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たまろぐ

テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です) 最近は管理人の備忘録と化してます。
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三ノ輪着。王電ビル~!
なかの通路はカレー屋さんになってましたが・・・それにしても古い!雨戸が木製!

商店街の途中にあった、喫茶店のあめみやさんが気になりつつ・・・とりあえずは、ふるさと館を目指します。

  

その途中、こんなところにまでLIFEが!千葉のときといい、お釈迦様の手のひらかと思う。
と、そのそばにまたまたありましたよ赤レンガ壁。


「旧千住製絨所煉瓦塀

 この煉瓦塀は、明治十二年(一八七九年)に創業を開始した官営工場、
千住製絨所の敷地を取り囲んでいた東側の塀です。…建設年代は、明治四十四年から
大正十三年頃と推定されます。
 千住製絨所はラシャ場とも呼ばれ、殖産興業、富国強兵政策の一貫として
軍服用絨(毛織物)の本格的な国産化のために設けられた施設です。…」

荒川区には、こんな煉瓦塀がけっこうあちこちに残っている模様。
やっぱり、煉瓦造りが盛んだったからかなぁ。このあといった荒川ふるさと文化館で、
「煉瓦のある風景ーあらかわの建築と煉瓦産業ー」というパンフレットも売られていました。
荒川遊園の煉瓦塀の事も、ばっちりこちらに載っていました。
あと小田急の親会社だった鬼怒電(鬼怒川水力電気)の尾久変電所のこととか。
赤レンガのおしゃれな洋風建築だったので「赤レンガ」とか「赤水力」などと地元の人に呼ばれていたそう。大正十二年の震災の時にも崩れず残っていたけど、昭和三十二年に撤去されてしまったそうです。おしいなぁ。
あとは南千住の常磐線のガード下の赤レンガも。大塚駅のも荒川煉瓦を使っているのかな~?
は!そういえば、王子駅(東北本線)も大塚駅(山手線)も南千住駅(常磐線)も、みんな日本鉄道の路線駅ですね。荒川線は、日鉄さんとゆかりが深いのか~
社史みてると、山手線と並行しまくってる計画線たててるので、山手線は微妙な顔してそうですが。「雑司ケ谷、目白、高田、大久保等を経て新宿」なんて、何それ、いやがらせ?ってレベルですし(笑)

 

やっと、本命の企画展にたどりつけました~
雨だったので、ここまでしんどかったす。

ホールのパネル展示からもう、足止めされまくりで、食い入るように車両の写真と説明読んでました。おかげで、なんとな~く、荒川線の歴代車両がわかるようになりました。ありがたい。
受付で入場料を払って中へ。まずあるのが、「チンチン」電車の名前の由来ともなった「信鈴」の展示。とりあえず、ならしますよね(///゚▽゚///)=3ムフー
私の後からきたお父さんも、やっぱり鳴らしてました「チンチン♪」

その次にあるのが、荒川線沿線に展開されている、商店さんによる荒川線グッズという。
・・・すごいよ、荒川線、愛されすぎだよ。現在販売中のマイグッズを展示した企画展なんて初めてだよ(笑)これらが売られている、お店のリストもしっかりとありました。

中の展示も資料も見事でしたよ、面白かった!江戸東京博でやった、都営100周年の縮小版みたい。ヘッドマークのアレとか、なんかみたことあるのまで。
なにより、人が少なくてじっっっっっくり見られるのがイイネ!
しかも、それらの展示品を網羅したパンフレットがちゃんと、受付で売られているのですよ!
それも、昭和初期に流行った沿線案内(金子常光さん筆)のカラーレプリカ付録つき!!!
どこかの京王さんはまじ見習って欲しい。聖跡のアウラホールでやったときも、調布の郷土資料館でやったときも、パンフどころかポスカすらなかったもんね。まじ見るだけね、鬼だね!!

