たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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「みっちゃんぷろじぇくと」において、後半のネタ元になった記事。
漫画内でかなり蛇足感つよい流れになっちゃったけど、いれずには居れなかった。
おそらく京王関係の合併計画においてはこれが最古なんじゃないかと。
「●五大電鉄合同計画」明治四十四年八月十九日(土曜日) 読売新聞
旧東鉄重役川田、利光の両氏は今回相提携して
京成電気軌道会社(資本金百五十万円会長利光鶴松)
京王電気軌道会社(資本金百五十万円社長川田鷹)
武蔵電気鉄道会社(資本金三百五十万円社長伯爵廣澤金次郎)
王子電気軌道会社(資本金百万円社長才賀藤吉)の五電鉄会社を
合同し以て市を囲繞する理想的一大市外電鉄会社を起こさんとするの計画を立て
利光氏は既に武蔵電鉄取締役岩下清周、才賀王子電鉄社長と会見を遂げ
其の賛同を得たる由なるも刻下両瓦斯合併問題の横はれるを以て
同問題解決後にあらずんば該計画の実現を見んこと蓋し困難なるべしと云ふ
明治44年の8月というと、東京鉄道が市営化され市電として運転を開始した直後なんですが、
その時期に、なんでこんな大それた計画立ててるのか謎な記事です。
だいたい、「五大電鉄」ってなんですか。私鉄の名前、4つしか挙がってないないんですけど!
まさか、市電含めての話なのか、一体どういう見通しがあって、そんな話に?!
そして主犯格が利光さんぽい(笑)
「旧東鉄重役川田」氏というのは、京王の初代社長です。
市営化される前の、東京鉄道の常務の一人でしたが、もともとは東京電気鉄道の専務でした。
この時期の京王には、旧東鉄の重役の名前がちらほらみえます。
「京王電気軌道」の設立は明治43年4月(創立総会は9月21日)、創立委員長は東京鉄道社長で、東京馬車鉄道時代からの東京電車鉄道の元社長・牟田口元学氏。
京王の専務は利光さんの同族・利光丈平氏で、京王の重役はすべて利光さんの指名によって決められたので、京王の中に東京鉄道の、元三大勢力が大集合かもです。
時期的に市営化を見越した受け皿にされた感がなくもない・・・。
京成電気軌道はこの時期、開業に向けて工事中。
創立以来、京成は会長も社長もおかず、本多専務が切り盛りしてるんですが、
本多さんはもともと東京市街鉄道・工務課長です。
そして、明治44年3月17日の初の株主臨時総会で定款が改められ、役員が置かれることになったんですが、その選出は議長である利光さんに一任され、初代会長には井上敬次郎さんが就任。
しかし、東鉄市営化によって、井上さんは東京市電気局の理事に就任することになり、8月5日には早くも辞任、代わりに利光氏が会長となったので、この記事は、その直後のものということになります。
ちなみに、井上敬次郎氏は東京市街鉄道時代は取締役、東京鉄道では常務の一人でした。
なので、京成・京王=旧東鉄組とみなされても、仕方がないというか、
利光さんの影響下にあったといっていいかと。
武蔵電鉄が岡田治衛武社長じゃなくて、廣澤金次郎氏になっているのは、
明治44年7月3日に岡田氏が辞任し、監査役だった廣澤氏が就任した時期だったからで、こちらもトップが変わったばかりという。どうもどこも不穏当な時期。
ちなみに、岡田氏は明治45年7月に社長に復帰します。
ここで面白いのが、岩下清周氏が武蔵電鉄にいて、王子電軌の才賀氏と同調しているところ。
岩下氏の北浜銀行は才賀電機商会が破綻した時に王子を引き受けようとしていた位、
密な関係だったので、ここでもそれがあらわれているのかなと(笑)
明治末期の鉄道は、40年に日露戦争勝利の短期の好景気のあと、すぐに反動がくるので、
玉川の開業くらいまでが「駆け込み」であるといわれ、それ以降の鉄道軌道は免許はあっても、
開業までに軒並み難儀する時代だったようで、このような合同による計画の実現を考えたのかも知れません。
ところで「刻下両瓦斯合併問題の横はれる」というのは、44年8月ごろ、「市有化問題」と一緒に世間を騒がせていた、東京瓦斯と利光さんの千代田瓦斯の合併問題のことです。
もともと東鉄市営化についても議論のある所で、両方の問題の裏に利光さんがいたのため、随分矢面に立っていたんではと。
ついでに、東鉄の清算人にもなっているので、問題を抱えまくっていたらしい。
======================================
う~ん、ところで、武蔵電鉄=東横線と何も考えずに、作中ではしてしまったんですけど、
この頃の免許って、大正時代に一度失効してしまってて、軽便鉄道として取り直してるんですよね。
そうすると、今の東横の本体って、そっちか。と。ちょっと、しくった。
