉄道開業に際してイギリスから輸入された蒸気機関車5形式10両中の1形式」
っていい方、なんかカッコイイ。キセキの世代かっ+(←前日晩になんか見たらしい)
明治九年の改番
150形蒸気機関車(1号機関車)
160形蒸気機関車(2,3,4,5→17,19,15,13) 明治7年到着車両(22, 23→21,23)
A3形蒸気機関車(6,7→5,7)
190形蒸気機関車(8,9→11,9)
110形蒸気機関車(10→3)
1,3,5,7,9,11,13,15,17,19,21,23がいたわけですね。
青梅鉄道公園にある機関車って、元10号機関車だったのか。結局まだ見ていない。
台北新公園にも元7号機関車が残ってるし、なんかすごいな~。
でも資料的には12号(元23号)機関車がやっぱり一番かなっ。
====================================
画像検索でさがしてみたら、いくつかでてきた・・・。これかなぁ?
http://isonojii.blog28.fc2.com/blog-entry-92.html 個人のブログ
ちょっと、遠くて小さいけど・・・。なんか間についてますね。
あとは、これとか。こちらは、新橋停車場の方になりますが。
http://www.taisei.co.jp/about_us/corp/ayumi/1169092558082.html 大成建設
これもちいちゃいな・・・・・・。
こんなのも。でもこっちは明治後期らしいから、別物かと。
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Tokyo/Shiodome/Tky021013.htm 汐留
もしかして、めげずにまた造った?
う~ん、やっぱ現地の資料館いけって話ですね。絵葉書売ってるらしいし。f^ ^;
こんど横浜いく用事があるとすれば、7月20日のミネラルショー・・・。ちょっと、遠いな。
とりあえず、明日は新橋だ!
「1階は右側手前から上等待合所、湯呑所、上等婦人待合所、上等出札所、不寝番詰所駅長詰所など。
左側は手前から中・下等待合所、同出札所、守線(保線)詰所、車長(車掌)詰所などがあった」
って書いてあって、ビジュアル日本の歴史と逆だ。おかしいな・・・。
まあ、待合室は書かないんで、別にいいんですけど。
問題はですね、、、
「二階は左右とも事務室で、コンコースの中程に階段がついていた。
したがって右の事務所から左の事務所へゆくのには一旦コンコースへ降りて、
それから反対側の階段を登る。
電話なんてない頃だから緊急の場合など血相を変えてコンコースを走る。」(笑)
「それで、(明治)六年十二月、中央の屋根上に丸屋根の太鼓橋のような渡り通路をつくった。」
「古い写真には無様な恰好の通路が写っているのがあるが、新橋駅も横浜駅も
幸か不幸か十七年の台風で吹きとばされてしまった。」えーっっΣΣ(゚▽゚ ;;)
やっぱり、渡り廊下あったーーーーーー!!
手元の写真見てる限り、ないのかな、って思ったけど、やっぱりないと不便ですよね、あの造り。
事務所も予想通り2階にあるんだな。
問題は、その渡り廊下が写った写真が、ここには載ってないということだ。orz
「古い写真には」あるにはあるらしいので、探さねば・・・・・・。うをおおおお・・・
ついでに、当時、新橋横浜間で稼働していた機関車の種類も調べたんですが、
ウィキ様々です・・・。最初の機関車だけあって見つけやすい。
でも、国鉄150形、160形、190形、110形まではすぐ分かったけのだど、
あと一形式がなかなかみつからなくて、120形~140形や170形はちがうし、
180形もちがうし・・・って思ったら「A3形」かよ!イレギュラーだな!!!
1号機関車は、大宮いったときに多分みている・・・。
でも、原形とは似ても似つかぬ位、改造を受けて居るらしいので、参考にはならないかな・・・。
参考になったのは、むしろ12号機関車について書いているサイト様だった。(´▽`人 ♪
うーん、車両の細かな違いとか、自分はさっぱりわかんないんで、
こういう細かい所に気を配れる方って、すごいですね。
煙突部分に、番号がふってあったらしいんだけど、ちょうど明治九年に、西の機関車とわけるための改番があって、新橋横浜のはぜんぶ奇数になったらしいんだわ。わわわ。
ふつうに偶数の機関車描いたらアウトだった。
車両はこういう所が怖いよ~~(川;□;)
機関車なんて、鉄道趣味の粋の粋だから、余計にな~~
わかれば、もうちょっと積極的に描いていきたんですが・・・。
====================================
「鉄道開業に際してイギリスから輸入された蒸気機関車5形式10両中の1形式」
っていい方、なんかカッコイイ。キセキの世代かっ+(←前日晩になんか見たらしい)
明治九年の改番
150形蒸気機関車(1号機関車)
160形蒸気機関車(2,3,4,5→17,19,15,13) 明治7年到着車両(22, 23→21,23)
A3形蒸気機関車(6,7→5,7)
190形蒸気機関車(8,9→11,9)
110形蒸気機関車(10→3)
1,3,5,7,9,11,13,15,17,19,21,23がいたわけですね。
青梅鉄道公園にある機関車って、元10号機関車だったのか。結局まだ見ていない。
台北新公園にも元7号機関車が残ってるし、なんかすごいな~。
でも資料的には12号(元23号)機関車がやっぱり一番かなっ。
====================================
画像検索でさがしてみたら、いくつかでてきた・・・。これかなぁ?
http://isonojii.blog28.fc2.com/blog-entry-92.html 個人のブログ
ちょっと、遠くて小さいけど・・・。なんか間についてますね。
あとは、これとか。こちらは、新橋停車場の方になりますが。
http://www.taisei.co.jp/about_us/corp/ayumi/1169092558082.html 大成建設
これもちいちゃいな・・・・・・。
こんなのも。でもこっちは明治後期らしいから、別物かと。
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Tokyo/Shiodome/Tky021013.htm 汐留
もしかして、めげずにまた造った?
う~ん、やっぱ現地の資料館いけって話ですね。絵葉書売ってるらしいし。f^ ^;
こんど横浜いく用事があるとすれば、7月20日のミネラルショー・・・。ちょっと、遠いな。
とりあえず、明日は新橋だ!
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