たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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イベント終わって以降、全くといっていいほど筆を握らない日々が続いたので、
ツイッターの診断でぽちぽち遊んでましたら、なかなか自分ではやらない結果がでたので、
面白くてつい描いていました。リハビリ成功
京王と小田急がチャイナ服で、オソロイの結果だった!(実を言うと東横もそうだけど)
でも、小田急はともかく京王はチャイナ服より和服の方がまだ似合うと思ってる。パッキンなのに。そして当然のように女性物のチャイナ服を描き出している辺り・・・。
あと、南武がナース服で顔を真っ赤にしている、というのも別に違和感がなかった。
でも、ここに載せるのはよすとします。
あとは東急だと学生服で、目黒線だと和服で、田園都市線だと制服という結果でした。
後ろ二者はべつに納得なのですが、東急(東横)で学生服は・・・キビシイかもvvvv
ど派手なはっぴ着せても、たとえメリヤスシャツに腹巻き猿股でも、結構似合いそうと思うんですが、
学生服はなんとなくアウトな気がする。なんでだろう。ちょっと老けてるからかな。
帽子つきなら、なんとかアリかな~と思ったけど、学帽の型がよくわかんなかった。
軍服も警官や交通系の制服も結局あんま区別ついてないよ、くらいには服盲なので、描いててますますわからなく。実物を並べて比べてみたいけど、それは無理だろうしなぁ…。
あの立体帽子は永遠の謎。
で、三田線の結果が水着で泣きながらケーキを食ってる、が一番笑ったんですが、なにがあったんだろう(笑)
描いてみたかったけど、上半身裸が描けない、(というか男の裸が描けない)ので断念しました。
ないないばっかだ。
いつのまにか高杉晋作のファンになっている・・・。
だめだよ!その人、さすがに鉄道に関係ない・・・!
藩の高官に反発して、腹いせに買ってきた蒸気船の名前がオテント丸で、あんまりだからと、のちのち藩船として、ちゃんとした名前をつけたとか。
これで幕府軍の船をばんばか砲撃して、さっさか撤収とか。やーん、もう、かわいすぎだろう(そこ?)
しかしこの本、明治維新がメインだったか、もしかして。
政治家としての活躍は、ちゃんと載ってるんだろうか・・・あと1/3もないけど。
幕末は自分で創作したことがないんで、そんなに詳しくはないんですけども、
初めて行ったイベント、昭島メッセで買った、新撰組のギャグ創作本が実におもしろくて、
いっぺんにそのサークルさんのファンになっちゃったんだけども、その本の中で井上聞太が包帯でグルグルまきになってたシーンは、俗論党の闇討ちにあった時のやつだったのか、あれ。
10数年越しの理解。
======================================
うっわああああ!案の定、明治一桁年で話がおわ、え、終わった?!というか、なんか連載が途中で打ち切りになったみたいな、この先未載録です、みたいな、そんなの、そんなのないよ~!(懐)
いちおう、明治人としての井上サァも載ってて、すこしは勉強になりもした・・・。
というか、江藤さん、あのあとあんなことになっちゃうんだな・・・。
西郷どーん、の西南戦争は憶えてるんだけど、その前哨戦はおぼえておりもはんでした。
長州方言?の語尾がかわいい、薩摩のはちょっと面白い。そして、文体がいい加減な事になっている。
本当に知りたかったのは、日本鉄道の計画が動き出す10年代前半だったんだけどなぁ。
それは、どこの本で読めるのかなぁ。
意外と五代さんと仲が良かったのね(笑)というか、五代さん薩摩藩士だったんだ?
武士の商法の成功者ってことかな。
三井物産は、井上さんの起こした先収社(千収社?)の後始末を三井に頼んだために出来た会社で、
三井の本筋とは毛色がちがうのか~。そこんとこも、もう詳しくほしかったな。
今度は益田さんで借りてみようか・・・。でも目的が違う事にってる気もする。
それよりは、三菱汽船のほうがありそうかな。う~ん
だめだよ!その人、さすがに鉄道に関係ない・・・!
藩の高官に反発して、腹いせに買ってきた蒸気船の名前がオテント丸で、あんまりだからと、のちのち藩船として、ちゃんとした名前をつけたとか。
これで幕府軍の船をばんばか砲撃して、さっさか撤収とか。やーん、もう、かわいすぎだろう(そこ?)