でもまあ、苦い思い出には違いないから、いいはいいか。
漫画内でかなり蛇足感つよい流れになっちゃったけど、いれずには居れなかった。
おそらく京王関係の合併計画においてはこれが最古なんじゃないかと。
「●五大電鉄合同計画」明治四十四年八月十九日(土曜日) 読売新聞
旧東鉄重役川田、利光の両氏は今回相提携して
京成電気軌道会社(資本金百五十万円会長利光鶴松)
京王電気軌道会社(資本金百五十万円社長川田鷹)
武蔵電気鉄道会社(資本金三百五十万円社長伯爵廣澤金次郎)
王子電気軌道会社(資本金百万円社長才賀藤吉)の五電鉄会社を
合同し以て市を囲繞する理想的一大市外電鉄会社を起こさんとするの計画を立て
利光氏は既に武蔵電鉄取締役岩下清周、才賀王子電鉄社長と会見を遂げ
其の賛同を得たる由なるも刻下両瓦斯合併問題の横はれるを以て
同問題解決後にあらずんば該計画の実現を見んこと蓋し困難なるべしと云ふ
明治44年の8月というと、東京鉄道が市営化され市電として運転を開始した直後なんですが、
その時期に、なんでこんな大それた計画立ててるのか謎な記事です。
だいたい、「五大電鉄」ってなんですか。私鉄の名前、4つしか挙がってないないんですけど!
まさか、市電含めての話なのか、一体どういう見通しがあって、そんな話に?!
そして主犯格が利光さんぽい(笑)
「旧東鉄重役川田」氏というのは、京王の初代社長です。
市営化される前の、東京鉄道の常務の一人でしたが、もともとは東京電気鉄道の専務でした。
この時期の京王には、旧東鉄の重役の名前がちらほらみえます。
「京王電気軌道」の設立は明治43年4月(創立総会は9月21日)、創立委員長は東京鉄道社長で、東京馬車鉄道時代からの東京電車鉄道の元社長・牟田口元学氏。
京王の専務は利光さんの同族・利光丈平氏で、京王の重役はすべて利光さんの指名によって決められたので、京王の中に東京鉄道の、元三大勢力が大集合かもです。
時期的に市営化を見越した受け皿にされた感がなくもない・・・。
京成電気軌道はこの時期、開業に向けて工事中。
創立以来、京成は会長も社長もおかず、本多専務が切り盛りしてるんですが、
本多さんはもともと東京市街鉄道・工務課長です。
そして、明治44年3月17日の初の株主臨時総会で定款が改められ、役員が置かれることになったんですが、その選出は議長である利光さんに一任され、初代会長には井上敬次郎さんが就任。
しかし、東鉄市営化によって、井上さんは東京市電気局の理事に就任することになり、8月5日には早くも辞任、代わりに利光氏が会長となったので、この記事は、その直後のものということになります。
ちなみに、井上敬次郎氏は東京市街鉄道時代は取締役、東京鉄道では常務の一人でした。
なので、京成・京王=旧東鉄組とみなされても、仕方がないというか、
利光さんの影響下にあったといっていいかと。
武蔵電鉄が岡田治衛武社長じゃなくて、廣澤金次郎氏になっているのは、
明治44年7月3日に岡田氏が辞任し、監査役だった廣澤氏が就任した時期だったからで、こちらもトップが変わったばかりという。どうもどこも不穏当な時期。
ちなみに、岡田氏は明治45年7月に社長に復帰します。
ここで面白いのが、岩下清周氏が武蔵電鉄にいて、王子電軌の才賀氏と同調しているところ。
岩下氏の北浜銀行は才賀電機商会が破綻した時に王子を引き受けようとしていた位、
密な関係だったので、ここでもそれがあらわれているのかなと(笑)
明治末期の鉄道は、40年に日露戦争勝利の短期の好景気のあと、すぐに反動がくるので、
玉川の開業くらいまでが「駆け込み」であるといわれ、それ以降の鉄道軌道は免許はあっても、
開業までに軒並み難儀する時代だったようで、このような合同による計画の実現を考えたのかも知れません。
ところで「刻下両瓦斯合併問題の横はれる」というのは、44年8月ごろ、「市有化問題」と一緒に世間を騒がせていた、東京瓦斯と利光さんの千代田瓦斯の合併問題のことです。
もともと東鉄市営化についても議論のある所で、両方の問題の裏に利光さんがいたのため、随分矢面に立っていたんではと。
ついでに、東鉄の清算人にもなっているので、問題を抱えまくっていたらしい。
======================================
う~ん、ところで、武蔵電鉄=東横線と何も考えずに、作中ではしてしまったんですけど、
この頃の免許って、大正時代に一度失効してしまってて、軽便鉄道として取り直してるんですよね。
そうすると、今の東横の本体って、そっちか。と。ちょっと、しくった。
でもまあ、苦い思い出には違いないから、いいはいいか。
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けいおうのまわり、大分県人だらけ!!!!
