たまろぐ
テツ的あれこれ妄想牧場。(※路線≒会社の擬人化前提注意です)
最近は管理人の備忘録と化してます。
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風が強くなるってのは知ってましたが、朝晴れてたんで傘持ってでなかったんですよね←バカチン一名
台風並って、これ台風とどうちがうのよのさ!!
昼に社長が「仕事無ければ帰れるうちにかえんなさい」とのたまわれたのだけど、なんとなく残ってたら雨がシャレにならなくなってた。
職場の人が窓から観察してたら、半分の人の傘がボシュ!ってなって、1/4の人が傘を差すのを諦めてて、1/4の人が上手いこと傘を差してたらしいので、傘持っててもあんまかわんなかったですかね。
で、みんな5時過ぎたピーク時にずぶ濡れ覚悟で帰って行くんですが、それは嫌だったので、居残り組でピザを頼んで時間を潰しました。
そしたら、食べ終わる頃には見事に雨は止んで、お月様が!
京王線が30分遅れでしたが、問題なく帰れたうえに8時台にしては電車も空いてたんで、これはこれでラッキーでした。
そもそも、京王線はまだ風が本格的に強くなる前の午前中に、新宿線内の住吉駅での車両故障で、下り方面に遅れがでてたんで「Σ早!!」って思ったんですけど、その後戻せたのか、乱れたまんまだったのかわかりません。
千葉と茨城と神奈川はなんか大変そうでしたね(特に千葉JRと京急)。こっち側だと横浜線も結局見合わせになってたかな・・・。
「こういう日でも江ノ電はとまらないんですよねー」と隣の席の子がいうんで、「え?」とよく聞いたら、昔通学につかってたそうで、リアル「江ノ電は台風でも止まらないから学校が休めない」話を聞きました。
で、伝説は本当やったんやっっっっ!!!
ピザーラのおねいさん、びしょ濡れで届けたくれた。ご、ごめん・・・。
クオーターイタリアーナおいしかったです。
同系列なのかVIVAパエリアのチラシもくれたので、今度はそっち頼んでみようか、という話になりました。
仕事しろよ。もしくは帰れ。
台風並って、これ台風とどうちがうのよのさ!!
昼に社長が「仕事無ければ帰れるうちにかえんなさい」とのたまわれたのだけど、なんとなく残ってたら雨がシャレにならなくなってた。
職場の人が窓から観察してたら、半分の人の傘がボシュ!ってなって、1/4の人が傘を差すのを諦めてて、1/4の人が上手いこと傘を差してたらしいので、傘持っててもあんまかわんなかったですかね。
で、みんな5時過ぎたピーク時にずぶ濡れ覚悟で帰って行くんですが、それは嫌だったので、居残り組でピザを頼んで時間を潰しました。
そしたら、食べ終わる頃には見事に雨は止んで、お月様が!
京王線が30分遅れでしたが、問題なく帰れたうえに8時台にしては電車も空いてたんで、これはこれでラッキーでした。
そもそも、京王線はまだ風が本格的に強くなる前の午前中に、新宿線内の住吉駅での車両故障で、下り方面に遅れがでてたんで「Σ早!!」って思ったんですけど、その後戻せたのか、乱れたまんまだったのかわかりません。
千葉と茨城と神奈川はなんか大変そうでしたね(特に千葉JRと京急)。こっち側だと横浜線も結局見合わせになってたかな・・・。
「こういう日でも江ノ電はとまらないんですよねー」と隣の席の子がいうんで、「え?」とよく聞いたら、昔通学につかってたそうで、リアル「江ノ電は台風でも止まらないから学校が休めない」話を聞きました。
で、伝説は本当やったんやっっっっ!!!