不満を述べるなら、後半は三ノ輪線の写真や話ばっかりで、「お、大塚線は・・・?」って悲しくなったけど、ここ荒川区の郷土館だからね。って気づいた。は!
ということは、大塚線のあれやこれは、豊島区とか、北区じゃないとやってくれないのかあああああ!!!!!?と愕然としました。いや、大げさかな。

まあ、案の定、京王線との合併話だとか、下高井戸の延長話とかは皆無でしたが、
ただ、電力供出のところで「昭和十六年九月六日電第一三九一号逓信大臣命令書」に「電気供給事業設備を出資すべき者(会社)は、東京市、日本電力、東京横浜電鉄、王子電気軌道、大日本電力、京王電気軌道及京成電気軌道」って並びになってて、モエー!!

東横ってあるのは、たぶん玉川のもってた部分でしょうね。昭和十一年に合併してるから。
玉川を合併した当初、五島さんは「向ヶ丘以西の土地を大練兵場として軍に提供、かわりに駒沢、代々木の両練兵場を商店街にし、玉電を高速電車に切り換え、駒沢と祐天寺の間に大商店街を建設する、そのための大幅道路もつくり、年中無停電電灯を供給してサービスを尽くすー」という電灯百万灯計画をたてていたらしいから・・・。
もし、電力供出がなければ、玉川も京王みたいな高速電車を早めに行えて、廃線にならずに済んだかもしれません。なんという…。

もしかして、関東配電に供出された電鉄ってみんな馬車軌間のひとじゃね?なんでしょうね、この呪い(笑)
この、関東配電への供出のパネルでは「王子電気軌道も、同年九月、東京市や京王電気軌道と共に、関東配電に出資する会社になるよう命ぜられ」って、あえて京王をピックアップしてくれたーーーーー!って部分に、萌えました。すいません、そんなとこばっかみてて。

あとは、三ノ輪橋近辺の、ほかの都電さんの系統との絡みであらたに何かを得ました。
21系統が三ノ輪橋まできて、27系統の荒川線と接点あったんですよね。恋人同士だったらいいな~と。
21・31系統を設置したのは東京鉄道?開業した年代的には、ほぼ王子と一緒なんですよね。うわ~運命感じるわ~vvv

荒川線が存続決定したのは、昭和四十九年の美濃部都知事の発言によったとか。
美濃部都政か~~~多摩ニュータウンもこの人が発端やし、ちょっと研究してみようかな。


 

おみやげどっさり。
帰りにあめみやさんの喫茶店寄ったら、花電車の表紙のノートが!!!
がっつり買わせていただきましたが、なかみもけっこう凝ってます。210円だったと思う。

 

帰りも荒川線で、新庚申塚まで。
都営100のHMつきでした。が、中では黒服のフォーマルな格好の集団が楽しげに写真を・・・貸し切りだったのか?とびびりました。しかも、なかなかいいお年のおじさまたちが笑顔で写真撮りあってるんですもん。ツ、ツアー?

====================================

~おまけ~


帰りの三田線にて。
あのホームドア、上部がかぱっと開くんだね、おどろいた。
傘掛け用・・・ではないよな(笑)なにか操作するパネルがあるよう。

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荒川車庫でいったん降ります。そこから一駅分、ゆるゆる歩きました。
車庫にはレトロ号のかたわれがいました。「三八号」とは何の事だろう・・・

例の黄色い幸せ電車と、リバイバルっ子にHMとられたゼブラも見かけました。

 

営業所前のバラ。大塚駅のより、花の数も多くて、背丈もそろってきれい。
・・・もしかして三ノ輪線の方が、大塚線より育てるの上手?それとも個性なのかしらこれも。

  