しかしこの本、明治維新がメインだったか、もしかして。
政治家としての活躍は、ちゃんと載ってるんだろうか・・・あと1/3もないけど。
幕末は自分で創作したことがないんで、そんなに詳しくはないんですけども、
初めて行ったイベント、昭島メッセで買った、新撰組のギャグ創作本が実におもしろくて、
いっぺんにそのサークルさんのファンになっちゃったんだけども、その本の中で井上聞太が包帯でグルグルまきになってたシーンは、俗論党の闇討ちにあった時のやつだったのか、あれ。
10数年越しの理解。
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うっわああああ!案の定、明治一桁年で話がおわ、え、終わった?!というか、なんか連載が途中で打ち切りになったみたいな、この先未載録です、みたいな、そんなの、そんなのないよ~!(懐)
いちおう、明治人としての井上サァも載ってて、すこしは勉強になりもした・・・。
というか、江藤さん、あのあとあんなことになっちゃうんだな・・・。
西郷どーん、の西南戦争は憶えてるんだけど、その前哨戦はおぼえておりもはんでした。
長州方言?の語尾がかわいい、薩摩のはちょっと面白い。そして、文体がいい加減な事になっている。
本当に知りたかったのは、日本鉄道の計画が動き出す10年代前半だったんだけどなぁ。
それは、どこの本で読めるのかなぁ。
意外と五代さんと仲が良かったのね(笑)というか、五代さん薩摩藩士だったんだ?
武士の商法の成功者ってことかな。
三井物産は、井上さんの起こした先収社(千収社?)の後始末を三井に頼んだために出来た会社で、
三井の本筋とは毛色がちがうのか~。そこんとこも、もう詳しくほしかったな。
今度は益田さんで借りてみようか・・・。でも目的が違う事にってる気もする。
それよりは、三菱汽船のほうがありそうかな。う~ん
で、河口湖旅行のあと、西八王子で降りて、八王子図書館で八王子関連のことを調べ、
(八王子駅と西八王子駅の丁度間にあって)移動距離が大して変わらないこともあり、
そこから八王子資料館へ行って、「八王子と鉄道展 私鉄編」を見て、ふたたびここへ。
>3/4の記事を参照
正直、体力の限界というか、足の裏の死力を尽くしてここに立っております。
お土産のワインが重い重い。
前回は、この省線と玉南の交差部分が、こっち側がただのコンクリートだと思っていたんですけど、反対側にどうも建設当時の石積み部分が残っていた、けど、あっち側の踏切からは距離があり、しかも八高線の橋脚が手前にあって見えにくかったんで、ふたたびこっち側からよく見てみました。
なんか、垂直にぱっつーん、ってなって、片側はコンクリートに増強した感じなんですかね。
たぶん、中央線が、最初は単線だったのに、昭和になってから複線にしたから、
それで幅を増やさなきゃならなくなったんじゃないかと予想・・・。
そう思った、理由がこちら。↓
この、交差部分よりやや新宿方面へいった所に残る遺構。
大阪窯業八王子工場引き込み線。
京王線のすぐそばに、コンクリートの橋脚だけ残ってるんですが、幅広な台形なのは、
横浜線とおなじ、築堤による土盛りの形にあわせたものかなぁ・・・。
これが、片側一個だけ残っているんですが、単線で開業した玉南が、京王に合併されたあと、
複線になった際に撤去されたからじゃないか、という記述をみたので、
「へ~そうか、複線化に伴って橋脚も動かされることがあるんだな」と思ったからです。
「東京の鉄道遺産 上」(山田俊明 著/けやき出版)によると、
もとは八王子煉瓦製造(株)という会社で明治30年創業、ホフマン釜を備えた大規模な大型機械化工場として官設中央線の煉瓦建造物に製品が使用されたものの、アメリカ製機械の不具合で目標とした大量生産ができず、埼玉の日本煉瓦製に取って代わられ・・・
八王子煉瓦はその後、関東煉瓦製造を経て、大阪窯業八王子工場となり、1932年(昭和7年)の火災で全焼するまで煉瓦の製造を行っていたそう。
日野煉瓦が、明治21~23年の創業で甲武鉄道の為にあったような会社なら、
こちらは官設中央線(明治34年8月八王子駅~上野原駅間開業)の為の会社みたいですね。
さらに「中央線 街と駅の120年」(三好好三 編著/JTBパブリッシング)の八王子駅のコラムによると、
最初は、単線の引き込み線が中央線の本線から分岐する形で、由井村北野の水田を走り、湯殿川北岸の工場まで建設されたが、明治41年横浜鉄道が開通すると、そちらから築堤で分岐するよう移設された、とあります。
>こちらのページにその線路の地図が載っています。
http://www.geocities.jp/takeshi_departure/renga.html
これみると、意外と中央線と玉南の交差部から近いな~と思って、もしかして距離的にこの築堤交差部が、(漫画の画面的に)見えるかもしれない・・・と不安になり、訪れました。
まあ、思った程には近くも遠くもなかったです。
でもって、こっち側からみると、京王線と横浜線が平行に見えるな・・・ふ~ん。
まあ、考慮にはいれておこう・・・。
前回、この付近にあった煉瓦構造物の橋脚で、中央線、八高線、そして第三の一番高い橋脚があって、ヤフー地図でみたら、なにかの側線?らしいと判明したやつ。
たしかに、車止めみたいなコンクリートがあります。京王とJRの交差部の手前辺りですね。
右側の建物の壁、の背後にあるやつがそうです。
こちらもりべ~んじ!