ピザーラのおねいさん、びしょ濡れで届けたくれた。ご、ごめん・・・。
クオーターイタリアーナおいしかったです。
同系列なのかVIVAパエリアのチラシもくれたので、今度はそっち頼んでみようか、という話になりました。
仕事しろよ。もしくは帰れ。
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京王のもともとの発起人の名前を「渡辺熊之助」と勘違いしてたんですが、今回、本を読んで「渡辺熊之進」でよかったんだと、あらためて気づかされ「!!!」てなってました。
「一文字違いだな~」とか、おもってたんですけど、それなら玉川の発起人と同名ですね、っていうか多分に同じ人物ですね。
「渡辺熊之進」で検索して出てくるこちらのページ
>http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/1993/13-0221.pdf
によると、玉川電気鉄道は、もともと「玉川砂利鉄道」というその後の玉川電鉄の前身とされる会社と、「玉川電気鉄道」という同名の別の会社の出願路線があわさったものらしくて、それぞれの会社の発起人筆頭が「渡辺熊之進」さんと、初代駒沢村村長の「谷岡慶治」さんなんですが、京王の前身の前身の前身の会社の日本電気鉄道の発起人名も、「渡辺熊之進 谷岡慶治 秋本喜七(以下略)」なんですよね。
渡辺熊之進さんは、明治36年10月4日に専務取締役に就任し、玉川線開業にむけて尽力していたんですが不況で用地買収などが進まず、その責任を取って、明治38年8月15日に平取締役に転任、明治39年1月3日には取締役も辞任ということに(東横の社史では)なってるのですが、(上のページの4月12日てのは何処の出典だろう?かすってもいないのが謎)ちょうど、かぶるように日本電気鉄道の出願が明治38年12月12日になってるのですよね。
それって、つまり渡辺さんが平取締役に降格して数ヶ月後に、京王の路線を出願し会社を立ち上げたということ?
玉川で失敗したから、次は京王で挽回、ということだったのだろうか・・・。コリテネー
いままでちょっと、玉川さんは昔から京王を知ってる「親戚のお兄ちゃん」って立ち位置のつもりだったんですけど、ここまでいくともう「実兄弟」の域ですね。
うわー、うわー。
それはそれで、いいですけど、それ気づいてるのは玉川さんだけかな。
でも、京王は京王で、もともと蒲田~調布~府中~立川にいく本線のお兄ちゃんが(出願の段階では)いたので、結局、支線であるはずの新宿~府中である自分が認可され本線になった経緯をみると、あっち方面(玉川)の親しげな年上の存在って、けっこう重いと思うのですけど、どうかな!?(ひといき)
ところで、この「調布」って、田園調布と、布田調布と、どっちの調布だろう・・・直線ルートできたら、どっちも通るからどっちでもいいのか(適当)
ウソじゃないっすよ!?ウソじゃないっすよーーーー!!!
==============================
あーびっくりた、あー。
京王電軌の三十年史の年表を写してたら、大正2年4月7日に「笹塚変電所(100kW)が完成し東電及び玉電より受電」とあって、「はっ?」゚Д゚)ってなりました。
あ、あれ・・・?開業前から、玉川さんから電気もらってたの?(京王の開業日は4月15日)
もともと東京電灯からは電車の動力用に125kWを買ってるんですが、玉川さんも同時に??いやいやいやいやって。
たしか、前に笹塚(新町)~調布開通後の頃、玉川さんから電気を送ってもらうようになって、「サイズ的に一番小さい京王になるかな」てどっかで書いたと思うんですけど、そのつもりでネームも書いてたんですけど、そこひっくり返されると割と真面目にデラピンチ!!