荒川遊園到着~。
しかし、目的は遊園の方ではなく、「煉瓦」の遺構。
ちょうど、遊園の手前に荒川区教育委員会の立て札がありました。

「煉瓦工場と荒川遊園

 明治・大正期、荒川(現隅田川)沿いにはいくつもの煉瓦工場があった。
土が煉瓦の製造に適していたことと、船運が期待されてのことである。
 旭電化跡地(東尾久七丁目)付近にあった戸田・山本煉瓦工場、
華蔵院(東尾久八丁目)付近にあった鈴木煉瓦工場などである。
なかでも古いのが、明治五年に石上仲衛門氏が設立した煉瓦工場だという。
後の広岡煉瓦工場である。
 その跡地にできた「あらかわ遊園」は、大正十一年に開園した
都内でも古い民営遊園地で、大小の滝・築山・池・観月橋・総檜展望台などを備え、
たいへんな賑わいをみせた。太平洋戦争中は高射砲の陣地となり一時閉鎖されたが、
昭和二十五年、区立荒川遊園として生まれ変わった。」

王子駅が途中から高架化したと聞いて、その時期がいつなのかを検索していてたら、
たまたまヒットしたブログに、荒川遊園の外周にのこっている煉瓦塀の謎を追っている物がありまして、それがなかなか面白かったので自分でも実物を見に来てみました。
そちらの記事はこちらです↓
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~kajihiro/mati/renga/renga1.htm

あらかわ遊園は王子電軌が経営していたものですが、謎も多いみたいですね。

で、肝心の煉瓦塀はどこだ~と周りを見渡した所、あやしい門柱を発見。

近寄って裏をみてみると~、やっぱりありました!


  
  

ただの住宅の壁と云うには、異様な雰囲気ですね。
そして、その壁をちょこちょこぶった切って、近代的な住宅の玄関が路地にむいている。なかには、周りの赤レンガに合わせて、門柱を煉瓦風にしてしまっているお宅もvvv
このへん、ブラタモってほしいわ~。きっときっと面白いよ。

角端をまがって、つきあたりへ。その先は、住宅地内を通って遊園側へ続いているらしい。

 

ばっつり砕いたな~。

こんどは現在の荒川遊園の塀を伝って、もとの入り口へ。

 
 

一球さんのいる広場まで戻りました。
片側は32系統の「王子駅」行き表示で、反対側は27系統の「町屋駅」行きになってます。

一球さんの名前は、このあと行った荒川ふるさと文化館の展示で知りました(笑)
先にこっち、見といて良かったなぁ。^^

「ああ、あれかぁ!」って色々思えましたもん。

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荒川ふるさと文化館にいってきましたー。

先日、やっと仕事が抜けて、今日は代休。
ちょっと、寝過ごしちゃったんで、「雨だし寒いし、いくのどうしようかなー」とか布団の中でうだうだしてたけど「は!今日ってば、11年11月11日じゃん!」ってことで、ついでにぞろ目切符を買おうと、一念発起。

荒川線を乗ったり降りたりする予定なので、
TOKYO探索きっぷを買おうと窓口に話しかけたら、もう自動券売機で買えます、と
いわれ、買ったらこれが↓



・・・なんか、かわいくない!
当日券じゃなければ、まだあのスクラッチ形式なのかしら。

====================================

前回は王子駅でJRに乗り換えたので、今日は大塚駅でJRから乗り換えてみました。

  

大塚駅着。とさっそく、気になる橋脚が。
新旧両存、または補修の最中なのかしら。
もとのデザインを残しつつ、塗り込んでる印象。
それにしても、古そうだなぁ。いつ頃の橋脚なんだろう。まさか、日鉄当時のままとかは・・・



そのお隣に荒川線の大塚駅前駅。前駅、というか、「下」駅・・・住み心地良さそうです。
しかし、その奥に、またまた気になる壁が。赤レンガ発見!

