たまろぐ 神奈川公文書館にいってきました 忍者ブログ

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テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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最終日だけど、ぎりぎりいけた!よかった!
本当は土曜に行こうかと思ってたんですけど、あまりに寒いのと天気がアレだったのとで断念。

家で大人しくポッドキャスト聴いてました。これ↓
http://www.tbsradio.jp/life/201205272012/ TBS「文化系トークラジオLife 東京論2012」

ヒカリエとスカイツリーが新名所として~じつは電鉄系によるわりと従来的な町おこしで~
東京とは~若者的にこのネーミングセンスってどうよ。的な5月分の放送内容。

まあ、全体的には終始「指摘」と「報告」にとどまって、分析まで踏み込めてないライトな内容なんですが。おもしろい人には面白いかも知れない。

エネルギッシュで、街としての特性を生き残せているのは、「趣味性によって成り立つ街=趣都」
つまり秋葉原とか、神保町とか、下北沢とか、文化発祥による街作りを頑張っている地域で、
(こういう地域は擬人化しやすいだろうなぁ・・・)
国とか電鉄とか主導の「官」的な大規模開発は没個性になり勝ち~で、反応もドライ~なかんじ。

ただし、堤清二さんは、渋谷を趣味的な、文化発祥としての街作りを考えつつPARCOったらしいので、
これは成功例といえるのかも。

多摩出身のひとの意見とかインタビューとかもわりとあって、個人的にはそこがツボでした。
調布住民の女性が「いま工事しててね。8月に完成して踏切が~」て、いっててうひょ!////
でも、スタジオはそういうのスルーでしたけどね。
あとは福生出身とか高円寺民とか。「べつに立川で十分」とか「東京の入り口は新宿ってかんじ」という
東京に対するイメージにすごく肯いたり。
自分の場合は、京王百貨店も三越も伊勢丹もこのへんにあるしね~。世界堂だってあるし。
ってかんじで、中高生頃は特に都心に魅力がなかったなーっていう、典型的多摩民。
でも立川は、ちょっと遠いかな。しかも高島屋ら辺がずっと工事してて、重苦しい感じでしたし。
今は、完全八王子追い抜きましたけどね。はは…。


で、あ、神奈川公文書館。最寄り駅が二俣川だったので、帰りは横浜まででちゃって、
東横線でいろいろみれるかなー?って思ってたんですけど、けっこう展示品に食い入ってしまい、気づいたら15時まわってたんで、諦めて帰りました。

最近は16時になったらもう、暮れてきますよね~。
写真には不利だ。あと寒いです!!今日はあたたかくてほんと、たすかった!!

資料室で、ビールの本と、東京ガスの70年史をみつけたんで、コピってもらいました。
展示のパンフレットはとくに売ってないみたいで、しょんもり。

会場においてあった、目録にかじがじメモってきました。
相模原線と、多摩ニュータウンのことも少しありましたね。
写真が、あそこのトンネル上から撮ったものらしくて、景色がなつかし!!
二木ゴルフとか、今はもうしまむらになっちゃたよ~~。
でも、結構長い期間二木ゴルフだったと思いますけどね。(電車内からわりと目立ってみえる)

しまむらといえば、ダイバシティ進出で、上記のラジオ内でも話題になってましたが。
東上線沿線にけっこうあったので、埼玉が拠点だと思ってたんですけど、実際のところどうなんだろう。
山田うどん支持層がいっしょに挙げてたので、親和性が高いのではと(笑)

え~と、寒川の文書館で相模線(多分JRの方の)の60年代と90年代の写真の絵葉書を売っている
というチラシをもらってきました。寒川文書館、わりときになる。機会があったらいってみようかな~。

だめだ、選挙とかいろいろあって、頭がまとまらない。そのうち追記して、展示のメモ張ります。

======================================

展示内容のメモ

(1)横浜線の東神奈川駅設置
東海道線の神奈川駅が、はじめ横浜線の東神奈川駅の位置に予定されていたらしい。
諸事情で、高島町寄りになってしまったんだとか。
明治の神奈川駅のカラー写真があったんですけど!!!(驚き)
手彩色なのかデジタルによる復元なのかわかんなかったですけど。
埋め立て地の高島町の構造がよく分かる、とても資料性の高い写真でした。
東神奈川駅の白黒写真もありました。駅舎のあるホームを横浜線が使い、
反対側に島式ホームが2つあって、そっちが東海道線だということでした。
今も線路の配置はそのままなのかな?
便利そうなホームが横浜鉄道のものだったんで、ちょっと意外でしたが、
東海道線は通過列車もあるからかなぁ。東神奈川駅に重きを置いてなかったのかも。
横浜線が北側からはいってくるので、駅の手前で東海道線を乗り越さなきゃ行けないんですよね。
こんど、そこの立体交差みてみたいな~。開業当初からなのかな?