で、東電さんの本とか玉電さんの本とかで確認したんですけど、やっぱり、三十年史の記述はちがうみたいです。
宮田道一さん監修の玉電さんの年表によると、「大正4年4月2日玉川電鉄は京王電軌への電力供給の許可を得る。ただちに供給を開始」ってなってて、東電の本には「1915年に玉川電気鉄道から受電(4月から電車運行用に150kW、12月から電灯供給用に150kW)が開始された事に伴い東京電灯からの購入は中止され、府中火力発電所も廃止された」とあるので、あー、やっぱり大正4年でいいんだよね、びっくりした、となりました。
まさか公式にエイプリルフールかまされるとは。
ちなみに、井上篤太郎さんが、大正2年の3月17日に玉電の取締役支配人になってるので、駒沢変電所はまだ出来てないけど、もしや玉川さんの火力発電所の電気で・・・?と一瞬思ってしまいました。
富士瓦斯紡績さんの電気を送電してもらうためにたてた、玉川の駒沢変電所は大正2年10月から始動するので、ふつーに考えたら、他社に送電するのはそれからですよね。
京王ヒドイ
ちなみに、玉川さんと京王の出会いを設定したのは、この玉電の年表で玉川から京王へ「ただちに送電開始」の部分に反応したからです(私が)。
これで玉川→京王になったといっても過言ではなく・・・。宮田さんサイコ-!ありがとう!!(黙れ変態)
「一文字違いだな~」とか、おもってたんですけど、それなら玉川の発起人と同名ですね、っていうか多分に同じ人物ですね。
「渡辺熊之進」で検索して出てくるこちらのページ
>http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/1993/13-0221.pdf
によると、玉川電気鉄道は、もともと「玉川砂利鉄道」というその後の玉川電鉄の前身とされる会社と、「玉川電気鉄道」という同名の別の会社の出願路線があわさったものらしくて、それぞれの会社の発起人筆頭が「渡辺熊之進」さんと、初代駒沢村村長の「谷岡慶治」さんなんですが、京王の前身の前身の前身の会社の日本電気鉄道の発起人名も、「渡辺熊之進 谷岡慶治 秋本喜七(以下略)」なんですよね。
渡辺熊之進さんは、明治36年10月4日に専務取締役に就任し、玉川線開業にむけて尽力していたんですが不況で用地買収などが進まず、その責任を取って、明治38年8月15日に平取締役に転任、明治39年1月3日には取締役も辞任ということに(東横の社史では)なってるのですが、(上のページの4月12日てのは何処の出典だろう?かすってもいないのが謎)ちょうど、かぶるように日本電気鉄道の出願が明治38年12月12日になってるのですよね。
それって、つまり渡辺さんが平取締役に降格して数ヶ月後に、京王の路線を出願し会社を立ち上げたということ?
玉川で失敗したから、次は京王で挽回、ということだったのだろうか・・・。コリテネー
いままでちょっと、玉川さんは昔から京王を知ってる「親戚のお兄ちゃん」って立ち位置のつもりだったんですけど、ここまでいくともう「実兄弟」の域ですね。
うわー、うわー。
それはそれで、いいですけど、それ気づいてるのは玉川さんだけかな。
でも、京王は京王で、もともと蒲田~調布~府中~立川にいく本線のお兄ちゃんが(出願の段階では)いたので、結局、支線であるはずの新宿~府中である自分が認可され本線になった経緯をみると、あっち方面(玉川)の親しげな年上の存在って、けっこう重いと思うのですけど、どうかな!?(ひといき)
ところで、この「調布」って、田園調布と、布田調布と、どっちの調布だろう・・・直線ルートできたら、どっちも通るからどっちでもいいのか(適当)
ウソじゃないっすよ!?ウソじゃないっすよーーーー!!!
==============================
あーびっくりた、あー。
京王電軌の三十年史の年表を写してたら、大正2年4月7日に「笹塚変電所(100kW)が完成し東電及び玉電より受電」とあって、「はっ?」゚Д゚)ってなりました。
あ、あれ・・・?開業前から、玉川さんから電気もらってたの?(京王の開業日は4月15日)
もともと東京電灯からは電車の動力用に125kWを買ってるんですが、玉川さんも同時に??いやいやいやいやって。
たしか、前に笹塚(新町)~調布開通後の頃、玉川さんから電気を送ってもらうようになって、「サイズ的に一番小さい京王になるかな」てどっかで書いたと思うんですけど、そのつもりでネームも書いてたんですけど、そこひっくり返されると割と真面目にデラピンチ!!