  
  

煉瓦なので昭和以前くさい。常磐線の南千住付近もそうだったな。
ここのレンガの壁は、なかなかいい風合い。ちょっと、黄味がかった部分もあっていい。
でも上の橋桁は塗り立てらしい。2011年11月て。

  

荒川線の駅に戻る。うわーこの庇も木造かー。都内の、山手線の駅なのにねぇ。
7007号が。今日の旗は「キュータ」君で、びしょぬれになってました。
で、ここから三ノ輪方面を待とうとしたら、地域の人が協力して沿道のバラを守っているという、ポスター。そのバラの見頃が今月までだというので、向原までひと駅歩いてみようという気に。


  

見頃というには、ちょっと元気がない感じですが、雨と寒さのせいかもしれないです。
ちょうど、新型ローズカラーな子がきました。
反対側からは、リバイバルカラー。しかも阪堺と手をつないだとあらんのHMつき!?
あれ、以前はゼブラカラーの子に、つけてなかったっけ?!
7022号は、わざわざシングルアームをひし形パンタに直したというこだわりっぷり。

そういえば、今月の「鉄道ダイヤ情報」が花電車の表紙が見事だったので、思わず買ってしまいましたが、こちらの中身でも阪堺とコラボってたなぁ。
中の記事も、結構なページを割いていてお勧めです。
とくに削正作業が載っていたのが個人的にポイント。
しかも荒川線は都営地下鉄が使ったお古のレールを、フランジが接していた側を反対にして再利用するとか、ちょっと萌えたぞコラ。そいうの可能なんだなぁ。

 
 

なんというか、野放図じゃないけど、自由奔放な伸び方咲き方してる気が。
花盗人・・・というと文学的な雰囲気ですが、こっちは切実なんだろうなぁ。

向原駅から荒川遊園を目指します。

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都電荒川線と京王電鉄の関わりについて・続きです。
まずは前の記事をご一読下さい。

玉川、京王、王子と、現存馬車軌間そろいぶみですが、そのどれにも、というか創業の大切な時期に森村開作男爵の東京森村銀行と、和田豊治社長の富士瓦斯紡績が面倒をみていて、その立て直しに井上篤太郎さんが人材派遣されている格好です。

以下は王電の社史から抜粋。

『王子電気軌道二十五年史』昭和十年十月十五日発行

 一方電車事業は、三輪線の工事を進め、四十五年五月その軌道工事に着手し、
更に同年七月十八日には巣鴨終点より内藤新宿に至る軌道敷設の許可を受け、
同七月三十日には三輪車庫の竣工を見るに至れり。(p11)

 会社内部の動揺は尚ほ止まず、大正五年三月日本興業銀行に抵当の当社株式一万二千株(才賀氏所有)が
競売の結果北濱銀行に落札し、依って同年四月三谷軌秀氏北濱銀行を代表として社長となる。
 同年七月重役会に於て資本金一百万円(全額払込)を六十万円に減資し、
更に九十万円に増資するの件につき検討するところありたるも、
取締役中に減資の程度につき熟考を要するといふ意見あり、実現に至らずして終わる。
 更に同年秋、北濱銀行破綻に基因し、同銀行所有株式一万二千株を神戸鈴木商店、
東京森村銀行に競落の結果、再び重役に変動を来し、
同年十月三谷社長退き、次いで同月の臨時株主総会に於て植村俊平社長に、
榛葉良男氏常務取締役に、岡烈、宮本政次郎の両氏各取締役に就任す。
 同月、男爵森村開作、和田豊治の二氏を相談役に推薦す。永き内訌も、これにて漸く安定するに至れり。(p16-17)

〈大正〉六年六月に、目白線、江戸川線及び駒沢線に於ける電気軌道敷設願をなし、
十月十五日には、大塚三輪連絡船の工事認可申請
 大正六年五月岡取締役死去す、同年六月金光庸夫氏取締役に就任す。
 同八年四月井上篤太郎、田村周蔵両氏取締役に、宇都宮政市氏監査役に各就任す。(p20)

社内の整理漸く成るのときに於て、会社は、大正九年四月十九日、創立満十周年の記念日を迎へたり〈中略〉
この十周年記念に際し、印刷配布したる「創立満十周年史」の巻頭、植村社長の辞は、当時の社況を語り、
又会社の主義綱領を窺知し得べきものを以て左にその全文を掲ぐ