と思った休日でした。
けど、とっかかりが何だったのか忘れました。今度、思い出しつつ一度まとめます。
慶應義塾と京王、意外と関係あったんですね。間接だけどね。
まあ、とりあえずは、ウィキの馬車鉄道の外部リンクから小川功さんの論文で、
「関西鉄道会社建設期の地元重役による経営改善推進」というのがあって、
そこでだいーぶ、馬車鉄道の内部事情を把握しました。
関西鉄道と連動してたんだ-。ますます、事態がややこしいな。関西の鉄道わからないし。
名古屋~大阪でしたっけ?関西鉄道。
谷元さんはもともと大隈派ではあったんですね。
それが不祥事を起こし、信頼の厚い中野武営さんや牟田口元学さんにとってかわられたと…。
そういえば、谷元さんは甲武鉄道にも創立委員として参加していたっけ。
それが、大隈・若尾派閥VS地元・雨宮派閥みたいな対立がおこって、21年頃に辞めている。
平沼専蔵さんは一般には「高利貸し」のイメージだったんですね。
後ろ暗い所があるから、表だった所には出たくなかったんだとか。
でも、雨宮さんの自伝には、
「十九年に初めて日本鉄道条例と云ふものが出来て民間に鉄道を許すと云ふことになった
其前に井関盛良さんと岩田作兵衛さんとが新宿八王子間の馬車鉄道の願を出して置いたので
之を本鉄道に願ひ替へて仕舞った。そこで当局者は本鉄道の発起人の身代を調べた結果
此の発起人では"資力が薄い"と云ふので大隈さんが紹介して平沼が金を出し
それで許すと云ふことになった。」
とあるので、甲武鉄道実現に当たってはかなりのキーマンではあったもよう。
『平沼が大隈にとって「無抵当で金を貸す」「俺には恩人」であった』と小川さんの論文にあるので、
大隈さんのお財布だったのかな。
それにしても、渡辺一族、何者だ。すげー気になるんですけど。
そういえば、玉川や京王の発起人も渡辺姓だったな。関係あるかな??
でも、渡辺さんて、ふつうに結構あちこちにいるからなー。
嘉一さんとか、技術関係であらゆる鉄道に関与してますし。
ええい、家系図はどこだ家系図は!!
大正八年末の臨時株主総会で武蔵電鉄の専務になった渡辺勝三郎さんは、この渡辺一族だと思う。
治右衛門の三男と名前が同じだ。
この人らは、財閥とはいわないのかな・・・?
とまあ、この辺の事は、確認と訂正。
京王電軌救済会という、なんだかほほえましいかんじの会の委員長で、
京王の常務だった渡辺孝さんはどうかな?うわあ!大分県人だ!!!