で、東電さんの本とか玉電さんの本とかで確認したんですけど、やっぱり、三十年史の記述はちがうみたいです。
宮田道一さん監修の玉電さんの年表によると、「大正4年4月2日玉川電鉄は京王電軌への電力供給の許可を得る。ただちに供給を開始」ってなってて、東電の本には「1915年に玉川電気鉄道から受電(4月から電車運行用に150kW、12月から電灯供給用に150kW)が開始された事に伴い東京電灯からの購入は中止され、府中火力発電所も廃止された」とあるので、あー、やっぱり大正4年でいいんだよね、びっくりした、となりました。
まさか公式にエイプリルフールかまされるとは。
ちなみに、井上篤太郎さんが、大正2年の3月17日に玉電の取締役支配人になってるので、駒沢変電所はまだ出来てないけど、もしや玉川さんの火力発電所の電気で・・・?と一瞬思ってしまいました。
富士瓦斯紡績さんの電気を送電してもらうためにたてた、玉川の駒沢変電所は大正2年10月から始動するので、ふつーに考えたら、他社に送電するのはそれからですよね。
ちなみに、玉川さんと京王の出会いを設定したのは、この玉電の年表で玉川から京王へ「ただちに送電開始」の部分に反応したからです(私が)。
これで玉川→京王になったといっても過言ではなく・・・。宮田さんサイコ-!ありがとう!!(黙れ変態)
「京王電鉄まるごと探見」
だいたいだら~っと読んだんですが、さすがにあらゆる情報がまとまってますね。
しかし、読んでていちばん衝撃的だったエピソードが、代田渡り線が出来る前は、小田急の車両を新宿から永福町まで牛に引かせたというやつ、しかも取り扱いが不慣れだったために初電の時間に暴走させ、無人のまま永福町車庫から渋谷まで走りきって、終点の車止めに激突して床下大破って!ふつうに大事故じゃないか!??Σ(川ロ川;)
でもこれ、京王っていうより小田急のトンデモエピソードですね・・・。
あとは、プスプスナイフが刺さることをいうというか・・・、軌間についての件で、京王も、王子も、京成ですら市電に乗り入れるために馬車軌間にしたわけではないのではないか、と定説を覆す意見を述べられてて、でえええええ!?そうなのか!
だったら、玉南統合した時に国鉄と同じ軌間にしてしまえばよかったのに。軌道法なら軌間は自由なのだし。
車両数で玉南10:京王40だったから、手間の少ない京王に合わせることにしたっていうけど・・・。
それに、京王の方が、もう複線化してるから、そのせいもあるのかな?って思ったけど、これは複線間を2600mmから3050mmにしてるから、結局レールは動かしてるんですよね・・・。
せっかくの市電からの乗り入れ連絡線も維持が大変だからと嫌がるし、京王、ケチというより「ものぐさ」なかんじがしますね(^_^;
地方鉄道補助法の補助をあてにしていたわりには、省線の八王子駅には乗り入れなかったために、補助金却下される要因になったというのも、そういわれると謎だな?