 当会社は既に創立以来満拾年に達したり 其間幾多の困難に遭遇したるが
 近時漸く順調に向かふこととなりたるは 株主各位と共に大に慶賀すへき所なり
 其営業状態は別表の如くにして 当事者にして経営方針を誤らさる限りは
 尚今後に此成績を維持することを得べしと信す
 今現に計画しつつある所のものは 電車の拡張に於ては
 新宿線、駒込線、板橋線、池袋線、白髭橋線、田端線等の新設なるが
 其宜しきに従って 漸次歩を進めざるべからず

 飛鳥山に於ける大塚三ノ輪両線の連絡工事は準備悉く成り 本年末迄には完了の予定なりしが
 鉄道院に於ける王子駅拡張計画変更の為めに工事を中止するの止むなきに至り
 尚両三年間連絡の遅延する事は誠に遺憾なりと雖ども
 為めに王子町市外内に吾軌道を延長することを得るの機会に接したるは 他日却て大に利するの時あるべし
 而して電燈電力の供給は常に其増加拡張に留意しつつあれば 従て諸般の不良に不断資金を固定するの必要あるが故に
 利益の増加と共に努めて基礎の堅実を計りて 以て徐ろに成績の向上を期せざる可らず 今や満拾年に際して
 聊いささか其祝意を表し茲ここに拾年間の経過を録して既往を追懐するの紀念に供すと云爾

   大正九年四月十九日
                           取締役社長 植 村 俊 平 (p22)



 翌十五年東京電力株式会社が東京進出、東京電燈株式会社と激烈なる営業競争を開始し、その一手段として、
大正生命及び森村両系の当社株式を肩替したるため、昭和二年六月新藤甲兵氏監査役として、
同年十二月松永安左エ門氏取締役として入社、その後東京電燈が東京電力を合併したるに依り、
本社の資本系統は、東邦系、東電系、大正生命系の三大株主を有するに至れり。(p29)
 昭和二年十一月取締役植村俊平氏辞任、取締役金光庸夫氏社長に就任、
同年十二月松永安左エ門氏取締役に就任、男爵森村開作氏相談役を辞退、植村俊平氏を相談役に推薦す。(p30)

 昭和九年十一月、東邦證券会社所有株式約六万二千株、
東京電燈株式会社に肩替り、その従前の分と合わせて約十一万株となり、
同年十二月、監査役宮川竹馬氏辞任、取締役金光庸夫、小平保蔵、廣橋嘉七郎、井上篤太郎、
田村周蔵、佐々田懋、松永安左エ門の諸氏任期満了につき改選の結果、
金光庸夫、小平保蔵、佐々田懋、松永安左エ門の諸氏重任、
河西豊田郎、新井章治の両氏取締役として、本間利雄氏監査役として各入社、
取締役廣橋嘉七郎、井上篤太郎、田村周蔵、監査役宮川竹馬氏退任して、
東京電燈株式会社の傍系会社となる。(p36)


松永安左エ門さんは「電気王」といわれた人らしいですね。
電気事業に依存する内に電力会社に株を預けるようになる流れは、京王と一緒ですなぁ。

要約すると、森村さんと和田さんが、王電の株を取得し、相談役となるのが大正五年十月、
和田さんは大正十三年三月に、森村さんは昭和二年十二月にこれを退いています。
和田さんはその年に亡くなられているので、その関係でしょう。
地の文にはないですが、井上さんもこの頃、相談役になっていて、大正六年十二月~大正七年十二月まで務めています。
で、大正八年四月取締役となり、昭和九年十二月の任期満了まで務めています。

京王と王子の合併の噂記事が大正七年六月二十五日、下高井戸線の記事が大正十三年八月二十九日ですから、がっつり任期が重なりますね。


で、さらに国立公文書館のデジタルアーカイブに

「王子電気軌道目白、下高井戸間延長線特許方に関し野方町長深野亀太郎外20名提出陳情書供覧の件」大正13年11月07日

「王子電気軌道野方町、下高井戸間軌道敷設願却下の件」昭和9年05月05日


という二つの項目があります。
上は下高井戸線の記事が出た頃ですね。
で、下がどうもその計画が却下されてしまったらしい題目。
井上さんが、取締役を退くのはその直後ですから、責任を持って見届けたという形なんでしょうね。

