たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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小田急永山駅でこの写真を見るまで忘れてました。
1974年6月1日に小田急多摩線が開業したので、今日で40周年です。
写真をみていたら、掃除のおじさんに話しかけられました。
開通当時から見ていたらしくて、このころは平日6両でも
日祝は2両で運行してたらしいです。
たしかに、写真見るとちいさいv
町田管区が作成したらしいです。
駅ホームで見つけたポスター。
なんか世田谷線とかわいいことしてる。
ナンバリングも導入済みだわ。(文字数おおいなー)
多摩センター駅にはこれといったイベント事はなかったです。
(新百合ヶ丘駅には永山と同じ写真が掲示してあるらしい)
今日の本当のお目当てはこちらでした。
パルテノン多摩特別展示「みゆきのあと-明治天皇と多摩-. 公文書×地域資料」
5月の半ばに一度行こうとしたんですけど、ホームページみたら
パンフレットに不備があったらしくて(笑)販売が延期されてたんで
再開されるまで待ってたんです。
併設で、もうちょっと前からやってる「調布玉川惣画図の旅」も見てきました。
地図の今尾恵介さんが解説されている玉川惣画図の本も気になったんですけど、
ちょっと持ち合わせがなくてあきらめました・・・(他より高い)
刊行数が相当あるらしくて、いろんなところで保管されているらしいんですが
多摩市本というのは刊行物に彩色した人がいるらしくて、
多摩市図書館が所有している玉川惣画図だけ異様にきれいでした(笑)
で、明治天皇行幸ですが、前に連光寺への行幸の回数を数えたときに
行啓を含め大正2年までで17回だったと思ったんですが、実は
天皇陛下がいらっしゃるときは行幸、
皇后、皇太后、皇太子、皇太子妃は行啓といい、
それ以外の皇族を御成といって、御成まで含めて数えると
昭和5年までで皇室の利用は23回もあったらしい。
そのうえ、皇室行事のからまない侍従クラスの宮内省の人も
鮎漁に来られてて、明治40年まで確認できるだけで77回来たらしいです。
最初は兎狩りのための御猟場指定だったんですが、明治18年以降は
内閣制度開始のため天皇陛下がご多忙になって、行幸の回数が激減し、
かわりに皇太子のご休養の場所として連光寺は鮎漁がメインになって行ったらしい。
明治23年頃には私的な猟が禁止されたため獣が増えすぎてピークに達し
農作物に被害が出て行幸の栄誉をうけた貝取・一ノ宮・関戸・連光寺はともかく、
その隣の大丸村や柿生村は大迷惑で、御猟場解除の運動を起こし宮内省にまで
訴えに言ったんだとか。
御猟場の変更は2回ほどおこなわれ、最終的に廃止になりました。
御猟場の禁猟の看板は英字のも作ったんですけど、スペルミスがあり
しまわれたものもあったみたいです。
不慣れながら頑張って作った感じが満々の英文です・・・(笑)
天皇陛下の行幸にもランクがあって、公式から私的なものまで
大きく分けて4段階あるらしいです。
第一公式が遠隔地への巡幸や鉄道開業式など。
第二公式が天長節飾隊式、陸軍始、元老院開院の臨席などで
公式は式部寮が事務を主管し天皇陛下も正装で臨みます。
式外は習志野演習場天覧、陸軍士官学校卒業式などで
これは庶務課が主管し、服も略式になります。
そして一番私的な行幸は御遊行といって、吹上御苑(皇居内)、植物御苑(内藤新宿)、浜離宮、勧業博覧会、競馬天覧、華族会館、御猟場などへ行くとき。
連光寺の行幸もこれに入り事務日誌も宮内省庶務課常務掛が記録したそうです。
(実際はもっと入り組んだ課がいっぱい関わっている)
帰りに西松屋の中に入っている100円ショップセリアで木枠を物色。
駅から少し離れたところだったんで、多摩モノレールの終点断面が見えました。
小田急多摩線は、ここに来て相模原駅延伸への合意がなされたらしいですけど、
多摩モノレールの町田延伸はどうかなぁ?
このまま線路を進めるとすると、この橋の上を通す事になりますね。
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