なんで交差させてまで、甲州街道いったのか。まあ、市街が北側だからなんでしょうけど。省線の八王子駅もそっちが主で玄関だったんでしょうし。
よくわからないけど、省線ともめて、玉南の予定日の開業があやうかった、という話をきいたのですが、乗り入れたくとも場所がなかったとかないのかな。う~む。だとしたら、どないせいっちゅうんじゃい、って気はしますが。
あと、やっぱり五島さんの補助金せしめたのと対比させられてますね(笑)やっぱ、東横と玉南は対照的な結果なんだな。
補助金交付をお願いする嘆願書みたいのは、井上さんも結構な頻度でだしてるので、「鉄道省への働きかけを軽視した」ってのは違和感ありますが、それが「裏口」的な意味をさすなら、そうかもしれませんね。やっぱり、どないせいっちゅうんじゃい。
戦後編はこれからバスの中で読みます。
基本、家の中では本読まないのですが、昨夜は興奮して寝付けなかった。風の音もうるさかったですし。
昨日の文章、またテンション高いですね(汗)
いつもバスと電車の移動時間の20~30分くらいを利用して、ちょっとずつよむんですが、集中力つづかない自分としてはそれが丁度いいです。
だいたいだら~っと読んだんですが、さすがにあらゆる情報がまとまってますね。
しかし、読んでていちばん衝撃的だったエピソードが、代田渡り線が出来る前は、小田急の車両を新宿から永福町まで牛に引かせたというやつ、しかも取り扱いが不慣れだったために初電の時間に暴走させ、無人のまま永福町車庫から渋谷まで走りきって、終点の車止めに激突して床下大破って!ふつうに大事故じゃないか!??Σ(川ロ川;)
でもこれ、京王っていうより小田急のトンデモエピソードですね・・・。
あとは、プスプスナイフが刺さることをいうというか・・・、軌間についての件で、京王も、王子も、京成ですら市電に乗り入れるために馬車軌間にしたわけではないのではないか、と定説を覆す意見を述べられてて、でえええええ!?そうなのか!
だったら、玉南統合した時に国鉄と同じ軌間にしてしまえばよかったのに。軌道法なら軌間は自由なのだし。
車両数で玉南10:京王40だったから、手間の少ない京王に合わせることにしたっていうけど・・・。
それに、京王の方が、もう複線化してるから、そのせいもあるのかな?って思ったけど、これは複線間を2600mmから3050mmにしてるから、結局レールは動かしてるんですよね・・・。
せっかくの市電からの乗り入れ連絡線も維持が大変だからと嫌がるし、京王、ケチというより「ものぐさ」なかんじがしますね(^_^;
地方鉄道補助法の補助をあてにしていたわりには、省線の八王子駅には乗り入れなかったために、補助金却下される要因になったというのも、そういわれると謎だな?
なんで交差させてまで、甲州街道いったのか。まあ、市街が北側だからなんでしょうけど。省線の八王子駅もそっちが主で玄関だったんでしょうし。
よくわからないけど、省線ともめて、玉南の予定日の開業があやうかった、という話をきいたのですが、乗り入れたくとも場所がなかったとかないのかな。う~む。だとしたら、どないせいっちゅうんじゃい、って気はしますが。
あと、やっぱり五島さんの補助金せしめたのと対比させられてますね(笑)やっぱ、東横と玉南は対照的な結果なんだな。
補助金交付をお願いする嘆願書みたいのは、井上さんも結構な頻度でだしてるので、「鉄道省への働きかけを軽視した」ってのは違和感ありますが、それが「裏口」的な意味をさすなら、そうかもしれませんね。やっぱり、どないせいっちゅうんじゃい。
戦後編はこれからバスの中で読みます。
基本、家の中では本読まないのですが、昨夜は興奮して寝付けなかった。風の音もうるさかったですし。
昨日の文章、またテンション高いですね(汗)
いつもバスと電車の移動時間の20~30分くらいを利用して、ちょっとずつよむんですが、集中力つづかない自分としてはそれが丁度いいです。
啓文堂さんで注文してた本を取りに行ったら、キャンブックスの京王の本が平積みになってました!
もちろん買った!!
わ~い、ちなみに店内、入り口入ってすぐの場所に山が3つ、レジの前のラックに4つづつ、鉄道コーナーはふつーに平積み一つでした。置きすぎ!!さすが!!ぜったい余らすな!