というわけで、森村、富士瓦斯、井上さんらが下高井戸大集合を画策していたらしいということ。計画は相成りませんでしたが、今残っている馬車軌間の路線が、一時期同じ系列の資本に入って、合併の動きさえ見せていた事は、今となっては不思議な因縁を感じますね。


ちなみに、その時期の社長、植村さんが「創立満十周年史」で云っている紫の部分、『王子電気軌道三十年史』では(中略)になっているんです。略すると云うほどの量でもない気がするのですが。
つまり、王電にとってこの計画線って黒歴史、元気のいい時にちょっと調子こいちゃった、恥ずかしい!ってことで削除されたんでしょうか・・・(笑)
新宿線ていうのは多分、京王との合併記事の所に出ていた新宿停車場へのルートの事なのではと。で、特許自体は明治四十五年七月にもうとってあったっぽい?


「白髭橋線」というのは、三ノ輪線を延長する計画だったんだろうなと。
もっと時代が下って、京成に白髭線というのがありましたが、そこと繋がる事を王電側も考えていたかも知れませんね。

余談ですが、京成の上野線?は筑波高速度電気鉄道という、もとは別の会社の免許線だったという。都心に乗り入れたいと焦る京成は、疑獄事件まで起こしたらしいですが、そこの免許を譲ってもらう事で、ようやく上野までいけたので、押上線は本線格まで譲っちゃって、ずいぶん甘やかして育てたんではないだろうかと、妄想。「育て方まちがえたかも・・・」今では、ちょっぴり後悔している押上線。

浅草線が、千葉側から開業する事になって西馬込の車庫が使えず、京成から借りていた旧向島駅跡というのは、この白髭線の廃線後のものだったのですね。

おかげでちょっぴり、浅草線と京成の関係が掴めたような気がします。

当時の新聞、面白いです。他にもいろいろあったので、これからちょいちょい、記事にしていこうと思います。>

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今日から荒川ふるさと文化館で荒川線についての企画展示が始まりますね。

それに先駆けてじゃないけど、ちょっと予習。
前に、京王OBの清水正之さんが著書で「下高井戸に今の荒川線、王子電車がやってくる計画があった」というのを見て「まじかyo!」とその詳細をさがしたところ、ネットの検索でおおよその答えが載っていたので、その一次資料を自分も参照してきました、という報告。

東京朝日新聞の大正13年8月の記事で、ヒントというか答えが書かれていたのは個人のブログなのですが、その出典元となっている神戸大学附属図書館さんでネット文章化済みでした。要するに朝日新聞の東京版ですね、それに載っていたと。
大きな図書館であれば、縮刷版で合本?されているので、参照は容易でした。
東京都立図書館のほうに「東京朝日新聞 縮刷版」というのもありますが、やはり内容は同じでしたので、ここはより見やすい復刻版の方を。
旧漢字は現行のに直してますが、旧仮名遣いはそのまんまです。
あと、読みやすいように、地名には勝手にスペースいれちゃってます。




「市を囲繞し大蜘蛛の網 数多私設軌道の計画 実現可能のものでも十線」
 大正十三年八月二十九日(金曜日)