甲州財閥が財閥の起源なら、大分財閥があったっていいと思うくらいにはうようよいるなぁ(笑)
と思った休日でした。
けど、とっかかりが何だったのか忘れました。今度、思い出しつつ一度まとめます。
慶應義塾と京王、意外と関係あったんですね。間接だけどね。
まあ、とりあえずは、ウィキの馬車鉄道の外部リンクから小川功さんの論文で、
「関西鉄道会社建設期の地元重役による経営改善推進」というのがあって、
そこでだいーぶ、馬車鉄道の内部事情を把握しました。
関西鉄道と連動してたんだ-。ますます、事態がややこしいな。関西の鉄道わからないし。
名古屋~大阪でしたっけ?関西鉄道。
谷元さんはもともと大隈派ではあったんですね。
それが不祥事を起こし、信頼の厚い中野武営さんや牟田口元学さんにとってかわられたと…。
そういえば、谷元さんは甲武鉄道にも創立委員として参加していたっけ。
それが、大隈・若尾派閥VS地元・雨宮派閥みたいな対立がおこって、21年頃に辞めている。
平沼専蔵さんは一般には「高利貸し」のイメージだったんですね。
後ろ暗い所があるから、表だった所には出たくなかったんだとか。
でも、雨宮さんの自伝には、
「十九年に初めて日本鉄道条例と云ふものが出来て民間に鉄道を許すと云ふことになった
其前に井関盛良さんと岩田作兵衛さんとが新宿八王子間の馬車鉄道の願を出して置いたので
之を本鉄道に願ひ替へて仕舞った。そこで当局者は本鉄道の発起人の身代を調べた結果
此の発起人では"資力が薄い"と云ふので大隈さんが紹介して平沼が金を出し
それで許すと云ふことになった。」
とあるので、甲武鉄道実現に当たってはかなりのキーマンではあったもよう。
『平沼が大隈にとって「無抵当で金を貸す」「俺には恩人」であった』と小川さんの論文にあるので、
大隈さんのお財布だったのかな。
それにしても、渡辺一族、何者だ。すげー気になるんですけど。
そういえば、玉川や京王の発起人も渡辺姓だったな。関係あるかな??
でも、渡辺さんて、ふつうに結構あちこちにいるからなー。
嘉一さんとか、技術関係であらゆる鉄道に関与してますし。
ええい、家系図はどこだ家系図は!!
大正八年末の臨時株主総会で武蔵電鉄の専務になった渡辺勝三郎さんは、この渡辺一族だと思う。
治右衛門の三男と名前が同じだ。
この人らは、財閥とはいわないのかな・・・?
とまあ、この辺の事は、確認と訂正。
京王電軌救済会という、なんだかほほえましいかんじの会の委員長で、
京王の常務だった渡辺孝さんはどうかな?うわあ!大分県人だ!!!
甲州財閥が財閥の起源なら、大分財閥があったっていいと思うくらいにはうようよいるなぁ(笑)
友人が岡山へ転勤になるので、金曜日にそのお別れ会で仕事のあとに池袋へ大集合。
山梨の合宿に来れなかった人も集まって、五年ぶりに顔見た人も全然かわってなくて、
すっごい楽しかった!久しぶりに美味しい酒をガンガンのみました。
したら、案の定、手足が冷えて痛くなってしまった・・・。
体中に毒素がまわってるなぁ、ってかんじ。
昨日の昼まで痛みが消えなかったので、キーボード打ち込むのに難渋しました。
久しぶりに11時台の京王線に乗った~。あの時間でも結構な満員ですね。
やっぱり、あの西に行く程人が降りていって、段々楽になっていくのがたのしい。
だいたい、調布までがガマンのしどころですね。
これが、南武線とかだと、降りたと思ったらさらに乗ってくるんで、地獄ですねアレ。(府中→立川)
分倍河原着く頃には、南武線はもう終了してました。
あれ、南武線ってそんなに早かったっけ。多摩側だけ??