面白いといいな~。京王の本で、すっごい面白かった!っての、意外と少ないんですよね。
どうも、お堅いというか・・・たぶん、自分が求めているトンデモエピソードがないせいだと思うんですが・・・。ほんとに、隠匿さんめ。orz
だから京王電鉄時代の社史を読んでも面白い事載ってなくて、あまり真面目に読み込んでないんです。情報の確認のためにあとからその部分を探すことはありますが。
なので京王電気軌道の社史の方が断然面白いんですけど、希少本だからな~。
どっかでキレイに収録し直してくれないかな~?
100年史、期待しております!!キラキラ…
あ、あと「京王の駅 今昔・昭和の面影」は、いつでるんですか!いつでるんですかー!!!
東急・京急・小田急はあるのに、京王のがないなんて謀略だと思うんです、謀略だと思うんです!!
できれば、大正14頃の玉南の府中駅が知りたいです-!!
図書館でレファレンスまでしてもらったのに、大正12年の開通前と、昭和2年の合併後の地図しかなかった!完全ブランク!!
これはもう、当時のこと覚えてる方に直接聞き出すしか手はないんでないか、と思います。川
あっ、アルピコ交通の八社会の写真って、もしかして元京王3000系だったのか・・・。(パラリ…)
写真だと「3000形」になってるけど、この本だと「3000系」になってる・・・
どっちが正式なんだろう。
右は一昨日まで借りてた本。
新宿のジュンク堂にもあったんですけど、高いので「どうしようかな・・・」と迷って買わなかったんですけど、読んでいくうちに意外とつかえるかも?とおもって、注文したら案外届くの早かったです。
モレル氏と、五島さんや早川さん、井上勝さん以外の人たちの人生?って、あんまくわしく知らないので、小林一三さんや根津嘉一郎さんがわりと新鮮でした。雨宮さんの大日本軌道は、これで知ったのでネタに使わさせていただきました。
これ読んでると、岩下清周さんは阪急の父ですな!!(母は小林一三さん)
北浜銀行が破綻しなければ、岩下さんからの独立はかなわなかっただろう・・・とかとか。へ~って。
岩下さんと云えば「生半可な気持ちではつとまらんよ!」的に小林さんを叱咤したエピソードが有名だったけど、それ以上はよく知らなくて。あと、才賀さんと仲良かったらしい。
だから才賀電機が破綻した時、あとを引き受けてるんだけど、その引受先の北浜銀行もすぐに破綻して、鈴木商店さんと森村銀行さんが王子電気軌道の株を肩替わりして、ようやっと落ち着いたと、社史に。
王子の社史は資本の話がわりとメインに置かれているので、非常に参考になります。
荒川線の企画展見に行った時も、積極経営している時期が、だいたい鈴木森村時代だな~って実感しましたし。
きっと幸せだったに違いない。
====================
~追記~
そういえば、京王電気軌道の社史は、王子の社史と一緒に大正期鉄道史資料に収録されていましたね。
そうか、そっちを借りれば良かったのか・・・。たぶん、私が借りたのは1940年発行の原本の方だ。そりゃあ、行政資料室なんてとこに仕舞われてるわけだわ。
すっごい、読むのに気を遣ったのに!!やられた!
あ~も~3月おわるしいいい!!
気がつけば3月24日も過ぎてますね!!って昨日気づいた!
玉南ゴメンね!原稿もすすまなくて。
中央の前髪の分け目も忘れるくらいには忘れてました。
修正する気も起こらないので、とりあえず線足して誤魔化します。ゴリゴリ
あ、玉南の運転開始日がときどき3月20日になってる事があるって話、
どうも、会社側の「この日から運転開始したいです!」って申請が20日になってるっぽいです。
そこから、監督側のOKもらって運転開始したから、結果24日なのだって。
ほんとかなー?
とりあえず、合同話前半終了。ちょっと、京王が手のひら返すタイミングを見失ったけど、まあ何とかなるかな?
ここでもボイコット王、全開だよ、他社間協議をとことん潰すよ!ステキv←
あーと、コミティアの封筒が届きました orz
もう、遊び回ってる場合じゃない!!でも。八王子にはもう一回いきたいな。