はじめ、名前がわからなくてネットの検索でもお手上げの結果だったんですが、
前記山田さんの本で「第二石曽根川橋梁」とわかって、そうか、銘板撮るの忘れた・・・と気づいたので。
でも、橋には「第二石曽根橋梁」とあって、川とは書いていない・・・。
石曽根川は、山田さんの本によると用水路だそうで、それを跨ぐ立派な煉瓦アーチが2004年に取り壊されるまで民家に存在した、とあり、これは「八王子と鉄道展 国鉄編」で展示されてた、日野煉瓦と思わしき遺構のことかなと。
北側に向かって下がっているので、山田川から取水してたのかな~。
高尾のトンネルのように、川が間を通っていたのかどうか。でも川って書いてない・・・。
「八王子と鉄道展」のパンフの地図ではよくわからなかったのですが、
上の民家に残っていたという遺構は、甲武鉄道の、官設中央線と繋がるために移転する前の八王子駅時代のものであり、したがって日野煉瓦製である可能性があるのですが、
この「第二石曽根橋梁」は共用駅である八王子駅移転後の、付け替えられた線路のものであるので、日野煉瓦製ということはなかったですね。
山田さんの本に載ってた地図で理解しました。
たぶん、先の八王子煉瓦か日本煉瓦製でありましょう。
ぜんぶ、つながってるんだなぁ。
なんか、鉄道用地の杭が気になって。2、2、1ってかんじで近距離に埋まってました。
外側に向かってだんだん増えてったのかなぁ。
中央線~八高線~側線~みたいに、増築?
帰り~。一日目、二日目と晴れてたのに、ここに来てドン天。ギリギリだったな~
帰りは元5000系の色違いv
ここでも、こういう編成されてるんだなぁ。
青~さんと栗~さんがごっつんこ♪
おなじ茶色でも、登山電車とは雰囲気がまたちがいますね。
これ、リバイバルカラー第二弾の、昭和20年バージョンなんですね。
中はギャラリートレインになってました!昭和20年代、河口湖線が開業した頃のがメインなのかな?
京王重機のプレートも!
下吉田駅で、交換待ち。有蓋車?がかわいい。
1000形の中間車?かな、と思ったけど、白のラインが幅ないな~
と思ったら「長崎 さくら」と書いてあった。九州の特急車かな?
それにしても、事業車にも富士山の白模様があるvvv
だいっっっすきだな!
新型君がやってきましたので出発です。
======================================
大月駅着。
あ、タッチパネルあるやん!富士急IC参加してないと思って、並んで切符買ってたのに。
時代は進むんやな~~
1000形さんは「車庫に入ります」といって、去っていった・・・。
なんか、まだ面白いのこないかな~としばしまってたら、
さっきの青栗さんが!!そこ、車庫なの!?留置線じゃないの!??
駅を一回でてみます。
なんか、さっぱりしたロータリーでした。
駅から出てきたお客さんが「あら~全然かわっちゃったわ~」といってらしたので、
やっぱり変わってるんだろうな~。なんか、駅も工事中の所あるみたいで仮設トイレになってたし。
大月駅は、中央線の駅ですよね?新しくしてるのはJRかもしかして。
まえの合宿で、(富士急の)終電で河口湖へ行こうとしてた時は、駅の外出たら、外真っ暗で全然方向わからなくて、弱って、駅員さんに「富士急何処ですかああ~~~」って泣きついたら、改札内の連絡通路のほうがわかるよ!って、大月駅のはんこ押した入場券みたいのくれました。いい、思い出です。
======================================
中央線のホームから。
ふ、フジサン特急が2台・・・いる・・・!????
え、いっぱいいるの、あれ!
どうにも、行きと帰りで、模様がじゃっかんちがう気がしたんだ。
最後まで、ネタが満載。ありがとう山梨。