そして、聖跡に着くと同時に、非常停止ボタンが発動して、けたたましいことこと。
あれ、高音と、サイレンみたいな唸る音と、二種類の音が同時に鳴りっぱなしになるんですね。
ほんとに非常事態ってかんんじになります。雰囲気が一変にかわるというか。
さいわい、10分くらいで動き出したんですけど、結局なにが原因だったのかわからなかった。
女性が「すみませーん」て手を挙げてたのはみえた、けどそんなあわてた感じじゃなかったから、大丈夫だったんだろう。
もうひとつ借りてるのが平凡社新書の「日本の地方財閥30家」菊池浩之著。
川崎財閥が(財閥研究系の本に)あまりにも載ってないので、「地方財閥」をキーワードにヒットした本を借りてみました、が、こちらはほんとに小財閥をあつかったものなので、むしろ川崎クラスが載っていない(爆)
だいたい川崎さんて東京系だから地方でもないかも、お手上げ。
かわりに森村財閥が載っていました。これはこれで。
といっても、本流である所の森村組の事業にはほとんど触れず、むしろ傍系のTOTOだとか日本ガイシだとかがメインで、まあ今ではそこが残って有名なんだから仕方がないのですが。
しかし、紡績・製糸の部で十大紡績として富士瓦斯紡績を挙げているにも拘わらず、会長を日比谷さんとして、森村財閥との関係を述べていないのがさみしい・・・。
個人的にはそここそ重要なのに。
あとは醤油財閥で野田や銚子の醤油業者の系譜がわかるのが嬉しいです。
千葉の鉄道において醤油業者の存在は欠かせませんものね。
総武鉄道とか総武鉄道とか、あと銚子電鉄とか。
で、奥付の同著者の本の中に「日本の15大財閥」というのがあって、そっちかーー!と。
これは啓文堂に普通に在庫があったので買いました。新書なので全然安い。
ちょうど三井物産と三菱汽船についても知りたかったですし、一石二鳥です。
しかし、著者自身が認めるだけあって、内容は超デフォルメされているので、ほんとに入門書です。
川崎財閥の説明なぞ6pしかなかった。もちろん鉄道との関わりにも触れてなし。
ここでもマイナー扱いなんだなぁ(笑)でも面白いし、勉強になったので後悔はありません。
衝撃だったのが、川崎と第百銀行が合併するとき、「二代目川崎八右衛門は第百銀行頭取の原邦造を引退させることに成功し、合併後の実権を握った」とあり、ええ!?と Σ(゚Д゚;
あんたら仲良くやってったんじゃなかったんかーいっ。
いや、対立したとも書いてないんでわかりませんが、なんか不穏当だなぁ…と。
本当に、川崎で華々しい目立った話題って、この第百銀行の合併だけなんですよねぇ…。
どこにだったら、もうちょっと詳しいこと書いてあるのかな。
このシリーズの最大の魅力は巻末に、参考になりそうな文献を列挙してくれている所なので、これを頼りにまだまだ旅は続けられそうです。というか続きます…orz
とりあえず、森村さんの伝記っぽいのは3冊くらいあるようなので、五代さんを読み終わったら、いよいよ本命にいきたいとおもいもす…。
そうそう、大日本電力の社史にて、富士製紙から電気部門が出来た時の富士製紙の社長が原六郎さんなんだそうで、これも「なんだってー!?」でした。
原親子もちょっと、知っといたほうがよさそうかな。
あとは普通に甲州閥が多方面で勉強になりそうなので、これも憶えておこう・・・。
川崎財閥が(財閥研究系の本に)あまりにも載ってないので、「地方財閥」をキーワードにヒットした本を借りてみました、が、こちらはほんとに小財閥をあつかったものなので、むしろ川崎クラスが載っていない(爆)
だいたい川崎さんて東京系だから地方でもないかも、お手上げ。
かわりに森村財閥が載っていました。これはこれで。
といっても、本流である所の森村組の事業にはほとんど触れず、むしろ傍系のTOTOだとか日本ガイシだとかがメインで、まあ今ではそこが残って有名なんだから仕方がないのですが。
しかし、紡績・製糸の部で十大紡績として富士瓦斯紡績を挙げているにも拘わらず、会長を日比谷さんとして、森村財閥との関係を述べていないのがさみしい・・・。
個人的にはそここそ重要なのに。
あとは醤油財閥で野田や銚子の醤油業者の系譜がわかるのが嬉しいです。
千葉の鉄道において醤油業者の存在は欠かせませんものね。
総武鉄道とか総武鉄道とか、あと銚子電鉄とか。
で、奥付の同著者の本の中に「日本の15大財閥」というのがあって、そっちかーー!と。
これは啓文堂に普通に在庫があったので買いました。新書なので全然安い。
ちょうど三井物産と三菱汽船についても知りたかったですし、一石二鳥です。
しかし、著者自身が認めるだけあって、内容は超デフォルメされているので、ほんとに入門書です。
川崎財閥の説明なぞ6pしかなかった。もちろん鉄道との関わりにも触れてなし。