最近に於ける府下町村の発展著るしく殊に震災以後省電其他既設交通機関の沿線は
疾風の勢ひで市街化しつつあるので早くも私設軌道会社は其他の方面への電車敷設を計画し
 ・ ・ ・ ・
 王子軌道 は大塚終点から巣鴨刑務所前 高田町 雑司ケ谷 鬼子母神下 学習院下を
 経て落合町に入り杉並町 省電高円寺駅前を通過して京王電車終点下高井戸への連絡を計画
、
 高田 西巣鴨 両町間は予定線の敷設買収を了し雑司ケ谷附近の家屋取払中である
 ・ ・ ・ ・
 玉川電気 は三軒茶屋停留場より分岐し世田ケ谷 豪徳寺裏 松澤村 赤堤手を経て同じく
 下高井戸京王終点に至る十余哩の支線
 ・ ・ ・ ・
 京濱電気 は品川八ツ山の終点を発し市電の軌道を共用して品川駅前に至り毛利邸裏、
 北品川白金猿町、大崎町白金火薬庫跡伊達跡、渋谷町羽澤を経て青山学院横から市電を横断
 大山公爵邸西側を経て明治神宮裏千駄ケ谷町字源氏山迄の延長(内毛利邸裏白金火薬庫まで地中線)
 を予定し玉川電気は世田ケ谷松沢の敷地買収、京濱電気は八ツ山発電所の敷地買収、
 省電品川駅前の停留所新設工事に着手した
 ・ ・ ・ ・ ・ ・
 目黒蒲田電鉄 は奥澤ステーションより玉川電車終点に至る支線を出願中
 
この外ほか大森蒲田両駅(省線)中間を発した入新井馬込平塚(字蛇窪)大崎町五反田を迂回して
品川に至り市内を経て南葛飾郡亀戸町に至る東京地下鉄道、
目黒、蒲田電車玉川停留場から中原村を経て横濱程土ケ谷に向ふ東京横濱電気軌道、
池袋を起点として大塚辻町、護国寺市電終点、早稲田終点の三つに通ずる武蔵野鉄道会社関係者の
市内郊外連絡線があり 資本金千五百万円を以て設立の
 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 小田原急行電鉄 は新宿青梅町道口(目下専売局のある所)を起点として省電に併行して南進、
 千駄ケ谷町山本唯三郎氏の邸内を斜に青山練兵場に出で八幡下、大山公園南、代々幡 代田橋両側
 世田ケ谷 豪徳寺裏、経堂在家 北多摩郡千歳 砧の二村を経て喜多見台より狛江村を経て
 神奈川県稲田 生田 柿生の三村を通り南多摩郡鶴川村町田町を経て小田原に向ふ
 此間延長八哩は一哩毎に停留場が設けられ南北多摩と市内との連絡はこれに依って完全に実現される

又代々木自動車会社では渋谷駅前より駒場道に沿ふて
京王電車の幡ケ谷停留場附近に至る電車敷設を計画中で
この外武蔵電気鉄道が十数年前から計画して居る東京横濱間の高速度電車及目黒(碑文谷)より
新宿に通ずる予定線があるけれども東京横濱間のそれは既に東京横濱軌道のものとなり碑文谷 新宿間を
同会社に買収されぬ限り実現不可能で問題でなく以上実現可能のものだけを総計すると
十線延長約数十哩立派な交通網が出来る訳である、其の計画左図の通り


赤くした文字の所が問題の計画線。地図を参照すると下高井戸までがっちり伸びてますね-。
玉川電気で計画されているのが現・世田谷線で、小田急、東横と一緒の同世代。
目蒲電車の計画線は大井町線の事だよな・・・?多分。
出願は早かったのに、後から計画された省線の品鶴線に先を越されて建設されてしまい、かわりに橋を架ける補償費をぶんどったという・・・。さすがやり手です。
東横線に至っては、全国を対象とする鉄道・軌道が六分配当できるようになるまで政府が出してくれることになってる、補助金の総額三百万円の半分以上を実は一割位の配当が出来るにもかかわらず、昭和12年までもらっていたとか。
しかも、それの期限が切れそうだからと、こんどは玉川を合併しちゃう自分勝手さ。
お、おまええええええ!(笑)

補助金をもらえなかった京王(玉南)が聞いたら、発狂しそうです。
そして、大正13年なら京王の玉南鉄道だって、計画というかもう建設に入ってると思うんですけど、地図にない・・・どういうこった!#