(2)大雄山鉄道
なぜ、大雄山のふもとの関本にあるのに大雄山駅という名前なのか。
なんか、仮駅のつもりだったのが、結局そのままになったためなのだとか。
私はそれより、小田原駅の手前ではじめ開業したときの駅名が「仮小田原駅」で、
小田原駅まで延伸したときの新駅が「新小田原駅」だったことに、つっこみたくなりましたが。(笑)
新はともかく、「仮」って、正式に冠した駅名ははじめてだ。展示品の沿線案内にもそう載ってました。

(3)鉄道省の海の家
鉄道省東京鉄道局管内の海水浴場は98ヶ所。
そのなかで、逗子と鵠沼に直営の「海の家」を持っていたんだという。
逗子の方が先に出来て、それをみた江ノ島らへんの地元の人が鵠沼にも誘致したらしい。
海の家って何をするところなのかな?(イメージはお座敷付きの屋台)
って思ったんですけど、脱衣所があって、浴場があって、食堂があって、休憩所があったらしく。
脱衣所と浴場があるのは、海水浴客的にもうれしいかなぁ。にぎわったらしいです。
形は鳥が羽を広げたようなシンメトリーな木造建築。そういうところが、官設っぽい。

(4)戦時下の路面電車たち
小田原電気鉄道(箱根登山鉄道に軌道経営譲渡)は金属類回収令により、
一部のレールを外されることになったんだけど、その工事を県に依頼し、
議会に議案が提出された直後、終戦を迎えたらしく、結局撤去作業はおこなわれなかったそう。
京王の御陵線の例を考えると、参考になりそうな話だなーとおもいました。
不要不急の話を描くときに、レールを撤去したのが誰だったのか調べてわからなかった事があるので。
自治体にお願いすることもあるのかーと。箱根登山鉄道も東急の傘下でしたよね。
自力でやらなかったのは、公道に敷設されてたからなのかな?
「費用の内示ちょーだい」って県にお願いしてました他力本願(笑)

(5)日本電気鉄道と新幹線
京王の前の前の会社が名前がダブったという、あれかな。
民間による電車で東京~大阪をつなぐという壮大な計画なのだけど、
ここでは大正末期から昭和初期においての計画という紹介のされ方でした。そうだっけ?
wikiみてみるといくつか段階があるみたいです。
(展示の出展資料は大正14年~昭和7年度の「鉄道軌道」ということでした)

そしてここでも「いつでもどこでも、ねづっちです!」の根津さんが肖像でどーん。
根津さんはなぁ・・・、根津さんは・・・鉄道と名のつく会社には必ずいるような御方なのでもう
いちいちカウントしてないんですが、京王の初期の発起人61名のなかにも実はいるので、
いつまでも手をつけないのも良くないかな。こんど調べて見よう。穴水さんはファンだったらしい。

で、東海道線がこのころからもうやばかったらしい。
昭和31年で全線電化が完了したものの、輸送限界がピークもピーク。
そこでついに昭和34年に新幹線の建設に踏み切り、先行して用地買収が実現した
寒川~小田原において試験運転を開始、そこがモデル線となる。
(鴨宮駅前に、新幹線発祥の地のモニュメントがあったのは、そういうことなんですね。)
さらに昭和36年に東海道線はギリギリにきりつめて14%の増発をし需要に応えようとする。
このへん、なんかすごそうで、申し訳ないけど萌えました。きっと日々くたくたなんだろうなぁ。
「サンロクトオ」というらしいですね。ウィキペディア↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%AA

(6)はみ出す東横線の桜木町駅ホーム
東横線も戦後の需要増大に対応するため、昭和31年に旧高島町~旧桜木町を複線化。
その際、国道16号線側へ張り出す格好になったんだとか。(え、むしろそれまで、単線だったの?)
昭和40年には6両連結に対応するため桜木町駅のホームを延伸、
このとき国鉄との交渉がうまくいかなかったため、渋谷側へホームを伸ばす。
昭和45年には8両連結車両に対応するため線路を14mほど歩道上へ延ばし、ホームも延伸。
渋谷側にはこれ以上伸ばせなかったため、国鉄も譲歩したみたい。
東横線が地下化した現在、その跡地は遊歩道として再スタートしてるみたいですね。
http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/toshiko/atochi/#haisen 横浜市都市整備局

(7)桜大線から根岸線へのながれ
このへんは横浜都市発展記念館発行の「地図で探る横浜の鉄道」にも載ってたかな、
と思ってあまり熱心には見なかったんですが、あれは震災前の計画線でこっちは戦後でしたね。
昭和31年に経済調査により11の路線が予定される。桜大線もその中にあり。
その後、自由民主党の政務調査会交通部により桜木町ー大船間で4つのルートが検討。
昭和39年5月19日桜木町駅 ー磯子駅間が開業、同時に横浜線と京浜東北線が乗り入れる。
国じゃなくて党策っていうのが、ちょっと面白いです。政治詳しくないんで違いはよくわかりませんけど。
(出展資料「桜大線関係綴」)

ほかにも、昭和33年の台風で相模鉄道が複線化工事中だった橋梁を流され、
帷子川の氾濫で星川が冠水したとか、
昭和25年のバス事故や昭和26年の国鉄桜木町事故で脱出不能の車両の怖さを知った
横浜市交通局が車窓保護の為に取り付け義務のある鉄棒を撤去したい旨を申請したりとか。
いろいろ興味深い内容多かったです。
江ノ電100形の一部にもこの棒があったらしいのですが、どの子だろうな。ウィキペディア↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E3%83%8E%E5%B3%B6%E9%9B%BB%E9%89%84100%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A 江ノ電100形
(「軌道建設規程第23条第2項」よる義務)

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