ここでもマイナー扱いなんだなぁ(笑)でも面白いし、勉強になったので後悔はありません。
衝撃だったのが、川崎と第百銀行が合併するとき、「二代目川崎八右衛門は第百銀行頭取の原邦造を引退させることに成功し、合併後の実権を握った」とあり、ええ!?と Σ(゚Д゚;
あんたら仲良くやってったんじゃなかったんかーいっ。
いや、対立したとも書いてないんでわかりませんが、なんか不穏当だなぁ…と。
本当に、川崎で華々しい目立った話題って、この第百銀行の合併だけなんですよねぇ…。
どこにだったら、もうちょっと詳しいこと書いてあるのかな。
このシリーズの最大の魅力は巻末に、参考になりそうな文献を列挙してくれている所なので、これを頼りにまだまだ旅は続けられそうです。というか続きます…orz
とりあえず、森村さんの伝記っぽいのは3冊くらいあるようなので、五代さんを読み終わったら、いよいよ本命にいきたいとおもいもす…。
そうそう、大日本電力の社史にて、富士製紙から電気部門が出来た時の富士製紙の社長が原六郎さんなんだそうで、これも「なんだってー!?」でした。
原親子もちょっと、知っといたほうがよさそうかな。
あとは普通に甲州閥が多方面で勉強になりそうなので、これも憶えておこう・・・。
えーただいま、五代友厚さんの伝記小説を4冊かりてるんですが、どれを読めばいいかわからなくて。
しかも、図書館にまだまだあったよ、井上馨なんて選択肢なかったのに!!
そんなに題材に人気のある人だったのか。びっくりです。
幼年時代すっとばして、青年時代から始まってる本をまずみたら、やっぱり前後の話がよくわからなくて、おとなしく少年時代から扱ってる本を読み始めましたら、こんどはさらに100年くらい前の薩摩藩の財政の説明からはじまってて(笑)
あの、面白いですけどね?話、そこからですか!(「功名を欲せず」渡辺修)
著者が東京商工会議所の人みたいで、商工会議所の存在意義に疑問をもっていたところ、大阪商工会議所は東京となりたちが違うことを知り、五代ファンになったらしい。
ちょっと立場が面白そうな人なんで、他とは違う視点で期待しています。
ちなみに59pまで読んで、まだ五代さんの台詞が一行もありません。^ ^;)
すごく内容の細かい略歴読んでるようなかんじです。
でも、読み終わった暁には、他の小説の舞台背景がよくわかるにちがいない。
井上馨の本に、三井とおなじく公金取り扱いを許されている小野組が単独で銀行を設立するため大阪の五代友厚を通じて政府に働きかけていたとあり、結局は渋沢栄一の構想に押し切られる形で三井小野組共同の水と油な銀行ができあがったものの、小野の取引内容が不透明で危ないことを知った井上馨が諮って、一方だけをつぶしてしまう。
初期の造幣局時代は五代さんとしょっちゅう花街へ繰り出す仲だったそうですが、この小野組の件はその後の関係になにか響いたのかな。そこは書いてなかったので気になる所です。
雨宮さんの本にも、不換紙幣価値の下落による大規模なインフレをどうにかするため、五代さんと雨宮さんが裏で奮闘する様が描かれているんですが、結局は松方デフレ政策によって落ち着くので「負けた」と思う二人。
これを機に仲良くなった二人は、五代さんが馬車鉄道会社をおこすとき、規則を雨宮さんに相談したりするんですが、じゃあ、雨宮さんは馬車鉄道の経営にも参画してたのかな、っていうとそうでもない。
初期には薩摩出身の谷元道之社長、種田誠一副社長が経営を主導し、取締役を置くようになってからは五代さんの腹心・岩瀬公圃氏を送り込んで、五代色が強い。
それが明治20年下期になって、初期メンバー(取締役)が退陣し、川村伝衞、林謙吉郎、平沼専蔵などの京浜富裕層が取締役になる。
また、初期投資の償却がおわり、これから稼ぎ時という美味しい時期に、若尾さんら甲州系が進出しはじめ、明治23~24年にかけて甲州閥との交代が起きてくる。でもその中にも雨宮さんはいなくて、根津さんは居る(笑)
平沼専蔵さんだけ、26年まで取締役に残っているのを「平沼は横浜の生糸商で同業の若尾らと気脈を通じていたものか」とあるけど、雨宮さんの本に、専蔵さんは「大隈重信の腹心」である、とあるから、どちらかというと若尾さんが大隈さんと図って送り込んだ、改進党の牟田口元学社長と対立しなかったからじゃないかなと思う。
平沼さんは、横浜ちゅーより、埼玉の鉄道王ってイメージなんですが、個人的に。
五代さんは明治18年に亡くなっているので、そのせいで他派による乗っ取り、内部対立の末の薩摩派の退陣になったんだろうなぁ、と思うけど、明治にたどり着くのに、あとどれだけかかるのか(汗)
しかも、図書館にまだまだあったよ、井上馨なんて選択肢なかったのに!!