東横線も、本当は省線と並行してる(というよりはショートカット?)から条件は厳しいはずなんですけどね、、、五島さん、「昭和6年に病気療養中の江木(翼)鉄相を尋ねて補助金の交付方を嘆願・懇請し、江木鉄相は下級官僚の反対を押し切って、全国私鉄補助会社中最高額の交付を決断した」らしい。結局は、コネか!!
(このとき「軽便鉄道補助法に基づく年五分の補助金を」って書いてあるけど、地方鉄道法が交付されたあとだから地方鉄道補助法の間違いだよね…たぶん)

ところでこの記事の、最後の文章がイマイチ理解できないんですけど「東京横濱軌道」ってなんなんでしょう。そこがもう免許持ってるから、十数年来計画している武蔵電気鉄道(今の東横)のは実現不可能ですよって云ってるんでしょうか。
でも、地図にはやる気のない文字で「東京横濱電気鉄道予定」って書いてあるから、ここも何か勘違いしたんでしょうかね。

確かに、明治43年6月に武蔵電気鉄道が設立されたから、五島さんが入る大正9年5月まで10年位間がありますが。長くなりそうなので、ここは別記事にて。


 

さて、こちらが追加事項。おなじく朝日新聞の、ちょっとさかのぼって大正七年の記事ですね~。


「●郊外電車計画 ▽王子京成の合併」大正七年六月二十五日(火曜日)


東京市外の王子電車軌道会社並に京成電気軌道会社等の郊外電車鉄道は久しく経営困難に苦しみつつありしが
両社共近年森村銀行系及び富士瓦斯関係者の入りて大株主となり重役を更迭して自社関係者を出し経営せしむるに及び幾分其経営方法も改善せられたると共に両社の実権者たる森村、富士瓦斯関係者間には両社の合併計画を開始し其第一着として王子電軌の発車場たる大塚と京成電鉄の新宿発車場とを連絡せしむる目論見を立て
目下精細調査中なるが此計画は現在の大塚駅より院線電車の市内寄りに於て略之と併行して
雑司ケ谷、目白、高田、大久保等を経て新宿の京成電車発車場に至る約七哩間に電車を敷設せんとするものなり
唯ただ土地買収に多少困難ある模様なるが完成の暁には該郡部方面は非常の便利を受くるに至るべしと


「王子京成の合併」とかいってますが、十中八九「王子京王合併」の間違いです。
荒川線は町屋で京成と交差してるからな~、地域的にも東京北部側だし、間違えても仕方ないとは・・・いや
新宿という地名も、あちこちにありますし、これが内藤新宿でない可能性もありますが「雑司ケ谷、目白、高田、大久保等を経て新宿」って書いちゃってますもんねぇ。
ここまで来といて、なぜ京成と京王を間違うのかと。

答えは、京王がどマイナーだからです(;艸)
そりゃあ、当時の京成様は、東武に次いで大手だろうしさ・・・。

京成の社史は読んだ事がないのですが、この時期に「森村銀行系及び富士瓦斯」の資本が入っていると云ったら、やっぱり京王か玉川でしょう。

次の記事で王電の社史を確認してみます。

と、その前に、右の記事はおまけのその当時の富士瓦斯紡績の配当金模様。
鉄道だと、ちょっと良くて一割くらいのなか、五割配当ってイケイケだな、と思ったけれど、隣のカネボウが七割なので上には上がいるなと。


「●富士紡 配当 五割」大正七年六月六日(木曜日)

富士瓦斯紡績今期純利益は前期に比し百三十余万円増の五百三十一万八千百三十六円にして
五日の重役会に於いて株主配当を年五割(一割五分増)と決し 来る二十日午後一時より
箱崎町出張所に株主総会開会の筈 即ち左の如し


のちに京王の大株主となる大日本電力(北海道電力)はもともと富士製紙の電気部門だったそうですが、富士瓦斯紡績→富士製紙→北海道電力という流れだったんだろうか・・・。

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