そんなに題材に人気のある人だったのか。びっくりです。
幼年時代すっとばして、青年時代から始まってる本をまずみたら、やっぱり前後の話がよくわからなくて、おとなしく少年時代から扱ってる本を読み始めましたら、こんどはさらに100年くらい前の薩摩藩の財政の説明からはじまってて(笑)
あの、面白いですけどね?話、そこからですか!(「功名を欲せず」渡辺修)
著者が東京商工会議所の人みたいで、商工会議所の存在意義に疑問をもっていたところ、大阪商工会議所は東京となりたちが違うことを知り、五代ファンになったらしい。
ちょっと立場が面白そうな人なんで、他とは違う視点で期待しています。
ちなみに59pまで読んで、まだ五代さんの台詞が一行もありません。^ ^;)
すごく内容の細かい略歴読んでるようなかんじです。
でも、読み終わった暁には、他の小説の舞台背景がよくわかるにちがいない。
井上馨の本に、三井とおなじく公金取り扱いを許されている小野組が単独で銀行を設立するため大阪の五代友厚を通じて政府に働きかけていたとあり、結局は渋沢栄一の構想に押し切られる形で三井小野組共同の水と油な銀行ができあがったものの、小野の取引内容が不透明で危ないことを知った井上馨が諮って、一方だけをつぶしてしまう。
初期の造幣局時代は五代さんとしょっちゅう花街へ繰り出す仲だったそうですが、この小野組の件はその後の関係になにか響いたのかな。そこは書いてなかったので気になる所です。
雨宮さんの本にも、不換紙幣価値の下落による大規模なインフレをどうにかするため、五代さんと雨宮さんが裏で奮闘する様が描かれているんですが、結局は松方デフレ政策によって落ち着くので「負けた」と思う二人。
これを機に仲良くなった二人は、五代さんが馬車鉄道会社をおこすとき、規則を雨宮さんに相談したりするんですが、じゃあ、雨宮さんは馬車鉄道の経営にも参画してたのかな、っていうとそうでもない。
初期には薩摩出身の谷元道之社長、種田誠一副社長が経営を主導し、取締役を置くようになってからは五代さんの腹心・岩瀬公圃氏を送り込んで、五代色が強い。
それが明治20年下期になって、初期メンバー(取締役)が退陣し、川村伝衞、林謙吉郎、平沼専蔵などの京浜富裕層が取締役になる。
また、初期投資の償却がおわり、これから稼ぎ時という美味しい時期に、若尾さんら甲州系が進出しはじめ、明治23~24年にかけて甲州閥との交代が起きてくる。でもその中にも雨宮さんはいなくて、根津さんは居る(笑)
平沼専蔵さんだけ、26年まで取締役に残っているのを「平沼は横浜の生糸商で同業の若尾らと気脈を通じていたものか」とあるけど、雨宮さんの本に、専蔵さんは「大隈重信の腹心」である、とあるから、どちらかというと若尾さんが大隈さんと図って送り込んだ、改進党の牟田口元学社長と対立しなかったからじゃないかなと思う。
平沼さんは、横浜ちゅーより、埼玉の鉄道王ってイメージなんですが、個人的に。
五代さんは明治18年に亡くなっているので、そのせいで他派による乗っ取り、内部対立の末の薩摩派の退陣になったんだろうなぁ、と思うけど、明治にたどり着くのに、あとどれだけかかるのか(汗)

